戦上手の女王
スライを出立してから7日が経った。
ヴィティア軍はマルンの目と鼻の先まで進み、緊張が高まっていた。
第2軍の兵士達は緊張に顔が強張り些細な事でも怒りやすくなっていた。
「ねえお兄ちゃん、怖くないの?」
特に表情が変わらないシンカを見てリンメイが尋ねた。
「人同士の戦いは腐る程経験があるし、従軍も初めてではない。緊張はしているが顔には出さない様にしている。お前は対人戦の経験は無いのか?」
「森渡りは殆どが学者肌だよ。闘っても魍魎。人同士の争いに首を突っ込むのは2割もいないよ」
「蝋灰蟷螂は正面から倒せるか?」
「む、無理だよ!」
「そう。あれを向かい合って倒すのは至難の技だ。だがこのだらけたヴィティア軍であっても50の弓兵がいれば倒せるだろう。俺達は力を持っているが、数は少ない。1人でやろうとしても何事も上手くいかないぞ」
「でもお兄ちゃんは倒せるんでしょ?」
「コツがあるからな。だが、蝋灰蟷螂を無傷で倒せても50の弓兵に囲まれれば厳しい。そういうものだ」
「じゃあどうすればいいの?」
「もし戦闘になれば支援を頼む。お前は経での感知に優れているからな」
「うん。わかった」
漸く表情を和らげて頷いた。
「ねえお兄ちゃん。どうして里に帰ってこないの?」
「大陸中を見て回りたいのだ」
「………どうしてお姉ちゃんのこと置いていったの?お姉ちゃんならついて行けたでしょう?」
リンメイはシンカとリンファの関係を知らないのだろう。
「俺はリンファとの関係が終わったから里を出たんだよ。何が言いたいか分かるだろう?お前ももう15だ。1年か2年はただ戻りたくなかった。それから先は戻らないことに慣れた」
「………」
驚いた、という風にリンメイは口を開けて目を丸めた。
愛らしい娘だ。
「詳しい事はリンファに聞きなさい」
「……でも、お姉ちゃん、毎年秋の終わりになると里の入口が見える場所に立ってた。毎日だよ?」
「待っているのは俺では無いよ。俺は若いなりにあいつを愛していたし大切にしていたつもりだった。だが仕方がない。あいつは俺では駄目だったのだ。……そんな俺もかけがえの無い伴侶を見つけた。父さんの様に上手くできるかは分からんが。それでもやって行くつもりだ」
「………」
「それよりも、今夜からはより注意を払わなければならない。滅び行く国に巻き込まれるわけにはいかない。お前は俺が守る。側を離れるな」
ナウラとユタ、ヴィダードを先行させて伏兵の確認をさせている。合図は無いので何も無いのだろう。
この7日間で他の薬師との意思疎通もこなした。
30手前の優男はビッツといい、ヴィティアの地方都市出身で、ヴィティア国内を巡回しているということだった。気のいい男であった。
夫婦はラクサス出身のシメーリア人で、夫がダレン、妻がシャールと言った。
夫妻は見た目通り呑気で、身に危険が迫る可能性がある事を全く認識していなかった。
正午を一刻ほど過ぎた頃、森の木々の上に漸くマルンの壁が見え始めた。
だがそこにはためく旗はヴィティアの暁光と笠山を描いた旗では無く、ベルガナの緑地に天海山脈から王都のダルトを見守るとされる黒い翼竜が染められた旗が靡いていた。
森を行くナウラ達からは確認できなかった様だ。
砦に向かい第2軍は進む。引き返す事も対策を練る事もなく愚直に進み始めている。
指揮官も気付いているはずだ。意図が分からない。
第一軍のヨウロからの連絡もない。
戦闘が起こっている気配は無い。
何が起こっている?自身が行軍中の軍隊の最中に身を置いているため城塞方面での動きが聴き取れない。感知する振動も同様だ。風は風上で匂いも嗅ぎとれない。
