第2話【プロローグ】
「──臨時ニュースです。旧第4都市区画が、完全に沈黙しました」
リビングの大型モニターが、その絶望を淡々と映し出していた。
瓦礫と化した高層ビル群。逃げ惑う人々。
そしてそれらを無慈悲に飲み込んでいく黒い奔流──マザーと呼ばれる人工知能が生み出した禁忌の生命体、【ヘビ】だ。
「……また、ひとつ消えた」
サリーはソファに深く沈み込み、ぽつりと呟いた。大きくなったお腹に手を当て、まるで守るようにさすりながら。
軍のミサイルが雨のように降り注いでいる。だがいかなる兵器も、旧来の科学も、あの異質な存在の前では紙屑同然だった。
『速報です! H.E.R.O.管理局によると、先程まではるか西のホールに潜っていた【ライゼ】が、まもなく駆けつけるとのことです!』
この一報を聞き、モニター越しでも歓喜が伝わるほど、人々が沸き立つ。
『もう少しだ! ライゼが来てくれる……踏ん張れ!』
その名は、希望だった。
数百年前、ヘビが初めて姿を現し、人類存続さえ危ぶまれたあの時代──それでも人間は諦めなかった。ナノマシンを肉体に適合させ、超常の力を宿した者たちが現れたのだ。
彼らは圧倒的な力をもって戦い、ついにはヘビと互角に渡り合える存在となった。
『最強のN.A.S.H.が来るぞ!』
『俺たちだってN.A.S.H.なんだ……意地を見せてやろうぜ!』
世界政府はこの新たな力を秩序のもとで統制するため、「H.E.R.O.管理局」を設立した。そこに認可された者だけが名乗ることを許される称号──それが、N.A.S.H.。
今や誰もが憧れる存在だ。
そして、その頂点に立つ男。
No.1。
ライゼ。
「大丈夫だ、サリー」
ライゼはモニターを見据えながら、そっと彼女の肩を抱き寄せた。その瞳は、惨状ではなく、未来だけを見据えていた。
「行ってくる」
軽く拳を握ると、その皮膚の下で微細な光が走る。
ほどなくして、その背を追うように赤ん坊が産声を上げた。
名は──ヒーロー。
これは、英雄に憧れた少年が、「ほんとうのH.E.R.O.」になるまでの物語。
──
2513年。
ライゼとサリー──世界最強と謳われるN.A.S.H.同士の間に、一つの命が誕生した。
その知らせは世界中のメディアで大きく取り上げられ、人々の期待と祝福を一身に集めた。
が──その歓喜は、すぐに沈黙へと変わった。
診察室に響く、生まれたばかりの赤子の泣き声。だがその向こうで、一つの“静かな絶望”が告げられた。
「……能力、なしです」
医師の声音は震えていた。
あのライゼに、“なし”と告げる日が来るなど、誰が想像しただろうか。 医者も尊敬してやまない男への告知は、あまりにも残酷すぎた。
「……なし、ですか」
サリーは小さく息を呑む。失望というより、不安の色を滲ませていた。
“能力がない”──その烙印は、この時代を生きる上で致命的だった。
測定器の数値が、一瞬だけぴくりと震える。
表示された値は──“0.0000”。
「……世代を重ねナノマシンと融合した我々は、能力がなくとも通常0.1や0.2程度の数値は出ますが……完全な“ゼロ”は、私も初めてです」
医師の言葉に、サリーの不安はさらに深まる。
「ゼロ……?そんなことが……」
「ご存知の通り、ライゼさんの数値は人類初の測定不能でした。数値が出ない場合でも、測定不能と表記される。ゼロは、私も初めてで……」
その時、診察室の外で、かすかな物音がした。廊下に立つ看護師が、一瞬だけこちらを見て、すぐに視線を逸らす。
誰も、何も言わない。
だがその沈黙だけで、十分だった。
「二人で守ろう。能力は……あとから発現することもある。まずは無事に生まれてくれた。それが一番だ」
ライゼはそう言い、優しくサリーを抱き寄せた。その言葉に、彼女は柔らかく頷き、赤子をそっと抱きしめる。
「そうよね。私たちの赤ちゃん……」
医師は二人と赤子を見守りながら計測を続ける。やがて手が止まり──
「ゼロ……」
その呟きは、まるで独り言のように小さく、診察室の空気へと溶けていった。
『能力を持たない人間など、この社会に存在してはならない』
──そう囁かれた時代。
最強の遺伝子を受け継いだ子が、なぜ能力を持たずに生まれたのか。
その不条理は、世界をざわめかせた。
やがて瞬く間に、事実はメディアやSNSを駆け巡り、その祝福は失望と冷笑に塗り替えられていく。
「期待はずれ」「能なしの息子」「遺伝の突然変異」──非情な言葉が飛び交う。
だが最も過酷な現実は、この子自身が、やがてそれを知る日が来るということ。
法律は差別を禁じていても、人々の“本音”を止めることはできない。
能力を持たない者は──
【能なし】
そう、平然と吐き捨てられる。
そんな時代の真っただ中で──この子は、生まれた。




