己の足
心地よい気候の春上月のマスクアナを馬車で行く。
一騒動を起こしたり悠長にしているが現在は逃避行中である。
不特定多数の人間と接触を持つ事は百害あって一利なしである。
それから3日後、一行はムスクアナの地方都市ラウに到着した。
国境で検問を受けたが商人では無い為、関税も掛からない。
薬師には関税は掛からないのである。
これは自国に薬師が留まるよう各国が望んでの政策である。
ラウは砂塵にまみれた寂れた町だった。
ムスクアナと言う国は国土の多くを砂漠が占めているのは周辺の国と同様だが、河川が横切る面積も少なく内陸国である為に所領する旨味が少ない国である。
商隊はムスクアナの王都ミダへ向けて3日後に出発する。
また、薄汚い服装の男達が夜な夜なラウの町に集結しつつあった。
ラウに着いたシンカ達は早々に食料や飼葉を買い込み、宿に籠って機会をうかがった。到着して2日目の早朝。まだ日が昇る前にシンカ達は町の西から出立した。
シンカ達を付け狙う傭兵団の正体は蠍旅団と言う名の傭兵団という事であった。
案の定人身売買や賊紛いの行為に身を染める悪党の集団で、小さな町などが被害に遭っているようだ。
旅団と言えば数千人規模の軍隊では表すが、宿で仕入れた情報では旅団というのは名ばかりで人数は100から200がいい所という事だった。
とは言え十分な数ではある。
シンカが半分に割った男は蠍旅団の猟兵長、狼のバロルというらしい。
大した事無い男に名付きとは。恥ずかしく無かったのだろうかと考えてしまう。
「シンちゃん………最初の男達を殺したでしょ」
「さあな」
気持ち早い足取りでラウの町を去りながらオスカルと会話する。
「もう……大丈夫なの?」
「俺たちは女連れで、その人数も多い。柄も手癖も悪い男達と同道した時点で手遅れだったと考えている。商隊などこんなものだ。彼処で戦闘となっていれば守りきれない可能性が高かった。奴らの頭を派手に殺し、此方が主導権を握る事にした。奴らは俺たちがミダへ商隊にそのまま参加すると考えている筈だ。だから昼頃に気付き追って来るだろう」
「そうだね。……でも規模は200人程なんでしょ?……あっ!シンちゃん悪い顔してるよ!」
「ははっ、世直しである」
昼過ぎになりシンカは森へ入ると1匹の中型魍魎を見つけて仕留め、其れを馬車に綱を付けて曳かせた。
魍魎から流れる血が風に乗って広がり、半刻後には小鬼の集団を呼び寄せる事となった。
小鬼の半分を殺し残る半分を痛めつけた上で森へと逃がす。
生態系が狂い始めた。
森がざわついている。
昼を過ぎて暫くしてシンカの鋭敏な感覚は騎兵が立てる地鳴りを感知した。数は70から90程度。
「ナウラ。聞こえるか」
「………町から西へ2里の地点で戦闘を行っています」
「うん。感覚器官に経を集中させる術にも長けて来たようだな」
「野太い鳴き声です。駱駝騎兵でしょうか。相手は豚鬼でしょうか?」
「だろうな。豚鬼は鬼の中で最も嗅覚に優れる。小鬼の血の匂いを嗅ぎ付け集まった所に傭兵がはち合わせたか。計画通りだ」
「シンちゃん凄く悪い顔してる………。おじさん、賊や魍魎相手に居たたまれない気分になったの初めてだよ」
「オスちゃん。繁殖力の高い魍魎は定期的に間引いておかないと生態系が崩れて森に異変が起こる。世に蔓延る悪党を退治でき、森に蔓延る魍魎を退治できる。効率的だ」
「あの男達は私に触れようとしました。御導き相手がいる者に触れようなど、精霊様の御心に反します。あれは生物ではありません」
「シンちゃん大丈夫?この子凄く怖いよ?」
「冗談ではありません。御導き相手以外の異性に触れられる事は我々に取って死と同義。許されざる事です」
ヴィダードも頷いている。
彼女達の民族は潔癖に過ぎる。果たしてどのような進化の果てに御導き等という特性を得たのか。コブシに辿り着いた後にじっくりと研究を行いたい。
