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女伯ジャックと海の騎士 - Keukenhof's Kroniek -  作者: 辰波ゆう
第九章 対決   Anno 1425
32/55

2 待ち伏せ

 適当な偽名を使い、ゲントの町の門をくぐった。

 やみくもに来てしまったが、本名は名乗れない。ブラバン公の名を出せば面会は可能だろうが、善良公に筒抜けになる。奪還するつもりなら、それはマズイ。姫の夫は「ブラバン公」だ。おれはその摂政ルワードだ。無体な目にあっているなら、おれがお救いするべきだ。けれどそのあと守り抜けるか? 善良公に対峙できるか?

 

 自問すると身がすくむ。目の前にそびえているのは「善良公の牢獄」だ。濠の向こうに屹立している黒灰色の石の要塞。周囲はぐるりと濠が取り巻き、その向こうは高い壁。開口部は細長い矢狭間だけで、窓はない。侵入は不可能だ。屋上部分の壁の上はお定まりの凸凹型で、あの後ろにも兵は当然いるはずだ。いずれにしても、あの壁を登るのはムリ。濠のこちら側にだって、監視の目が光ってる。

 この城の警備は厳しい。普段でも、かなり厳しい。ゲントの町は自治権を持ち、自前の裁判権も持つ。通常の犯罪ならば、「ゲントの町」が処理をする。この城に繋がれるのは、そこで処理できないものだ。もっと重い罪を犯した、権力者への反逆者たち。つまりより重要な囚人だ。あるいはより重要な、秘密を知ってしまったもの。法ではなくて、権力者の怒りに触れたもの。この城に連行されて、生きて戻ることはない。過酷な責めに耐えたとしても、あるいは無実であったとしても、生きてここから出ることはない。町のひとが憎み恐れる、圧制の象徴だ。

 姫にそれはないはずだ。一生繋ぎはしないだろう。姫を拷問台に乗せ、責め苛みもしないだろう。いくらなんでもそれはない。思いながらも震えてしまう。けれどここは「そういう場所」だ。「フランドル伯の城グラーヴェンステーン」は宮殿ではなく「牢獄」だ。伯に逆らうものをぶちこむ、陰惨な牢獄だ。「フランドル伯」の称号も、善良公が手にいれている。だから今は善良公の持ち城で、「善良公の牢獄」だ。持ち城は山ほどあるのに、あえてここに閉じ込めた。脅すためだとしか思えない。脅しても効かないならば、実行にも移すだろう。思ったとたん思い出す。ヴァンフリートが責められるさま。そして破壊されていくさま。今なお門に晒されている、かつては頭だった肉塊。ハーグ宮のあの門をくぐる度、思い出さざるを得ない地獄。フランクの心をも、確かに壊してしまった記憶。まだ生きているフランクは、今もずっと悪夢に見ている。


「フランク」


 低い声に振り返る。修道服の男が軽くうなずき、目配せをした。視線の先に槍兵がいる。そしてこちらに近づいてくる。


「今すぐにここを離れて」 

「御坊はおれを知っているのか?」

 男はまたうなずいた。そしてくるりと踵をかえし、すたすたと歩き出す。

 衣の裾から覗く足は痩せていて、修道士らしいサンダルを履いている。だが妙に歩みが速い。速いようにも見えないのだが、ついて行こうとすると速い。角を曲がるともうずっと先にいる。そしてまるで音を立てない。サンダル履きにもかかわらず、ぱたぱたと音を立てない。この歩き方、「素人」とは思えない。修道服を着ていても、ただの坊主じゃないはずだ。緊張を覚えながら、足を進める。おれの名前を知ってる以上、ただものではありえない。けれど殺気は感じられない。体格も細っこく、戦士にも到底見えない。すたすたと隘路あいろを進むが、あやしげな通りでもない。小さな町家がずっと続く、迷路のような裏道だ。

