四葉の霊術
胡桃さんが鳥を捕ってきてくれるそうなので、俺は大きな風船のような球体に変えた霊力の中に籾を入れて、温風で転がして乾燥をさせていた。もちろん球体には幾つかの微小な穴が空いていて、乾燥させやすい様になっている。
太陽も月に代わり、辺りはすっかり暗くなっていた。確かこの世界は太陽=天の精霊なんだよな。天の精霊が起きれば太陽、寝れば月。
2つある内のもう1つの月はなんなのだろう。この世界でもやはり宇宙は存在するのだろうか。太陽は1つ、しかも精霊なのに。
太陽のような恒星の光が届かない惑星だから、精霊が照らしている?いや、そもそも俺の常識に当てはめようとする事が間違ってるしな。その辺は良いとしよう。
自分の周囲の少し高い位置に4箇所、霊力を火に変えて配置して手元を照らし、人数分のうなぎ……いや蛇足を捌きながら思考を巡らせていた。
あ、でも陽が沈まずに天の精霊が寝てるって事は、この世界の裏側は太陽の光の無い極寒地帯なんだろうか。
夕暮れも朝焼けもあるし、移動はしているようだけど。それでも死角はありそうだよな。
「よくもまぁそんなに霊力が持つもんじゃな。」
とジジイが呆れながら呟いた。
霊力とはあくまでも原料だし燃料で、例えば1度水に変えた霊力は元には戻らない。その水を飲んだ所で、喉は潤うが霊力が回復する事はない。火や風などの事象に近いものに変えた場合は、霊力の供給を止めた時点で消えてしまう。
四葉曰く、壁や武器などの自然物以外の物を霊力で具現化した場合、『霊字』と呼ばれる霊力を込めた文字をそれに書く事で、供給を止めても具現化し続ける事が出来るとの事。でなければ、一定時間が経つと空気中に霧散する形で消えてしまう。
そうして消費した霊力を補給するには、他の霊力を補食する、要するに食事をするって訳だ。
生物を食らう事によって、初めて霊力が補給出来る。つまり俺の有り余る霊力で料理を具現化した所で、オブジェにしかならないのだ。
前の世界のゲームのように、時間経過や寝る事で回復したりはしない。宿屋に泊まれば御飯くらいは出そうだから、霊力回復するだろうけど。
そんな霊力が無尽蔵に出てくるようにジジイは見えているのだろう。
事実、籾の乾燥をしながら篝火を焚き、霊力まな板と、千枚通し、串など。全て霊力で賄っているが枯渇する気配がない。更に、
「霊具を扱うにも膨大な霊力を消費するんじゃがのぉ。」
杓子包丁を扱うのにも霊力を消費しているらしい。自覚はないが。
しかも自分が作った飯を食うだけで回復、増大する。嬉しくはあるがちょっと優遇され過ぎじゃないかプウさんよ。
ここまで自由に霊力を操れると、最早科学技術が発展した前の世界より断然便利だしね。
「直人が水を出せるから、黒漠を越えるのも不安が少ないね。」
四葉は霊力を水に変える事は出来ないようだ。 地の精霊の眷属である九尾族は、あくまでも地の霊法しか使えない。
水を出せるのは天の霊法か海の霊法。とはいえ天の霊法は水というより雪、氷の霊法らしいが。
この世界の摂理は、まだまだ理解出来そうにないな。
「ほれ。捕ってきたぞ。」
しばらくして、身体の至る所から血を流した胡桃さんが全長6メートルはありそうな、首のないカラスのような黒い鳥を引き摺ってきた。
羽を広げたら楽に10メートル以上ありそうな鳥だ。とにかくデカイ。カラスって食えんのか?
「ついでに血抜きもしておいたぞ。」
鳥獣の肉というのは、血抜きをしないと生臭くて食えた物ではない。普通は生きたまま逆さ吊りにして、頸動脈を切断して血抜きをするのだが。
前の世界で屠殺場、要するに鳥獣を食肉にする為の施設を見学した時、あくまでも淡々と動物達を殺している人々を恐ろしく感じたものだ。
しかしそれは俺らのような一般人が、美味しい肉をスーパーマーケットで買えるようにする為の作業で。
殺される為に育てられた鳥獣が、機械的に殺されて、その大半が食卓に上る訳でもなく捨てられる。
俺はそんな世の中で、そんな不都合に目を逸らしながら生きていた。
「ん?どうかしたのか?まさか血抜きが甘いとでも言うのか?」
センチメンタルに支配されている俺を、胡桃さんが覗き込んで訝しげな視線を送る。
「いや。弱肉強食とはいえ業が深いな、と考えていた。」
「料理人のくせにおかしな事を気にするのだな……。だがお互い様だ。この鳥は私を食おうと狙ってきたのでな。大体にして、そんな事を思う事こそ『人』の業だと私は思うぞ?」
深い言葉を発するじゃないか胡桃さん。
心、つまり脳が発達し、『感情』を持つが故にそんな考えが浮かぶ。それはあくまでも『人』だけで。
動物だって食うわけでもなく、遊びで命を奪ったりするが罪悪感などある訳もなく。
命を尊ぶのであれば、俺が今黙々と捌いている蛇足だってそうだ。だが、何故か魚類にそんな罪悪感を持ったりしない。
