第71話【雷帝】
(ヒーローの野郎、楽しそうにしてやがる……クソッ)
(なんで、あんなに上手く避けられるんだ? なんで──あんなに速い?)
開始前、ヒーローの顔を見たとき誤魔化したあの感情が、セドの胸をざわつかせていた。
──嫉妬。
──羨望。
〈セド! ヒーローについて行って!〉
この猛攻の中マサムネがそう指示したのは──そこが唯一、安全なルートだからだ。
(……わかってる。正しい判断だ。俺も、そう思う。けどな──)
ヴェローチェの技が、弾丸のように間断なく襲いかかる。
ヒーローは、まるで当たらない位置が見えているかのように、迷いなく正確に──すべてを躱していた。
セドも後を追おうとした。しかし。
(──追いつけない……ッ!)
わずかに遅れ、わずかに被弾する。
けれどセドは諦めずに食らいつく。
例えその背が、どれほど遠くとも──。
(いつからだ?)
(オレはいつからこいつを……ヒーローを追いかけてる?)
(三年前の、あの日?)
(初等部?)
(いや、もっと──)
(思えば初等部の頃から、賞賛はいつもオレに向けられた)
【セドって天才だよなぁ】
【恵まれてるっていいよね】
【あいつだけNEOになれるんじゃないか!?】
(──違う)
(桁違いの力を持った本物が、すぐそばにいるというのに、誰もそれに気づかなかった)
(だからこそ、焦った)
(頑張ってきたと……胸を張って言える)
(あいつの凄さを、オレだけが知っていたから)
(そして気づいた。ヒーローの実力が評価されなくて、誰より悔しかったのはオレだったのかもしれない)
(見ろ!)
『ヴェローチェも凄いけど、全部躱してるぞ!』
『すげぇ、なんだあの速さは……』
(──そうだ、すごいだろ?)
(あいつは、こんなにもすごいヤツなんだ)
『すげぇじゃねぇか、ヒーロー!』
観客席から声援が起こる度、自分の事のように誇らしい。
そして──
悔しい。
(絶対に、追いついてみせる)
(待て……待ってくれ──)
(俺は、ずっと……ずっと、お前の背中を、追いかけてきたんだ)
(──ヒーロー!)
セドが、ヒーローへ必死に手を伸ばす──
《ああッ! セド選手、ロストです!!》
実況と同時に、アリーナに無情なロストの警告音が響き渡った。
セドは腰に手を添え、肩で荒く息をつきながら──観客席を、ゆっくりと見渡す。
健闘を称える、惜しみない拍手と歓声。
その熱気に、どこか遠くの景色を見るようなまなざしを向ける。
そして、ふと天井を仰ぎ、ぽつりと呟く。
「……そうか。──そうか」
その顔には悔しさよりも、どこか清々しさすら滲んでいた。
セドは歓声と拍手を背に、静かにマサムネの待つオペレータールームへと歩を進めた。
──
セドが去った後も、観客席のざわめきは収まらなかった。
『……あいつ、能なしなんだろ?』
『なのに、なんであそこまで戦えるんだ……?』
その声が耳に入った瞬間、ギースはピクリと反応し、思わず顔を上げた。
(能力なし──? いや……)
脳裏にヒーローを計測した時の記憶が蘇る。
(あのとき、表示は──計測不能だった。能力がなくても、通常は数字で表示される。だとすれば……あれは──)
静かに目を細めるギース。
(まさか……まさか本当に、ヒーローが──
人類史上、二人目の──)
──
セドは息を切らせながら、オペレータールームに戻ってきた。
「おい、ヒーロー……は……」
言葉が途切れる。
モニターの前で、マサムネが異様な集中力を放ちながら端末を操作していた。
指先が踊るように走り、映し出されたデータに次々と指示を重ねていく。
その姿に、セドは思わず立ち尽くした。
(──そうか。戦っていたのは、アリーナだけじゃなかったな)
「セド!」
パンチが笑いながらセドの背中をバンバンと叩き、健闘をねぎらう。
そのとき──マリンが、ふとモニターを指差して呟いた。
「ね……ねぇ、見て……。ヒーロー、笑ってる……」
──
場内がざわめき始める。
『あれ……笑ってないか?』
『今の技も、全部避けてるぞ……?』
すべての技を、風のように舞い、影のように躱し──
ヒーローは、笑っていた。
ヴェローチェの猛攻は、思考すら許さない。
悲しみも、悩みも、不安も──すべて置き去りにして、ただ、動く。
