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06F 【聖約】

 



「そもそも、だ。雲雀くんは自分の置かれた現状を、正確に把握してると言えるのかな?」


 心なしか先程よりも鋭く細められた目で、神藤さんが俺を射抜く。

 これまでの軽薄な印象が薄れ、まるで人が変わってしまったかのような彼の厳しい声色に、俺は若干混乱しつつも考えた。


 俺の置かれた現状とは、つまり異世界の王族であったシャルを保護したにも関わらず、それを政府へ通報せずに匿った件についてだろうか?


 確かに、異世界などのファンタジーなワードに誤魔化されがちだが、俺のしたこととはいわば密入国者の幇助になる。立派な犯罪だ。このまま逮捕されても文句は言えない。


 しかし、そんな俺の反応に神藤さんは眉間のしわをさらに深くし、責めるような視線をシャルへと向けた。


「まさかとは思っていましたが……シャルルーシュ王女、貴女は【聖約】について彼に何の説明もしていないのですね?」

「…………」


 ギュッと、その確認にテーブルの下でシャルの拳が握りしめられる。石膏像のように青白く強張った表情は、彼女自身もそれが問題であると自覚している証拠だった。


「はぁ……鬱だ。こんなの下っ端の俺にどうしろって言うんだよ」


 がりがりと髪を乱暴に掻きながら、ここ数十秒の間に一気に疲れ果てた様子で神藤さんは嘆くよう一人ごちる。

 哀愁さえ漂い始めた彼の豹変に、けれど話について行けない俺は、必死に状況を整理しながら彼らの顔色を窺った。


 多分、【聖約】とはシャルが地球人の俺に施した、異世界の神の祝福を与える儀式のことだろう。

 それが何故か濃厚すぎる接吻であったことはひとまず置いておいて、そのおかげで俺は地球人にもかかわらず異世界由来の魔法が扱えるようになった。


 けれど、それの何が問題なのだろうか?


 言っては何だが、俺の魔法なんて精々が豆電球程度の明かりを灯すくらい。あまりにもショボすぎる。

 珍しい事には珍しいが、だからと言って世間に影響を及ぼせるわけでもない。誰かに見せても、魔法(マジック)ではなく手品(マジック)だと見なされるのがオチだ。


「――【聖約】とは、我々にとって神に立てる最上位の誓いだ」

「え?」


 だが、そんな内心の疑問が態度に出ていたのだろう。いっそ不自然なほど抑揚のない声でシェルヴィさんが語る。


「生涯にたった一度だけ、神の祝福を授かった者のみが交わせる契約。今後如何なることがあろうとも、絶対に袂を分かつことはないと約束し合った相手に、自身が賜った『神の恩寵を分け与える』ためのもっとも神聖な行為なのだっ」

「えっと、それは……」


 言葉が進むにつれ、彼女の身体がブルブルと震えだす。火山の噴火を連想させる怒りの発露に、慌てて神藤さんが説明を引き継いだ。


「あー、要はだな。彼女らの世界においては……特に異性同士の【聖約】は、結婚の誓い(・・・・・)に等しいんだ」

「……………………え?」


 一瞬、俺は何を告げられたのか理解できなかった。もとい、受け止めきれなかった。


 結婚とは一組の男女が夫婦になることで、だけどシャルは異世界のお姫様で、いやいやそれ以前に彼女とは出会って一週間も経ってないし、それでもこれまで同じ屋根の下で同棲していたと言えなくもない訳で――


