↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
女伯ジャックと海の騎士 - Keukenhof's Kroniek -  作者: 辰波ゆう
第八章 イングラントの鮮烈な毒
27/55

1 黒衣の男  Anno 1424

「ブリュージュに行く。そなたも来い」


 ホラント伯ヨハンがフランクに命じたのは、姫がイングラントに渡ってから四年経った春のこと。


 その間にいろんなことがあった。まずイングラント王がパリで急死、二か月後にはフランス王も逝去した。ヤコバ姫は亡くなったイングラント王の弟、グロスター公ハンフリーとすでに正式に「結婚」していた。王に嫁いだフランス王女はすでに王子を成していて、ヤコバ姫が代母にもなっていた。まだ赤子のこの王子がイングラント新王として即位して、摂政は姫の夫ハンフリー。姫はかの地で確固たる地位を得て、幸せにやっている。


 フランドルの美しい都市ブリュージュは、地元のものはブリュッヘと呼ぶ。善良公は今この町に宮廷をおいている。ヨハン伯が会いに行くのは、善良公フィリップだ。ブルゴーニュ公の宮廷で話されるのは当然ながらフランス語。だからブリュッヘではなく「ブリュージュ」への訪問だ。フランクは気が重い。

 善良公には良い感情は抱いてない。やり手には違いないが、あの男は「女誑し」だ。前年にミシェル妃が急逝されて、この噂はますます高い。ミシェル妃の若死にも夫のせいにされている。浮気による心労という説はもっともなのだが、毒殺説まで飛び出している。そして、ヤコバ姫にも手を出そうとしていた男。ここのところは真実だ。拉致計画はほんとにあった。フランクの邪推ではなく、妄想でもない。無理やりにでも、自分のものにしようとしていた。だからこそ、妨害をした。

 

 だが会ってみて驚いた。想像とはまるで違う。前にどこかで会った気がする。

 噂どおり、黒衣を着ていた。善良公フィリップは殺された父の喪に服すため、黒しか着ないと宣言していた。だが「喪服」には到底見えない。光沢のある黒い布地は華やかで、上品な色香さえある。趣味のいい洒落男には違いないが、まず感じるのは頭の良さだ。学者めいたそれではなくて、視野も大きい。弁舌は爽やかで、機知もある。食わせもののヨハン伯が、主導権を奪われている。


「フランス王はイングラント王ヘンリーが兼ねています。一四二〇年締結のトロワ条約に従って」

 きっぱりと言い切られ、あのヨハンが「そうですね」と応えてしまった。

「フランスの実権は、摂政たる王の叔父ベドフォード公のものです。自称『王』のシャルルなど、気になさることはない」

 そしてにっこり笑って見せた。もちろん、善良公に廃嫡された「もと王太子(ドーファン)シャルル」も自ら即位は宣言している。けれど「塗油」はできてない。ランスで塗油の式をあげ神の力を授かってこそ、「神聖なるフランス王」だ。「フランス人」はそう考える。だからフランス人から見ても、シャルルはまだ王じゃない。

「フランス王を名乗るシャルルは王の子ではありません。神聖な結婚による出生でなく、ただの浮気の結果でしかない。だからこそ、卑劣な騙し討ちができる」

 父、無畏公の暗殺をさらりと持ち出す。会見に応じておいての暗殺だから、確かに卑怯な騙し討ちだ。

「だが」

 善良公はまた白い歯を覗かせた。まさに「余裕」の表情だ。

「あなたの姪ヤコバ姫の夫だったトゥーレーヌ公は、正真正銘『王の御子』です。その次に生まれた王女カトリーヌも王の御子です。ここまでは間違いなく王の御子。生母であるイザボー王妃が明言されて、だからこそイングラントに嫁がせました。その王女が産んだ御子が、イングラント王ヘンリー六世。フランス王に即位して、なんの不思議もありません」

 明確きわまりない主張。敵国『イングラント王』の子を『フランス王』に、という話なのに、納得させられてしまう主張。

「その摂政はベドフォード公ですな? グロスター公ハンフリーのほうでなく?」

「イングラントの摂政は、弟ハンフリーに任せる。ハンフリーはブリテン島を治め、大陸には手を出さない。ホラントには手を出さない。そこは宣誓させています」

「その宣誓、守らせて頂けますかな?」 

「もちろんですとも。ホラントは叔父上のものです。若年の私としては、ムダな戦は極力避けたい」

 そしてまた微笑んだ。男前とは言い切れないのに、妙にひとの気を惹く笑顔。善良公という男、思った以上にタダモノではない。だが条件は出さないのか? 見返りは求めないのか? 不安に思ったその瞬間、善良公と目があった。くっきりとした青い目が、嬉しそうにきらりと光る。


「君は、もしかして『フランク』か?」

「フランク・ファン・ボールセレと申します。パリで一度お会いしました」

 フランクもやっと思い出し、こう応えた。「エダンの城」と言った少年だ。工房で会ったあの貴公子だ。

「やっぱりそうか!」

 朗らかな声をあげ、親しげに言葉を続ける。

「また会いたいと思っていた。再会できてとても嬉しい」

「ありがたいお言葉、恐縮です」

「そう硬くなることはない。趣味を同じくするもの同士、気軽に話したいものだ」

 この言葉にまた思い出す。このひとはやっぱり似ている。初めて会ったときの「ジャック」に。

「なら、ベリー公の手稿は君が?」

 このセリフに完全にたじろいだ。なぜそれを知っているんだ? どうしてここで出てくるんだ? とまどううちに、ヨハン伯が口を挟む。

「良い絵師を見つけてきてくれましてね。ヤコバの姿も描かせてくれた」

「ほう?」

 善良公の青い目が、またはっきり色を変えた。

「その絵はよく似ているのか? 本物の、私の従妹に?」

「実物より愛らしいかもしれませんな」

 ヨハン伯がにやりと笑う。そして善良公のほうは、ちょっと怖い顔になる。

「あのひとならば、どう描いても実物よりは愛らしくなる。あの従妹に会ったものは誰もが魅入られ、そして服従してしまう。息を呑むほど美しいが、愛らしくはない」

 真剣な声になって言い放つ。

「私は彼女が欲しかった」

 そしてまた唐突ににっこりとした。

「思うようにはいかないものだ。私が独身だった頃には、姫はすでに結婚していた。今私はミシェルを失い独身になったのに、姫の夫はふたりに増えた」

 姫は確かに再婚している。ブラバン公との結婚を無効とし、イングラントの王子さまと結婚している。海の向こうで幸せにやっている。睦まじいふたりの噂は、フランクも聞いている。イングラントの王子さまは、恥ずかしいほどベタ惚れだと聞いている。

「姫の夫はおひとりだけです」

 フランクのこのセリフに、善良公の眉が動いた。神経質にピクリと動き、その下の眼が光る。

「もちろんひとりだ。重婚の罪を犯した二人目は、私はけして許さない。私の従妹を誘惑し、拉致した男は絶対に許さない」

 ゾクリとしたその瞬間、ブルゴーニュの善良公フィリップは笑い出した。よく響く明るい声で、高らかに笑い出した。

 





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。