北西に向けて進み続けていると後方で戦闘が終わったのか、騎兵の進む地響きを足裏から感じ取る事が出来た。
「数は30程減ったでしょうか?」
「其の様だ。なんと言う執念。豚鬼の群れに出くわし突破を図るとは。雑兵もいい所だろうに。余程お前の体が欲しいと見える」
「………」
「どうした?」
「……シンカ。私は貴方の女です。最後まで守って頂けますか?」
表情は変わらないがナウラはシンカの右腕をそっと掴んだ。
「心配なのか?一人でも森へ逃れれば幾らでも……」
「シンカ。貴方あっての私です。どうか……私を離さないで……」
ナウラの頬を撫でる。言われなくとも離す気はない。
ナウラは人の悪意に慣れていない。
奴隷にされかけた事もあった様だが、治安の悪い大陸南部に来てその時の恐怖を思い出したのかもしれない。
俄然やる気が出て来た。
四半刻進み目的の場所に到着する。
ラウの町から遠望した際、この近辺を飛翔する3羽の鳥、尾簾鷹を発見していた。
尾簾鷹は特定の蟲を餌としている大きな鳥だ。今も1羽が上空を旋回している。
尾簾鷹が好んで食べる蟲は悪名高い八咫火蜂だ。
赤と黒の毒々しい見た目の縞が入った大きな蜂。
尻に生えた無数の毛針は触れただけで火傷の様な炎症を起こす。毒も飛ばす。
尾簾鷹が飛び回る近辺には八咫火蜂の巣がある事が多い。
森に分け入り四半刻。案の定巨木の洞から出入りする兵蜂が見受けられた。
一匹の兵蜂がシンカの潜む茂みの側を通過して行った。
禍々しい羽音が耳に残る。
すかさず翅を抜き蜂の2対の羽を落とした。近くからむしり取った蔦で暴れる蜂を縛り駆け戻る。
ぎいぎいと耳障りな声を上げると巣から次々と兵蜂が湧き出て来る。
彼らは仲間意識が強い。
湧き出た兵蜂達は一直線にシンカを追って来る。
彼らは恐らく、この鳴き声を聞き分けているのでは無い、というのが森渡り達の研究の結論であった。
某か、他の生物に感じ取る事が出来ない分泌物を出して危険を仲間に知らせていると考えられている。
森から抜け出たシンカは蔦の端を杭で街道の中央に固定し素早く離脱した。
先に進んでいた一行にも四半刻で追いついた。
遠くで赤黒い霞の様に蜂が森から湧き出る所が見える。
くねる街道が傾斜地に辿り着く。緩やかな坂道を上って行くと傭兵達に集る八咫火鉢の群れを確認出来た。
「悪党共が肉の団子になってゆく………」
「子供達には絶対見せられない……」
「オスちゃん。オスちゃんはあいつ等に情けを掛けてどうしたい?」
「いや、情けなんて………でももう少し人間らしい死に方があると思う」
「オスちゃん。俺には疑問だ。あいつ等は人間か?」
「それは人間だよ」
「女を攫い、犯して壊れれば捨てる。子供を攫って売り払う。オスちゃん。俺には魍魎の方が余程好きになれそうだ」
「それでもあんまりにも惨い………」
「あの侍女二人や細君二人が薄汚い男共に狼藉されても同じ事が言えるのか!あんたはもう軍隊に守られている訳じゃ無いのだぞ!どんな手段を使ってでも守るべきではないのか!?」
「………」
「男共は只優しく女を犯す訳じゃない。5人の男が一人の女を犯すとしよう。一人が口、一人が膣、一人が肛門。残る二人はどうすると思う?腹に刃物で穴を開けてそこに入れるんだよ。………そんな奴ら生かしておくべきなのか?」
「まさか……ひどい………」
「俺は見て来たよ。あいつ等は女の穴なら何だって構いはしない。年端の行かない女児が弄ばれて捨てられている所だって見た事がある。俺は許せないよ。ナウラとヴィーがそんな目に遭うくらいなら悪霊に魂を委ねてでも敵を根絶やしにしてみせる。オスカル。あんたはどうなんだ?あんたや家族を守る軍隊という抑止力はもう無い。直に俺達とも別れる事になる。その後あんたはどうするつもりなんだ?奇麗事で4人の女と4人の子供守れるのか?」
「………」
