第32話【伝説のチャンピオンVS現役チャンピオン】
━━ バトルアリーナ・プラチナシート ━━
「ぅう……ガービィ、ガービィ……」
絶対王者ヴィゴへの圧倒的な声援が、ヒーローの小さな体を押し潰さんばかりに響き渡る。手を組み、ただ祈ることしかできなかった。
「大丈夫? ヒーロー」
「うん。一生懸命、ガービィの応援するよ……!」
開戦前、観客への注意を促すアナウンスが流れ、防護壁がゆっくりと展開していく。
素材は、ホールにも使われているミスリル合金製。
高強度かつ視界を遮らない透明仕様で、戦闘の激しさから観客を守るために設計された特殊構造だ。
もちろん、最前列のプラチナシートも例外ではない。
それぞれが個室型に仕切られ、視界も音響も最上級。まさに“特別”の名にふさわしい空間だった。
場内では、規定と注意事項が流れているが──
《──の理由からお辞め下さい。また、視認性の問題から、防護壁への飲食物の投げ込みは──》
規定など今や誰の耳にも入らない。場内は、試合前から異様な熱気と狂騒に包まれていた。観客たちの意識は、目前の試合と賭けに夢中で、アナウンスなど背景音にすぎない。
──そして、煽りが始まる。
《──いよいよ始まります!この瞬間を見逃すな!》
普段ならヒーローも、この高揚感を誰よりも楽しんでいるはずだった。
だが今は違う。ヒーローは静かに目を閉じていた。
まるで祈るように、何かにすがるように──ただ、その時を待っていた。
《皆さん長らくお待たせしました!! 絶対王者、無敗のチャンピオン──ヴィゴに挑むはこの男!!》
《貧困の街・リーガの希望!常勝無敗!盾の英雄ガイザと、人々の希望の象徴ビィズ──二つの名を合わせ持つ男!伝説の初代チャンピオン!ガイザァアアアビィイイイズッ!!》
煽りに合わせ、大型モニターにはかつてのKOシーンが連続で映し出される。歓声は地鳴りのようにアリーナを包み込んだ。
南側のステージがカタカタと昇降し、ガービィ──いや、ガイザビィズが地下からせり上がる。
(すげぇ歓声だ。デカい興行になったな。エイリアス、やっぱり大した奴だ。少しだけ──この一戦だけは、昔の俺に戻らせてくれ。イリオス……)
ガタン──!
ステージ中央へと姿を現したガービィは、拳を高く突き上げる。
「俺様は──帰ってきたぞ!!」
その声が観客席脇のスピーカーや、観客のガンから轟く。アリーナ中央での声は、即時集音され、場内全域へと拡声される仕組みだ。
『ガイザビィズ!ガイザビィズ!ガイザビィズ──!!』
一時代を築いた伝説の男。その名は、今も強く記憶に刻まれていた。
《今!伝説のチャンピオンが、アリーナに帰ってきました! そして──!》
続けて壮大な音楽が流れ出し、モニターにはヴィゴのKOシーンが連続で映し出される。
《今宵、伝説を超えるのか!?アリーナの歴史を彩る現王者!我らが無敵の!【ハリケーン】──ヴィイイイゴォオオオオオオ!!》
登場と同時に両腕を高く突き上げるヴィゴ。その姿に合わせて、観客のボルテージは限界を超えた。
「今日、みんなが見たいのは──このヴィゴ様だろう!?」
『ワァアアアアアアアッ!! ヴィゴ!ヴィゴ!──ヴィゴ!!』
嫌味で、傲慢。不遜で、挑発的な笑顔、そして溢れる自信。
どこか憎めないそのカリスマ性を、エイリアスは裏方として巧みに演出し、いまやヴィゴは絶対的な人気を誇る存在となっていた。
場内の盛り上がりは、すでに頂点を超えている。
熱狂の坩堝と化したアリーナに、ついに──
《今! ゴングです!!》
一瞬、空気が凍りつく。全員の呼吸が止まった。
そして──
カァアンッ!!