そうして第二軍は等々城塞手前まで辿り着きマルン城塞の壁を見上げた。
門は固く閉ざされ、壁の上では弓や弩を構えた兵士が所狭しと立ち並ぶ。
ぎりぎり射程には入っていないが風行法で追い風を立てれば十分に届く。
「指揮官は何を考えている。この様な……ん?」
蝙蝠の声音で合図がある。
ナウラだ。左。敵。潜伏。斥候。交戦。手練れ。
指揮官が要塞に向かい声を張り上げ口上を述べている。
国土を侵犯する事を仰々しい言葉で責めているのだ。
「戦闘?ナウラさん?」
リンメイがシンカを見上げる。
「始まった。俺から離れるな」
唇と声帯を引きしぼり、キイキイと蝙蝠の鳴き声に酷似した合図を発した。
突如人間の口から発せられた異音に、隣に居たシドリやレイゲンが驚いた様子でシンカを見た。
了解。応援。要否。撤退。
対して返答がある。
不要。了解。
同時に右方、ヴィダードからの合図も発せられる。
右。敵。斥候。戦闘。
左右同時に敵が第二軍を目指し森を通って迫っている。
細く伸びたこの隊列では為す術も無いだろう。
となれば次の動きは。
ヴィダードにも合図を送る。
了解。応援。要否。撤退。
返答は直ぐ。離脱。
シンカは経を練る。
壁の上で指揮官らしき男が声を張り上げる。
桃型の皮の兜に孔雀の尾羽が付いている。
壁の上の兵士達が一斉に矢を放った。
行兵達は手を突き出して風を起こしている。
第二軍に満遍なく矢を降らせるべく、天を覆う様に矢が放たれた。
シンカは手を突く。
周囲の地が隆起し柱を築く。10尺ほど伸びると其々が広がり頭上に膜を形成した。周囲に張られた土の膜を凝縮して堅める。
土行法 天幕。
直後雨霰の様に矢が降り注いだ。
至る所でヴィティア兵達の悲鳴が上がる。
シンカの付近3.40人には天幕の影響で矢は落ちてこない。
愚かな指揮官だ。
敵の攻撃範囲に不用意に入り込んだ。もう生きてはいないだろう。
「森へ引くぞ。リンメイ。風流颪しを左手に」
「うん!」
リンメイが手を突き出すと大気がうねり強烈な流れとなって矢を押し流し始める。
「行くぞ!」
シンカが左手の森へ向けて駆け始めると、リンメイ、レイゲン、シドリ、ビッツ、ダレン、シャールと数人の兵士が後に続いた。
シンカは再度合図を出す。
左。森。退避。合流。可否。
まず街道を挟んで反対のヴィダードからの返答。
了解。不可。後。合流。
続いてナウラ。
斥候。撃破。敵。襲撃。合流。可。
夜。合流。半刻。後。合流。浅中。
2人に対する返答を行う。
「ナウラが半刻後に合流する。中層手前まで進む」
「ヴィダードさん、どうして合流出来ないの?」
「今森から出れば矢に当たる。これから軍を敵の伏兵が叩く。奥へ進み遣り過す」
シンカとリンメイに薬師が続く。
薬師は流石に森を歩き慣れているのかシンカに遅れる事なく付いてくるが、盾を持ち鎖帷子を着込んだ兵士達は直ぐに置き去りにされた。
「シンカさん。こんなに森の奥に踏み込んで大丈夫ですか?」
ビッツが不安そうに尋ねる。
「ああ」
「すまない。妻が付いて行くのが難しい。勝手に付いて来て申し訳ないが出来れば歩みを遅めてもらえないか?ベルガナ軍は直ぐ側に迫っているのか?」
シンカは足を止めると周囲に耳に意識を集中する。
東側の街道より多くの人間の悲鳴が聴こえる。指揮官を失った第2軍は矢を避けて森に逃れるか、街道を一目散に引き返して行く。
一方森の中をこちらに向かう集団の立てる音も拾えた。路に沿うように進んでいるが、シンカ達にぶつかる位置は通らないだろう。
木漏れ日の角度から時刻が推測できる。矢が降り始めてからそろそろ半刻になる。
