4 密婚の破瓜
「『ジャック』」
呼びかけて、詰まってしまう。眼の前に立っているのは、白い衣装をまとった姫だ。純白の簡素なドレスに長い上着を羽織った姿。ふわふわした毛皮の襟が細い首を縁どってるが、首飾りは煌めいてない。輝くのは金色の髪。露わに肩に流した髪こそ、黄金よりも豪奢な飾り。そして澄んだ青い瞳。おれを見つめる姫の双眸。
「ふたりきりで会いたかった。誰の目にも触れないところで、誰の耳も届かぬところで」
姫は静かに微笑んだ。
「だからここで待つことにした」
おれは言葉が出てこない。
「わたしが出向けば人目に触れる。海軍提督閣下には、迷惑に違いない」
「姫、それは」
静かな声で続けられてうろたえる。言葉がまた続かない。
「おまえはわたしを助けてくれた。その礼が、言いたかった」
姫はまたにっこりとする。
「今度ばかりは母でさえ、感謝していた」
「母上? マルグリットさまが、ですか?」
「おまえが助けてくれたおかげで、母への払いがやっと済んだ」
「姫。貴女の帳簿はおれも見ている。あの帳簿に載ってない、支出がほかにもあるのですか?」
「帳簿のことはわたしは知らない。そのあたりはわたしは苦手だ」
「貴女の財務をみていた男は善良公がクビにしました。代わりを仰せつかったのは」
「おまえだと聞いている。受けてくれて、とても嬉しい」
「このおれが、断るとでも?」
「きっと断られると思った。恨まれているのだと、思っていたから」
「恨む?」
イェハンの顔が頭によぎる。無残な姿が頭によぎる。
「母のした悪事の数々、恨まれてもしょうがない。許せとは、わたしは言えない。けれどわたしは関与してない。それだけは、信じて欲しい」
「イェハン・ヴァンフリートは、そう言いきって殺された。貴女の関与を認めれば、命は許す。そう言われても、ガンとして認めなかった。あれだけひどく責められてるのに貴女のことは庇いぬいた。だからこそ、貴女と思った。貴女がやらせた毒殺なのだとおれは信じ、そして……」
「わたしではない。毒殺など指示するものは、『正しい伯』ではありえない」
「だからこそ『貴女』だと思わせた。毒使いのヤコバ姫は『正しい女伯』でなどありえない。ヨハン伯はみなにそう思わせたかった。だからおれに強いたのだ。証言をさせるように。ヤコバ姫こそ黒幕なのだと、イェハンに言わせるように。けれどあいつは言わなかった。おれを裏切りものと呼び、ガンとして認めなかった。だからこそ……」
「今は信じてくれるのか?」
「信じます」
「そしてフロリス卿のことも? おまえの父上のことも?」
姫の眼が、はっきり潤んだ。フロリス卿ボールセレ。父の死も、つまり毒殺だったわけか? 怒りや憎悪を覚える前に、すんなり納得してしまう。父は確かに姫を裏切り、ブラバン公を敵につかせた。だから『処刑』されたのだ。姫の母、マルグリット・ド・ブルゴーニュの手によって。
「誓ってわたしは知らなかった。わたしの借金、おまえが立て替えたと知って母が、ようやく喋った」
「父のことは忘れてください」
思わず姫を抱きしめていた。ウィレム伯が亡くなったときと同じように、強く胸に抱きしめていた。伯の死も、毒殺がささやかれていた。そのことをはっきりと思い出す。
「そして貴女の父上も。そうなんですね?」
「なによりおまえ自身の命。母が誰より狙っていたのは、フランクの命だった。だからこそ、側になど置けなかった。おまえもわかっていたんじゃないのか? だから」
腕にぐっと力が入る。だから言わなかったのか? 側にいろと命じないのは、それが理由だったのか? マルグリット・ド・ブルゴーニュ。麗しき毒使い。父が言っていたことをまざまざと思いだす。
「貴女のお側にいたかった。敵になどなりたくなかった。それは信じてくれますか?」
「おまえは必ず来てくれた。本当に必要なとき、必ずおまえは来てくれた。そして今もここにいる」
そして姫は顔を上げた。涙で濡れた青い眼に、強い光がはっきり宿る。
「だからおまえに頼みたい」
「おれにできることであるなら、なんなりと」
「もうわたしに夫はいない。だから結婚して欲しい」
絶句して、姫を見つめる。
「わたしはけして淫婦ではない。けれどおまえは言ってくれない」
「言えるわけないでしょう! おれは貴女の敵の手で、やっと『騎士』になった身だ」
「もちろん簡単にはいかない。それはわたしもわかってる。けれどわたしは諦めたくない。フィリップの言いなりになど、なるのはイヤだ」
『フィリップ』の名に血が上った。善良公は、やはり手を出すつもりなのか? 姫の意に反しても?
「ほんとうにおれでいいのか? 王の血など全くひかぬ、馬の骨に抱かれたいのか?」
「血筋なんかどうだっていい。欲しいのは、フランクだけだ」
抱きしめた姫のからだは燃えるように熱くなってる。そしておれも欲情している。猛り立ってくるものは、もうとても抑えきれない。
「その言葉がウソでないなら、今すぐに『密婚』しよう。立会いなどいなくとも、既成事実は変わらない」
そしてそのまま草の上に押し倒した。ドレスの裾をまくりあげ、乱暴に姫を犯した。姫は抵抗しなかった。痛いとも言わなかった。けれど我に返って気づいた。白いドレスはあちこち破け、地面に広がる上着には血の沁みさえついている。なのに姫は微笑んだ。上気した顔で微笑み、嬉しいと言ってくれた。どこも怪我などしていない。出血したのは初めてだ。破瓜みたいでわたしは嬉しい。姫の言葉にまた強く抱きしめた。貴女はもうおれのものだ。善良公がなんと言おうが、貴女はもう絶対に渡さない。




