第39話【沈んだ街、なお昇る灯】
数日後、アリーナの控室。重く沈んだ空気の中、一同はテーブルを囲んで座っていた。
ライゼが皆を見渡し、低く問いかける。
「……イリオスが追っていた証人は消えた。──いや、消されたんだろう。もう諦めるか?」
しばしの沈黙。
だが、その静寂を切り裂くように──
「冗談じゃねぇ!」
「私も……まだ終わりたくない!」
「イヤっ!絶対イヤ!」
ガイザビィズ、アイリス、サリー。
全員が声を揃え、最後まで戦う意思を示した。
「会長は姿をくらましやがった……。アイツだけは、絶対に許せねぇ!」
「──俺も、同じだ」
ガイザビィズとライゼ、二人の拳が無言の怒りを物語っていた。だがその怒りを胸に押し込み、ライゼは冷静さを保とうとする。
「……俺に考えがある。──ついて来てくれるか?」
その言葉に、誰一人として躊躇う者はいなかった。
「聞かせてくれ! このまま何もできねぇなんて、気が狂いそうだ!!」
ガイザビィズが吠えるように言った。
ライゼは一度、皆の顔を見渡してから静かに口を開く。
「──アイランドシティに行こう」
「はあ!? 中央大陸の……あの新しい人工島かよ?」
「あそこはまだ更地よ?そんな場所で何をするつもり?」
アイリスが眉をひそめ、サリーはきょとんとしたまま首を傾げていた。
ライゼは一言で答えた。
「移住だ」
「……ッ!!」
「ふざけんなよ!!」
ガイザビィズが拳を叩きつけるように叫ぶ。
「逃げんのか!? バラックのために、あいつのために、戦ってんだろうがよ!!」
「ガイザビィズの言う通りよ!最後まで戦うんじゃないの!?イリオスがどんな思いで──」
「敵は会長だけじゃないんだぞ?この街だ。どうやったら奴らに勝ったと言える?」
「土地を取り返して、あのクソ会長をぶっ飛ばせばいいんじゃねぇのか!?」
「……幼稚な手段に訴えても意味はない、捕まるだけだ。証人がいなくなり、会長も隠れてる。土地も諦めるしかない状況だ」
ライゼは一拍置いて言い切る。
「──この街を捨てよう」
「な、なんだと……!?」
言葉を失う三人に、ライゼは鋭く続けた。
「聞け。No.1の俺、チャンピオンのガービィ、そしてアリーナを動かしているアイリスが、まとめてこの街から姿を消す」
「そ、それで……?」
「この街はアリーナがあってこそ。リゾートになったところでアリーナもない、チャンプもいない。そんな状況のこの街に誰が来る?」
「……まさか」
アイリスだけが気づいた。
ライゼの言葉の行き着く先を──理解してしまった。
「多額の投資をした奴らは、経済効果も見込めず、回収どころじゃない。住人ごと移住して、残るのは──ゴーストタウン。どうだ、一番の勝利だろ?」
「……そりゃ、そうかもしれねぇけど……でも、ここは故郷なんだぞ」
「俺にとっても、だ。だが、大事なのは“人”だろう?」
ライゼの言葉に、三人が次々と問いをぶつけた。
「何でアイランドシティなんだ?もっと栄えてる場所だって──」
「アリーナはどうなるの?あれが敵に奪われたら……」
「私たちのバラックは?」
ライゼは一つひとつを整理しながら、静かに答えた。
「まずアイランドシティだが……俺は、H.E.R.O.管理局から“そこに住んでくれ”と打診を受けている」
「えっ……!?」
「そして条件を出した。H.E.R.O.管理局にアリーナを建設させる。さらに、バラックのみんなのための住宅も提供させる」
「──あんな更地に、アリーナを?」
アイリスが眉をひそめた。
「仕事については、アリーナが受け皿になればいい。アイリスにはアリーナの権利がある。たとえ会長たちがここで強引に運営しても、辺鄙な場所じゃ勝負にならない。アイランドシティに──本物を建てる」
アイリスは何も言わずにうなずいた。複雑な思いはあるだろう、それでも──聞いてくれていた。
傍らで、ガイザビィズとサリーがライゼとアイリスの間をじっと見つめている。
「……それに、働けない子どもたちのために、ジローナに孤児院を建てる計画も進めてある。これは以前から、H.E.R.O.管理局と交渉していた条件だ」
「そんな……全部、計画してたの?」
「全部が全部、上手くいく保証はない。でもな──」
ライゼは少し笑って、続けた。
「アイランドシティは世界政府の中心都市になる。発展は約束されている」
「その上、アリーナがあってNo.1のあなたがいれば──か。……ねぇ、ガイザビィズ、イリオスならどうするかな?」
アイリスは納得したように微笑み、静かに問いかけた。その名を聞いた瞬間、俯いていたガイザビィズが静かに顔を上げた。
「イリオス……」
(結局は土地じゃなくて人っスよ!)
かつての声が、脳裏で鮮やかに蘇る。
「人……か」
(みんながいなきゃ、ここにいる意味もないっス!)