 そびえて見えるはずの城は、いつの間にか視界から消えている。どこからも見える教会の塔さえも、ひとつも見えなくなっている。気が付くと、両側ともに「家」じゃない。窓も扉もない「壁」だ。高い壁に挟まれた、細く続く狭い路地。太ったものとすれ違うなら、肩がつかえてしまうだろう。こんなところで待ち伏せでもされていたら。思ったとたん、修道服が足を止める。そしてこちらを振り返り、頭巾を払って顔を見せる。子どもっぽさが残る顔に、愛嬌ある笑みが浮かぶ。


「まさか、ランベルト?」

「御無沙汰してます」

「なぜ……」

「来るんじゃないかと思って張ってた」

 昔馴染みの絵師が言いきる。

「あのひとが絡むときには、あんたは必ずバカをするから」

「え?」

「さっきだってしっかりバカやっていたでしょ? あんなにあからさまにウロウロしてたら、見つかるのは時間の問題」

「見つかるって……」

「あの槍兵は、怪しんでいた。そして『ぼく』には『見つかって』いる」

「ランベルト?」

「『敵方』に見つかってれば、あんたはまずいことになる。まあ、誰が『敵』だかぼくにもよくわかんないけど」

「間諜でもやっているのか?」

「相変わらずヤなこと言うなあ。ぼくは今でも写本絵師です。小遣い稼ぎをしているだけだし、それも前から変わらない」

「すまん」

 確かにそれはその通り。フランク自身もいろいろ頼んだ。

「だけどあんたを張っていたのは、誰かの指示というわけじゃない。これはぼく自身の意志だ」

「君の? 意志?」

「ええと、つまり」

 ランベルトは頭を掻いた。

「ぶっちゃけて言っちゃうと、姫に接触しようとするやつがないかどうか、見張るのがぼくの仕事」

「つまり、善良公の仕事をしている?」

「そこんとこは流石に言えない。だけど、この仕事を受けたのは『あんた』が来ると思ったからだ。ぼくはあんたに警告したい」

「警告?」

「姫はここで誰かを待ってる。モンスの町に籠城したのも、援軍を待ってたからだ。おとなしくここで捕まってるのも、その迎えを待っているからだ。あんたがその迎えになるなら、ぼくらが必ず阻止をする」

「このおれが、釣り針党に寝返るとでも?」

「姫にここで会ってしまえば、心は動くんじゃないのか?」

 確かにそれはそうかもしれない。すでにおれは動揺している。「救出」は、考えている。

「酷い目には合わされてない。それは確かだ」

「善良公は」

「公はここにはまだ来ていない。姫だけをここに閉じ込め、自分の配下に監視させてる。姫についてる侍女たちも、公が自ら選り抜いている。身元も気立ても良い娘たちで、姫のお世話は行き届いてる。幽閉には違いないけど、丁重な扱いだ」

「どうしてそう言い切れる? 敵の配下に四六時中監視されるのが、酷い目じゃないっていうのか?」

「拷問もされてなければ強姦もされてない。そう言えばいいのかな?」

 ランベルトは笑ってみせる。

「四六時中見張られるのは、姫はとっくに慣れっこだ。生まれ落ちたときからずっと、姫はそうだったんだから」

 フランクは黙ってしまう。姫の動向、ノーラは逐一報告してきた。見張らせていたわけではないが、実質そう変わらない。

「そして誰が敵なのか、誰にもよくわからない」

「ランベルト、おれは……」

「あんたを責めるつもりはないよ。そもそもぼくこそ姫には『敵』だし」

 絵師はまたにっと笑った。

「だけど『憎い敵』じゃない。なりゆきで『敵』なだけで、姫のことはキライじゃないよ。だからこそ、あんたを待ってた」

「意味がよくわからない。おれに何をさせたいんだ?」

「救い出せとは言ってない。そして『助ける』必要もない。姫は酷い目には合ってない。モンスに籠城してた頃よか、ずっといい暮らしのはずだ。広々とした豪華な部屋で、思いっきりゼイタクしてる。自由じゃないかもしれないけれど、お姫さまならそれが普通だ。高貴なるお姫さまなら、城の外には滅多に行かない。愛する男がいたとしても、会いになんか普通行けない」

