母なる街から
クサビナ王都ケツァルの王城の一室、第一王子エメリックの居室に3人の男が集まって居た。
1人は部屋の主人であるエメリック。
1人は宰相フランクラ・ベックナート。
1人は若き紫諜報官ヴァルプルガー・マクロリー。
「ヴァルプルガー。報告を」
豪奢な椅子に掛けたままエメリックが問うた。
「何も分かりませなんだ」
「ふむ。やはりグレンデルは手強いか」
エメリックはロボク戦線の後グレンデルに対しての諜報活動をヴァルプルガーに命じていた。
ロボク戦線はエメリックに取って忸怩たる思いを抱くに値する初陣であった。
手柄は得た。
父王も少ない被害でのアゾク奪取を喜んだ。
ロボクはアゾクで首脳を失い、完全に傀儡とする事に成功した。
だが。
敵の策を見破り返り討ちとする策を立てたのも、敵将を倒し捉えたのも全てエメリックの命ではない。
表向きはエメリックの手柄となった。
しかしそれは全て、カヤテ・グレンデルが自らの名声を欲しなかったからに過ぎない。
「フランクラ。グレンデル一族を排除する事は出来ないのか」
クサビナ王家にとってグレンデルとファブニルの2公は制御の効かない暴れ馬と同義だ。
2公は千年近く前に王国が起こった際、王家筋のグリーソン一族に協力した歴史がある。
質実剛健で戦にしか興味は無いが、誠実なグレンデル一族。
内政、外交に強く、賢く強かなファブニル一族。
2家は影となり日向となり、盾となり剣となり王家を支え、盛り立ててきた。
そんな歴史から2家に手綱を付ける事は出来なかった。
だが、次期国王であるエメリックには納得がいかなかった。
クサビナは大国である。大国の王が一貴族を御せないなど。
「グレンデル一族との戦は賢くありませぬ。赤鋼軍を持ってしても同数では勝てませぬ。それに、彼らは自らの武と土地にしか興味を見出しません。王権の簒奪や、権力の掌握に興味が無い一族なのです。だからこそ歴代の国王陛下はファブニルよりもグレンデルに重きを置いて来たのです」
やはりそうかとエメリックは考える。
「グレンデル一族はクサビナ始まる以前からの忠臣。彼らを排すれば明日は我が身と王家への人心も離れましょう」
「ふむ」
「殿下の危惧する所は分かるつもりです。私も、彼の一族の拡大を危惧し、力を削ごうと考えました。しかしそれすらも彼らは退けた。最早明確な反逆でも無い限り彼等の力を削ぐ事は難しい」
フランクラがファブニル公と共に謀ってロボクにグレンデルを攻撃させた事は記憶に新しい。
しかしそれを跳ね除けて、彼等は逆にアゾクを落としたのだ。
「ヴァルプルガー。カヤテ・グレンデルについては分かったか」
エメリックは黒髪の美しい女剣士を思い出す。
「歳は24。千剣流剣術仁位を持つ剣士。また昨年より青鈴軍の副長に就任。前当主ロータス・グレンデルの次男、カネラ・グレンデルの長女。次期当主ミトリアーレ・グレンデルの従姉妹に当たる」
「婚姻をお考えですか?」
「いや。あの女は御せぬ。グレンデル一族の排除が難しければあの女だけでも排除したい」
「其れならばなんとかなるやも知れませぬ」
あの女は自らの手柄を知っている。
エメリックにアゾクの動きを伝え、勝利へと導いたのだ。
アゾクの奪取はクサビナ国内において次期国王へとエメリックを押す風潮に拍車をかけた出来事だった。
これが第一王子の手柄では無かったとなれば逆風も吹くだろう。
カヤテが自ら吹聴するとも思えない。吹聴した所で今更どうなるものか。
そういう考えもある。
だがエメリックは自らの地盤を盤石としたかった。危惧は排除したかった。
「殿下」
ヴァルプルガーが声を出した。
この男が自ら口を開くのは珍しい。
「カヤテ・グレンデルはミトリアーレ・グレンデルと姉妹の様に育っている。カヤテを排除する事は得策では無いかと」
「奴等は大貴族だ。女1人程度で王家との諍いを回避できるなら払い出すだろう」
「では殿下の仰せのままに」
「御意」
2人の男が部屋を出て行く。
エメリックは顎を撫でながら暫く2人が出て行った扉を見詰めていた。
ヴァルプルガーは部屋を出てフランクラと共に歩んでいた。
「報告が」
「何だ?お前が自ら口を開く時は碌な事がない」
「殿下は2公を制御しようとなさっている。歴代国王の誰もが成し得なかった事だ」
「うむ。難しいだろう。下手をすれば内乱が起こる。沈む船やも知れんの」