中層までまだ距離がある。
再度唇と声帯を絞り甲高い声音を発する。
蝙蝠の鳴き声と遜色のない音が森に響く。
伝える意思は、位置。変更。前。半里。
直ぐに了承の返答がある。
シンカは大樹の張り出した根に腰を掛けた。
「済まない。感謝する。シャール、少し休んで休憩するんだ」
ダレンは甲斐甲斐しく妻の世話をし始める。
戦争の気配を感じて浅層から逃げ出したのか、魍魎とは一度も出逢わない。
だが中層に犇めく気配は確実に感じられる。
依然危険な事に変わりはない。
人間が近付く気配が2つ。ナウラとユタだ。
「戻ったか。無事か?」
木々の合間から現れたナウラに声を掛けた。
傷が無いのは匂いでわかる。声を掛けたのは薬師達の警戒を解くためだ。
「しかし、大変な事になりましたね」
「伏兵が第二軍を横撃するべく森を進んでいます」
「ヴィーからの報告で、右方も同様に進軍中との事だ」
「森の中に軍を潜ませるとは、前代未聞だのぉ。ベルガナはそこまでしてヴィティアを下したいか」
「どうかな。ベルガナというよりもあの国はメルセテを憎んでいそうだが」
会話をしていても埒があかない。
「恐らくこの辺り一帯は至る所にベルガナ兵が潜んでいるだろう。森に潜み様子見をするしかあるまい。個人としてはこのまま何処へなりとも消え失せることはできるが、他の軍勢に配属されている仲間がいる。安否を確認しない事には逃げ出す事も出来ない」
「僕も同意見ですね」
「私も少しはこの腕を生かさないと、手解きしてくれた先生に顔向けできないわ」
ビッツ、シドリが同意する形で一行は話を進め出した。
森歴193年夏上月、ベルガナ王国がヴィティア王国に向けて電撃的な侵攻を開始した。
宣戦布告は無く、突如としてヴィティア王国の南端のワイリーを陥とし、即座にマルン城塞に攻め入った。
マルンは門を閉ざし籠城の構えを見せるものの、工作員を忍び込ませていたベルガナは夜間に門を制圧し開門。ヴィティアは抵抗の隙も無くマルンを失った。
ヴィティアの隣国ベルガナとラクサスはそれぞれメルセテ、クサビナと戦争を繰り返しておりヴィティアは他国に侵略された歴史を持たない。
従って兵は弱く、王政も軍の上層部も戦争に対する技術知識や戦術知識を持たなかった。
マルンを抑えたベルガナは悠長に進軍してきたヴィティア軍の先鋒を誘導して撃破。次鋒を砦目前で奇策により撃破。中堅を勢いに乗って会戦で叩き、ヴィティアの主力を叩き潰した。
副将、大将は戦闘すら行わずスライに籠り、散り散りになった軍勢は西の山際の山岳都市ポルテに集結し強固な防衛陣を築き、遊撃戦を展開した。
対してベルガナは浸透攻撃を開始し、スライ目前まで軍を進めていた。
僅か15日の出来事であった。
「ご報告差し上げます」
ベルガナ兵が跪いて男に戦況を述べていた。
そこはマルン城塞の部屋の一室で、兵士も併せて4人の人間が顔を付き合わせていた。
変成岩を滑らかに削った美しい卓には地図が広げられ、白と黒の石の駒が置かれていた。
駒は勢力を表す。
「許す」
短く告げたのは40代のドルソ人。白髪が程よく混ざった灰色の髪の男だった。
レナート・マウリッツ。ベルガナ軍第三師団の総指揮官である。
伯爵の位を持ち、また王剣流の礼位も併せ持つ。
「は。王都目前のウルマを占領した第1師団はスライを攻めあぐねております。ご助力頂きたいとヒューイット卿より申しつかっております」
「戯けた事を。陛下の下知を破り途中の町村で略奪を行った為に足が遅れ、みすみす敵を王都まで逃したのでは無いか」