「それに俺は……はっきり言う。薄汚い人非人共が残飯の様に蟲に食われて行く様を見て喜んでいる。見てみろ。今頭を捥ぎ取られたあの男。このまま生きて行けばあの男は5人は罪の無い善良な人間を殺していただろう。俺には彼処の血塗ろの光景は、無辜の人々を救う為の神聖な儀式にすら見える」
「……ごめんね。おじさんの覚悟が足りてなかったみたいだ」
「………よく考えて欲しい。守らなければならないものがあるという事は、とても重い事だと俺は思う。形振り構う余裕は俺には無い」
10程の駱駝騎兵が惨状を抜け出し街道を駆けて来る。直に追いつかれるだろう。
「ヴィー。馬車を率いて先に行け」
「………」
一行を先に進ませ、シンカはナウラと二人その場に残った。
「……怖いか?」
「……少しですが。問題ありません」
表情は問題ないという言葉を体現したかの如く冬の湖面の様に凍てついていたが、発汗や心拍数で実際の心うちは推し量れる。
そもそもナウラが拉致された時、争おうと思えば誘拐犯達を撃退する事は出来たはずなのだ。
一人前とは言えずとも彼女は行法を元々扱うことが出来た。
力も強かった。
「何故隠す。今まで二人でやって来ただろうが」
心的外傷なのだろう。
粗野な男の野卑な欲望に晒される事に不快感以上の恐れを抱いているのだ。
「そうだ。ナウラ。笠と外套を取れ。いい事を思いついた」
ナウラは視線だけで胡乱がある事を申し立てて来たが、大人しく言う事を聞いた。
普段は隠している絹糸の様な白髪と、豊満な体が露になる。
大きな乳房と括れた腰つき、そして熟れた尻は見慣れたシンカですら凝視してしまう程暴力的な魅力を持っている。
重力に抗い身体はその魅力を主張していた。
其れに只熟れているだけではない。女にしては高い身長と伸びきった背筋で引き締まった印象も与えられる。
怜悧な表情と相まって無駄の無い完璧な肢体に映っている。
軈て土煙を上げ11人の駱駝騎兵が現れた。
男達は理性を無くした獣の様に怒り狂った表情をしていた。
あの魍魎達をけしかけたのがシンカ達である事は火を見るより明らかである。
だがナウラを一目見て全員が下卑て脂ぎった卑猥な笑みを浮かべた。
この中に6人の手練がいる。
1人は40中程の巨漢のネラノ人。脂ぎった長髪に傷のついた顔。六角棍を担いでいる。
もう1人は禿頭に顔を赤く塗料で塗った上半身に装備を身に付けない30代後半ネラノ人の男。斧を持っている。
3人目は5尺程の刃渡りの長剣を担いだ中肉中背の30代前半アガド人。恐らく行兵でもある。
4人目は顔と裸の上半身に白い塗料で文様を描いた20代後半ネラノ人の男。無手。行兵だ。
5人目は4尺の剣を持った10代後半のアガド人。ナウラを見て股間を隆起させている。
6人目は束形状に絡まった長髪の20代中程のアガド人。弓兵。
残る5人は多少腕は立つのだろうが、雑兵に変わりない。
「ほぉ。バルロが夢中になって殺されるわけだ。絶世の美女じゃあねえか」
「ダルク様!これは仲間の殆どを失った甲斐もありましたね!」
頭目と思しき40代の巨漢と一番若いアガド人の男がナウラの品定めをする。
ナウラは無言で長尺の斧を構えた。
「すかしたその面が歪むのを早く見てえ!」
「おいナスタ!当然初めは俺だぞ!てめえは最後だ。デント。お前はナスタの前だ」
悠長にナウラを犯す順番を決めている。
此方を侮っているのだ。
どうやら頭目がダルク、斧の男がレブン、長剣がフェンネス、行兵がハドラ、若者がナスタ、弓兵がデントと言うらしい。
シンカは敢えてこの隙にしかけなかった。
此れはナウラにこういった手合いに対する克服を行わせる為の時間だ。
「アゾクを覚えているか?」
「はい。忘れません」
「あの時のお前はまだまだ一人前には程遠かった。だが、良く戦い敵の剣士を仕留めた。お前はあの時と比べて腕は上がったか?」
「見違える程には」