「カヤテ・グレンデルにロボク侵攻で間諜を付けようとした」
「グレンデル一族は黒髪に白い肌、青か緑の瞳を持つ。潜り込めはすまい」
「領主軍に。手柄は殿下のものでは無い」
「なんと!こんな所でその様な話!」
「手の者が」
慌てて周囲を見回していたフランクラが息を吐く。
「其れをはよう言わんか。しかし、その為に一軍の将を………いよいよ危ういの」
「………」
「第二王子を推すべきか……いや、陛下にお任せするしかあるまいて」
「……いざという時の用意を」
「うむ。して、手柄とは?」
「カヤテの手の者がアゾクに忍び込み、敵首脳と戦闘のうえ斬り殺し、アゾクの指揮系統を乱していたと」
「なんと………見事な。やはりグレンデルを敵に回すのは賢く無い。或いは、殿下はカヤテに対して恐怖を覚えたのやもしれんのお」
「アゾクの夜襲を察知し、陛下が兵を一度引く直前、カヤテが殿下に面会を求めたとも。大層慌てていたと」
「其れもカヤテの発案という事か。………殿下の恐れる気持ちも分かる。しかし、そうなれば尚更………難しい」
「御下知であれば従うのみ」
「仕方無い。共に沈まぬよう動いておく。自身の身が一番だからな」
「それと。ルドガー・レジェノがグレンデーラからケツァルへの搬送中に何者かの手引きで脱走。輸送隊は全滅」
「その男にはクサビナを敵としてまで助ける価値が有ると?」
「其れこそカヤテに確認せねば」
「まあいい。見つければ引っ立てよ。下手人もだ」
「承知」
フランクラとヴァルプルガーは暫く無言で歩んだ後別れた。
グリューネ王国の大都市ボニでいつも通りの生活を始めて10日が経った。
今迄と違うのは恋人がいる事だ。
1人で旅をしている時に恋人を作った事はあるが、共に旅をするのは初めてだ。
ボニでの生活にシンカは既に飽きていた。
飯は口に合わず、酒も別のものが飲みたくなってきていた。
街を歩いてもグレンデーラと比較し活気は少なく、店も少ない。
また治安が悪く、一度通り魔に遭遇し下手人を拘束してもいる。
ナウラは破落戸に34回、ヴィダードは7回絡まれている。
2人は絡まれた回数ですら喧嘩の種に変えていたが、冗談では済まない程度の絡みも何度かあり、撃退していた。
ナウラは2人でいる時の表情に変化が見られるようになった。
笑い顔が多くなったのだ。通常の人間と比較すれば微々たる表情筋の動きだが、目に見えて柔らかくなった。外やヴィダードの前ではいつもと変わりはなかったが。
ヴィダードは目に見えた変化は無いが、外での怪しげな言動は減った。
彼女は兎に角甲斐甲斐しい。何かと世話を焼こうとする。
出来れば自らの手で料理を振舞いたいようなのだが実現はしていなかった。
2人はよく口論をするが、仲は悪く無いようで2人で街に繰り出し、喧嘩しながら帰ってくる。
「オスちゃんの所に遊びに行って、其処から大陸を縦断してコブシに行こう」
「あなた様、ヴィーの事を考えて下さるのですねっ」
「私の食事と酒はどうなるのでしょうか?」
南国の香辛料を苦手とする3人であったが、コブシの料理に不安を持つナウラであった。
唐突に方針を述べたシンカに対し、ヴィダードは肯定的で、ナウラは先行きを心配している。
「オスカル様は王都在住でしたか?」
「俺はお前達のお陰で酔っていたから覚えていない」
「確か王都イラに住んでいると言ってたわぁ。中央とか何とか」
「確か昨日、王都までの路に野盗がでると街の商人が話していたな。王都までは路ではなく森を行くべきか。明後日発とう。明日は支度に当てる」
予定を立てると酒を断ち、体臭が出る肉類の摂取を控える。
ヴィダードの装備は編み上げの長靴しか用意できていない。
材料を剥ぎ取れる魍魎がいない為仕方無いが、森を渡るのであれば出来る限り装備は整えたい。
食糧などを揃え、一行は2日後の未明から移動を始める。
まだ若い森の為、魍魎も弱く、ヴィダードやナウラの訓練がてら先へと進んだ。
特に問題も無く二日間を掛けて森を渡り、海沿いの王都イラに到達した。
イラに辿り着いたのは明け方であった。
街に辿り着くと濃く美しい夜の青色に沈んだ街から日が登ろうとしていた。
海岸線沿いの高台を目指し、登り切るといよいよ日が昇る直前で、水平線が明るくなり始めていた。
「広い………これが海」
「美しい青です」
