第十八章 人の手の値段
機械は誰も傷つけない。
ただ、弱い者を静かに置き去りにするだけだ。
玄たちの抵抗は、思わぬ反響を呼んだ。
地域の新聞が店を守る署名運動を、取り上げた。人の手の店と、無人の店。その対立は街の人々の関心を、集めた。便利さと、温かさ。効率と、人情。多くの人がその問いを自分のこととして考え始めた。
とりわけ人々の胸を打ったのは、無人化が誰を置き去りにするか、という事実だった。
ある日、ひかりがひとりの老人を店に連れてきた。聖に買収された、元の店の、常連だったという。老人は困り果てた顔をしていた。
「公共料金をね、払いたいんだが」老人はしわがれた声で言った。「向かいの店じゃ、機械でしか、できんのだ。わしはあの機械がどうにもわからん。何度やってもはじかれてしまう。教えてくれる人も、おらん。だから、ここまで、歩いてきた」
玄はその老人の収納代行を、引き受けた。料金を受け取り、機械で処理し、控えを丁寧に手渡す。老人はほっとした顔で、何度も頭を下げた。
収納代行。それは役所や銀行が閉まった後でも、公共料金を払える仕組みだ。年寄りや、昼間に動けぬ者にとって、それは暮らしの命綱だった。だが無人の店ではその手続きが機械の壁に阻まれる。使いこなせぬ者は、ただ、はじき出される。
「機械は間違えない」玄は後で、皆に語った。「だが間違えないことと優しいことは、違う。機械はわからない者を、ただ突き放す。人の手なら、わからない者の、隣に立てる。それが人の手の、値打ちだ」
その言葉は人々の、共感を呼んだ。
無人化は強い者には便利だ。機械を使いこなせる、若く、健康な者には。だが世の中にはそうでない者もいる。老いた者。病んだ者。機械に、不慣れな者。貧しい者。彼らは効率の網の目から、静かにこぼれ落ちていく。
誰も傷つけない。ただ、見捨てるだけだ。
玄はほかにもいくつもの声を聞いた。
ある若い母親は、行政の手続きがすべて機械と画面に切り替わり、途方に暮れていた。書類の書き方を尋ねる窓口が、どこにもない。問い合わせは機械の自動応答ばかり。彼女は行政手続き難民とでも呼ぶべき立場に、追い込まれていた。そんな彼女に、収納代行の窓口で、ミンや玄が手書きの控えとともに教えた。たったそれだけのことが、彼女には何よりの救いだった。
目の悪い老婆は、機械の小さな文字が読めず、買い物を諦めていた。耳の遠い老人は、店員に大きな声で繰り返してもらえる、この店だけが頼りだと言った。言葉の不自由な外国人の労働者は、ミンが身振りで助けてくれるこの店を、命綱だと言った。スマートフォンを持たぬ者。文字を読むのが苦手な者。彼らは皆、無人の店からは、静かにはじき出されていた。
効率は平均的な人間を、基準にする。だが世界は平均だけで、できてはいない。端のほうに、いつもこぼれ落ちる者がいる。その者たちをすくい上げるのが、人の手だった。一円を惜しまぬように、一人を惜しむ。それが真壁の店の、流儀だった。
玄は改めて、思い知った。守りたいのはただの一軒の店では、ない。こぼれ落ちる者を、誰一人、見捨てない。その、人の手の温もりそのものを、守りたいのだ。
それが聖の作ろうとする世界の、隠された姿だった。
抵抗運動は勢いを増した。署名は何万という数に、達した。地域の人々の声は、行政をも動かし始めた。店の取り壊しを、見直すべきだという意見が、出始めた。聖の計画に、初めてほころびが見えた。
だが聖も黙ってはいなかった。
彼は反撃に出た。まず、玄に協力した沢渡を狙った。聖は本部の上層部に、手を回した。沢渡が社外の人間に、機密の計画書を漏らしたこと。それを理由に、沢渡は職を追われた。
「すまない」沢渡は玄に、頭を下げた。「私の、軽率さで」
