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魔王が現代転生してコンビニに就職した ―― 恐怖で世界を統べた覇王が、深夜のレジで"本当の強さ"を知るまで  作者: もしものべりすと


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第十九章 調子に乗りすぎた王

「力で全部壊したら、あの人と、同じだよね」


 娘の一言が覇王の振り上げた拳を、止めた。



 決戦は玄たちの思うようには進まなかった。


 聖は力を緩めなかった。彼は巨大な企業の財力と人脈を、総動員した。署名がいくら集まろうと、聖は行政の上層部に手を回した。再開発は地域の発展のためだという、もっともらしい理屈を並べ立てた。新聞には無人化こそが未来だという記事が、次々と載った。


 じわじわと、流れが変わり始めた。


 最初は団結していた商店街の店主たちにも、ほころびが出始めた。聖は彼らに、個別に買収を持ちかけた。提示された金額は、抗うにはあまりに大きかった。一人、また一人と、聖の手を取る者が現れた。


「すまない、黒木さん」ある店主はうつむいて言った。「俺だって、戦いたい。でも家族がいる。生活がある。あの金を断れなかった」


 玄はその店主を責められなかった。皆、それぞれの暮らしを背負っている。理想だけでは生きていけない。それも人の現実だった。


 だが聖の手はそれだけでは終わらなかった。


 彼は玄の店の評判にも、傷をつけようとした。素性の知れぬ店員がいる。あの店は危ない。そんな噂がどこからともなく、流れ始めた。匿名の投稿が画面の中で、拡散された。顔の見えない悪意が、人の手の温もりを、じわじわと蝕んでいった。


 署名運動の熱も、少しずつ、冷めていった。人々は日々の暮らしに、追われている。一時の正義感は、やがて現実の前に薄れていく。それもまた、人の性だった。


 玄は焦った。


 このままでは負ける。せっかく束ねた人の輪が、聖の金と噂という見えない刃で、ほどけていく。守りたいものが、指の間から、こぼれ落ちていく。その焦りが玄の中の古い何かに火をつけた。


 団結が少しずつ、崩れていく。


 それを見ているうちに、玄の中で何かがたぎり始めた。


 怒りだった。


 なぜ、正しいことが金でねじ伏せられる。なぜ、こんな卑劣なやり方がまかり通る。聖の冷たい笑みが、玄の脳裏に浮かんだ。あの男さえ、いなければ。あの男さえ、消えれば。


 古い本能が彼の中で頭をもたげた。


 覇王の、本能だ。立ちはだかる者は、砕けばいい。邪魔者は消せばいい。力はもうない。だが彼の体にはまだ、人を震え上がらせる覇王の眼力の残り火があった。脅し、屈服させ、ねじ伏せる。その手段なら、まだ彼の中に残っていた。


 頭の奥で、声が囁いた。聖の声であり、かつての、自分自身の声だった。なぜ、回りくどいことをする。お前には人を屈服させる力が、あったではないか。あの男を恐怖で、ひざまずかせろ。それで、すべては終わる。簡単なことだ。お前はそういう男だっただろう。


 その囁きは甘かった。


 力で解決することは、どれほど、楽だろう。署名も交渉もいらない。ただ、あの男を震え上がらせればいい。覇王ヴェルグなら、それができた。いや、今でもできるかもしれない。玄の中で長く眠っていた支配者の本能が、ゆっくりと目を覚ましていった。


 ある夜、玄はひとり、聖のもとへ向かおうとした。


 聖を脅すために。かつての、覇王のやり方で。あの男を恐怖で、屈服させてやる。そうすれば、すべては終わる。彼はそう、思い込もうとしていた。


 店を出ようとした、その背中に、声がかかった。


「玄さん」


 ひかりだった。彼女は玄のただならぬ気配を感じ取っていた。


「どこ、行くんですか」


「……聖のところだ」玄は振り返らずに、答えた。「あいつを止める」


「どうやって」


 玄は答えなかった。その沈黙が答えだった。


 ひかりは玄の前に、回り込んだ。そして、彼の目をじっと見上げた。


「玄さん、今、すごく怖い目してます」彼女は静かに言った。「強盗を追い払ったときと、同じ目。ううん、もっと怖い。誰かを傷つけようとしてる目です」


 玄は思わず、足を止めた。鏡を見たわけでもないのに、自分の目が今どんな色をしているか、わかった気がした。冬の湖のように、凍りついた、かつての覇王の目。あの、玉座から世界を見下ろしていた頃の冷たい目に、戻りかけていた。