生温い潮風に吹かれながら3人で次第に明るくなる空と海を眺め、日が昇るのを待った。
ヴィダードが左腕を取り肩に頭を乗せてくる。
ナウラは右手を取り握り合った。
「ずっと、一緒にいましょう」
「………」
ナウラが言い、ヴィダードが無言で腕を抱く力を強めた。
「うん」
日が昇る。一条の輝きが青い海面へ差し、一直線に此方まで伸びる。
「陽光はじっと見つめてはならない。目を悪くする」
「でも、美しいです」
「うん」
やがて完全に日が昇ると宿を取りにオスカルの家を探して街中を進んだ。
内乱が終わって間もないからなのかシンカには街に漂う空気が緊張に張り詰めているように感じられた。
難航すると思われていたオスカルの家探しであったが、意外にもすぐに発見できた。
妻が2人いるという地点で察しておくべきであったが、彼は貴族だったのだ。
オスカル・ガレ。
若い頃の彼は自尊心が高く、働きもせずに天下に名を成すことを目指して人の世話になっていたのだという。
30代に入った頃、当時圧政に苦しむ民衆の蜂起が起こり、権力の弱まった王家に対し各地の6貴族が反乱を起こした。
オスカル・ガレは最後まで王家と凌ぎを削った大貴族レゾ家に赴き身を立てようとするが、何の実績もないオスカルは当然の如く唯の衛兵としての役割しか与えられなかった。
それでも何度も献策を行なっていたオスカルであったが、結局当主のキンバル・レゾに認められる事は無く、ここを出奔。
当時はレゾ家に追い詰められていたアルベルト・アドゥーの下に赴き、大将軍に取り立てられたという経歴である。
何の功績も上げたことのないオスカルの才を見抜いて取り立てたアルベルトと、その期待に応え王家による再統一を成し遂げたオスカルの2人に対し民衆の評価も高い。
あのしょぼくれた中年の酔いどれが国中を巻き込んだ内乱鎮圧の立役者とは予想だにできなかった。
一行は彼のものだと言う大きな屋敷の前に立つと戸を叩いた。
暫くして戸を開いたのは侍女と思わしき若いネラノ人女性であった。
「ガレ家へどの様な御用向きで?」
「うむ。オスカル殿に呼ばれ参った次第」
「本日の来客は予定が御座いませんが」
シンカは笠と口当てを取り去り顔を見せる。
「シンカと言う。オスカル殿に照会を」
言うと一度侍女は屋敷に戻っていく。
「どういう事でしょうか?」
「飲みの席での事だ。本気にするとは思っていなかったのかもしれんな。まあその時は7日ほどイラに滞在し、また旅を続ければ良い」
待っているとかなりの勢いで扉が開きオスカルが駆け出してきた。
「シンちゃんっ!ほんとに来てくれたんだね!」
目つきの悪い中年がシンカに駆け寄り抱きついて来た。
「素面でもこれなのねぇ」
ナウラが無言でオスカルをシンカから引き剥がす。
「おじさん、友達いないからほんとに嬉しいっ!」
「グリューネで名高いオスカル・ガレに友人がいないとは思えないが」
「……おじさん、新参者だから。他の将軍も官僚達も目の敵にしてるんだ」
「分からなくは無いが」
「シンちゃんはおじさんの初めての友達だよっ!さっ、蒸気風呂があるから旅の垢を落として、一緒に昼食にしよう!」
オスカルは上機嫌でシンカの手を取ると屋敷に引き入れた。
先の侍女が胡散臭げな視線でシンカを見ていた。
貴族の家に招かれるのは好きではない。
カヤテに招かれた時は断ったが、今回はオスカルがただ家に招き、食事を共にという主旨であった為招待される事とした。
カヤテの場合は自軍に呼び込むつもりであった為、頑に拒否をしていた。
部屋に案内され荷を解くと、先の侍女に蒸気風呂に案内してもらい、半刻かけて垢を落とした。
着替えを与えられ昼食へと赴く。
大きな卓の前に掛けていると、オスカルを筆頭に彼の家族と思わしき人々が連れ立って現れた。
「シンちゃん、おじさんほんとに嬉しい。ボニからわざわざ来てくれてありがとね。後ろのがおじさんの家族。紹介するね」
そう言って次々と家族を紹介し始めた。
若く美しい嫁が2人。一人はネラノ人とシメーリア人との混血で黒髪が美しい人だった。アンリと名乗った。
もう一人は純血のネラノ人であったが、細面で目が大きくネラノ人の中でも1、2を争う別嬪であった。彼女はステラと名乗った。
二人は気だてが良く、聞くにステラはオスカルの歳の離れた幼なじみであり、名を上げた後に出身の町に迎えに行ったのだという。
