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人演狐  作者: 幸人
第一章 禍福の音

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第六話 決断の一歩

一円の札束がまとまりをなくし、父さんの周囲を乱雑に覆う。

古びた床座(ゆかざ)に異様な存在感を放つ紙幣の山。誰も彼もが――客人を除く――瞬きすらも忘れ、微小の動きもない。

雲上の夢だと思っていた理想が今、目の前にある。

それは紛れもなく、確実で、確かな物だった。


「これは……か、金か? 本物なのか? いくらあるんだ?」


父さんが痛みに堪えながら顔を上げ、紙幣の山から一枚取って覗き込んだ。

物珍しそうに表裏を満遍なく確認する。

貧しい農村暮らしの俺たちにとって紙幣を目にする機会はほぼないから、それらの真贋(しんがん)を判断できない父さんの鑑定人気取りは馬鹿馬鹿しく思える。


「無論。見て字のごとく一円札だ。百枚ある」


客人は淡々と答えた。眉根一つ上げず、悠然とした態度で。


「「ひゃ、百枚!?」」


父さんと母さんが客人を凝視しながら同時に叫んだ。

二人の声が裏返るほど、驚愕の数字ということだ。

俺は両親の絶叫に反応し、強く目を瞑った。

――耳、特に左耳が痛い。


「もしかしてこれくれんのか!?」


父さんができうる限り、目を開きながら腹からの声を出した。

それはそれは間抜けな声だった。


「好きにしろ。そ(・)ん(・)な(・)物(・)で満たされるのなら」

「まじかよ! お前ただのガキだと思ってたけどいいとこでのガキなんだな! 殴られたことは腹立つけどこれで帳消しにしてやる! 有難くもらっておくとするよ、なあ母さん!?」

「ええそうですね! こんだけあれば一生困らない生活ができますよ、お父さん! いやあ棚からぼたもちとはよく言ったものですねえ!」


表情を一切変えない客人の言葉尻に幾分かの怒りが込められているようだった。

そんなことを露知らない父さんは歓喜の声を上げ、大人げなく紙幣の山に手を入れ頭上に投げた。

母さんに至っては「お父さん何やってるんですか! 本当に百枚あるか数えないと!」と齷齪(あくせく)し、紙幣を一枚ずつ持ち上げ始める。

俺の周辺に落ちた一部の紙幣を拾うため、「暗之助(くらのすけ)邪魔だよ! どいてな!」と言って、肋骨が浮き出た背中を数回叩いた。


正座で座っていた客人が立ち上がり、俺の側に来た。


「さて邪魔者は金に夢中だ。早速お前の答えを聞くとしよう」


突然訪ねてきた男から究極の二択を迫られ、理解が追い付かない中で答えを出さなければならない。

俺の気持ちは……そりゃあ誰でもいいから救い出してほしい。

素性の知れない男だろうが何だろうが、俺を自由にしてくれるならついていきたい――ただ、やっぱり心のどこかで両親を見捨てられない気持ちもあるんだ。

愛情こそなかったがそれでも十五年間ともに暮らし、ここまで育ててくれた両親に多少の恩はある。

だから……まだ決断できない。やっぱり俺は弱い子供なんだ。


「ごめんなさい……。あんたと行くことはできない。俺はこの家で父さんと母さんを支えていかなきゃならないんだ。正直平和だの社会をよくするだの意味分かんないけど、それでも、俺を信じてここまで来てくれてありがとう」


礼を伝えてから、客人に向かって頭を下げた。


「初めて言われたんだ、俺なんかに才能があるなんて。それに家のことも――。あんたはきっと悪い人じゃない。だからまた機会があれば誘ってよ――いや誘ってください」

「……そうか。お前の希(・)少(・)な(・)才(・)能(・)を活かせないのは残念だが仕方ない。これ以上引き留めるつもりはないから安心しろ。俺はこれでお暇させてもらう」


客人はわずかに目尻を下げたかと思うと、次の瞬間には下駄を履き始めた。

無駄のない言動、どれを取ってもまるで隙がない。

ドジで間抜けな俺とは相対する男に、憧れのような嫉妬のような感情を抱いた。


「達者でな」


引き戸を開け、短い別れの挨拶をした後、丁寧に閉めた。

台風の目のように過ぎ去った客人を名残惜しく感じながらも、まだ金に夢中な両親に声をかけた。


「父さん、母さん。俺はいなくならないから安心してよ」


すると、父さんが紙幣を持ちながら振り向き、こう言った。


「あれまだいたのか?」

「え?」


俺には父さんの真意を汲み取ることなどできなかった。

だって客人ではなく俺に対して質問を飛ばしてきたから。


(まだいたのかって……父さんは何が言いたいの?)


「当たり前じゃないか! ここは俺の家なんだから!」

「一生分の金もらったんだからお前も好きにしろよ。腰痛めながら野菜作ってそれをちんたら売る必要もねえってことは、お前はもう用なしなんだよ。どこにでも行っていいぞ? ほらさっきのガキについていって日本の平和を守りゃいいじゃねえか。こんなちっぽけな場所じゃなくもっと広い世界を見に行けよ。ただ野垂れ死んでも俺は助けねえけどな、はははは!」


父さんは黄ばんだ歯を見せ、面白おかしそうに笑っている。


「そ、そんなことひどい言わないでよ、俺たち家族じゃん。金もらっても一緒にいようよ。なあ母さんもそう思うだろ?」

「お父さんの言う通りだよ。あんたはもう十五なんだし、いつまでも親のすねをかじるんじゃないよ。早く自立でもして親孝行しておくれ」


俺の目の前にいる親――いや親の皮を被った化け物か――は平然とした風にそう言ってのけた。

子供をちらと見たらすぐに目を逸らし、大金を手に喜び合っている。

「これで村一番の大金持ちだ!」と胸を反らせ、優越感に浸っていた。

 

(家族だと思ってたのは俺だけってことか……)


こんな化け物のために毎日寝る間を惜しんで働いたり、家事を手伝ったり、機嫌を損なわぬよう気を遣っていた今までの自分が心底馬鹿らしく思えた。

悲しいとか寂しいとかそんな感情にもならない。

呆れという言葉が一番しっくりくる。


子供より金を優先する親。

子供を家族の恥だと思っている親。

子供を家族の一員とも思わない親。

こんな奴らとこれからも暮らさなきゃならないと思うだけで絶望する。死ぬ方がまだましだとさえ思う。

何もかもが嫌になった。

とうとう俺の中にある両親とを繋げていた細く色褪せた糸がその時、ぷつんと切れる音がした。


俺は何かを決意したように外に向かった。

きっとこれが最善の選択だ。

もう決して振り返らない。


板戸を力の限り横に引く。

すると――。


「行くぞ」


戸に背中をつけ腕を組んだ客人が側に立っている。

俺を視界に捉えるとすぐさま歩き始めた。


日が落ちた暗闇の中、大きな疑いのない一歩を踏み出した。

最後まで読んでいただきありがとうございます!


祝第一章完結です!


音在暗之助は親と決別する選択をしました。彼にとってこの決断は並々ならぬものです。これから待ち受ける運命はどうなるのか……。ぜひ新しい道を進んだ音在暗之助と、彼を救った?なぞの金持ちの男を応援してくださるととても嬉しいです。


第七話もよろしくお願いいたします!

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