第36話 「意地悪先輩と生意気後輩」
「暖かくなってきたなあ」
段々寒さが姿を見せなくなってきたこの頃。
今日は犬飼さんに朝のお散歩をしようと呼び出されている。駅で犬飼さんを待っていると――。
「おはよ、いっくん!」
「あれ、蓮ちゃん?」
珍しい、いつもなら遅刻ギリギリの時間まで寝ている蓮ちゃんがこんな時間に。何かあったのかな……?
「どうしたの? こんな時間に」
「一緒に学校行こうよ!」
「え? で、でも……」
僕には約束がある。先に約束した以上は破るわけにはいかない。悪いけど、なんとか蓮ちゃんには理解してもらうしか……。
「あのね蓮ちゃん、実は――」
「あれ、蓮?」
この声は……。
「犬飼さん」
「……ッ!」
気のせいかな、今犬飼さんを見る蓮ちゃんの顔が一瞬険しくなったような……。やっぱり今日の蓮ちゃんはどこか変だ。
「どうしたの?」
「いや、実は……」
「行こいっくん!」
すると蓮ちゃんは僕の手を無理矢理引く。
「え、ちょっと蓮ちゃん!」
「いや、蓮!?」
蓮ちゃんは何も言わずに走って僕を引っ張っていく。もしかして、いや間違いない。このためにわざわざ朝早くに!?
「ねえ蓮ちゃん! ちょっと待ってよ!!」
僕にも返事をしてくれなくなっている。なんだろう、何があったの……。
そうしているうちに学校へ着いてしまった。犬飼さんはあのまま駅に置いてきてしまっている。後でちゃんと謝っておかないと……。
「はあ、はあ……ねえ蓮ちゃん」
「何?」
ようやく返事をしてくれた。そこにいたのはいつもと何ら変わらない蓮ちゃん。けれどそれが逆に僕を焦らせているんだ。
「ど、どうしたの? なんであんなこと……」
「別に~。いっくんと一緒に来たかっただけだよ」
「で、でも僕には約束が――」
「じゃあ、明日からずっと僕と約束して! 登下校だけじゃない、お昼も、休みの日も!」
いつになく強気な口調が気にかかる。やっぱり様子が変だよね……? 僕にはそれがなぜなのかが全く分からないけど、いつもの蓮ちゃんとは何かが違う。それだけは確実に言える。
「れ、蓮ちゃん……何かあったの?」
「な、何でもないよ! ボクはそのくらいいっくんが好きなだけだよ!」
どこか声が震えている。間違いない、何かあるんだ。蓮ちゃんの性格からして絶対口には出さないだろうけど。それが何なのか、思い当たる節を僕は必至で探していた。けれども何にも思い付かない……。
そうこうしているうちに時間が経ち、一時間目終了のチャイムが鳴る。
すると――。
「いっくん!!」
「え、蓮ちゃん!? な、なんで!?」
「いっくんと話したいだけだよ!」
さらに二時間目の後の休み時間では――。
「いっくん!」
「ええ……」
そうして三時間目と四時間目、そしてお昼休みも毎回僕の教室へ来たんだ。明らかに僕と犬飼さんを引き離そうとしている。これまでそんなことは一切してこなかったのに……。
「今日は風が暖かいから気持ちいいね~」
「あ、あの、蓮ちゃん……」
屋上スペースでお昼を食べようとしている。僕は居ても立っても居られず蓮ちゃんに真意を問いただす。今日の蓮ちゃんはそう考えても様子がおかしい。もしそれが僕のせいなら……。
「なに?」
「その、今日の蓮ちゃん……どこか――」
僕が最後まで言い終わる前に扉が開く。そこにいたのは犬飼さんその人だった。
「く……!」
「ねえ、蓮」
どこか神妙な面持ちが気になる。ここへ来たということは当然用があるのは蓮ちゃんということだよね……。その蓮ちゃんはというと今朝のように険しい顔で犬飼さんを見ている。
やっぱり蓮ちゃんは犬飼さんのことで何かあったんだ。その理由を教えてくれない以上僕はどうしていいか分からずにいる。
「ねえ、蓮。あんた――」
「行こ、いっくん!!」
今朝と同じように僕の腕を引っ張ろうとする。なんでここまで犬飼さんのことを避けようとするんだろう?