アンリは元々傭兵であったが、戦の折に助けられそのまま嫁となったらしい。
オスカルの長男はステラが産んでおり、11歳でランドと言うそうだ。ネラノ人の特色しか見られない体格の良い子供だ。オスカルもかなり体格が良い為遺伝だろう。
ナウラの乳をいきなり触ろうとしてぶっ飛ばされた。なかなかのやんちゃ坊主である。
その下は4歳のフラーという女児で、この子供もステラが産んだのだという。肌色はオスカルとアンリそっくりであった。
次が3歳のリタという女児で、これはアンリが産んだという。一人だけシメーリア人の特色が強い。
そして最後が2歳の男児で、両親そっくりの肌色をしたアルスという幼児である。
ぶっ飛ばされた息子をみても、息子を嗜める出来た親である。
ランドはステラに頬を摘まれ痛がり、娘二人はあまりに白い肌のヴィダードに興味津々で駆け回った。
「ごめんね五月蝿くて。さ、ごはん食べようよ」
子供は嫌いではない。昔、まだ独立する前は育ての親の多すぎる子供達の面倒をよく見たものだ。
3歳のリタが纏わり付いて来た為頭を撫でていると先程の侍女ともう一人のネラノ人侍女が手押し車で料理を運んで来た。
「オスちゃん、随分若い嫁さんだが。幼なじみ?」
「そうなんだよね。ステラはおじさんがまだ軍に出仕する前に世話になった婆様の娘の娘でね。まだ30に届かないかな?」
「へえ。こっちはヴィダードが年上で、実はよん」
「あなた様?ヴィーはその話、面白くありません」
子供達も全員席に着き、侍女二人により配膳された食事を食べ始める。
ガレ家の人員はあの侍女2人を含めて全てなのだという。
「シンカさんは此の後は何処へ旅をする予定なんですか?」
ステラが尋ねる。人懐っこい人だ。
「コブシに」
「コブシ!それは随分と遠い!」
アンリは快活で、何処かカヤテを連想させる人であった。
「シンカ、コブシまで何れ程で辿り着けるのでしょうか?」
「路を行けば半年は。森や山を抜ければ3月という所かな?」
オスカルの親族は気さくな人達で、昼食は和やかに終えた。
食後の茶を嗜んだ後一度部屋に戻る。
「ん?」
鶫が窓枠に止まっている。
一声囀り飛び立って行った。
「………」
息を吸う。
神経を研ぎすませ、膝を突くと目を閉じ、耳を澄ませた。
屋敷の外に見張りと思われる人間が4人。軽鎧を身に纏っている。
朝に感じた町の張りつめた空気。
友が居ないと言うグリューネ王国新参の将軍、オスカル・ガレ。
彼は追いつめられるアルベルト・アドゥーに取り立てられると直ぐさま戦功をあげて並ぶ事の無い栄誉を手にした。
今や大都市ボニを中核とする地域の領有権を付与されているという。
「ナウラ、ヴィー」
両脇の部屋に居る筈の二人に声を掛ける。
二人は鍛えた成果により聞き逃す事無くシンカの部屋に現れた。
「出立の支度を」
短く告げると部屋を出る。
廊下を早足で歩き一つの角を曲がると始めにシンカを相手取った侍女と出くわした。
「!?……お客様、如何様なご用件でしょうか?」
「オスカル殿は何処だ。火急の用にて話をしたい」
「………承ります」
「いや。直接だ。時間がない」
侍女は少しの間考えていたが、やがて了承した。
歩みだす侍女について屋敷の中を歩く。
「名は?」
「………私は侍女です」
「此れから必要になるだろう」
「………?………シェラと申します」
「俺はシンカだ。一緒に居た女は白髪がナウラ、麦色がヴィダードだ」
訝しんだ様子のシェラであったが、やがて一つの部屋の前に辿り着くと、その扉を叩いた。
「何だ?」
中からくぐもったオスカルの声が聞こえる。
書斎だろう。
「シンカ様がご主人様にお話があるとの事で、御連れしました」
「シンちゃん?」
シェラが扉を開く。
木製の本棚に所狭しと書籍が並べられた書斎で、オスカルは何か読み物をしていた。
「どうしたの?」
「………この屋敷、見張られているぞ」
静かに退室しようとするシェラをシンカは手で止める。
「オスちゃん。心当たりは?」
「………無いけど、もしおじさんが陛下なら、おじさんが邪魔だから、謀反の罪を着せて処断するかな………」
「なら、直にでも逃げた方がいい」
「……でも」
「反逆は三親も刑に処される。オスちゃん。あの幸せそうな家族が失われるのを俺は見たく無い。俺が助ける。金も逃げ場所も全て用意する」
