手紙
馬車の旅はその後特に問題無く進んだ。
ラウを北西に進みサウリィ王国に入国して直ぐにイルヒ川に辿り着いた。
しかし馬車を渡せる舟はなく、そのまま北東に川をしばらく遡ることとなった。
川を遡り3日。西岸に王都ゴダリフが見える。街に近い岸から大型の渡し船が出ており、順番を待って乗り込むと漸く渡河することが出来た。
ゴダリフで10日を過ごすと北へ向けて出発し、実に一月後、いくつかの小さい町を経由した挙句ラクサス王国の王都ガジュマに辿り着いた。
ガジュマでも10日休み、さらに北のヴィルマに4日かけて辿り着いた。
ヴィルマから馬車の旅で3日も東へ進めば、彼の大国クサビナとの国境である。
食料や衣類の買い足しや様々な支度を終えた3日目の夜。
季節は既に春に移り変わろうとしていた。
冬の初めにグレンデーラを出て砂漠を旅し、気付けばまた春が近づいている。
一行はこじんまりとはしているが質の良い料理を出す酒場を貸し切って別れの宴を開いていた。
「慣れつつあったのが本当に怖い事だけど、此処までの旅費や交遊費全てシンちゃんの負担だもんね。僕達は生涯君達に頭が上がらないよ。恩返しできるのかな……?」
「気にするなと言っても難しいだろうが、何処にいるかも分からない相手の事を考えるより自分の家族に集中した方がいい」
ヴィダードに酒を注がれながらオスカルと話す。
オスカルはステラに酒を注がれ、ナウラはシェラとボソボソと何かを話している。
2人とも表情が変わらずなにやら不気味である。
子供達は別室で寝かしつけられ、ランドだけが夕飯を食べている。
アイリとシェラは2人で次々と杯を空けていた。
「長い旅だったなぁ。軍を引き連れて転戦してた時もなかなか家には帰れなかったけど、移動距離にしてみれば大した事はないからね」
「まだ終わりじゃないぞ。国境を越えてクサビナのマクロリアまで9日。マクロリアからグレンデーラまで7日。でも長らく戦争をしていただけあってラクサスとクサビナの間は森がかなり切り開かれているし、マクロリアやグレンデーラ近辺は大穀倉地帯だ。治安も非常に良いし、街道から森もかなり離れている。滅多な出来事は起きないだろう」
「とうとうシンちゃんとお別れか……寂しいな」
「情け無い事を……。これから上手くグレンデーラで立回らなければならないのだから、しっかりしろオスちゃん」
「一度失敗してるから自信無いよ……」
酒が回り始めたのか、赤ら顔で暗い事をぶちぶち訴え始めた。
「ステラ。この男大丈夫なのか?」
「この人若い頃はひもだったんです。一時は家も無くて、酷い時は私のお婆さんに養ってもらってたこともあるんです。調子のいい時は自信家ですけど、こう言う弱弱しいところが可愛いですよね」
人の好みはそれぞれ。オスカルは誑しだ。
「………」
「貴方様?ヴィーも貴方様の為ならなんだってします。養って差しあげますよ?」
「喧しい」
ヴィダードは人を一体なんだと思っているのか。
「でも………身体を使って稼ぐ事だけはお命じにならないで頂けないでしょうか?」
「お前っ!人聞きの悪い事を!」
「どうかご容赦を……」
「しない!考えたことも無い!本当に人聞きの悪い……」
見ればヴィダードは杯を飲み干して空になった物を両手で包んでいる。
頬かわずかに赤らみ微笑を浮かべている。
可愛らしい。
酔っ払っているのだろう。
「ステラ」
シンカはオスカルの1人目の妻の名を呼び懐から巾着と手紙を2通取り出した。
「オスちゃんは酔っているからステラに渡しておく。巾着の中身はクサビナの通貨だ。全員が一月宿に泊まれる費用が入っている。返さなくていい。役立ててくれ」
「………まあ」
ステラは口に手を当てた。
「手紙の1通目はシャーニ グレンという名のグレンデル一族宛の手紙だ。彼女は一族内の身分は高く無いが、青鈴軍の中ではある程度の立ち位置におり、また非常に頭が切れる。彼女なら遠いグリューネの英傑オスカル ガレの名を知っているだろう」
「………そうなのね」
「シャーニに俺の名を出せば取り合って貰えるだろう。神経質な女だから気を逆撫でするような事は言わないように。特に男に縁がないからその手の話題は気を付けるように」
「可哀想にねぇ」
「……2通目の手紙はカヤテ グレンデルへの手紙だ。オスちゃんの輝かしい栄えある戦歴と、凋落の経緯を書いておいた。グレンデル一族は脳筋だ。だがどの様な形であっても力には敬意を払う。知識であれ、知恵であれ。シャーニに任せておけばなんとかなるだろう」
「すごいのねぇ」
「………ステラ。分かっているか?重要な事だぞ」
「うーん、難しかったわねぇ」
「おい………」
頭を抱えた。
「大丈夫シンちゃん。ちゃんと聞いてた。でも大国クサビナの二大一族と面識があるなんて流石だよね。おじさんみたいに助けたの?」
「………」
カヤテ。どうしているだろうか。美しく気高い女騎士だった。
また会うことが出来るだろうか。
カヤテの事を考え、ふと意識を戻すと眼前に目を見開いたヴィダードの顔があった。