「謝るな」玄は首を振った。「お前は正しいことをした。職を失ったのは、お前のせいでは、ない」
「いいんだ」沢渡は意外にも晴れやかな顔をしていた。「長年、数字に縛られてきた。やっと、自分の良心に従えた。後悔はない」
彼はそれから、こう続けた。
「私はね、ずっと自分をただの歯車だと思ってた。本部の言う数字を、店に押しつけるだけの。でもあんたの店を見て、思い出したんだ。私だって最初は、店や人をよくしたくて、この仕事に就いたんだって」
沢渡は玄たちの運動に、本格的に加わった。職を失った彼は、もう、本部に縛られることはなかった。彼は長年の経験を活かし、行政との交渉や署名の取りまとめを、引き受けた。皮肉にも職を失ったことで、彼は本当の意味で自由になっていた。
仲間の一人が代償を払った。それは玄の胸に重くのしかかった。守ろうとすればするほど、誰かが傷つく。聖の言葉がまた、よみがえった。守るものがある者は、弱い。
その夜、聖が玄の前に現れた。
「沢渡は消えた」聖は冷ややかに言った。「お前の抵抗もここまでだ。次はお前自身を消すことになる」
「俺を消す、だと」
「お前の正体を暴いてやってもいい」聖は笑った。「黒木玄。素性の知れぬ、過去のない男。あの嵐の夜、超常の力で、屋根を支えた。その映像が私の手元にある。それを公にすれば、お前は化け物として、世間から追われるだろう」
玄は唇を噛んだ。
「店を明け渡せ」聖は告げた。「さもなくば、お前はすべてを失う。仲間も居場所も。お前自身さえも」
脅しだった。だが玄の力はもうない。聖の脅しを力でねじ伏せることは、できなかった。
彼は追い詰められていた。
守ろうとするたびに、仲間が傷つく。自分の存在が皆を危険にさらす。聖の言葉が真実味を帯びて、彼の心を揺さぶった。
俺は本当に、ここにいていいのか。
その問いが再び、彼の胸に影を落とした。だが今度は闇夜のときとは違った。彼の傍らにはもうひとりではなく、仲間たちがいた。
以前の玄なら、ここでまた、皆から離れただろう。巻き込まぬために。だが彼はもう逃げなかった。
「正体を暴くなら、暴くがいい」玄は聖をまっすぐ見据えて言った。「俺が何者であろうと、関係ない。俺はこの店の、店員だ。仲間と、店を守る。それだけだ。お前の脅しで、俺はもう揺らがん」
聖の目がわずかに、細められた。
「強がりを」
「強がりではない」玄は言った。「お前にはわからんだろう。守るものがある者は、弱い。お前はそう言った。だが違う。守るものがある者こそ、本当に、強いのだ。俺はそれをこの街で学んだ」
聖はしばらく玄を見つめ、それから踵を返した。
「ならば、見せてもらおう。お前の言う、その強さとやらを」
聖が去った後、店に戻った玄を、ひかりたちが迎えた。
玄は皆に、聖の脅しを正直に話した。自分の正体が暴かれるかもしれない。化け物として、追われるかもしれない。だから、自分はここを去ったほうがいいのかもしれない、と。
すると、ひかりがきっぱりと首を振った。
「玄さんが何者だっていい」彼女は言った。「私たちが知ってる玄さんは、強盗から私を守って、佐々木さんを助けた人。嵐の夜、自分を犠牲にして、みんなを守った人。それで、十分です」
ミンも佐々木も頷いた。誰一人、玄の正体になど、関心がなかった。彼らが見ていたのは、玄がこの街で何をしたかだった。
玄の胸が熱くなった。逃げなくて、よかった。かつての彼なら、ここで自ら身を引いていた。だが今は違う。彼は皆の真ん中に、しっかりと立っていた。彼らはもう、玄を仲間として受け入れていた。そして玄もまた、彼らをかけがえのない仲間として受け入れていた。
人の手の温もりと、効率の刃。その二つが真正面からぶつかる決戦の時が、刻一刻と近づいていた。