広い屋敷にたった2人の侍女のみを置き、その侍女とも親しく過ごすオスカルの家族達。
「……そんな。おじさんはただ、自分が世に役立つ人間だって証明したかっただけなのに………」
「どうする?」
オスカルは目を閉じ、暫くの間苦悩の表情を浮かべた。
「………分かった。食堂に皆を集める。シェラ。頼むよ」
急ぎ自室へ戻り、装備を着込むと2人娘を連れて食堂に赴いた。
食堂にはオスカルとアンリの子二人が既に集まっていた。
オスカルの眼差しはシンカとの二度の会合では見せた事の無い酷く鋭いものだった。
食堂の卓に2枚の皮紙を広げて睨みつけている。
シンカは荷を置くと座り込み、床に耳を当てる。
「ヴィー。何か臭うか?……ナウラ。何か見えるか?」
この屋敷の見張りは相変わらず4人。
「城の方角におかしな動きはない様です」
窓際で様子を伺っていたナウラが言う。
「街の匂いも昨日と変わりないわぁ」
ヴィダードも応える。
「恐らくだけど、襲撃はあるとすれば今夜、夜半になると思う。でも本当に襲撃はあるの?可能性がある事はおじさん認めるけど、確証が欲しいな」
食堂にステラとその子2人、そして2人の侍女が入ってくる。
これで全員か。
「残念だが、半分は勘だ。しかし現に見張りは存在している。何の為に見張りを?オスちゃんに気取られる危険を冒してまで4人も見張りを立てるだろうか?」
「そうだね。やっぱり襲撃はあるだろうね。………陛下………私は、私を厚く取り立てて頂いたご恩をお返ししたかっただけなのに………」
オスカルは目頭を押さえて頭を垂れた。それをステラが支え、背を撫でる。
ヴィダードが真似をして意味もなくシンカの背を撫でる。
シンカは特に何の感慨も抱いてはいない。
「今夜、軽装で屋敷を出るべきだと考える。余計な荷は持つべきではない」
「軽装で屋敷を出なければ逃げ切れないのは分かる。大きな荷を持って出れば見張りの兵に気取られる。見張りの兵を殺しても、交代要員にばれれば同じ事だ。でも次の街までの間にどの道追いつかれる」
「森を越える」
「「!?」」
「無茶だよシンちゃん!そりゃあおじさんも多少は剣も使えるけど、ステラと子供達は!」
「俺が何とかする。どうせ捕まれば処刑だ。それに自信がなければ提案しない」
「………そうだね。ごめんねシンちゃん、巻き込んじゃって。おじさんが招待なんてしなければ……」
「……友達だろ。友達を助けて何が悪い」
「………まだ、出会って2日なのに………ほんとに………」
オスカルは硬く目を閉じ目頭を押さえた。
「オスちゃん。この街はオスちゃんの方が詳しい。脱出経路は考えてあるか?」
「うん。ただ、やっぱり戦闘は免れ得ないと思う」
「問題無い。ナウラ、ヴィダード、やれるな?」
「はい」
「最近体の調子が凄くいいのよぉ。四半里先から眼窩を射抜いてやるわぁ」
「私も闘える」
最後にアンリも応えた。
「いや、あんた達は子供を背負ってもらわなければならない。子供は騒ぐとまずいから小さな子には眠り薬を飲んでもらう」
「わかったよ。シンちゃん。それで、行き先なんだけど。ボニはまずいと思うんだ」
「寧ろ、国内や隣国もやめた方がいいのでは無いか?」
「……そうだね。でも、おじさんはこの国から出た事無いんだ」
「伝手がある」
「伝手?何処に?」
「クサビナのグレンデル一族に、懇意にしている者がいる。カヤテ・グレンデルという」
「グレンデル一族?あの有名な?しかもカヤテって、あの赫兵カヤテ?」
「そうだ」
「赫兵の名はグリューネまで届いているよ。齢たったの9つでラクサスの侵略に抗して初陣して強力な行法でラクサス兵を薙ぎ倒し、以来彼女が参じる戦争は負け無しだって。眉唾物だと思っていたけど」
「真偽は分からぬが、類稀な千剣と火行法の使いである事は間違いない」
「猛り狂う火精霊の如く灼熱の炎を撒き散らす赤く燃え盛る剣士。赫兵カヤテ」
「身体的特徴や衣類に赤は含まれていないが」
「あ、そうなの?」
「グレンデーラまで共にするつもりは無いから文を書こう」
「………ありがとねシンちゃん。それなら砂漠を避けて森を通りながらグリューネを出る経路だね。北西に進んでムスクアナへ出よう。レヒレ川の渡河は………」
「見張りが立つだろうな。押し通るしかあるまい。人数次第で現地合わせする」
「行き当たりばったりだね。おじさんはそう言うの苦手だけど、仕方ないか。食料と旅支度は?」