だけど僕はさすがにされるがままではいられなかった。何とか踏ん張ってその場に留まろうとする。
「ま、待ってよ蓮ちゃん!」
「いいから、行こう!」
「ちょっと蓮――」
犬飼さんは蓮ちゃんを引き留めようと腕を伸ばす。だけど蓮ちゃんは……その腕を咄嗟に払ったんだ……。その行動に僕も犬飼さんも唖然としている。
「……先輩さえ……」
ふるふるとしながら蓮ちゃんは呟いた。その声はあまりにも重く、怒りを含んでいるとすぐに分かるほどのもの。
今まで聞いたことがなかった、蓮ちゃんがここまで怒りを剥き出しにしているのは。
「れ、蓮……」
「……先輩さえいなければ!! なんでボクといっくんの繋がりを奪っていくの!?」
「蓮ちゃん!!」
それを言われた犬飼さんはショックを受けたように静まり返る。蓮ちゃんを直視することもできず目を逸らしてしまった。
蓮ちゃんは僕の腕を引っ張ったまま屋上スペースを後にする。そのまま僕達がたどり着いたのは空き教室の前だった。
「はあ、はあ……ちょ、ちょっと……蓮ちゃん……!」
僕は息を切らしていた。蓮ちゃんがあまりにも力強く引腕をっ張るものだから。
「ふう……」
ようやく息が整う。蓮ちゃんは悔しそうな表情をしていた。
「ねえ蓮ちゃん、なんであんなことを……いくらなんでもあんな言い方は……」
「だって……だって!!」
蓮ちゃんは拳を強く握っていた。こんな蓮ちゃんは初めて見る。これが本気で怒っている蓮ちゃん……。でもなんであんなに犬飼さんを? いったい何にそんなに怒っているの?
「昨日聞いたんだ。あの人がいっくんに影響されて特撮見始めたってのを」
昨日の放課後、確かに僕達はそういう会話をしていた。まさか蓮ちゃんが聞いていたなんて。いや、聞いていたとしてもなんであんなに犬飼さんに怒っていたんだろう?
「で、でもなんであんなに怒ってたの?」
「なんで……だって、特撮はボクといっくんの繋がりだったんだよ!? 八年も離れてたのにいっくんのことを思ってずっと見続けて……。再会した時、まだいっくんも特撮好きでいてくれてボクがどれだけ嬉しかったか……!」
声を震わせながら独白していく。そんな辛そうな蓮ちゃんの姿を見るのは辛い。だけど目を背けることもできない。
蓮ちゃんは僕の大事な人だから。
「一緒に話せるって思ってた……。実際色々話ができて嬉しかった……! ボクといっくんにしかない、他の二人にはない特別な繋がりなんだって思ってた……! なのに、なのにあの人は……!」
蓮ちゃんの目からぽろぽろと涙が零れ落ちる。蓮ちゃんが泣いているのを見たのはいつ以来だろう。昔から気丈なところがあったから泣いている姿なんてほとんど見たことない。そんなに僕のことを……。
けれど、蓮ちゃんは勘違いをしている。
「蓮ちゃん」
そっと蓮ちゃんの頭に手を乗せた。
「蓮ちゃんがそんなに思ってくれていたことは本当に嬉しい。けどね? 僕と蓮ちゃんの繋がりに特別なものなんて必要ないよ。だって僕は特撮が好きな人だからじゃなくて蓮ちゃんだから一緒にいたいって思えるんだ」
「いっくん……」
蓮ちゃんはきっと犬飼さんと先輩に負けたくないって思っていたんだと思う。だけど、僕は特撮が好きじゃなくたって蓮ちゃんと仲良くしていたし、再会しても今と変わらないように接していたよ。そのことに気が付かなかった僕が全部悪いんだ。
「だから……蓮ちゃんに犬飼さんを悪く言って欲しくはないんだ。無理に仲良くしてとは言わないけど、犬飼さんの良さを蓮ちゃんにも知って欲しい。犬飼さんは僕にとってただのクラスメイトじゃない……大事な人だから……」
この前も僕は龍崎さん達に言った、犬飼さんは大事な人なんだと。だから蓮ちゃんには悪く言って欲しくはない。
「……ごめん……」
「ううん。それにね、蓮ちゃんだって僕にとっては大事な人だよ。だって僕達は――――二人で一人の相棒でしょ?」
この言葉に嘘はない、蓮ちゃんもまた大事な人なんだ。それだけは分かって欲しかった。誰が一番とか、そんなこと決められない。そのくらい大事な人だということを。蓮ちゃんも、犬飼さんも、先輩も。
蓮ちゃんは袖で涙をふき取る。
「ズルいよいっくん……」
「え?」
「いつもはあんななのに……こういう時は凄くカッコいいんだもん」
そ、そんなかっこいいだなんて……。今まで言われたことないよ。面と向かって言われるとちょっと照れる……。
「けどね……」
蓮ちゃんはくるりと後ろを向く。そして勢いよく振り返ると僕に向かってジャンプしてきた。再会した時のように僕に思い切り抱き着いてきたんだ。僕は支えきれず尻餅をつく。
「いたた……」
「そういうところもボクは大好きだよ!」
「蓮ちゃん……」
◇
「さあて、帰りましょう」
「あたしは部活行ってくる」
「いってら」
放課後、あたしは帰りの準備をしている。わんこも蓮のとこに行ったっぽいし、今日は三人で新しくできた喫茶店にでも寄ってこうかな。
……にしても、蓮の今日のあの台詞。
「そういえば今日例の後輩ちゃんめっちゃ来てたね」
「あーうん……なんかあたし嫌われたっぽい」