第一師団の指揮官を罵ったのはこれもまた40代のドルソ人。第三師団第一旅団長のベレン・バウアーだ。
「我々は抑えだ。容易に動く事叶わず。判断は将軍であらせられるカッセル卿にご判断頂く」
「………承りました。その旨、文を頂きたく存じます」
「うむ。後程」
伝令は立ち上がると一礼の後に退室した。
そして直ぐさま戸が叩かれて次の伝令が現れる。
「第二師団の戦況につきましてご報告差し上げます」
「申せ」
「は。第二師団はメンデル卿の指示の元ウルマとマルンの間の街を制圧、また残存する反抗勢力を各個撃破するべく部隊を散開させておりますが………」
「如何した」
部屋の内の最後の1人、第三師団第二旅団長のルシアード・レンブラントが伝令を促した。
低い重低音の声が部屋に響き、伝令は肩を震わせた。
「は。恐れながら、メンデル閣下は全軍の半数をポルテの押さえに置き、残る半数を200人規模の中隊に分けて町村の草の根を掻き分けて遊撃部隊の殲滅に当たっておられますが………2部隊が消息を絶ちました」
「何?ただの1人も戻らないということか?」
「は。左様でございます」
ただの1人も帰ることなく消え去る。
レナートがまず疑ったのは離反であった。
この侵略でベルガナ軍は略奪を許していなかった。占領し、兵糧は提供させても彼等の蓄えは残した。
それを不満に思う兵達がいる事も理解している。
だが女王の方針は切り取ったヴィティアを統治する為、無辜の民に危害を加える事を許していない。
あまり現実的では無いが、不満を抱いた兵士が離反し野盗となり、村や街を荒らし始めたと考えられなくも無い。現実的では無いが、1人残らず消えるよりは可能性も高い。
「メンデル卿は原因を何と考えている?」
「は。魍魎、それも大型の蟲では無いかと考えられております。2つの隊が消息を絶ったのはいずれもポルテとマルンの間を結ぶ路。敵遊撃部隊が跡形もなく1部隊を消すことが出来るとは思えないが為でございます」
見立ては悪くない。蟲には人や他の魍魎を跡形もなく丸呑みに出来る物もいるという。これがそれ以外の魍魎であれば、食い残しが出る。精々が爬の1種類、細長い形状の魍魎程度だが、彼等はそこまで大食いではないと聞く。
「魍魎の痕跡は見つかったのか?」
「いえ……斥候に様子を探らせましたが……彼等も消息を絶ちました」
「成る程。してメンデル卿は第三師団、或いは将軍閣下に何を望まれているのだ?」
「は。恐れながら、第二師団、それもポルテの抑えを除きます半数ではヴィティア東部の制圧が難しく、東部の制圧を第三師団にお願いしたいと仰せで御座います」
「分かっているのか?我らがマルンを失えば前線の第一師団も、第二師団も敵地で背を脅かされる事になるのだぞ?」
「は。仰せの通りでございますが、メンデル閣下はマルンを襲う勢力はポルテとスライに封じ込めている為、幾許かの兵は出せるのではないか……と」
「ふむ。では其方から卿に問うてくれ。メルセテやシアスがヴィティアと同盟を結びマルンを奪おうと攻め寄せる可能性は無いのかと」
「……は………」
「我等の責はこのマルンを如何なる勢力からも死守する事。……もっともポルテの抵抗が予想以上に激しくこのままではヴィティア各地を制圧出来ないのも事実。判断はカッセル閣下にして頂くこととする。それで良いか?」
「は。有難く存じます」
「うむ。では明朝将軍閣下に言葉を賜る。辰の刻にここへ参れ。では」
「よろしくお願い致します」
2人目の伝令が退室するとレナートは椅子の背凭れに深く体を預け溜息をついた。
「儘ならぬなぁ。陛下の策、上手く実行出来ればヴィティア程度楽に併呑出来ると考えていたが、一師団が欲をかいた所為で台無しよ」