頭の中は驚くほど澄みきっていた。
幼い頃から憧れてきた、バトルアリーナ。画面越しに何度もシミュレートした動き。
「こう避ける」「ここで打つ」──そんな空想を、ただ繰り返していた日々。
いま、それが現実になっている。
相手は王者。
舞台は決勝。
身体は──勝手に動く。
ヒーローは、ただ楽しかった。
「ハッ……ハッ! なんなんだ、君はッ!?」
ヴェローチェも笑っていた。息を切らし、額に汗を滲ませながら、それでも笑っていた。
世界の情勢も、己の悩みも関係ない。今この闘技場にいるのは、ただバトルアリーナが好きで好きでたまらない、二人だけ──。
「終わらせたくはない……! だが、君には能力がない。こちらもパワー切れが見えてきた。……そろそろ──終わりにしよう」
ヴェローチェが両腕を天に掲げ、勢いよく交差させる。
「ファイアストーム!」
その瞬間、火の暴風が広範囲に噴き上がった。闘技場全体を包み込むように迫ってくる。
「この技は遅い。が、逃げ場など存在しない」
ヒーローは咄嗟に跳躍し、後方へ抜けようとした──が、背後の壁に気づき、わずかに動きが止まる。
その一瞬をヴェローチェが逃すはずもない。
次の技へと構えを移行する。
このままゆっくりと暴風の中に捕らえられるか、外へ出て狙い撃ちにされるか──。
どちらにせよ、勝負は終局へと傾いていた。
観客も──
オーナーシートのサリー、ガービィ、エイリアスも──
そして、先生たちやマサムネたちまでもが──
誰一人、まばたきを忘れたまま、その瞬間を見守っていた。
そして──ヒーロー自身もまた、戦いの終わりが近いことをはっきりと感じ取っていた。
(もう──逃げるな。この技から……。自分の、人生からも)
三年という時が胸をよぎる。
永遠にも思えた悲しみの連鎖。
(みんなに、迷惑かけたな。
父さん……)
──その瞬間、ふいに。
【パパ──ダメなパパだったか?】
(──っ!?)
聞こえるはずのない声が、確かに耳に届いた。
──忘れるわけがない。
あの夜、二人だけの間に、そっと呟かれた父の言葉だった。
──
「何? ヒーロー、どうしたの……?」
まるで何かを探しているかのように、視線を彷徨わせるヒーロー。その異変に、マリンが不安げな声を漏らす。
「ヒーロー……?」
ガービィもようやくその様子に気づき、真剣な表情でモニターに目を凝らす。
サリーは目を閉じ、胸元で静かに両手を組んでいた。
言葉はない。
ただ、ライゼへ。
ヒーローの無事だけを願って──。
──
ヒーローは、耳に届いた言葉から──あの日を思い出した。
(そうだ。あの日も学園でバトルを見た。まだバトルシリーズになる前の、ただの記念大会……)
(そこには誰一人、能なしなんていなかった)
(確か、わがままを言って、部屋にこもって泣いてたんだ。あのとき──父さんは……)
ヒーローは、胸の奥に芽生えた今の気持ちを、あの日にそっと重ねる。
そして、父の言葉を思い出して、ひとつひとつに──
心の中で、静かに返事をしていった。
【パパ──ダメなパパだったか?】
(……ダメなもんか。今でも、世界一の父さんだ。だから──だからこそ、立ち直れなかったんだ)
【辛い、辛いなぁヒーロー】
(ああ、辛かったよ。……でも、父さんのせいじゃない)
【強くなりたいなぁ、ヒーロー】
(……なりたい)
【強さにもいろいろある】
(今なら……ちゃんとわかる。でも、悩んでばかりだ)
【壁は高いだろうが、乗り越えたらヒーローを守る盾にもなるんだ】
『……ゴロ……ゴロゴロ……ッ』
空からではない。天災のそれでもない。
あの音だ──誰もが胸の奥に覚えている。
天よりも鋭い雷の音色を。
観客たちは、まるで何かの始まりを察したかのように──お互いの顔を見合わせていた。
『……な、なぁ』
『ああ……』
『これって……』
あの音を知らぬ者などいない。
まるで、雷そのものに意思があるかのような──あの雷鳴。
(──俺に、できるかな……)
【もちろん。──俺の子だ!】
ヒーローは、その言葉を胸の奥に染み込ませるように──そっと目を閉じた。
(……ああ)
静かに、深く息を吐き──
ゆっくりと、目を開いた。
「雷帝……」