「北西にはレダの街がある。ナウラに買いに行かせよう。金は幾らでも用立てられる」
「レダまで路を辿れば6日だけど、その間はどうするの?」
「子供を連れてとなると、森を渡っても5日といったところか。水は森で用意する。食料は大人の5日分は手持ちにある。子供の食事は果実を取ろう」
「うん。………何とかなる気がして来た。レヒレ川を渡るまでが勝負だね。じゃあ街を出るまでの事はおじさんが考えよう」
オスカルは街の地図を睨み付け、目頭を揉む。
「よし。シンちゃん達3人はこの後屋敷を出て街の北門へ向かって欲しい。北門近くに宿がある。宿を取って夕刻まで待機していて。次にマリア。マリアはステラとフラーを連れて一刻後に買い物に出て欲しい。追っ手を確認して、シンちゃん達が取った宿を訪ね、そこで待機して」
名を聞いていなかったマリアと呼ばれた侍女が膝を折って応えた。
「残念だけど、マリアもシェラも一緒に来てもらわなくちゃならない。残れば君達の命は無い」
「元より私とシェラには御主人様の元以外に居場所は御座いません。ご迷惑でなければお連れください」
オスカルはゆっくりと深くうなづいた。
「さて。この地点で見張りの兵は怪しむだろう。だから、僕とアンリで陽動しつつ、シェラにリタとアルスを連れて逃げてもらう。シェラはシンちゃんと合流して欲しい。僕とアンリはランドを連れて東門に向かい、其処から街を脱出する」
「俺達は日没前に宿を出て森に潜む。ステラとマリアはナウラとヴィーに任せて俺は東門に迎えに行く。東門からの経路は激しい戦闘が予想できる」
「うん。……ランド。君はガレ家の跡取りだ。付いて来れるね?」
「俺、父ちゃんに付いてくよ!」
「うん。それでこそ僕の息子だ」
話は終わり、シンカ、ナウラ、ヴィダードの3人はマリアとシェラに見送られて屋敷を出た。
見張りの兵を尻目に3人は街の北を目指す。
尾行が無い事を確認してナウラが口を開いた。
「オスカル・ガレは救国の英雄だと街の者は話していました。その人物が何故襲撃されるのでしょうか?」
「オスちゃんは王家に仕えて日が浅い。三年程度のはずだ。倍以上仕えて、アルベルトと生死を共にして来た武将達は新参のオスちゃんを受け入れられない。そのオスちゃんが自分達よりも厚遇されている。失脚させようと考えるのは自然な事だろう。加えて、オスちゃんは優秀すぎた。アルベルト王は国が安定した今、自身より有能で、謀反を起こされれば勝ち目がないオスちゃんを消しておきたいのだろうな」
「自分勝手な話です。私は納得がいきません。本当にそんな事を?恩人ではないのですか?」
「ナウラ、ヴィー、これが人だ。人の醜さを学んでおきなさい」
「わかりました」
「?」
ヴィダードは話を聞いていなかったようで、小首を傾げた。
腹がたつ事にその容姿は儚げで非常に美しかった。
街を北上し北の門近くにある宿を取ると、ステラ達が来るのを待つ事とした。
取った部屋は3人部屋で、3階であった為窓から港の様子を伺えた。
海はカヤテの瞳のような美しい翡翠色で、此れから変事が起きるとは予想だに付かない穏やかな景色だった。
徐々に傾きつつある陽光を反射して輝く水面を3人で眺めていると戸が叩かれた。
オスカルの妻子と侍女である事は分かっている。
ヴィダードが立ち上がり扉を開け、3人を中に招いた。
「申し訳ございません。見張りが付きました。この宿に入った所を見られました」
侍女のマリアが告げる。
シンカは立ち上がり部屋を出た。
宿を出ると鈍色の軽鎧を身に纏った兵士が確認できる。歩き出すと兵士はシンカを追って来た。
シンカの肌色はこの国では目立つ。
細い路地に入り人気が無いところまで歩くと毒の吹き矢で命を奪った。そして土行を使い、通路の壁に死体を埋めてしまった。
通路をそのまま進み、大通りに出ると宿に戻った。
「予想より監視が厳しい。このままでは残りの脱出は難航するかもしれん」
シンカは目を瞑り、考えを巡らせた。
オスカルは食堂で徐々に傾く夕日を眺めていた。
そろそろシンカ達は街を出る為に待機をするだろう。
オスカルはステラに厨房で火を炊かせ、何時もと同じく夕餉の支度を行なっていると見せかけて脱出を悟られないよう細工を行った。
既に屋敷から出ているステラやマリアの自室にも明かりを灯している。