「君は姫に会ったのか?」

「会ってる」

 ランベルトはあっさり応えた。

「というか、見てる。姫に面会できる男は、司祭だけだ。だけどもちろんひとりじゃ行かない。ぼくも一応修道院に籍がある。聖バーフ修道院のものとして、司祭さんに付き添える。言葉を交わすのは無理だけど、姿は見てるし声も聞いてる。姫さんは、元気だよ」

 すっと肩から力が抜ける。ヤコバ姫はここでご無事だ。鎖に繋がれてもいなければ、善良公に強要もされてない。

「そしてぼくが見る限り、無理強いしたりはしないと思うな」

「無理強い?」

 問い返したフランクに、絵師はにやにやとした。

「あんたはそれを考えている。あんたの顔に、ハッキリそう書いてある」

 言われて顔が火照りだす。

「善良公はとても女好きだけど、だからこそプライドもある。嫌がる女性を無理やりなんて、無粋なマネは死んでもしない。間男ハンフリーを攻撃した手前もあるし、やりたくてもガマンする。姫のほうから誘惑でもしない限り、何かあったりすることはない。そして姫が誘惑するなら、あんたが心配することじゃない」

 言われてみるとそのとおり。

「どうしておれにそれを言うんだ?」 

「姫のことが心配だから、ここまで来てる。そうだろ?」

 そうだとは言いたくないが、その通り。姫の姿を一目見たい。自分の眼で確かめて、そしてひとこと申し上げたい。姫が降伏されたと同じく、おれも不本意極まりないのだ。けれどほかに方法はない。玉砕を望まないなら、降伏するより方法はない。善良公にはけして勝てない。勝てない戦はしてはならない。

「ヤコバ姫に会いたいんだろ? 命を落としかねないバカをやっても、ふたりきりで会いたいんだろ?『夫』ブラバン公の摂政としてじゃなく、昔馴染みのフランクとして」

 そしてノーラのことがある。兄としては謝るべきだ。謝ってすむことではないが、黙って済ませるわけにはいかない。おれにだってプライドがある。おれがやらせたことじゃない。そして許せることじゃない。それだけは、弁明したい。

「どうしても会いたいんなら、手引きするのは不可能じゃない。だけどそれには条件がある」

「金、か?」

「違う」

 ランベルトはきっぱり言った。

「姫にハッキリ言って欲しい。伯領は、諦めろって」

「伯領を、諦めろ?」

「姫はまだ諦めてない。『迎え』が来たら脱走し、再び軍をおこす気だ」

 言われてゴクリと唾を飲む。

「あんたが足止めしていたやつら、あいつらは今どこにいる?」

 冷水を浴びた気がした。あいつらは生きている。戦力はまだ十分にある。

 ヤコバ姫降伏の報と同時に、釣り針党は撤退をした。撤退したと見えたからこそ、こちらも軍を退いたのだ。そしてハーグ宮に出向いた。やっと戦が収まるのだと。

「姫が諦めない限り、戦はけして終わらない。姫が再び軍をおこせば、馳せ参じるものはいる。けれど姫はけして勝てない。姫のもとに参じたものは、姫のために命を捨てる。姫のために命を捨てても、姫に勝ちは与えられない。無駄に死んでいくだけで、伯領はとりかえせない。善良公に、姫は勝てない」

 言いながら、声が震える。そうなってしまったのも、おれのせいか? ボールセレが裏切らなければ、勝ちは夢ではなかったはずだ。

「それがちゃんとわかっているなら、姫にハッキリ言って欲しい。フランクの言葉なら、姫も耳を傾ける」

「それはどうかな」

「姫はあんたを信頼してる。あんたはウソがつけない男だ」

「おれは」

「そしてあんたは『現実』をちゃんと見ている。善良公にはけして勝てない。ヨハン伯なら可能性はあったけど、善良公には絶対勝てない」

「それは確かにそうだと思う。姫は」

「姫は勝てない。伯領はもう取り返せない。姫にはっきり言えるなら、姫のとこまで案内するよ。金は別にくれなくていい。ま、くれるんなら喜んで貰っとくけど」


「約束する。善良公には姫は勝てない。伯領はもう絶対ムリだ。ふたりきりで会えるなら、きっぱりそう言ってやる」






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