「だからそういう気色の悪い動きをお前は止めないか」
鼻を摘んで無理やり席に座らせた。
「貴方様……今別の女の事を考えていましたね?目の前に私がいるのに。どうしてなのぉ?私、捨てられるの?男の奴隷として売られて父親も分からない子供を孕まされてそのまま生まれるまで獣の様に何度も」
「ヴィーうるさいから向こうに行ってくれ」
「あああああああああああああああああああああああっ?!」
背中に張り付いて来るヴィダード。品の良い酒場で騒がれるのは非常に恥ずかしい。
「分かったから向こうで子供達と大人しく寝ていてくれ」
「んあああああああああああああああああああああっ!?」
ヴィダードの足が床から離れている。全身でしがみついていた。
「何故大人しく出来ないないんだお前は。ナウラの2倍以上と」
顔に熱い物体が押し付けられた。
提供されたばかりの小麦の包み焼きだ。
灼熱の赤茄子の練り汁が顔に損傷を与えている。
「淑女の歳をこの様な公の場で、大声で話すなんて、いけません。いけませんよ」
「公の場での振る舞いを説くのであれば、まずは椅子にきちんと座るのだな」
「シンちゃん熱くないの?出来立ての包み焼きだよ?」
「練り芋は今後戦闘に活用できるのではないかと俺は考える」
「うーん、多分石を焼いた方がいいと思うなおじさん」
「ヴィー。熱い」
「ごめんなさぁい」
顔を拭かれながらオスカルを見る。
「カヤテもオスちゃん同様陰謀に巻き込まれていた。その後紆余曲折を経てナウラと従軍し、青鈴軍の食客として混成軍に同道した」
「あの戦に従軍したの!?」
オスカルは卓に身を乗り出し食い付いた。
「アゾク大要塞は大陸五指に入る屈指の難所だよ!それをさしたる兵力差も無くクサビナ軍は攻め落とした。ロボク軍は彼処で負ければ後がなかった。内応も期待できなかったはず。離れ山に築かれた要塞を背景にロボクはクサビナに幾度も軍を繰り出し、反撃の前にアゾクに篭って小競り合いを続けていた。アゾクは今まで大国クサビナを幾度も退けて来た」
「くわしいな」
「クサビナは大陸屈指の大国。その歴史は最も古く、千年も前から続く比類なき大国だ。あの国の動向に注意を払わない者は指導者とは言い難い。噂では第1王子のエメリックが混成軍を率いたと聞く。次代のクサビナ国王は傑物か?」
「オスちゃん顔が怖くなってるよ」
顔の食べ物が拭き取られ、シンカは麦芽酒を一口煽った。
「エメリック第1王子と会話をした事はないが、正直に言って名の知れ渡るような諸国の傑物と比べると些かその能力は落ちるように感じられた。やや陰湿な性格と俺は感じた」
「とすると………」
「人の上に立つ資質は青鈴軍を率いたカヤテの方が上だろう。彼女は高貴な身分でありながら貴賎を問わず他者に敬意を払える」
「シンちゃん、カヤテ グレンデルを持ち上げるね。もしかして好きだったの?」
「うん」
ヴィダードが手に持っていた食器を床に落とした。二俣の金属の切っ先が木材床に突き刺さる。
口を開きかけたヴィダードの鼻を即座に摘み、発言を封じる。
「身分違いの恋か。切ないね」
「そう言うわけだ。だから俺の推薦であれば、それなりの待遇を受けられる筈だ。それにオスちゃんにはそれだけの価値がある筈だ。カヤテを頼む」
「これからお世話になる相手に尽くすのは当然だ。そうで無くても大恩人のシンちゃんの頼みだからね。気合が入るよ」
カヤテへ。
元気でいるだろうか?お前はグレンデル一族とグレンデーラの民とミトリアーレの為なら幾らでも自分を摩耗させることができる。
身体や心を損なわないか心配だ。
グレンデーラを離れて私はグリューネを訪れた。その先でオスカル ガレという英傑と出会った。英傑とは言ってもお前の一族の様な腕自慢ではない。彼は軍の運用に長け、故郷のグリューネで英雄となった。
だが彼の力は目に見える敵が消えた国家にとっては余りに強い光だった。
陰謀に巻き込まれ、命の灯火を消そうとしていたオスカルを見て、私は過日のお前を思い出した。見捨てる事は出来なかった。
彼は必ずお前の力になってくれるだろう。だがそれ以前に、お前は彼と同じ英傑だ。私はそうであると確信している。為政者にとって強き光は害悪となり得る。お前が手折られないか、お前の夢が打ち砕かれないか心配せぬ日はない。
ただ、仮令志半ばにしてその道を閉ざされようともお前の命が失われる事だけは断じて無い。幾度もそうして来た様に私はお前を助けに行く。
だから最後まで諦めずに抗え。
俺はカヤテ グレンデルを背負って歩く事ができる。初めて出会いグレンデーラへ旅をした時の様に。
だから今は、お前の目標の為に直向きに前を向いて走り続ければいい。
努力が必ず報われるとは限らないが、努力を怠る人間が報われる事は有りえないのだから。
分かっていることを書き記して済まない。私はお前と共に旅ができる事を望むと同時にお前の栄達を心から応援している。 シンカ シメル ヴァルド