「仰る通りにございますな。スライを落とせていればポルテや遊撃部隊の抵抗もかなり抑えられていたと考えられますな」
「……が、今となっては詮無い事。メルセテの介入前に片をつけたいものです」
「メルセテは動かぬよ。今は東川が北山を攻める戦の最中。1番近い北山にはヴィティアへ兵を送る余力は無い」
言葉尻は苦々しいが、ベレンもルシアードもあまり思い悩むような表情ではない。
それもそうである。
サルマ ベルガナは後継者争いを端としたベルガナの内戦に終止符を打った女王である。
先王亡き後、王弟と第一王太子で王位を巡ったベルガナの内戦。
サルマは第三王女でしか無かった。
20歳にして新勢力の旗頭として台頭し、王弟派と王太子派を会戦で破って王位に就いた。
「しかし、あの時ブラント将軍を始め、国軍がサルマ女王陛下に付いたのは誠、英断でございましたな」
「然り。女の身でありながら陛下は軍才がお有りだ」
「……ルシアードもベレンも陛下に御目通りした事は無いのだったな。………2人とも長い付き合いだが、私がこのような事を言うのをおかしく思うだろう。あの方は輝いていたのだ。人の上に立ち、人を導く為にお生まれになったと一目で分かった」
「……それは」
「はあ」
「良い。口で説明してどうなるとも思っておらん。私とて貴族の一端。今の立場に就くまでに愚鈍な貴族どもを失脚させて来た。王族から言葉を賜った事も一度や二度ではない。今まで私は、多くの貴族がそうであるように王家に忠誠心など抱いていなかった」
「閣下。お言葉が過ぎますぞ」
「左様。どこの誰が聞いているとも限りませぬ」
「良い。だが、今は違うのだ。私は信じられない事に、サロマ様に心から忠誠を誓っている。あのお方は人を統べるお方だ。暗愚な王族とは一線を画す」
「………」
「………左様、でございますか」
レナートの言葉に2人の副指揮官は気圧されたようだった。
マルンの強い日差しを遮る鮮やかな遮光布が風に揺れた。温い風が3人を撫でる。
彼等の額は汗でじっとりと湿っていたが、拭きもせずに無言でそれぞれの思索に浸っていた。
レンブラントはヴィティアの強い日差しの下で部下達からの報告書を確認していた。
レンブラントはベルガナ第二師団の中隊長の1人である。
率いる部隊は第二師団第二旅団第二大隊19中隊。
彼はヴィティア西部から忽然と姿を消した5中隊と23中隊の消息を探すよう、上司である大隊長を通り越して第二師団長から直々に指令が下されていた。
200人規模の中隊が忽然と姿を消す。負け戦ならともかく勝ち戦で脱走兵が出る事は考え辛いし、忽然と、ともなるといよいよ現実みは無い。
第二師団の上層部は大規模な敵対勢力が潜伏していると考えていた。
2つの中隊はポルテを出てマルンに向かう途中で消息を絶っている。同じ路を利用した中隊は他に多く存在しているが消えたのは2部隊だけだ。
レンブラントは部隊を引き連れてポルテを出ると路を進み、東へ進み始めた。
青い空には雲1つ浮かんでおらず、陽の下を飛んで行く鷹を見て異国の地に赴いて略奪の1つも行うことが出来ない不自由さを嘆いた。
森の合間の路を進み、点在する村や小さな町に寄り消息を絶った部隊の足取りを確認する。
しかし残念な事に町や村の者は幾度と無く訪れたベルガナ兵の中隊を区別する事は出来なかった。
ヴィティアの住民達は概ねベルガナ軍に好意的であった。
これは人種が同じで、肌の色が変わらない事と、ベルガナ軍がヴィティア中央以南で略奪行為を行なっていない事が大きい。
総勢400人にも及ぶ兵士を害して隠しているとは考え難かった。
