第78話【終わりから始まる記憶】
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高校や大学には行きたかった。
でも16の時、煽り運転をされたとかで突然両親が死んで、忙しかったのを覚えてる。
それを言い訳と言われればそうなんだろう。だがあの頃は幼い弟を育てるのに必死だったんだ。
正直、辛かったよ。親は大好きだったし、突然いなくなるなんて考えもしなかった。
周囲は言った。
『行政に助けてもらえ』『大変だろうがやればできる』『今は色々な支援がある』と。
でも実際に調べて、本当に手を差しのべてくれるほど親切な人はそういない。
弟と離れて暮らすなんて考えられなかったし、何より俺もまだ子どもだったんだろう。
弟と一緒にいたかった。
意固地になって働いて、弟を育てた。
気がつけば三十路だ。
弟が俺の手から離れた時は嬉しかったし、誇らしかったし、寂しかった。
そして脳裏によぎる。
これからどう生きて行こう?
当然ながら学もない、職場も工場、貯金もそんなにない。
弟を育てるという大義名分もなくなり、虚無感に襲われた。
俺はその実、弟に寄っ掛かって生きていたのかもしれない。
やる事があるうちはまだ幸せだったと思える。
今は何もない。
空虚だ。
周りは夢で溢れてる。それが何より辛い。
卑屈にはなりたくないが、どうしても感じてしまう劣等感。
いやいや、そりゃ人生に満足な部分もあるさ。
弟は立派に大学を卒業できて、超一流とは言えないが、いい会社に入ってくれた。
誇らしい、誇らしいさ。問題は俺だ。
恋愛なんて言葉とは無縁、取り柄もないし、これからの夢もない。かと言って冒険できるほど大胆な性格じゃないってのも厄介だ。
テレビをつけると、同年代のスポーツ選手がインタビューを受けている。結婚もして、もうすぐキャリアを終えるらしい。
これからの若者に向かって言っている言葉が俺を刺す。
『諦めなければ』『努力をすれば』『コツコツと』『人生は一度きり』なんてな。
眩しい。
嫌でも卑屈になってしまう。
俺への言葉もくれよ。
俺はどうすればあんたみたいな人生になれたんだ?
弟を施設にやるのが正解だったか?俺の好きに生きたらよかったのか?
それともまた別の道が?
俺だって努力しなかったわけじゃない。
仕事に必要な資格も取ったし、サボった事も、残業を拒んだ事さえない。
こんな考えが浮かんでしまう自分が嫌だ。
弟には死んでも聞かせたくない。
生きてる意味がわからない。
けど、死ぬ意味もわからない。
『お疲れ様です』
「あ、ああ、お疲れ様」
仕事終わりに職場の後輩が珍しく声をかけてきた。
金髪で人当たりのいい、何でも器用にこなせそうな奴。
何だかこれだけで緊張してる俺が馬鹿みたいだ。
『今日、大雨みたいですよ?早く帰らないと警報出てヤバいらしいです』
後輩は携帯のアプリを見ながら俺に言ってくる。
ヤバい、か。ヤバいね。
あまり好きな言葉じゃないな、なんて呑気な事を考えていた。
それにしても朝のニュースで雨なんて言ってたか?
まぁ、何やらお天気アプリを見て言ってくれてるみたいだし、本当なんだろう。
「そっか、ありがとうな」
礼を言うと後輩は何を言うでもなく、チラリとこちらを横目で見ただけだった。
なんだか気が悪いな、お前が話しかけたんだろう。
後輩の言う通り早く帰ろうと思ったが、俺には仕事の後にトイレへ行くという日課がある。
特に思い入れのない、中古で買ったボロ車は修理中だ。
家までは電車で30分ほど。
仕事場から駅、駅から家までの徒歩を考えれば約1時間。
車でも約45分なんだから、普段から腹が緩い俺の日課は当然だろう?
途中で腹でも痛くなったら大変だ。
「ふぅーっ」
トイレで携帯をいじりながら、一息ついていた。
動画でも見始めるとあっという間に時間が経ってしまう。
特に面白いとも思っていない動画を見てしまう俺の何ともアホな姿か。
そんな無為な時間を過ごしていると、突然奥の事務所から『ガキンッ』と金属音がした。
妙だな、こんな事は初めてだ。
終業後に事務所から金属音なんて、考える間でもない。
金庫の音だ。
それも無理やり開けた音──。
繋がった。
後輩は早く俺を帰らせたかったんだな。
人は何故突然訪れた非日常に胸が震えるのか。
恐れか、それとも好奇心?
震える手を落ち着かせながら事務所をそっと覗き込むと、二人の目出し帽を被ったいかにもな強盗が金庫を破っている。
帽子から出ている襟足が金髪だ。何て雑な……。
後輩よ、俺をこんな事に巻き込まない為にも、もうちょっと上手くやってくれよ。
放っておいてもいいが、俺にだって義理を通す心くらいはあるみたいだ。
弟を育てる事ができたのは間違いなくこの会社の金なんだ。
こんな無愛想な俺をクビにせず、よくここまで雇ってくれた。
恐怖に負けて帰ろうとしても、くしゃくしゃな笑顔で菓子を差し出す社長の姿が頭に浮かび、俺を引き留める。
義理、ね。
引き留めてるものは恩義?愛情?感謝?よくわからないな。
その全てかもしれない。
ここで帰らないだけ、自分で思うよりちょっとはマシな人間だったのかもしれないな。
犯人たちが開けられない金庫に苛立ち、もたついている。
──今か?
出ていくタイミングを伺っていると、急に後頭部へ激痛が走った。
倒れながら後ろを確認すると、バールを持った男が立っている。
間抜けだ。
なぜ犯人は二人だけだと思ってしまったのか。
『馬鹿野郎!何で殴ったんだ!強盗致傷になって罪が重くなんだろうが!』
後輩の怒号か?何でそんな事知ってるんだよ。
そんな世界に生きるんじゃない。
お前が仕事に真面目だったのは知ってるんだ。
もう、痛くない。
感覚がない。
人生が終わるのか。
ああ、いつも出勤時に通る、見るからに高級そうな中華屋……行きたかったな。
くだらないな。
最後に考えるのは、案外こんなくだらない事なのかな。
──っ!
よかった。弟の笑顔が脳裏に浮かんだ。
なんだ、俺の人生は卑屈になんてならなくていいじゃないか。
弟は笑ってる──。
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