「お……?こいつらやる気じゃん?」
シンカも笠と外套を外し翅を抜く。
「シメーリア人とアガド人の混血薬師?」
「薬師が剣を握ってどうするつもりだ?」
口々に男達が野次を飛ばす。
やはり悠長だ。腕は立つのだろう。この者達は弱い者を殺す事に慣れ、優れた腕を持つ者と戦った経験は少ないのだろう。
「………」
だがダルクという頭目とフェンネスという剣士はシンカとナウラの持つ何かに気付いた様で口を閉じ此方の様子を窺っている。
「おいおめえら。油断すんな。本気でやれ。どちらも相当腕が立つぞ。特に
男は………」
頭目の言葉にそれぞれ気ままに野卑た発言をしていた男達が口を閉じ駱駝から降りた。
流石に場慣れはしているのか鋭い目つきで此方を見ている。
シンカはナウラの腰に手をやった。細く震えていた。
本当に気丈だ。恐れを微塵も表に出さない。
「落ち着け。分かるか?アゾクの時よりも容易い」
「た、容易いだと!?俺達を相手に容易いだと!?」
ナスタと言う若い剣士が口角から唾を撒き散らしながら吠えた。
強く剣を握っている。
来る。
翅を持ったまま両手を突き出す。
「こいつ!行兵だぞ!」
向こうでハドラという行兵が地に手を突こうとしている。
法の完成はシンカの方が圧倒的に早い。
「かっ!」
風行法 瞬来光
目映い光が耳鳴りと共に一帯を駆け抜ける。
行法を放つとシンカは直に次の行法行使の準備に移る。
そしてナウラが1歩前に出た。
火行法 火粘流
口腔から赤く輝く溶岩が帯状に吐き出される。
「ぐあああああああああああああああっ?!」
遮二無二突っ込んで来ていた雑兵に溶岩流が直撃し、体が溶け、衣服が炎上する。
ナウラはその流麗な見た目に反し情熱的な感性を持つ。
その気質を表すかの様に扱う行法は高温の炎だ。
彼女は中空に経を集めて炎と成す技を扱う事は出来なかった。
幾度も練習して尚、未だにグレンデル一族が得意とする様な射出系の火行法を行う事は出来ていない。
だが反面、ミンダナの民が得意とする口腔から吐き出す火行法は扱う事が出来た。
そして火行法をその方面で磨き続けて来た。
飛び散った溶岩は草木に燃え移り其れを炎上させる。
絶叫を暫し上げた後、賊は事切れる。遅れてハドラの土行が行使される。
土盾。ひと1人を覆う土の盾。
左方で身構えていたフェンネス、ナスタは火粘流を後退して躱していた。
フェンネスは行使しようとしていた行法を取り止め経を散らしている。
次いでシンカが大きく息を吸い込み両手を握り合わせた。視界を漸く取り戻した男達の前に数尺前も見渡す事の叶わぬ濃霧を吐き出す。
吐き出しながら射られた矢を首の動きだけで躱した。
霧を吐き終わると足音を消して素早く駆ける。
途中ナウラの肩を叩き、霧を迂回して敵の後方へと回り込んだ。霧を避けようと後退していた斧の男レブンと雑兵1人がまず視界に入る。
「は、はや……」
剣を振るおうとした雑兵の利き腕を切り飛ばし、直ぐさま翅を返して首を刎ねた。
「おおおおおおおっ!」
レブンが斧を振りかぶる。
半身になって躱し、がら空きの顔に向けて腕を振るう。
赤い塗料が塗られた顔が恐怖に引きつる。
そのままの表情で胴体と切り離された頭部が蠍旅団の面々が身構える方向へ飛んで行った。
「ああああああああああああああっ?!」
鎚で剣を打ったかの様な大きな金属音が響き、若いアガド人の男が体を上下に分たれながら霧の中から吹き飛んで地に転がる。
胸部の金属製の胸当てが無惨に拉げている。
「な、女の仕業……か……?」
男達の誰かが呟く。
デントと言う弓兵がシンカに向けて矢を射る。心臓を狙った矢の軌道を革製の篭手でずらす。
続きハドラが地に手を突く。
地面から石の礫が複数飛び出てシンカに迫る。横に飛んで躱すとそこにフェンネスというアガド人の剣士が飛び込んで来た。
千剣流だ。奥義の名は割波。
更に跳ねて軌道から体を避ける。