襲撃は寝静まった宵闇を狙うはず。
日没と同時に屋敷を出る。
屋敷は北と南に出入り口がある。シンカ達は北から出た。
オスカル達とシェラ達は南から屋敷を出て、シェラ達をシンカ達の元に逃した後に東へと逃れる。
兵達の注目を自分や跡取りのランドに引き付け、他の人員から目を逸らさせる企みである。
自分達が死してもアルスが助かれば血は保てる。
軽食を食べると残るアンリ、ランド、リタを背負いアルスを抱いたシェラを集める。
なるべく気付かれないようにするにはシェラに負担をかけるしかなかった。
自分達をよく知る人間がいれば、ステラがリタやアルスを連れて出掛けるのは違和感に感じられるだろう。
だから、こうするしかなかった。
「ステラ。頼むよ。別れても走らないで。ランド。僕とアンリにしっかりついて来て。勝手な事は駄目だよ。アンリ………頑張ろう!」
日が沈む。
夕日が終わり闇が差し込み、目が慣れぬ一時を計り、戸を開けた。
兵の位置は確認してある。素早く先行し、気が緩んで間抜けた面の男の首筋目掛けて刃を突き込んだ。
くぐもった声を僅かに上げて事切れた兵士を敷地内に引き込み、傍目から隠す。反対側に立つ兵はアンリが同様に殺害している。
「シェラ」
「必ずや。御主人様も御無事で」
シェラは2人の幼子を抱いて夜の街に紛れていった。
「僕達も」
屋敷の門を出て左に折れる。半刻程歩み、いよいよ東門が見え始める。
「………通常より兵が多いね」
「そうね」
「僕達を逃さない為だ。北門は大丈夫かな?」
「貴方のお友達に何とかしてもらうしかないわね」
「北門の鐘は鳴ってない。問題なく街を出られたか、まだ出ていないかのどちらかだ。もう半刻待って何もなければ正面から突破しよう」
ジリジリと焦燥する中、暗い小道に潜んで時を待った。
街の門は南以外の三箇所にある。その門は日没とともに閉まる。
つまり、門は既に閉まっている。
街壁を開けさせる手立てを考えなければならない。
時間が来る。妻子を引き連れて東門へとオスカルは歩みだした。
近付くと数人の兵士が3人の前に歩み出る。
「これは閣下。このような時間に門へおこしとは如何様なご用件で御座いますか?」
兵士長の頭飾りを付けた男が槍を片手に質問をして来た。
「喫緊の用にて門を出たい。開門せよ」
「閣下。今宵は残念ながら閣下を通してはならぬと御下知が有りました。大人しく拘束されて頂きたい」
20人程の兵がじわじわと3人に迫って来る。
「この私を拘束だと?誰が!どの様な罪でこの私に刃を向けるっ?!」
「ベネ候の御下知です。罪状は王家に対する謀反の企みでございます」
「無礼なっ」
オスカルは素早く剣を抜き振るった。
兵士長の首が飛び、砂地に血を撒き散らせながら転がった。
「エルラド ベネの妄言に乗せられ、この私に刃を向けるとは何事か!」
「しかし閣下!ベネ候の命令書には陛下の捺印も……我々はこの命令書の通り閣下を捕縛しなければ、我々が王命に反する事になるのです!」
1人の兵士が皮紙を示し、決死の形相で叫んだ。
周りの兵も覚悟を決めて剣を構えなおした。
やるしかない。
背後でアンリも剣を抜いた。
オスカルは千剣を、アンリは王剣を使う。しかし何方も信位。20人を相手取る程の腕ではないだろう。
だがやらねばならない。妻の為、子の為に。
先頭の兵が切りかかって来た。アンリが流し、体勢を崩した其れをオスカルが仕留めた。続いて2人が同時に切りかかって来る。
アンリが1人を受けるが、もう1人は相手取れない。すかさずオスカルが割って入り、受け止めた。
競り合っていたアンリが押し返し、手が空いた隙にオスカルと鍔迫り合っている兵士を斬りつける。刃を躱した兵士に今度はオスカルが斬りつけ、2人目の命を絶った。
アンリが押した兵士は数歩下がり、他の4人と共に徐々に距離を詰めて来る。
彼らの背後、門の手前で1人の兵士が門の上部から垂れる鎖に手を伸ばしていた。
鎖は鐘に繋がっている。
終わりだ。
あれを鳴らされれば街中の詰所や城から兵が押し寄せて来る。
此処までか。町からも出られない早い終わりだった。
時間が無く事前の確認が出来なかったとはいえ、門に予想以上の数の兵士が詰めていた時点で望みは薄かったのだ。
後はシンカ達が他の妻子を連れて逃げてくれる事が望みだ。
絶望的な気持ちで鎖に伸ばされた兵士の腕を見つめていた。