「ええ、なんで?」
「さあ、あたしもよく分かんないんだよね」
廊下を歩きながらそんな話をする。
「姫なんかしたん?」
「いや、覚えなし」
「う~ん、なんだろう」
考えても理由が思い浮かばない。もしあたしが悪いのであるなら言って欲しかったな。あたしは蓮とは結構仲良くできると思えたんだけど。
「どうしたの姫」
「いや……あたし、あいつのこと結構気に入ってたんだけどな」
こんなこと本人にも誰にも言えないけど、あたし自身は少なからず蓮のこと気に入ってた。八年も一人の男の子を想い続けてるなんて、並大抵じゃないでしょ。それだけわんこを好きなあいつのことちょっと尊敬してたんだけど、どうにもあたしは嫌われたみたい。
そんなことを考えていた時、あたし達の前にちょこんとした人影が現れる。
「……先輩」
「蓮……」
何か言いたげな表情をしていた。でもここでは話しづらいか。
「二人とも、悪いけど先に行ってて。後から行くから」
「え? あ、うん」
あやと比奈は外してくれた。さて、こうなればあたし達二人きり。
「場所変えようか」
あまり人のいない踊り場。わんこはいない、あたしと蓮だけ。遠くから生徒達の声が響いてくるくらいで静かな場所。二人きりで話すには打って付けよね。
「で、何の用なの?」
決してそんなつもりはないけど、ちょっと冷たくなってしまう。あんなことの後だからあたしもどう接していいのか分からないんだもん。
だけど蓮の返答は予想外のものだった。
「その……ごめんなさい!」
「え?」
まさかの言葉だった。深々と頭を下げる蓮に驚いている。てっきり嫌われたもんだと思ってたから……。
「ど、どうしたの急に?」
「いっくんに言われたんだ。先輩は……いっくんの大切な人だって」
大切な人かあ……。あたしのことそんな風に思っててくれてたんだ……!
「だから先輩へちゃんと謝るようにって……ボクもちょっと言葉が過ぎたかなって……」
「いいよ、もう」
「え?」
蓮にとっては想定外だったのかな、きょとんとした目であたしを見ている。
なんかやっぱ嫌いになれないなあ、蓮のこと。
「まあ、あたしが気に障るようなことしちゃったんならマジごめん」
「そ、そんな……」
「けどさ、あたしあんたのことは嫌いじゃないよ? 仲良くできないならそれでもいいけど、あたしはあんたとの関係壊したくないかな」
最初は腹立つ奴かと思ったけど、何だか段々気に入ってたんだよね。それに、一途なとこは素直に羨ましいって思うし?
先輩もそうだけど、何か恋敵なのに嫌いになれないんだ。
「先輩……先輩って優しいんだね。ボクあんなこと言ったのに……」
「だからもういいって、あたし元々怒ってないし」
蓮、やっぱ悪い子じゃないんだ。ただちょっとヒートアップしただけ。つまりそのくらいわんこが好きなだけなんだよね。
そう考えるとあたし達って似た者同士なのかもね。
「あ、ありがとう先輩……」
「だからいいって」
「でも……」
蓮は変わらず申し訳なさそうにしている。何だかんだ言っていい子なんだよね。
そんな時、ふと頭に思い付いたことがある。
「じゃあ……蓮。目つぶって」
「え?」
「いいから。それで全部チャラだから」
「う、うん……」
蓮は言われるがままに目を閉じた。何をされるか分からないせいか、その瞼は強く力が
入っているのが見て取れる。
ふふん、そうしてくれたありがたいんだけどね!
「じゃあ、いい?」
蓮は無言でコクリと頷く。そんな蓮にあたしがしたのは――。
「ん……? な、何……?」
「いいよ、もう目を開けて」
恐る恐る目を開けた蓮にあたしは手鏡を見せる。そこに映っていたのは蓮――の頬に書かれた『バカ』の二文字。あたしの手にはフェルトペン。
へへへ、落書きしちゃった!
「あ、あ~!!」
「ぷ……はははは!!」
あ~おかし……!
これはあたしのちょっとした意地悪。
「やっ……やっぱ優しくない~!!」
「へへへ、騙されてやんの!」
なんだ、からかうと面白いじゃん。なんか妹がいたらこんな感じなんだろうって思っちゃう。あたし自分で思ってるより蓮のこと気に入ってんだなあ。
っと、そろそろ行かないと。二人を待たせてるんだ。
「じゃあねっ! 生意気な後輩!」
◇
やっぱりあの人は良い人なんだ。ボクがあんなこと言っても怒るそぶりも見せなかったんだもの。それにか、可愛いし……。だけど……だけど……やっぱり優しくない!!
「ふ~んだ! 負けないからね、意地悪な先輩!」
去っていく先輩にそう言い残す。
認める、先輩は優しいし良い人だし見た目も超可愛いと。けどどんなに良い人でも、どんなに強敵でも、ボクは負けない。いっくんはボクのものだもん!!
ボクが一番いっくんのこと好きなんだから!!
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年内は最後に総集編を描こうと思います。ただ話を整理するだけにはしないので、大晦日を楽しみにしてください。
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