鋭い金属音が空間を裂き、次の瞬間、アリーナ全体が爆発したかのような歓声に包まれた。
伝説と現王者──その戦いが、今、幕を開けた。
「オッサン、早く終わらせてやるよ」
ヴィゴの挑発に、ガービィは一切応じなかった。
語るのは拳──互いのパワーだけだ。言葉ではない。
《珍しい! ヴィゴからの先制挑発! しかし挑戦者はまったく動じていません!》
ヴィゴは観客の視線を浴びながら、大きく跳躍した。その身体がアリーナの透明なドーム天井近く、はるか上空へと舞い上がる。
【ハリケーン】
その名の通り、災害級の風を操る能力者──ヴィゴ。
この規模の空間制圧能力を持つ個体は極めて稀であり、もしN.A.S.H.の認定を受けていれば、即座にナンバー入りは確実と言われるほどの実力者だ。
《珍しくヴィゴから仕掛けた!しかし挑戦者は静かに構える!》
「パワーアップ──パワーアーマー!」
ガービィの全身をまばゆい光が包み込む。
次の瞬間、装甲が瞬時に形成され、重厚なパワーアーマーが姿を現す。
ヴィゴは気にもせず、技を放った。
「無駄無駄ッ! ──エアカッター!!」
振るわれた腕から、数十もの風の刃が飛翔する。だが──
直撃しているはずのガービィが、一歩も動かず歩みを止めない。
《っ──無傷!? なんと、無傷です!》
どれだけ攻撃を重ねても、ガービィの装甲には傷一つつかない。その事実に、ヴィゴは徐々に苛立ちを募らせていた。
「クソッ……! オッサン、なかなかやるじゃねぇか……!」
だがガービィは、その苛立ちさえ意に介さず、静かに上を見上げる。そして、まるで準備運動でもするかのような軽さで、上空のヴィゴめがけて跳躍した。
「──速っ!?」
ヴィゴが目を見開いた瞬間、ガービィの右拳が顎を正確に捉える。吹き飛ばされたヴィゴの体は、ピンボールのように防護壁を何度も跳ね返りながら落下した。
《おおっと! ヴィゴの“悪い癖”が出たか!? これは恒例の、やられたフリなのか!?》
ドッ!! と場内が笑いに包まれる。観客たちは、まだ余裕だと信じている。
『おいヴィゴ〜! 二分に賭けてたんだぞ!!』
ヤジまで飛び交い、アリーナはまたひと盛り上がりを見せる。
だが落下したヴィゴは笑っていられなかった。
「ぐぅっ……! ふ、ふっふっ……中々やるじゃねぇか……!」
顔を歪めながら立ち上がるヴィゴの声は、震えていた。
「この俺様に、ここまで……。見せてやるよ! ハリケーン!!」
《なんと序盤にしてヴィゴ、必殺技クラスの大技だ!!》
突風が巻き起こる。アリーナの空気が唸りを上げ、巨大なハリケーンがガービィを包む。
だが──ガービィは微動だにしなかった。
暴風の中心に立ったまま、一歩たりとも動かず、無傷のまま立っている。
風が止む。
息をのむ観客たち。
後ずさりするヴィゴ。
「な、なぜだ……? どうして効かねぇ……」
ガービィが、初めて怒気をにじませて口を開いた。
「……なぜだと?」
その声は低く、静かに響いた。
「山が──そよ風ごときで動くと思うか?」
「クソッ……ハリケーンラッシュ!!」
両腕に風を纏わせ、竜巻のような連撃を叩き込むヴィゴ。
がむしゃらに、苛立ちを隠すように、必死のラッシュを浴びせる──!