徐に、兵士の伸ばされた腕が宙を舞った。
肘から先が僅かな血液を散らしながら回転し、重たげな鈍い音と共に大地に落ちる。
灰色の、矢羽根のない矢が深く砂地に突き立っていた。
腕を失った兵士が絶叫を上げた。
オスカルと対峙していない数人の兵士が背後を振り返ると、黒い衣類で全身を覆い、黒い狐の面を着けた人物が、片腕から血をこぼす兵の首を握り、地に沈めている所だった。
「何者だ!?」
数人が慌てて男に斬りかかる。
男は死んだ兵士が持っていた槍を拾い上げ、迫る兵士に向き直る。
初めの者は何をされたか理解する事なく命を失う。
2人目は自身の武器を構え直す暇なく命を散らした。
「て、手練れっ」
3人目は言葉の途中で物言わぬ亡骸となって地に伏す。
兵達の動きが乱れた隙にオスカルとアンリは一人づつ敵を斬り伏せる。
返り血がべったりと顔に張り付いた。
「ど、何処から現れた?!」
「強いぞ!一気に畳み掛ける!」
5人が一斉に躍り掛かる。
その連携は偶然の産物か、並みの者では太刀打ちの出来ない隙のない物で、男の命を奪うかに思われた。
だが体を低くして槍を構えた薬師の腕がぶれると左から順に首を突かれて命を落としていった。
春槍流の奥義、五駿。
自信があるはずである。腕を見る限り自分達以上の実力がある事をオスカルは認識した。
襲い掛かった兵達は殆ど同時に砂地に倒れ込んだ。
「………何だこの者は!?強過ぎるぞ!増援を呼べ!」
オスカルと狐面の男シンカの両方から最も離れていた兵士が踵を返す。
が、シンカが槍を持ちながら両手を組むと、駆け出した兵の全身から赤い棘が突き出、駆け出した勢いのままに倒れ、地を転がった。
残る兵士は8人へと減じていた。
「門を開けろ。さもなくば無為に命を落とす事となる」
シンカの言葉に生温い夜闇の中、兵士達はじっとりと汗ばみ唾液を嚥下した。
「元々お前達が素直に門を開いていれば闘いなど起こらなかったのだ。最後だ。開門せよ」
顔を見合わせた兵達だったが、漸く鉄の門に取付き四人がかりで開いた。
シンカは油断なく槍を構え、兵達を牽制し、その隙にオスカル、アンリ、ランドの3人で門を抜け出た。
最後にシンカが抜ける。
門を抜けるとオスカルがランドを背負い駆け出す。
シンカは其れを追い抜き、合流地点へと先導した。
背後で鐘がけたたましく鳴る。
残った兵士がシンカ達が離れた時分で鳴らした様だ。
騎兵を繰り出される前に街近辺の平地を抜けて森へと入ろうとする。
「シンちゃん、もう駄目だと思ってたよ。本当にありがとう!」
「マリアが屋敷を出た時監視が付いた。予想外に厳しい監視体制だと気付き、予定を変更していた。ナウラを残して先に街を出て、俺は屋敷の南口の見張りを処理していた」
本当に助かった。まだまだ先は長いが彼がいなければ既に命運尽きていただろう。
彼は一体何者なのだろうか?
考えてかぶりを振った。
彼はたった一度酒の席を共にした自分を、自分達一家を助けてくれたのだ。
本気にされるとは思っていなかった。
話してみて、自分と彼の意見や思想はよく合い、話していて楽しいと感じた。
そうであれば良いと思い、酔った勢いで彼を友と呼んだのだった。
其れを真に受けて、自分の為に今、骨を折っているのだ。
滲みそうになる涙を目を強く閉じて堪えた。
嬉しかった。
シンカが短く声を発する。それは言語では無く何かの鳴き声を模したものだった。
夜に空を飛び回る小さな鳥のものと酷似していた。
遠方より答える様に鳴き声が返る。
「ナウラとシェラ達は無事、街を出られた様だ。オスちゃん、アンリ。その武器を此処で捨てろ」
「武器も無しに森に踏み入るの!?」
「此処から先相手取るのは人ではない。魍魎だ。血の付着したまま森へ分け入るのは愚行だ」
武器を捨て服を着替え、シンカの気がすむまで身体を拭いた3人の元にシェラが駆け寄ってきた。
「御主人様!ご無事でしたか!奥様も!」
「シェラ、僕は?」
「坊っちゃまもです」
シェラは息子のランドを可愛がっている。
本来の貴族であればあり得ないが、シェラはランドの頭を撫でてあやしている。
「東門の鐘が鳴ったので心配しておりました」
「あれは門を抜けてから鳴ったものだ。じきに追っ手が来る。森へ入りヴィダードと合流する」
一行は底知れぬ口を開く森へと足を踏み入れた。




