5 外れた恋の矢
「まったく、無茶するんだから」
この声はランベルトだ。
「もしも急所に当たっていたら、本当に死んでましたよ」
自分でもよく覚えてないのだが、飛び出して腕をひろげて善良公を庇ったらしい。姫の矢は、「当たって」いた。フランクが庇わなかったら、確実に心臓に当たっていた。手当てをしてくれたものがはっきりそう言いきった。その場にいたもの全員が口を揃えた。矢に腕を貫かれ、フランクは失神していた。
気がついたのは船の上で、今は自分の城にいる。そしてまだ起き上がれない。からだに力が入らない。
「おれを動かしたのは『神』だ」
眼を開けないまま、フランクはそう応えた。
「伯領は、正しく姫のものだった。けれど姫には預けられない。姫が女伯である限り、戦争は終わらない」
目覚めてすぐ船の上で言ったことを、もう一度繰り返す。
「まったく」
ランベルトは包帯をぎゅうと結び、フランクは悲鳴をあげる。
「手当てしてくれるなら、もっと優しくやってくれ」
「そういうことは、恋人にでも言って下さい」
「そもそも、なんで君がここにいるんだ」
「矢毒が心配だったんです」
「『やどく』?」
「あんたは三日目覚めなかった。当たったのは急所ではなく『腕』なのに。当たっただけでも奇跡的な、遠距離からの矢だったのに。『矢毒』によるものだったなら、かなりヤバい」
「つまり、矢に毒が塗ってあった?」
半身を起こそうとして、低く呻いた。力がまだ入らない。
「ヨハン伯の毒殺のとき、『矢毒』も使ったと言っていた。あれが塗ってあったなら、だから昏睡したのなら、かなりヤバイ。回復できずに衰弱し、半年くらいであんたは死にます。ヨハン伯と同じように。」
伯の最期を思い出す。しばらく意識を失って、そのあと目覚めた。回復するかと思われたのに、逆にどんどん弱っていった。そしてついには死に至った。「入手もとをつきとめて、毒消しを手配しろ」言われたことを思い出す。イェハンはついに黒幕の名を吐くことはなく、「毒消し」も間に合わなかった。少なくとも試したクスリは効かなかった。
「時祷書に塗った毒は、イングラント商人から入手した。そこまでは、あの時にイェハン・ヴァンフリートが自白している。こないだ捕えた雑魚のひとりが続きを喋ってくれましたよ。受け渡しがあったのはあの店ですが、渡したのはほんのちょっとだ。致死量には全然足りない。劇的な反応があったとしても、あれだけでは普通死なない。『矢毒』のほうは別ルートです。こっちについては、なぜか追求されなかった」
「別の、ルート?」
「拷問ってのはね、責めてるやつが言わせたいことを言わせるために、やるんです。マズイこと言いそうになったら、言う前に殺される。あるいは言っても『聞こえない』」
「だけど、あの時の詮議にはおれも……」
「あんたには、思いつけないことだった。話を聞いてぼくはちょっと気になったけど、あえて何も言わなかった。あの時は『フランクも』疑われていた」
「おれにも関係ある入手先。そういうことか?」
「そう。つまり、パリ経由」
「パリ?」
「パリの写本屋を覚えていますか?」
昔の記憶が蘇る。ウィレム伯が亡くなったときのこと。そういえば、「クスリ屋」と……
「誤解はして欲しくないけど、彩飾絵師なら薬の知識はちょっとはあります。顔料の中には薬になるものも多いから、薬屋とのつきあいがある。そして、修道院出の絵師だったら薬草の知識だってある。ま、だから『今』、『ぼく』がここにいるわけだけど」
「つまり、あのとき写本屋が言ってた『薬屋』は、まさか……」
「だから、そういう誤解をしてほしくない。『薬屋』はぼくじゃないけど、心当たりはないわけじゃない。薬というのは、使い方次第では毒ともなるものなんだ。あの工房は女流作家のクリスティーヌ・ド・ピザンとも関係があるんですが、彼女のお父さんはピサ出身の医者です。シャルル賢王の侍医だったひと。だから、クスリと顔料、そして彩飾写本は最初から深く関係している」
「なるほど」
「でもまあ、あんたの傷は純粋に外傷であって、毒によるものじゃない。倒れたのはまあ過労、心労ってやつだろう。命には支障ないし、何より善良公が感謝してる。邪魔されたって怒ってたらどうしようかと思ったけど」
「心配してくれたんだ」
「あたりまえでしょ」
「心配でたまらなくて、ハーグからここまで来てくれたのか?」
「まさか。空飛んで来るわけじゃあるまいし。ずっと従軍してました」
「なんで?」
「従軍命じたのはあんたですよ? 正しい挿絵を描くためには、自分の目で見て来なきゃって」
「命じてない。来てもいいと言っただけだ」
「嬉しかった。そう言ってくれて」
年代記には、彩色の挿絵を入れる。その発注を受けるのは、第一級の絵師だけだ。年代記の挿絵になるのは、歴史に残る決戦だけだ。たとえばアザンクールのような。
「『ブラウワーズハーヴェンの戦い』は、年代記の記事になると思いますよ。多分、これで決まる」
「決まる?」
「姫の伯位の正当性は、確かに根拠があることだ。だけど、ブラバン公との結婚は、『無効』とはやっぱり言えない」
「ランベルト?」
「あんたもそれを『知って』いる。『コンスマキウム』をその眼で見ているんだから」
忘れたい事実なのだが、周囲が忘れさせてくれない。ブラバン公が吹聴している。フランク・ファン・ボールセレは、最初から自分の味方だ、と。
「姫にいまだに味方がいるのは、正しく姫が女伯だからだ。血統からも当然そうだし、あのひとには『力量』がある。姫のためなら命を賭けても惜しくない。そう思わせるものがある。だけどひとつ弱点がある。つまり、『恋』だ」
ぐさりと矢が刺さった気がする。姫は確かにハンフリーに恋をしている。あの「夫」が帰国したあと、姫はいったん降伏している。女官を連れて帰っているから心変わりと思ったはずだ。けれどそういうわけじゃなかった。そうとわかって姫はきっぱり立ち直った。快進撃はそれゆえだ。
「恋に理性を失う女は、支配者にはふさわしくない」
「それは確かにそうかもしれない。夫に代えてのあの挑戦、理性的とはとてもいえない。けれど姫の矢は当たった」
「その通りだ。姫の矢は確かに『当たった』。『恋の魔力』というやつだけは、正直ぼくも信じるよ」
「恋の、魔力?」
「フランクが庇わなければ、善良公は確実に亡くなっていた。矢じりの先が、はっきり鎧に傷をつけてる。善良公の心臓の、ちょうど真上にあたるところに」
そこまでは聞いてない。あの距離から腕を貫き、さらに鎧に傷までつけた?
「善良公は箝口令をすでに敷いたよ。姫とのあの勝負の件は、年代記には絶対載らない」
風は姫に味方した。確かにそれは絶対書けない。年代記を書かせるものが、善良公であるならば。
「フランクを動かしたのは、ほんとに『神の意志』なんですか?」
ランベルトが覗き込む。絵師の瞳は心の底まで見透かしている。だから本音を吐露してしまう。
「もちろんあれは『おれの』意志だ」
「だから姫には決定的です」
間髪入れずに絵師は応えた。きっぱりとした静かな声で、そしてなぜか辛そうに。