両腕に竜巻を纏わせ、次々と拳を繰り出す。暴風そのものを殴りつけるような、荒れ狂うラッシュ。
だが──ガービィは、びくともしない。
観客の空気が変わる。
最初は歓声だったざわめきが、次第に困惑と不安に染まっていく。
『……あれ、今の当たってたよな?』
『効いてない……のか?』
『いや、でもヴィゴのラッシュだぞ!?』
《こ、これは……! ヴィゴの連続技が──まさか、通じていない……!?》
次第に笑い声が消え、ざわめきが静寂へと変わっていく。
何かがおかしい。誰もがそう感じ始めた頃、ついにヴィゴの拳が止まる。
荒く息を吐きながら後退するヴィゴ。
そして、そのまま一歩も動かず立ち尽くすガービィの姿。
爆発のような歓声があったはずの空間に、いま響いているのは、ガービィのゆっくりとした足音だけだった。
「そろそろ、技を見せてやろう。パワー……」
「待っ──」
「ショット!!」
次の瞬間、ガービィの拳から放たれた衝撃波が、一直線にヴィゴを襲った。
轟音。アリーナ全体に、聞いたことのない衝撃音が響き渡る。
その一撃は観客席すら揺らすほど。
ヴィゴの身体は激しい風圧と衝撃波に飲み込まれ、防護壁に何度も叩きつけられては跳ね返り、地面に落下する。
「グッ……ガハッ、ガハッ……(き、聞いてねぇ……こんなの聞いてねぇぞ……なんなんだコイツは……バ、バケモンじゃねぇか……)」
呆然とするヴィゴの胸ぐらを、ガービィが無言で掴む。
──ドゴォンッ!
掴んだまま、拳を叩き込んだ。
「立つんだ」
──ドゴォオンッ!
「誰を──」
──ドゴォオオンッ!
言葉と拳が交互に落ちる。打撃のたびに音が重く、威力が増していく。
「馬鹿にしたのかッ!!」
「ま、まて……俺じゃ……俺の意思で言ったんじゃ──!」
「教えてやる!!!」
完全に静まり返ったアリーナ。誰もが、ただその凄まじいパワーと怒りに言葉を失っていた。
だがその時。
ガービィの瞳が、ふと何かを捉えた。
「──っ!!」
(ヒーロー……なんで、そんな顔を……なぜ、泣いている……?)
「ぅう……ガービィ……ガービィ……」
ヒーローは泣いていた。優しく、飄々として、いつも隣にいてくれたガービィ。
【ガッハハ!今日のカレーは一段と美味いな、ヒーロー!】
【うん!】
強くて、頼もしくて、誇らしかった。
ヴィゴを殴り続けるその背中に、人々は恐れの視線を向け始めている。
それが、何よりもつらかった。
涙を浮かべるヒーローを見て──ガービィが、ふっと力を抜いた。
静かに、パワーアーマーが解除される。
その瞬間。
「い……い……(今しかない──!)」
ヴィゴが隙を突こうと、一歩踏み込む。その様子を、ガービィは一瞥すらしない。
効かないからだ。
「エ……エアカッター!!」
その瞬間、どこかから声が重なる。
『──やれ』
謎の合図。
そして次の瞬間、各方向から一斉に閃光が走った。
【狙撃】の能力者、二十名による同時射撃。その全弾が、ガービィの腹部一点を狙って放たれた。
ダダダダダダダッ──!
マシンガンのような連射音が、ヴィゴの技に紛れて響く。一発、また一発と、正確に同じ箇所に着弾し、貫通力を増していく。
そして──防御を超えた。
腹部に風とは異なる衝撃。
その一瞬にすべてが詰まっていた。
観客は、まだ何も気づいていない。
だが、ガービィの足元に──ぽたぽたと音が落ちる。
血だ。
朝露のように、淡く静かに、地面に赤が滲んでいく。
「──あ……?」
ガービィが腹に手をやり、血で濡れた掌を見下ろす。
理解が追いつかないまま、身体がふらつき始めた。その異様な動きは、観客席からもはっきりと確認できるほどだった。
視界が揺れ、霞む。
ガービィは、震える手をゆっくりと伸ばし──ヒーローに向ける。
涙を拭うように、そっと。
「ヒ……ヒーロー…………」
──ドサッ。
糸が切れたように、ガービィの巨体が音を立てて崩れ落ちた。