森の路は基本的に蛇行した一本道だ。
複数の路があったとしても、人々は太い方を利用する為、残りは森に飲まれてしまう。
少し踏み入れば太古の街並みの上に重なるように蔓延った森を見る事もできる。そういった遺跡は大概魍魎の温床となり、足を踏み入れた者を跡形もなく喰らい尽くす。
そういった場所に糧を見出す薬師や山師をレンブラントは尊敬していた。
ポルテを立ってから10日。
丁度マルンとの中央付近に差し掛かっていた。
これまでに時折朽ちた馬車や、人骨が転がっている事もあったが道順にベルガナ兵の痕跡は見当たらなかった。
晴れやかな天気に体が汗ばんだ昼下がりの事だった。
路の脇に転がる腰ほどの高さの岩に老人が腰掛け、足を休めていた。
中隊の中央を栗毛馬に乗って進んでいたレンブラントはふと気になり隊列を止めると老人に向けて歩んだ。
老人は伸びに伸びた眉と落ち窪んだ眼窩とが相まってその視線は隠されている。
薄汚れており伸び放題の髭と頭髪は岩のような色合いをしている。
彼が腰掛けている岩と同化しそうな程の見窄らしい出で立ちであった。
「老人。尋ねたいことがある」
レンブラントは声を掛けたが、彼は身動き一つせず、また返事もなされなかった。
「老人。この辺りに棲まう者か?」
「……………」
耳が聴こえていないのか。顔を覗き込むと目を閉じている。
寝ているのか。死んでいるということはあるまい。
レンブラントは溜息をつくとなんとなしに老人が腰掛ける岩を見やった。
長い年月風雨に晒されてきたのだろう。角が取れて滑らかな表面の触り心地の良さそうな岩だった。
レンブラントはその岩を撫でて感触を確かめていた。
多くの旅人がそうしてきたのか、岩は一部分が摩擦で磨かれ鈍い光を放っていた。
「この辺りに兵士が潜んでいたりするのか?」
返事はやはり無い。
「大きな魍魎がいるか?」
返事は無い。
岩を撫でていると手が引っかかりを覚える。
何か汚れが付着し、乾いたのだろう。
レンブラントは汚れが気になって懐から剣の汚れを落とすための布切れを取り出すと汚れを擦り始めた。
「………この、先には……進むない……」
掠れ、嗄れた声が耳に届いた。
「?」
顔を上げ、声の源を伺った。
声を発した老人は微動だにせず、目も閉じたままであった。
レンブラントは本当に彼が口を聞いたのか疑問に思うほどだった。
「何かあるのか?この先に」
「……………」
意思疎通が思うようにいかない。
打てば折れるような枯れ果てた老人だ。
暴力を振るう気にはなれない。そもそもそのような行為は禁止されている。
尋問するわけにもいかない。
「今夜は星が赤いなぁ……」
「なんだ?何が言いたい」
やはり老人はレンブラントには応えない。
老人の顔を覗き込むと閉じていると思っていた眼は薄っすらと開かれていた。
垣間見える瞳は黒々としているものの輝きは薄く、レンブラントと視線が合っても何ら反応をしない。
「今夜は星が赤いなぁ……」
同じ台詞を繰り返す。
レンブラントの背筋が泡立った。
「行くぞ!」
レンブラントは自身の中の得体の知れぬ恐怖に目をやらぬ様にしてその場を去った。
200人の中隊はレンブラントに応えて移動を開始する。
一体このヴィティアで何が起こっているのか彼は考えた。
だが結論が出るわけもない。
消えた隊の消息をただ探るだけだ。
そう自分に言い聞かせて悪い予感を振り切って森の狭間を進んだ。
19中隊の消息はこの日を境に失われた。
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