第40話【名を捨てて、なお君を呼ぶ】
金属を打ちつけるような音が、乾いた空気に反響していた。工事現場によくある音だが、ここはアリーナの建設現場──
すでに鉄骨が組まれ始め、未来の姿を少しずつ形にしている。
その様子を見下ろす海辺の丘に、ガイザビィズとアイリスの姿があった。並んで立つ二人の間に、潮風が吹き抜けていく。
「政府ってのは、動きが早いんだか遅いんだか……」
ガイザビィズが低く呟く。
「バラックのことはいつまでも放っておいたくせに、アリーナはもう建設中か」
「バトルをやめるって……聞いたわ」
アイリスの声は、どこか寂しげだった。
けれど、ガイザビィズは前を向いている。
いや、前を向いていなければ、壊れてしまいそうだった。それほどに、イリオスの不在が彼の胸に空けた穴は大きかった。
「……ああ、もうバトルはしねぇ。サリーに生きる術を教えてやらねぇと。厳しくな!」
鼻息も荒く言い放つその横顔は、どこか自分を奮い立たせているように見えた。
「イリオスのこと、考えてるの?」
「野暮なこと聞くんじゃねぇよ」
アイリスはそっと目を伏せた。
あなたのせいじゃない──そう伝えても、きっと届かないと分かっていた。
「……たまには、アリーナに顔を出してよ?」
その呼びかけに、ガイザビィズは何も返さない。
ただ、建設中の鉄骨をじっと見つめたまま、金槌の「カン、カン」という音だけが、二人の間を埋めていた。
沈黙が風に溶ける頃、アイリスが口を開いた。
「……会わないつもり?」
問いかけには、すぐには返事がなかった。
やがて──
「……俺は、あいつの言う通り気が小さいらしい。嫌でも、お前の顔を見ると……思い出しちまう」
その言葉を、アイリスは予感していた。けれど、やはり胸が痛む。
「……私、名前を変えようと思うの」
「なぜだ?」
アイリス自身もまた、弟を失った悲しみを抱え、その心は──時間を必要としていた。
「ここを、その新しい名前の故郷にするわ」
「……名前は?」
「エイリアスよ」
名前の意味は──偽名。
(興行を大きなものにして、いつかこの名前が受け入れられ、本当の名前として誇れたなら。その時は──)
「ガッハ! 変わらねぇじゃねぇか。でも心機一転ってのはわるくねぇな」
「でしょ?」
(──会いに来て)
「俺の名前も考えてくれよ」
「あなたはもういい名前を貰ったじゃない──」
━━ 現在 ━━
「ガービィ!!」
──ドン! ドンッ!
ヒーローはガービィの胸を懸命に叩き続ける。あきらめる気配は微塵もない。
(傷は塞がった……戻って来てよ!)
「どきなさい!」
エイリアスの鋭い声が響き、周囲に緊張が走る。指示を受けた医療チームが即座に駆け寄り、ガービィのもとへと集まっていく。
エイリアスはすぐさま彼のそばにひざまずき、そっと頬に手を添えた。その手は震えていた。
「……ガイザビィズ。お願い、起きて。私よ。あなたまでいなくなったら……私は……私は……」
声がかすれる。想いが強すぎて、言葉にならない。
サリーは涙を溜めたまま、その光景をただ見つめていた。何もできない。その事実が、彼女を縛っていた。
『どいてください!』
医療スタッフの言葉に、エイリアスは一瞬だけ躊躇したが、すぐに立ち上がった。そして、ふと視線を移した先に──サリーの姿があった。
「……サリー!」
堪えきれず、彼女をぎゅっと抱きしめる。
腕の中のサリーは、もはやあの幼い少女ではなかった。すべてを乗り越えてきた強さが、顔立ちにも所作にも滲み出ている。
それでも──
「アイ……エイリアスさん!」
サリーは、変わらないぬくもりを探すように、力強く抱き返した。
「サリー、会いに行かなくて……ごめんね。私……私、仕事に打ち込んでいないと……心が……」
「……ちゃんと、わかってます。みんなそうでしたから……」
「大人に……なったね。大きく……本当に、大きくなって……!」
時が経っても、彼女たちは家族だった。どれだけ離れていても、その絆に溝は生まれなかった。
ほんの一瞬で、二人はあの頃に戻っていた。
ヒーローは、医療チームの間を縫うようにしてガービィの姿を見つめ、声が枯れるほど叫び続けていた。
「ガービィ……! ガービィ!!」
エイリアスは、その必死な姿を見つめたまま動けずにいた。どこかで見た横顔。
泣きながらも諦めない瞳。その在り方に、彼女は確かに心当たりがあった。
「……サリーの子?」
呟くように問うと、すぐ隣でサリーが微笑んだ。
「はい。名前はヒーローです」
二人の子に、これほどふさわしい名はない──そう感じたエイリアスは、そっとサリーの頬に手を添えた。その手はかすかに震えていたが、温かかった。
「……いい名前ね。本当に」
そう言って、ふと笑みを浮かべた。その目尻には、一筋の涙が光っていた。
━━ アリーナ・7番ゲート通路 ━━
狙撃犯が黒服と合流した後も、ギースはその背を決して見失わなかった。
アリーナは北を1番、南を5番とし、時計回りに8番までゲートが存在する。その構造を踏まえれば、黒服たちの目指す先は──出口のある5番ゲートだ。
だが今宵のアリーナは、満員御礼の超満席。通路は人波で完全に埋め尽くされていた。
焦った黒服は、進路を誤る。よりにもよって、会長役の控室ではなく──本物の雇い主が潜むVIPボックスへと足を踏み入れてしまった。
『ここを離れてください! No.3が追って来ます!』
「バカが! お前がここに来てどうする!! クソッ!」
(つけられてるのに、俺の所に来るとは……。わざわざ居場所を知らせやがって、使えねぇ黒服め!!)