胸の奥に、消えかけた焔がもう一度灯る。その瞳には、確かな光が宿っていた。
「……他に選択肢なんて、ねぇよ。だけどよ──」
拳を強く握りしめながら、力を込めて言い放つ。
「そりゃあまるで、俺たち三人の夢、そのものじゃねぇか……!」
どこかで覚悟は決まっていたのだろう。けれど今、心の奥に宿っていた迷いが、音もなく崩れ落ちていくのが自分でも分かった。
──守りたいのは、土地じゃない。人だ。
彼は一歩、前へと踏み出した。それは、過去に別れを告げるためではない。未来を、自らの手で選び取るための一歩だった。
「私、孤児院に行っちゃうの?」
サリーは不安そうに目を伏せた。きっと、みんなと離れてしまうのが寂しいのだろう。
ライゼは彼女の前に膝をつき、やさしく目を覗き込んだ。
「サリーには、能力がある。N.A.S.H.を育てる学園があるんだ。寮も完備されてる。どうだ?」
「行きたい!……私も、N.A.S.H.になれるの?」
「ああ。お前なら、きっとなれるさ」
「やったぁ! また一緒だね!」
弾けるような声に、場の空気が一瞬だけ明るくなる。
だがその直後、ライゼは改めて真剣な眼差しで皆に向き直った。
「……もう一度聞く。故郷を捨てることになる。負けて、勝ちを拾う。俺に──ついて来てくれるか?」
「是非もねぇ……あんたについて行く」
ガイザビィズが頷きながら言う。目には、すでに迷いはなかった。
「……デカい興行にしてみせる。イリオスに届くくらいにね」
その言葉に、アイリスは静かに目を細めた。
──彼女にはもう、見えていたのかもしれない。
更地の向こうに立ち上がる、新たなアリーナの姿を。歓声が渦巻き、誰もが希望を託す未来の景色を。
「私は──N.A.S.H.になりたい!」
希望の火が、確かに再び灯るのを見て、ライゼは小さく笑った。
「──わかった。必ず実現させてみせる」
──
━━ H.E.R.O.管理局 ━━
ライゼは、長官【フィッチ】と都市計画の調整について話し合っていた。“管理局”という名称ではあるが、実態は政府直属の行政機関だ。
そのため、フィッチの肩書きも“局長”ではなく“長官”であり、同時にN.A.S.H.ギルドを統括する責任者でもある。
……もっとも、本人は「局長」と呼ばれたがっているのだが。
「フィッチ、頼むよ」
ライゼが低く切り出すと、フィッチは眼鏡を押し上げながら苦笑した。
「アリーナですか……。都市計画から練り直さなきゃなりませんよ?」
二人の前には、完成予定のIslandCityを模したホログラムが浮かんでいた。数十年にわたる国家計画、その青写真の中心に立つ者たちの会話とは思えぬほど、気安いやり取りだった。
「それなら、ほら──このシティの北側に、こう……!」
ライゼはホログラムの構造に手を差し入れ、ブロックを動かすような調子でアリーナの場所を提案する。
「……パズルじゃないんですよ、これは」
「学園に、すごい子を編入させるからさ」
ライゼは笑い、サリーの存在をちらつかせた。H.E.R.O.育成は、今や政府の最優先課題。サリーの加入はその切り札となる。
同時にライゼ自身にとっても、彼女が力の扱いを誤らぬよう導くための、最善の選択でもあった。
「……本当ですか? それは助かります!」
フィッチの声色が一段明るくなる。が──
「ただ、アリーナの建設となると、予算がですね……」
“らしい”婉曲な濁しに、ライゼは探り合いを断ち切るようにガンへ指を滑らせた。空中に数字が浮かび上がる。
「──じゃあ。ヘビを、今後五年間──この数で納品する」
その瞬間、フィッチの眼鏡がわずかにズレた。浮かび上がった数値の意味を察した彼は、言葉少なに立ち上がる。
「……お願いします!」
即決だった。
━━ 一ヶ月後、IslandCity ━━
まだ骨組みの残る建設中の街。その海沿いの仮設ベンチに、ライゼとガイザビィズが並んで腰かけていた。
潮の匂いと風の音が、ゆるやかに時を運ぶ。
「よっ……と。マジで実現させちまうとはな」
ガイザビィズが腰を下ろしながら呟く。
「言っただろう? 必ず実現すると」
ライゼがさらりと答える。その声に一点の誇張もなかった。
少しの沈黙。
「……墓はどうする? やっぱり、故郷の土に……」
言いかけて、ライゼは顔色をうかがう。
ガイザビィズは答えず、ただ前を見つめていた。
(──この人だ。全部、この人がいなきゃ何も始まらなかった。認めざるを得ねぇ。すげぇ男だ。恩なんて返そうにも、返せるもんじゃねぇ。……ねぇんだが──)
「……どうした?」
「ライゼさん」
「なんだ? 急に改まって」
ガイザビィズは一度深く息を吐いて──
「今日から、ライゼさんは……俺のアニキっス」
「──ブハッ!?」
吹き出したライゼが、口元を押さえる。
「吹き出す事ぁないじゃないスか」
ムッとしたガイザビィズが睨み返す。
「いや……その、妙な敬語にな……」
「しょうがねぇっス。敬語なんて慣れてねぇんだから。それに、敬語のお手本が悪いんスよ」
くく、とライゼが喉の奥で笑った。
「本当にな……」
言葉はそこで尽きた。
ガイザビィズは空を見上げる。海風に、まだ新しい街の匂いが乗る。
やがて、彼はそのままの視線で呟いた。
「……なぁ、イリオス──」
呼びかけに応える声はない。けれど、風が頬を撫でる。
その優しさだけが、確かにそこに在った。




