第76話【前震】
──なぜ、ダダ様の口から父さんの名が?
思考が急激にざわめいた。ヒーローの顔から、動揺が隠しきれない。
それを見たヴェローチェは、慎重に言葉を選びながら語りはじめた。
「本当に怖がっていたよ。何かに取り憑かれたみたいに震えて『ライゼさんだ……俺は終わりだ……』って」
「……父さんと何か、繋がりがあるのか……?」
「それは私にも分からない。ただ、明らかに様子はおかしかった。……大丈夫かい?」
問いかけにヒーローは短く息を吐いたが、目は焦点の定まらないままだった。
「大丈夫……じゃ……ないかも。ダダ様は今、どこに?」
ヴェローチェはすぐさまガンを手に取り、地図をヒーローに見せた。
「──この辺りだ。寮にいないときは、なぜかこの汚い倉庫みたいな所にいる」
「ここで何を?」
「わからない……。この辺は人も住まないような廃墟だ」
「バスカルは栄えてるって聞いたけど、そんな場所があるんだな……」
「ああ、ここら一帯は地主のお婆さんが絶対に手放さないらしい。ダダ様がこんな所で何をしているのかは知らないが……後で正確な座標を送るよ」
「……助かる」
(ダダ様は知っている。俺の……知らない父さんを)
ヒーローの胸の奥に、冷たい針が突き立つような緊張が走る。張り詰めた空気がその場を支配し、息すら浅くなる。
思いつめた表情のまま、ヒーローは礼を言って控室を出ていった。
──張り詰めた背中を、ヴェローチェはただ黙って見送るしかなかった。
数時間後。
観客も関係者もすっかり姿を消し、アリーナは静寂に包まれていた。
ギースはガービィと話すため、オーナールームへと向かっていた。
ようやく、誰にも邪魔されずに話せる。その思いを胸に廊下を歩いていたとき、耳に届いたのは、信じがたい音だった。
──風を裂く轟音。
──地を揺らす衝撃。
(……戦闘音? 大会は終わったはずじゃ……)
その音は、まるで防護壁ごと空間を切り裂くようだった。
尋常ではない。
(この規模……防護壁にまで到達してる? 僕にこの音が出せるか……?)
一瞬、くだらないプライドが顔を出す。
ギースは自嘲するように首を強く横に振った。
(確認が先だ!)
感情の波に飲まれそうになるたび、心に蘇るライゼの教え。
研修中に言われた──あの言葉。
以来、ギースは自分の中の「衝動」に、必死に歯止めをかけてきた。
もともと感情を顔に出さない「クールな仮面」は、彼の本質を覆い隠すためのもの。
内側には、火のように激しい衝動が渦巻いている。
だからこそ彼は、誰よりも強く、自分自身を律してきた。
ギースは防護壁を迂回し、素早く7番ゲートの階段を駆け下りる。
「ああ……」
アリーナ中央に足を踏み入れた瞬間、ギースの目に飛び込んできたのは、見覚えのある技だった。
自分と同じ能力。だが、ここまでのパワーを持つ者は一人しかいない。
「……先生」
闘技場の真ん中で激しくぶつかり合っていたのは、ガービィとヴィゴだった。
だがふたりとも、ギースの気配にすぐ気づき、動きを止めて観客席へと顔を向ける。
「ダンナ、二人で話せよ。こっちはクタクタだ。シャワーでも浴びてくるぜ」
ヴィゴはバトルモードを解除し、無造作に私服へと切り替えた。
返事を待つこともなく、スタスタとゲートの奥へと消えていく。
三年前から、ギースとはほとんど口をきいていない。
本音を言えば、ガービィとしてはこの場にヴィゴが残っていてほしかった。
だが──察してくれたのだろう。あえて空気を読んで、立ち去ったに違いない。
ギースの胸に去来するのは、懐かしさよりも先に、怒りと疑問だった。
「先生」
「ギース、連絡もらってたのに悪いな。つい熱くなっちまって」
「……なぜ、腑抜けたふりをしていたんです?」
「ふりってわけじゃねぇが……ギースにそう見えたんなら、そうなんだろうな」
「なぜ……!」
堪えきれず、ギースは拳を握りしめたままうつむいた。胸の内に渦巻く感情。問いは無数にある。だが、どうしても先に聞かずにいられない言葉があった。
「──なぜ、教師を辞めたんですか!」
ガービィは少しだけ目を伏せた後、静かに答えた。
「……俺は、あの人の隣にいたかった。最後に言われたんだ。みんなを頼むってな」
「それなら……それならなおさら! ヒーローは高等部に進んで、能力も発現して……あの子ひとり、抱えるには重すぎる力なんです! 今こそ、あなたがそばにいてくれなければ──!」
「守るためだ」
その言葉に、ギースは目を見開いた。
「……っ?」
「お前なら、ヒーローを正しく導いてやれる。そう信じてる」
「……それと、あなたが去ったことに……何の関係が……!」
ギースの声は震えていた。
ガービィは観客席にドンと腰を下ろし、天井を見上げるようにして言った。
「……俺は、あのときナイトに負けたんだよ」
「でも──ラビッツフットさえ使っていれば……!」
「いい勝負にはなったかもな。でも突っ込んじまった。感情を抑えきれなかった。それが俺の実力だ」
「辞めた理由になってません……」
「だがもし、また来たら……二体、三体──いや、あの時みたいな大群で襲ってきたら……。俺じゃ守れねぇ。強くならないとな。俺が頼まれたんだ……俺が……!」
「強くなる為……。聞こえはいい。でも、ライゼさんはみんなを頼むと言ったんですよ? 僕も、ヒーローも……どんなに心細かったか」
「あの頃は……あれもこれも、どうしても出来なかった。素直に認めるよ、俺の弱さだ。もう少し図太けりゃ、マシな選択もできたんだろうが……。ナノマシンでも鍛えられねぇもんだな、心ってやつは」
「……カラダはデカいのに。で、学園を去ってからは……ヴィゴと、ずっとトレーニングしてたんですか?」
「ああ。ナイトがいつ現れるかも分からねぇ。一秒だって惜しかった。……でも、もしかしたら、トレーニングに逃げてただけかもしれねぇな」
「だったら、それを一言……僕に言ってくれてもよかったじゃないですか」
「ああ……。ん? あれ……?」
「……え?」
「本当だな。なんで言わなかったんだろな、俺……?」
「え?」
「ガッハッハ! 言われてみりゃ、その通りだ! 許せ、ギース!」
何年も心に絡みついていた重苦しい霧が、少しずつ晴れていくようだった。
「えぇ……?」
ギースは呆れたように眉をひそめながらも、どこかほっとしていた。
「言ったろ?……俺の弱さだ。お互い、気持ちが前に向くまで、ずいぶん時間がかかったな」
「いま自然にお互い様みたいにまとめましたね?」
「いやいや、そんなつもりじゃねぇ! ロクヨンで俺が悪い!」
「僕が四割はおかしいでしょう!? ゼロです、ゼロ!」
「ガッハハハハハハハ!」
二人の笑い声が、がらんとした観客席に響いた。 それだけのことが、三年間できなかった。
たった、それだけのことが──。
あの別れが落とした影は、思った以上に長く、深かった。
笑い声が途切れ、しんとした静けさがふたりの間に落ちる。
ガービィの表情が、いつの間にか引き締まっていた。
「──ヒーローのことだが、あいつ……もう、学園には通わせられねぇかもしれねぇな」