「仕留めた!」
声を上げながらデントが弓を鳴らした。
体勢の崩れたシンカに矢が飛来する。
避ける余裕は無い。行法も行う時間はない。
シンカの体、左の肺腑に矢が突き立つ。
そう思われたが矢は拳一つ分を開けて動きを止める。
無論、シンカが矢を握って止めたのだ。
「何!?」
握られた矢は次の瞬間、間近に迫っていたフェンネスの下腹部に刺さっていた。
「ぐ………」
フェンネスはシンカに向けて力を振り絞って剣を振る。
体を引いたシンカに対してフェンネスは行法を行使する。
剣を持たぬ左手を一振りした。
火山弾だ。燃え滾る火球がシンカに迫るが着弾する前にシンカは両手を握る。
一方のナウラはナスタと言う若い剣士を斧で横に引きちぎり、次の標的を定めた。
鉄の六角棍を握る頭目が此方へ駆けて来る。
回転する動きを殺さぬまま標的を頭目に定める。
振るった斧の勢いを使い前方へ身を投げる。
ナウラは人半分程浮き上がり空中で斧の流れを制御すると1回転しながら斧を垂直に振るった。
頭目ダルクは予想外の動きで迫ったナウラに驚くが、攻撃が仕掛けられると見ると頭上に棍を掲げた。
周囲一帯に城門を破城槌で叩いたかの様な大きな音が響いた。
「な………お……俺の………」
棍は斧を打ち付けられて直角にひん曲がっていた。
ダルクは未だ命を長らえていたが、その両腕は無惨に複数折れ曲がり、痛々しい様相を呈していた。
「な、なんて力だ………ま、待て!俺は!」
柳斧流の奥義薪割で武器と両腕を失った巨漢の頭目はナウラを制止しようとするが、言葉の途中で打ち上げられ、空中で二つに別れて森へ落下して行った。
ナウラは体を低くし、シンカを狙う弓兵へ駆けた。途中に立ち尽くす雑兵を斧で引き千切り、射られた矢の2本を斧腹で弾くと目前に迫った。
途中シンカに土槍を行い終わったハドラが迫るナウラに向けて土槍を行うが軽く跳ねて躱し、弓を捨てて短刀を握った右手ごと肩口から脇腹にかけて切り払った。
血を浴びぬよう背後へ回り込むと再度地に両手を突こうとする行兵の首を斧筋で突き、圧し折った。
シンカは自身の顔めがけて迫る火球に向けて
口腔から水流を吐き出した。
水行 水噴
強い力で吹き出された水流により火山弾はシンカを逸れ、後方に着弾して爆煙を上げた。
すかさず足下から土槍が突き出る。
小さく後方に跳躍すると土の槍を回り込んで腹を押さえながらも剣を構えるフェンネスに迫った。
「おいおい、現実か?」
その言葉を最後に彼の心臓は破壊されて機能を停止した。
そして戦闘に加わりもせず命乞いをし始めた雑兵の命を奪い、その場に背を向けた。
「………」
「………」
暫く無言の時間が続く。
外套を羽織り、笠を被り、歩きながら不要な布切れで武器に付いた血を落とし、匂い消しの草で手入れを行った。
「強くなったな」
日が傾き始めている。
橙色に空が染まりかけ、街道や森の木々を照らしている。
「俺がいなくともお前は生きて行けるだろう」
「それはあり得ませんね。エンディラの民の御導きを甘く見ない方がいいでしょう。私は人間で言うところの重い女です」
「はは。かもしれんな」
妙に清々しい気分だ。
初めて出会った時の1人で生きる事すら出来ない少女ではもう無い。
此処まで自分が手を貸す事が出来た事が誇らしい。
ナウラは今日、大人になった。
シンカにはそう感じられた。
まだ1年も経っていないのだ。早いものだ。
「先生」
ナウラはシンカを先生と呼んだ。シンカではなく先生と呼んだ。
「今までありがとう御座いました」
「うん。楽しかったよ」
「まるで別れの前の様な受け答えは止めて下さい」
「こんな日がいつか来ると俺はずっと思っていたんだよ」
「まだまだ知らない事が沢山あります。私はシンカと全ての国を巡り貴方の持つ全ての知識をご教授頂くつもりです」
「………」