身勝手な話だな。まぁこんな答えの出ない事を考えても仕方がないか。
「胡桃様、治療しましょうか?」
「ん?四葉は九尾族でありながら、治癒霊法も使えるのか?」
「あ、やっばり重症なんだ?平気そうにしてるけど。」
「……まぁ獣神様のお力ならば、黒鶏が相手でも無傷なのだろうな……。」
血塗れになりながらも普通に喋っていたので、返り血か何かだと勘違いしていたのだが。
まぁ四葉が治療出来るようなので、俺は飯の支度の続きをする。
このデカイカラス。黒鶏という生き物らしい。鶏という名前がついてるから、若干期待出来そうだ。
カラスのように光沢のある黒い羽毛を毟り取ると、これまた真っ黒な肌を覗かせた。うへぇ。食欲を減退させる色だ。
ーーー霊王を冠する者。力とは一つに非ずと示す。創造、破壊、再生、輪廻、操作、強化、衰退、守護、結合。我等に与えし力を今ここに……ーーー
四葉がゆっくりと言霊を紡ぎながら、青白い光が纏った指先で地面から数センチ上の空間に指を這わせると、青白く光る線が引かれていき、幾学的な紋様のような、或いは文字のようなものが円形に描かれていった。
その所謂魔法陣のような光る円の上に胡桃さんを立つようにと目配せをした四葉が、再び言霊を紡ぐ。
ーーー九方霊陣"再生・時逆"ーーー
光る円の輝きが増したのを確認すると、胡桃さんの全身にべっとり付着していた血も、生々しい傷痕も、所々破れた衣服も、全て『巻き戻され』たかのように一瞬にして全快した。
「なん……だと……?」
「よ……四葉!?何じゃその術は!?」
黒鶏の羽を霊力手で次々と毟っている横目に、ジジイと胡桃さんの狼狽した姿を見えた。
まぁ確かに凄い事を平然と……という訳でもないらしい。四葉は肩で息をし、汗だくになっていた。
「はぁ……。私達……九尾族の霊術です。……ふぅ。九方霊陣と言って……九つの異なった効果のある陣を描くというものです。"再生"の陣の成功はこれが初めてですが、霊力が殆ど空になってしまいました。」
荒い息を整えながら、ジジイの質問に答える四葉。霊力が空になってしまったというなら、早く飯にしないとな。
「流石の私も驚きを禁じ得ませんわー。四葉、九尾族の霊術は『五方霊陣』のはずでしょう?」
バレッタ九尾曰く、九尾族の霊術は五方霊陣。つまり操作、強化、衰退、守護、結合の効果を持つ霊法陣を描き出すというもので。
残りの四方である、創造、破壊、再生、輪廻は『神の術』であり、扱えるのは三大精霊のみだという。
九尾族の里では、その『神の術』が存在したという文献が残っているが、それは太古の神々が暮らす世界での話。地球で言う神話の類いだな。
「まさか貴女……地亀様の寵愛を……?」
「まさか!会った事もないよ!変な事言わないでよ華澄!!」
「そうよねー。会える訳がないわねー。でもじゃあどうして、貴女が私も使えないような術を使えるのよー?」
そういえば契約の時に、四葉が九尾に名前を付けているようだった。正確に言えば今の九尾は業火だしね。まぁ俺は変わらず九尾と呼んでいるが。
九尾にも使えないような『神の術』。心当たりは1つだけある。
「なんだー?」
ジットリとした視線を、毛繕いしているしゃもじに送る。
「お前、四葉に何かしたか?」
「にゃー」
ふむ……ここでまさかのにゃー、か。わからん。
しゃもじが四葉に寵愛を……?獣人という『人』と獣の中間の存在だから……?
いやいやあり得ないだろ。そもそもうちの猫は1歳になる前に去勢手術受けてるし。
「その力が扱えるのならば、九尾……今は華澄じゃったのぉ。干渉させられるのではないかの?」
「いえ、出来ません。霊力の絶対量が増えるのは、直人の料理を食べた時のみですので、まだもう少し時間がかかりそうです。……水竜の泉で目覚めた時、自分の霊力に違和感を覚えました。何となく里の書庫で読んだ文献に記されている術と、九尾の霊陣を組み合わせる事を思いつきまして……。」
篝火の風に揺れる灯りに照らされた四葉は、少し困ったような口調で話していた。
「ふぅむ。……地亀様の気まぐれか?……それとも光雨の影響を受けた土壌……?いやそうすると儂にも同じ現象が起きているはずじゃ……。」
「あ、でも色々試してはみたのですが、今は"再生"と、その派生霊陣しか敷けないようです。」
ぶつぶつと呟きながら考え込むジジイ。「私にも良く解らない。」と言いたげな四葉。
『水竜の泉で目覚めた時』と四葉は言った。しかもジジイの話では、多重にかけられた睡眠霊法は普通、死ぬまで解けないのだそうだ。
つまり四葉が寝ている間に何かが起こった訳で。
多重にかけられた睡眠霊法が解ける程の何かも起こった訳で。
うちの猫が規格外な訳で。
俺が揺り動かして、叫んだ所で反応の無かった四葉を起こしたのは、しゃもじが『足の指を噛んだ』からであって。
……。
………………。
そうこうしている内に、黒鶏の解体作業が終わっていた。