 玄は何も言えなかった。


「ねえ、玄さん」ひかりは続けた。「もし力で、聖さんを全部壊しちゃったら。それって、あの人と、同じだよね」


 その一言が玄の振り上げかけた拳を止めた。


 ひかりの目は責めてはいなかった。ただ、悲しそうだった。玄がせっかく手に入れた温かさを、自ら手放そうとしている。それを止めようとする、必死の目だった。


 あの人と、同じ。


 玄ははっとした。聖もまた、力で世界を変えようとしている。効率という、力で。すべてをねじ伏せ、思い通りにしようとしている。もし玄が暴力で聖を屈服させたなら。それは聖と同じ穴の狢ではないか。やり方が違うだけ。根は同じ。かつて聖が玄に突きつけた、あの言葉そのものになってしまう。


 玄はその場に、立ち尽くした。


 危うかった。彼はまた、力の道に戻ろうとしていた。守るための戦いのはずが、いつのまにか、壊すための戦いにすり替わりかけていた。怒りに、我を忘れて。


「……すまん」玄は絞り出した。「俺はまた、間違えるところだった」


 ひかりはふっと、微笑んだ。


「玄さんはもう、昔の玄さんじゃない」彼女は言った。「だから、止まれた。昔の玄さんなら、私の声なんて聞かずに、行っちゃってたはずです」


 玄はゆっくりと、頷いた。


 力ではない。それはもう、わかっていたはずだった。なのに、追い詰められると、つい慣れた道に足が向いてしまう。それほどに、彼の中の覇王の業は根深かった。だがそれを止めてくれる者が、いまの彼にはいた。


 彼は聖のもとへは行かなかった。


 代わりに、店へ、戻った。仲間たちの、待つ場所へ。力ではなく、人の心で、戦う道へ。たとえ、それが遠回りでも。たとえ、それが勝てぬ戦いに見えても。


 それでも彼はもう力の道には戻らないと、心に誓った。


 店に戻ると、ひかりが温かい茶を淹れてくれた。


「飲んでください」彼女は言った。「冷たい手、温まりますよ」


 玄はその茶を両手で包んだ。白い湯気がゆらりと立ちのぼる。ほのかな温もりが、こわばった指先に、ゆっくりと染みていった。たったこれだけのことが、力で世界を従えるより、ずっと尊いのだと玄は思った。


 彼はひかりに、頭を下げた。


「お前が止めてくれなければ、俺はすべてを壊していた」


「いいんです」ひかりは笑った。「私も玄さんに何度も助けられましたから。お互いさまです」


 お互いさま。対等な者同士が、支え合う。その言葉に、玄はこれまで知らなかった温かさを感じた。命じることも命じられることもない。ただ、互いの足りないところを補い合う。彼が四十年の長い生涯で、ただの一度も味わったことのない関係の形だった。一方が上に立ち、一方が従う。彼の知る関係は、それだけだった。だがここにあるのは、上下のない対等な支え合いだった。


 玄は決意を新たにした。


 力では勝てない。だが人の心はまだつながっている。崩れかけた輪を、もう一度、結び直す。一人ひとりに、向き合って。聖の刃が見えない悪意なら、こちらの武器は、目に見える確かな信頼だ。


 翌日から、玄たちはもう一度、一軒一軒を訪ね歩いた。


 聖の手を取りかけた店主にも、玄は頭を下げて語りかけた。責めるのではなく、ともに残れる道を、探そうと。署名の数を競うのではなく、なぜこの店が必要なのかを、膝を突き合わせて話した。時間はかかった。だがその地道な対話が、ほどけかけた輪を少しずつ結び直していった。


 効率とは正反対のやり方だった。だがそれこそが人の手の戦い方だった。


 遠回りでもそれが唯一の、正しい道だった。

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