20 ある日のぱんだ亭 ① ◆
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街の通りにある年季の入った木造の酒場。
そこからは、酒飲み達の愉快な声が店の明かりとともに外の暗がりへと漏れていた。
手際良く仕事をこなす店主からの指示で、給仕の少女がせっせと注文の品を運ぶ。
長い緑髪を束ねるヨーコに、手に焼き印を持つエリだ。
働く女性らの笑顔も絶えない、いつも通りの光景。で繰り広げられていた。
そんなぱんだ亭にあって、特に賑わいを見せていたのは酒場のカウンター席であろうか。
側の壁には、人目につくよう掲げられているものがある。
店主ヨーコが魔晶石板と呼ぶ、金属ともガラスとも言い難い質感の大きな四角い板。
――文字や絵が踊る、ぱんだ亭の魔晶石板。
その濃い緑色の平面部には、『シンブン玉』の情報が投影される仕組みだった。
魔晶石で作られたシンブン玉を板の縁にある、小石が一つ収まる程度の丸いくぼみへハメ込む。
そうすることで、シンブン玉に封じ込められている大陸の主だった話題を楽しめるようになる。
本日は定期的に配達されるシンブン玉が届けられた日でもあり、目新しい話題が常連客達の良き肴となっていたようだ。
「『アーサー様ドラゴン討伐の為、魔晶石の街クリスタへ出立予定』かあ。とうとう勇者様のお出ましってことのようなので、どうやら僕の家を建て直す計画も終わりのようです」
魔王討伐を目的に大陸を駆け巡る勇者一行。
その動向を知った常連客の一人が残念そうにうなだれると、ヨーコを始め酒飲み仲間の陽気さが増した。
「イノブタじゃねーんだ。酪農家のロニじゃドラゴンの鱗すら剥げねーつうの」
「でも、もしかしたらがあったかもしれないですし」
「だから、その”もしかしたら”が初めっからねーんだって」
中年の男が呆れる態度で言えば、酪農を仕事にしている男から微笑む顔をのぞかれるヨーコ。
「ロニ君の夢見たい気持ちも分からなくもないさね。褒賞金が三〇〇〇万ルネだからねえ。この店もずいぶん古いし、最近じゃ馬も世話しなくちゃならなくなってね。アタイも店を開けなくていいんなら、ドラゴン退治と洒落込んでいたかもね」
「きっと包丁を持ったヨーコさんなら、ドラゴンでも三枚におろせますよ」
「ふふ、ドラゴンの肉って旨いのかしら」
料理と葡萄酒、そして笑い顔が並ぶカウンターテーブルで、ヨーコ達は軽口を飛び交わせながら会話に花を咲かせてゆく。
「それで、アタイは勇者様がドラゴン退治に動いてくれてありがたいさね。なんでも今クリスタじゃドラゴンが鉱山に居座っているお陰で、採掘場からまったく魔晶石が取れてないらしいじゃないかい」
「魔晶石で成り立っているクリスタとしては、街の死活問題ですから大事でしょうね」
言葉を受け、酒場のあちらこちらをさり気なく見回していたヨーコの切れ長の目が酪農家の男へ。
「アタイらにとっても大事さ。そこの魔晶石板もだけどランプにコンロ、それと最近じゃ食材を冷やす箱なんかもあるようだし、商売に欠かせない物ばかりだ。品薄になれば売値買値が上がるだろうから、店の経費がかさんで困りもんさね」
「僕も魔晶石の道具がないと酪農の仕事に支障が出ますね」
「ま、そんくらい影響があって重要なもんだからドラゴンを退治した暁には、三〇〇〇万ルネつう、家一つまるまる買えるような高額の褒賞金がクリスタの自治会から貰えるんだろうけどな」
「マサさん、僕の家の話はもういいですから……それより、知り合いの冒険者が話していたんですけど、クリスタのクエスト、ドラゴンにもかかわらずギルドの依頼で一番人気らしいですよ」
冒険者ギルドは様々な依頼を加入している冒険者へ斡旋する機関である。
決まった仕事を持たない者が多い冒険者にとって、なくてはならない仕事の受注場でもあるギルド館は、大きな街へ行けば必ずと言って良い程目にでき、それは各街からの依頼を大陸中の冒険者が選べるギルドの強みとなっていた。
『手招きドラゴンの討伐』はネコの月より二ヶ月前、朝方ともなれば吐く息も白いヤギの月に発注されたクエストだった。
クエストはクリスタ自治会からギルドへ持ち込まれたもので、酪農家の男の話にあるように受注率が最も高い案件となっていた。
魅力的な褒賞金の額もさることながら、冒険者達が進んでその足を向かわせる要因の一つに、対象モンスターの出没場所が限られている点があるだろう。
無用な探索を避ける事で力を温存できるからだ。
また目的地が魔晶石の街クリスタが保有する鉱山ゆえに準備を含めた道程が容易である。
他には、複数の敵による攻撃の危険性を嫌う冒険者達にとって単独である対象は好ましかった。
ただしこうした人気ゆえに、未熟な冒険者達の多くの命がこのドラゴン討伐で失われていた。
「あのお……やっぱりアレクでも、ドラゴンさんの討伐は難しいでしょうか?」
不意に投げ込まれた質問は若い女の声であった。