 猛烈な速度で頭の中をブン回る思考。ブレーキの壊れた脳みそが煙を吐き出し始め、俺は錆びついたブリキ人形のような動きでシャルを見つめる。


「本当、なのか?」

「…………うん」


 ぎこちなく頷いた彼女の顔は、熱病でも罹ったかの如く真っ赤だった。


「そっかー……」


 対して、俺の口をついて出てきたのはそんな呆然とした台詞。


 いや、違う。こんなことを言いたいのではない。

 だけど、まるで穴の開いたバケツに水を注いでいるかのように、俺の中から言葉が零れ落ちていく。もっと相応しい文句があるだろうに、それを手繰り寄せることができない。


 神藤さんが何に頭を悩ませているのか理解できた。確かにこれは大問題だ。シェルヴィさんが俺を亡き者にしてでも、この事実を隠蔽しようとした理由がよくわかる。

 仮にも一国の王族が行方不明になって、異国の地で発見された時にはどこの馬の骨とも知らぬ男と結婚の誓いを立てていたなど、到底看過できる話ではない。


 そして、その発端となったのは俺の不用意な一言。『魔法を使ってみたい』などという軽はずみな願いだ。


「これ、下手しなくても外交問題になるんじゃ……」

「はっはっは。その通りだよ、コンチクショウ」


 テーブルに肘をつき、頭を抱えながら神藤さんが肯定する。

 それを聞いて、ズンと肩の辺りが重くなった。全身から力が抜け落ち、俺は崩れるよう背もたれに身体を寄り掛からせる。


 今更ながらに、自身がとんでもない事をしでかしてしまったのだと自覚する。

 これに比べれば、通報せずにシャルを部屋に匿っていたことなど、些事であるとすら断言出来た。


「俺……どうなるんでしょう?」


 普通に考えれば、そもそもの原因である【聖約】の事実を初めから『なかった』ことにし、この場の当事者だけの秘密にしておくのが、一番穏便に事を済ませる方法だろう。

 だが、そんな杜撰でその場しのぎの、なにより不誠実な対応がまかり通る訳がないのは、彼らの表情を見れば一目瞭然だった。


「……一度交わされた【聖約】は絶対だ、破棄も更訂もできない。何よりそれは、祝福を授けてくださる我らが神を侮辱することになる」


 だから、どれほど不服であっても認めるしかないのだと。そう言外に語りながら、シェルヴィさんは血涙を流さんばかりに歯軋りしていた。

 おそらくは異世界でシャルに仕えている身であろう彼女からすれば、まさに俺は百万回殺したところで殺し足りぬほどに憎たらしい存在なのだろう。


「それだけじゃない。まだ雲雀くんは軽く考えてるようだけど、地球人の……それも民間人の君が祝福を得たこと自体も、こちらからすればとんでもない話なんだ」


 しかも、そこへ更に追い打ちをかけるよう神藤さんが続ける。


「向こうでは祝福者(ギフトホルダー)、こちらでは特殊技能者と呼ばれているんだけど……彼らは鍛えれば、指先一つでこんなことも出来るようになる」


 そう言って、神藤さんはコーヒーを混ぜるのに使っていたスプーンの端を、両手の親指と人差し指で摘まみ――易々と引き千切った。目を疑う。

 折り曲げた、ならまだわかる。けれど俺の目の前で溶けた飴細工のように、決して柔らかくはないはずの金属が形を変えていく様は、出来の良いCG映像を見せつけられているかのようだった。


 最終的に、小指の先ほどの塊にまで圧縮されたスプーンを無造作にテーブルの上に放りながら、彼はすっかり温くなったコーヒーカップに口をつける。


「これでわかったと思うけど、俺も雲雀くんと同じ地球人の特殊技能者だ。日本では君で七人目だったかな? どちらにしても希少なケースであることには変わりないけど、前例がない訳じゃない」


 それでも――と。

 神妙な顔つきで、神藤さんは俺に問いかける。


「もしもこんな力を持った人間が、何の制限もなく社会に解き放たれたら……雲雀くんは、どうなると思う?」


 そんなの深く考えずとも決まっていた。大混乱が起こる。

 少なくとも、決して愉快な事態にはなるまい。


 なにしろ、普通の人間ではまともな抵抗すらできないのだから。俺は彼の隣で、今も苦虫を噛み潰したように顔を顰めているシェルヴィさんを見る。

 それは例えるなら、生身で人の姿をした重機を相手にするようなものだ。


 きっと政府が異世界人との接触を制限している理由の一つには、このような事情があるのだろう。

 シャルの世界に祝福者(ギフトホルダー)がどれほどの割合で生まれるのかはわからないが、理論上はそれと同じ数だけ地球人にも特殊技能者が誕生する可能性がある。


「シャルルーシュ王女のお相手と言うだけじゃない。現在の君はね、存在そのものが危険人物と見なされるんだよ」


 俺の理解が追い付くのを待ってから、神藤さんは結論を述べる。

 彼の言葉が脳裏に染み込んでいくにつれ、自分がこの国にとってどれほど厄介な存在になっているかという現状が、嫌と言うほどに押し寄せてきた。まさに爆発寸前の地雷ではないか。


 冷静になればなるほど、有形無形有象無象の重圧が精神にのしかかってくる。

 こんな時に限って意欲旺盛な想像力が働き、頭を過ぎった最悪の未来に冷たい汗が背中を伝った。


「ヒバリ……」


 隣のシャルから、こちらを気遣うような声が漏れる。

 けれど、それも普段の彼女からすればあまりに弱々しいもので、俺はそちらを向く余裕もなくただ無言で頭を振った。


 ――と、そこで深刻な場の雰囲気をぶち壊すかのような、妙に明るくポップな曲が流れる。


「ん? ああ、ごめん。俺の携帯だわ」


 スーツの懐を押さえる神藤さんに、非難がましい三つの視線が突き刺さった。ようは彼を除いたこの場の全員である。

 微妙に頬を引きつらせた愛想笑いを浮かべ、取り出したスマホの画面を確認する神藤さん。途端に渋い顔をした彼は、シェルヴィさんに一つ目配せしてから席を立った。


「悪いね、ちょっと上司からの電話」


 そう断りながら、俺たちのテーブルから離れていく神藤さんの背中を見送る。

 部外者である俺たちに、話の内容を聞かせたくないのだろう。あるいは、今後の俺たちの処遇でも下されたのかもしれない。


 ……だが。


「――はぁ!? ちょ、そりゃどういう事だよ! ふざけんなッ!」


 やがて多少距離を取ったところで無意味なほどに取り乱し始めた彼の姿は、俺に新たな凶報の予感を覚えさせるに十分すぎるものだった。



 

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