「此れからは貴方の後ろでは無く横を歩みます。横からご恩を御返しし、貴方が永遠に眠りにつくまでその横顔を見続けます」
「………一つ聞きたい。長い事迷っていた。何故、俺に導かれたのだ?お前はどうして俺を選んだ。俺は人間だ。ナウラの同胞ではない。だから当然の様に導かれたからと言われても納得が出来なかった。お前に直に応えなかった理由だ。家族を背負う覚悟は決まった。だが、喉に小骨が引っ掛かる様にそれだけが蟠っているのだ。俺は人間としての解答が欲しい」
シンカの真剣な気持ちが伝わったのか、ナウラは歩きながら姿勢を正した。
少しだけ顎を上げて行く先を進む馬車の幌を眺めていた。
「……私たちにとって、御導きはあって当たり前の事で疑問に感じた事もありませんでした。同族の間でも概ねの候補は認識しながらも、ある日突然相手が決まる。そういったものでした。貴方に導かれた事は私に取っても寝耳に水の出来事でした。ですが、思い返してみて、そこに至る過程には至極当然の出来事が多々ありました」
暫し口を閉じ、左側の森の枝葉を眺めていた。
「貴方に命を救われました。貴方に守られました。貴方に看病されました。貴方に世話をされ、貴方に教えを受け、貴方に庇われました。貴方は何時だって対等な民として私を尊重して下さいました。自惚れでなければ貴方は私を弟子として、家族として愛して下さっていた。貴方と過ごす時間はとても楽しく、刺激に満ち溢れ、幸せが詰まっているように感じられます。御導き、種族の差。そういった物に惑わされてきましたが、導かれるまでに辿った道筋は、人間の女であっても貴方を特別に思える程優しく、誠実で、愛に溢れていた。シンカ。私は貴方を愛しています。それは御導きのせいではありません。貴方と出会い、共に辿って来た道筋と貴方自身を大切に感じているからです。これでは答えになりませんか?私は貴方の問いに応えられていますか?」
黒翡翠の瞳が真っ直ぐにシンカを見つめていた。
表情に変わりは無いけれど、彼女の思いははっきりと伝わった。
重い女。深い想いの女。
真っ直ぐに自分を見つめ、理解し、寄り添ってくれる。
真剣に応えてくれる愛しい者だ。
「お前の気持ちは良くわかった。次は俺の話を聞いて欲しい」
一度言葉をきるとナウラは唾を嚥下した。
緊張しているのか。シンカがナウラを拒絶するとでも思っているのか。
であれば心外も心外である。
「お前の事が愛しいよ。その真っ直ぐ進む心と瞳が好ましい。いつでも真剣で、熱心で、お前は止まる事を知らない。前向きで見ているだけで俺が励まされる………お前との時間が愛おしい。幼子の様に俺を頼る姿も、全ての経験を分かち合い共に楽しめる様も。共に歩もうと研鑽する姿も。全てが記憶に残っている」
「………とても、嬉しいです」
表情はそのままに頬と耳が赤らんでいる。
「お前の身なりも好ましい。滑らかで美しい肌も、小振りな頭も、絹糸の様な髪も、男を包み込む様な乳房と尻も、研ぎすまされた美貌も」
「乳房、尻と顔の順序は逆にして頂きたかったですが」
「恥ずかしいからと言って茶化すな。お前の表情があまり変わらなくとも俺にはお見通しだ。喜んでいる顔も悲しんでいる顔も一目で分かる。お前の気持ちが愛おしい。俺の心の内を推し量ってくれる所。寄り添ってくれる所」
「………」
「お前の気持ちは良くわかった。俺の気持ちも余す事無く伝えられたと思っている」
「………」
シンカの右手が取られた。柔らかく大切そうに握られた。それがナウラの出した答えだった。
ナウラはもう一人でも世界を生きて行けるだろう。
心の傷を克服し、自信のついた彼女を留める物は何一つとしてない。
好奇心旺盛な彼女はそれでも男を、シンカを選ぶのだと言う。
有り難い事だった。
せめて自分からその価値が無くならぬよう努力を続けなければなるまい。
シンカは応える様に、強く、離れぬ様にナウラの手を握り返した。




