4 最終日
決勝も「騎士の部」が先だった。優勝したのはあのゼーベンベルゲン。余裕を持っての完勝だ。褒賞に賜ったのは、黄金の大きなブローチ。
「従騎士の部」はこれからだ。フランクと相対するのは、リック・ファン・ハームステーデ。
名門ハームステーデのまだ若い息子のひとり。この一族もゼーラントの貴族だが、筋金入りの釣り針党だ。若くして実戦にもたっぷり出ている。それなりの軍功もあげていて、はたちまでには騎士になると言ったというのは、あながち誇張でもないだろう。確か今年十八歳。フランクよりもふたつ年下。だが、大きく見える。実戦を知る貫禄とでもいうものか。
決勝ということで、その名乗りも本格的だ。楽人がショームを高く吹き鳴らし、係官が家系から説明をする。この家の祖は伝説の勇者ウィッテ・ファン・ハームステーデ。ホラント伯の血をひく勇者の家系は二百年の長きに渡りゼーラントの覇者として……
延々と続くそれに、フランクはいらいらしてくる。家格の違いを知らしめてでもいるようだ。ようやくボールセレ家のほうに移り、同じくゼーラントの名門として紹介される。アルケルとの戦で死んだ、ウォルフェルトの話まで出る。子どものころのフランクがわずかの間、小姓として仕えていた本家筋の親戚だ。その戦で「活躍した」と紹介されて、ドキリとする。フランクは活躍「してない」。従軍すらしていない。あの戦ではウォルフェルトは鱈党として、つまりウィレム伯の敵として戦死している。そのあたりが巧いこと誤魔化され、伯の側にいたことになっている。つまり、偽装工作か? 気づくと急に気が抜けた。褒めあげるのはあくまでも「儀礼」であって、真実とは限らない。
当事者ふたりも挨拶を交わし、そしてようやく騎乗する。槍を握り、相手を睨む。鐙を踏んばり尻を浮かせる。体勢を固定して、固唾を呑んで合図を待った。急に不安がこみあげる。おれはほんとに勝てるだろうか。
「絶対に優勝しろよ」
姫の言葉を思い出す。今、おれは姫の騎士だ。おれの姫の命ずるままに、絶対に優勝する。そのためにはどうすればいい?
すべきことはわかってる。
騎乗して突進し、そして敵を突き落す。
それだけだ。ほかは何も考えるな。
審判の旗が動き、前に飛び出す。盾だけを見ろ。的だけを見ろ!
近づいてくる盾だけ睨み、狙いをつけて力を籠める。
手ごたえがあった瞬間、力が抜ける。二本の槍が見事に砕け、その破片が飛び散っている。馬に任せて端まで駆け抜け、ゆっくりとターンする。落馬した敵の姿が眼に入る。
「優勝、フランク・ファン・ボールセレ!」
審判の告げる声に、ジャックの声が重なっている。バルコンから身を乗り出して、今にも飛び降りてきそうに見える。そのまま馬首をめぐらして、貴賓席へと歩ませる。頭がまだぼうとしている。
バルコンの下で馬を止め、兜を外して挨拶をする。歓声と拍手に紛れて、ヤコバ姫の声がかかる。
「フランク、よくやった」
高鳴る胸に手を当てて、頭を下げる。汗の滴がぽたりと垂れる。
「手を出せ。褒賞をとらせる」
はしゃぐような声に誘われ、ようやっと顔をあげた。姫が指輪を抜いている。自らの指に嵌った、何か石のついた指輪。妙に派手に煌めく石だ。
「手を伸ばせ。届かない」
「ジャック」の声に、じっとりした手を素直に伸ばす。バルコンから身を乗り出した姫の手が、汗ばんだ手を捕えた。ひんやりとして柔らかい手が、フランクの手首を捉える。そしてすっと指輪を嵌めた。自分の指から抜いたものを、フランクの小指に嵌めた。指輪の石が強烈な光を放ち、周囲がどよめく。
「小さいが、ダイヤモンドだ」
嬉しそうに姫がささやく。
「勝者には、相応しい石」
呆気にとられて姫を見上げる。勝者というより王者の宝石。おれなんかが手にしていいのか?
