第三話 家の嫌われ者
「な、何で待たなきゃいけないんだよ―――ですか」
脚に力が入らず、座った状態で醤油屋の店員に問いかけた。
有り無しを言わさないその態度に只者でないことは容易に想像できたが、こっちにも事情というものがある。野菜を全部売らないと今以上に辛い時間が待っているんだ。だから五分だろうと一分だろうと、その時間さえ惜しい。
「いいから待て」
薬舗の店主から一切目線を逸らさずに一言だけ残し、二人は歩き去ってしまった。というよりも醬油屋の店員が無理やり店主を連れていく形で商店街の裏路地まで移動していった。
二人が歩く様子をただじっと眺める。
(何で薬舗の店主はあんなに態度を豹変させたんだ?)
頭が混乱してきた。高圧的な薬舗の店主があそこまでひるんでしまう意味が分からないからだ。俺に対しては言いたい放題だったのに、あの変わり様は一体……?
そういえば醬油屋の店員からは何も音がしなかった。なぜ店主のみから感じられたのかも不可解で、馬鹿な俺には到底理解できそうになかった。
そもそも大人しくここで待てと言われたが、本当に待つ義理はあるのか?
軒下に置いた天秤棒を見る。一刻も早く野菜を売り家に帰って家事の手伝いをしなくちゃならないのに。
あのわけのわからない醤油屋の店員よりも親との約束の方が大切だ。
俺はまだ力の入りにくい体を起こして立ち上がった。その脚で天秤棒まで歩み寄り、重たいそれを持ち上げ商売を続けた。
(大丈夫。俺は何も悪いことをしてない。あの人の言いなりになる必要なんてないんだ)
自分に言い聞かせるように心の中で呟きながら、よろつく脚を前へ前へと動かしていく。
米穀屋を営む夫婦に何とか無理を言い最後まで残った野菜を買ってもらった。可哀そうな俺のためにいつも親切にしてくれる人たちで、「君んところの本当に美味しいんだよ」と言って、事あるごとに野菜を買ってくれる。あの夫婦の息子だったらどれだけ幸せだっただろうと何度思ったことか……。
心底ほっとした気持ちで家まで帰った。今朝より天秤棒が軽くて歩きやすい。薬舗でのひと悶着で今まで以上に疲弊した体を必死に動かし、急いで向かった。日が落ちてしまう前に家にいないと大目玉をくらうことになるからだ。
そういえば、醬油屋の店員との約束―――いやあれは彼が勝手に命令しただけだが―――を無視して商売を続けてしまったが、結局あの人どこにもいなかったな。見つかったら何をされるかと冷や冷やしたけど、何もないのならそれでいい。
もう醬油屋のある商店通りはなるべく通るべきでないな。もしまた会って「話があると言ったろう!なんで五分も待てなかったんだ!」と難癖つけられても困るし。
(はあ。せっかくの商売通り道なのに……)
なぜ俺がこんな思いをしなきゃならないんだ、と徐々に腹が立ってくる。この苛立つ気持ちを夢中で走ることで紛らわすことなどできなかった。
「ただいま」
こわばりのある声で言いながら家の扉を恐る恐る開ける。
帰りの道中、衣服が汚れていたことを思い出し、早急に隠蔽工作を計ろうとした。しかし時すでに遅し。どれだけ手でこすっても布に染み込んだ泥を落とすのは至難の業で、どう頑張っても無理だと気付いてしまった。だから俺は覚悟を決めるしかなかったんだ。
土間と床座の二室がある小さな家に俺と両親の三人で暮らしている。
父さんと母さんはともに農業を営み、生活は貧しいといって変わりない。
土間には夕飯の支度をする母さんの姿があった。俺を見るな否や、汚らわしい物でも見たような不快感を表した。
「あら汚い子だね。大事な着物だって何度も言ってるのにあんたって子は本当―――。ちょっとあなた来てくださいよ」
俺の目線はずっと床を向いている。母さんから罵倒されるのは分かってた。どれだけ一生懸命仕事をしても一つの落ち度があればそればかり指摘する。頑張ったことを素直に褒めてもらうことなんてないんだから。
腹が減った。喉の渇きはさっきの雨水で何とかしのいだが、今朝から何も食べてないから腹の虫がうるさくてしょうがない。でも今日はきっとご飯抜きだろうな……だって大事な着物―――俺にはこの着物しかない―――を泥で汚してしまったから。
床座から父さんが姿を現した。俺を見た瞬間、皴の寄った眉間をさらに深めて大きな溜息をつく。
俺は両のこぶしをぎゅっと握りながら深く呼吸した。
「こっちに来い。馬鹿者が」
どすの効いた声が狭い部屋にこだました。