雇い主は怒声を浴びせながら部屋を飛び出した。だが──
その先の長い廊下の突き当たりには、すでにギースの姿があった。
「面倒なのを連れて来やがって!!」
舌打ち一つ、黒服を観客の群れへ突き飛ばす。囮にして、自らは右の通路へと姿を消す。
ギースも食らいつくように走った。
「待て! くっ……この人混みッ! どいてくれ! どいて!!」
━━ 闘技場 ━━
緊急搬送用のストレッチャーの周囲で、医療チームが慌ただしく動いていた。
「心電図フラットライン! 心静止を確認、アドレナリン投与!」
「っ……波形変化! VFに移行!」
「よし、通電! 200ジュール、いくぞ!」
「バチン!」と除細動の音が響く。電極の焼けたような匂いが立ちこめ、ストレッチャーの脚がわずかに軋む。
「反応なし! 筋量が多すぎて電流が逃げてます!」
「再チャージ、300に上げろ!」
「ポータブル機の出力じゃここまでが限界です!」
「このタイミングを逃したら、蘇生はゼロだ!」
「電極の位置を下げろ! 心筋に届かせる!」
緊迫の蘇生処置が続けられる。
──その時。
ゴロッ……ゴロゴロ……
低く空気を震わせる雷鳴が、アリーナの天蓋越しに響いた。
「……パパだ!」
ヒーローが叫んだ瞬間、アリーナ全体を揺らすような爆音と共に、落雷が炸裂した。
次の瞬間、稲妻をまとった人影が天から降りる。
──ライゼだ。
雷光を纏ったその姿が、地を穿つように着地し、ためらいなくガービィのもとへと歩を進める。
「パパ!! ガービィが……!」
何も言わずにガービィへ向かいながら、ライゼはヒーローに向けて、ゆっくりと親指を立てた。
「ライゼさん……」
エイリアスに一瞥を投げ、眉間に深い皺を刻んだまま、低く断言する。
「必ず助ける」
エイリアスは唇を噛み、声を殺して泣いた。
医療チームが呆然と立ち尽くす中、ライゼは黙ってガービィの傍らに膝をついた。
静かに、だが確かな意志で──右手を彼の胸に添える。
「……ガービィ、目を覚ませ」
バチィッ!!
ライゼの掌から雷が弾け、電流がガービィの身体を跳ねさせる。
──しかし、反応はない。
(何を勝手に──ここで終わろうとしてるんだ……!)
ライゼは顎を強張らせ、再び電流を調整。更なる出力を手のひらに集中させる。
「勝手に死ぬんじゃないッ!!」
第二の電撃。だが──沈黙。
「……ッ!」
彼は叫んだ。
「戻ってこいッ! ガービィ!!」
次の瞬間「スパァン!」と、雷光を帯びた平手打ちがガービィの頬を打った。
(二度とお前たちを失わないと……あの時に誓ったんだ……)
(行かせない!)
(また──俺を置いて行くのか!?)
(行かせはしない!)
電撃、平手、電撃、平手──
荒療治としか思えない必死の連打。
そして──
「……ガッハッ!!」
突然、ガービィの身体が大きく跳ね起きる。
「──っ!!」
誰かが声を上げたのを皮切りに、歓声が次々と沸き上がり、空気が熱を帯びていく。
サリーが泣き叫び、ヒーローが歓声を上げ、エイリアスが駆け寄る。
「ああ……私のチャンピオン……!」
ガービィの顔に涙を散らしながら、エイリアスは彼に抱きついた。
ライゼは安堵からか、尻もちをつき、髪をかき上げながら天を仰ぐ。
──間に合った。
「ライゼさん……」
横たわるガービィが、ようやく唇を震わせて言った。
「平手打ちは……意味ないっスよね……?」
ライゼは無言で頬が腫れ上がったガービィを見つめ──絶妙にむかつく顔で親指を立てた。