「フランク」
姫の脇に控えた母が、低い声で促した。それでようやく我に戻り、なんとか礼の言上をした。晩餐には同席せよとも続けられ、これは絶対夢だと思った。
けれどそれは夢ではなかった。湯浴みさせられ着替えさせられ、そして広間に連れて行かれた。先の仮装の宴と同じ、ハーグ宮の大広間。だが調度は変えられている。中央奥には天蓋つきの貴賓席。華やかな飾り幕、織を凝らしたタペストリー。優美な燭がいくつも点され、夢幻の如くに照らし出す。果てしなく長い卓には着飾った貴顕が並び、すでに杯を重ねてもいる。巨大な盆を捧げ持ち、給仕たちが行き来する。盆の上には見たこともない、凝った料理。楽人たちがリュートを奏で、竪琴をつま弾いている。貴婦人たちのさざめきに、貴人たちの気取った会話。
騎士の部の勝者のほうはもとから席があった身分で、フランクを見て杯を掲げた。すでにかなり飲んでいる。末席に座を連ねているフランクの父フロリスも満足そうに息子を眺め、彼も自分の杯を上げた。
主役の姫君の前に膝をつき、改めて指輪の礼を述べる。そのまま側に侍らされ、フランクはもうがちがちだ。衆人環視の中とあっては、あの「ジャック」と思えない。十三歳の姫君はまださすがに幼さがあり、「女」にはまだ見えない。けれど「高貴の姫」には見える。近寄りがたいひとに思える。勧められる食事も酒も、まるで喉を通らない。
「情けないやつだな。緊張しすぎか?」
姫自らが差し出す杯を、思い切ってぐいと飲み干す。弱いほうではないはずなのに、それだけで眩暈を覚え、潰れてしまった。
その先にあったことを、フランクは良く覚えていない。母か誰かに連れ出され、奥の部屋に連れて行かれた。さんざん小言も言われたはずだが、異様な眠気に逆らえなかった。そこのベンチで夢を見た。
金の鎧の少年が、隣でお喋りしている夢だ。お気に入りの話を語り、フランクが相槌を打つ。ランスロットの物語、王妃への道ならぬ恋。ああ、おれも好きな話だ。そしてあのクライマックス。あそこはおれも大好きだ。火刑台から恋人を、奪い返すあのシーン。道ならぬ恋であっても、恋はひとを強くする。
そしてベリー公の手稿。そこにある祈願のテキスト。いとも豪華なる、未完の時祷書。それはいいな。それはぜひ見てみたい。あれは祈願の時祷書で、とても強い力を持つもの。望みをそこに絵にすれば、絵の通りに願いがかなう。それはいいな。それはぜひ、見てみたい。
「踊ろう」
着飾ったドレス姿で姫が誘う。誰もいない小さな部屋で、音楽もない場所で。
いやそんなことはない。耳を澄ますと楽が聞こえる。楽人の姿はないが、どこからか密かな調べ。秘めやかなリュートの旋律。幻想的なハープの音色。打楽器がリズムを刻み、舞踏を誘う。姫の眼がおれを見つめ、白い手を差し出している。促されて足を踏み出し、滑るように姫が続く。いったん動き出してしまうと、流れるようにからだが動く。夢なのだから、当然だ。夢の中なら何でもできる。
おまえはわたしを勝ち取った。だからわたしを奪い取れ。夢の中の姫が見上げる。熱を帯びて潤んだ瞳が、まっすぐにおれを見つめる。ジャンは今ここにはいない。そしてもうじき、わたしも十四歳になる。「コンスマキウム」はもうすぐだ。それを終えれば、結婚は完全になる。だから。だから……
おれの姫がささやいている。火刑台の王妃の瞳で、ランスロットを見つめるあの眼で。ランベルトの描いたあの絵だ。あの絵と同じ顔をしている。これはただの夢であって、現実でなどあるはずがない。なのにとてもからだが熱い。火刑台にでもいるように、熱く火照ってたまらない。炙られるような想いで、小さなからだを抱きしめる。未熟なからだ。まだおとなになりきってない、少年の肉体だ。細い腕がまっすぐに伸び、フランクに絡みつく。姫のからだが絡み付く。そしてそっと口づける。唇に触れる感触。柔らかい、肌の感触。そして陶酔。
これは夢だ。ただの夢だ。現実でなど、あるはずがない。




