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ノーラのいらだち

「結婚」はロマンチックなものじゃない。

 そのくらいわかってる。だけどキライな相手だったら。思っただけで、震えてしまう。そんなのイヤだ。絶対イヤだ。法王さまが特赦を出された。だから姫は、キライな従弟と結婚なさる。この戦を終わらせるため。ホラントを、平和にするため。


 トゥーレーヌ公さまのことは、姫はお嫌いではなかった。それでも巧くはいかなかった。ほかに想うひとがいるなら、あたりまえだとあたしは思う。

 公もそれはお気づきだった。好きなひとができちゃったんだね。寂しそうに呟かれたのを、あたしははっきり聞いてしまった。亡くなられた王太子トゥーレーヌ公さまは、お優しい方だった。軍を率いて戦うような、そういうタイプの方ではなかった。そしてあたしの兄さまは、トーナメントで優勝してる。そして指輪を勝ち取っている。姫は自分の指から抜き取り、兄さまに下さった。だからあたしも思い込んでしまったのよ。姫さまの想う相手は、あたしのフランク兄さまだって。だけど今、あたしは自信がなくなっている。姫さまの想いひとは、本当は誰? もしかして、アルケルのヴィムさまのほうだったの? そのヴィムさまを斃したのは、あたしの兄さま。


 トゥーレーヌ公が亡くなってすぐ、姫が寡婦となられてすぐに、兄さまは会いにいらした。そしてようやくふたりきりになったのに、やっぱり何も起こらなかった。甘い言葉をささやくかわり、姫さまは使命を与えた。詳しいことは知らないけれど、何か「本」に関わる話。側にいろとはおっしゃらないで、ヨハン司教のところへ行かせた。

 兄さまは「本」がお好きだ。ヤコバ姫に近づいたのも、「あたし」を姫の侍女にしたのも、姫の蔵書が目的だった。姫はそう思ってらっしゃる。それはたしかにそうかもしれない。姫さまの御本には、豪華な装飾写本には、とても興味をお持ちだったわ。だけどほんとにそれだけのため? そんなこと、ないはずよ。

 

 伯妃さまはあたしのことを「間諜」だと思ってる。兄さまあての手紙だって、いくらか手に入れている。もともと「鱈」のボールセレを、伯妃さまは信用してない。だからこそ、「あたし」を姫から離さない。つまりあたしは「人質」だ。

 だけどあたしはそれでいい。あたしは姫のお側にいたい。戦場だろうがどこだろうが、あたしは姫から離れない。あたしだって騎士の娘だ。戦なんか怖くない。一度はそう言ってみたけど、だけどやっぱり怖かった。ボールセレが裏切れば、状況はひっくりかえる。軍船に乗り込んでみて、はっきり悟った。ボールセレは、海の国ゼーランドの豪族だ。船を操り海を制し、栄えてきたのがうちの一族。そしてそのボールセレは、軍船は出してない。姫さまも、命じていない。

 だからあたしは手紙を書いた。兄さまに、書いて送った。女のあたしが軍船に乗っているのに、兄さまは何をしてるの? 

 兄さまは、来てくださった。ホルクムに駆けつけて、そして「鱈」を斬って見せた。姫さまへの忠誠を、兄さまは立派に示した。鱈党の首領の息子も、兄さまが切り捨てた。死闘の果てに勝利したのに、姫さまはねぎらわなかった。倒した敵の息子の名前を、アルケルのヴィムさまの名を、ヤコバ姫は絶叫なさった。そしてその死を深く悼み、兄さまには冷たくなさった。だからあたしはもうわからない。姫さまの想う相手は、フランク・ファン・ボールセレではなかったの?


「この結婚が、戦を避けるものとなるゆえ」


 法王さまは特赦を出された。だから姫の次の夫は「ブラバン公」というひとだ。

 伯妃さまはそれはそれはお喜びのご様子だけど、お祝いなんてとても言えない。トゥーレーヌ公さまのこと、姫はけして嫌いじゃなかった。それでもああなっちゃったのよ? 今度のお相手ブラバン公さまのことは、姫さまは毛嫌いしていらっしゃる。あたしだって絶対にイヤ。王族だろうがなんだろうが、あんな男はお似合いじゃない。頼りなげでなよなよしてて、おまけに優しそうにすら見えない。賢そうにもみえないし、自信なげにおどおどしてる。そのくせ家臣やあたしたちには、思いっきり高飛車だ。ホラント女伯ヤコバさまには、絶対にふさわしくない。

 だけど戦を避けるためには、反乱を収めるためには、「ブラバン公」の力が必要。公そのひとの力じゃなくて、その「血統」。「ブラバン公」のからだに流れる、ブルゴーニュの血。フランス王家ヴァロア家の血。伯妃さまはおっしゃるのだけど、あたしにはよくわからない。正確にいうならば、もう「伯妃」さまじゃない。女伯となったヤコバさまの母上は、もう「伯妃」じゃないはずよ。だけどいまだにそう呼ばせてる。そして「女伯」に指図している。ブラバン公との結婚を、女伯ヤコバさまに無理強いしてる。この戦を終わらせるには、それしかないと言いきって。だけど姫の母上は、ブルゴーニュの公女さまだ。そして後ろで糸をひくのは、現在のブルゴーニュ公無畏公さま。伯妃さまの兄君で、ブラバン公の伯父であるひと。


 あたしはやっぱりガマンできない。あたしの大事な姫さまが、あんな男のものになる。そんなの絶対あたしはイヤよ。フランス王家の血なんかよりも、必要なのは軍船だ。海戦で役に立つのは海の国の騎士たちだ。海の国のボールセレなら、姫の窮地をお救いできる。そのくらい、言えばいいのに。あたしは思わずペンをとった。ほんとに書いてしまおうかしら。姫の心がヴィムさまにあったとしても、ヴィムさまはもういない。勝利したのは兄さまよ。だから今こそ口説くべきよ。親愛なるフランク兄さま、今こそ姫を奪い取って。そして姫を助けてあげて。兄さまならきっとできる。


 「親愛なるフランク兄さま、


 そこまで走り書きをして、あたしははっと我に帰った。

 伯妃さまに知れたりしたら、兄さまは殺される。あたしのフランク兄さまは、今度こそ毒を盛られる。騎士ですらない兄さまならば、杯を強いればことは済む。ウィレム伯のときのような、めんどうな手間は要らない。




 


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