緑化
エジプト・カイロ エジプト国家再建委員会議長 マハムード・アリー
ガクラがもたらした影響は計り知れない。
2040年代のエジプトは、ほとんど崩壊していたも同然だった。
度重なる巨獣襲撃で国家の財政は疲弊し、交通網や発電施設、農業地帯といった基盤インフラは各地で破壊されていた。
それでも限界まで持ちこたえていた時に、難民問題、エネルギー危機、食糧危機──そのすべてが同時に襲いかかり、国家は長い時間をかけて少しずつ弱り続けていた。
そこへ追い打ちをかけたのが、サンドワームの群れの襲撃だ。
あの日を境に、首都圏は完全に機能を失った。
カイロとナイル流域の都市機能は壊滅的な打撃を受け、行政施設や交通網、発電施設、輸送拠点、農業地帯の多くを失った。
建物は崩れ、地下の水道や通信網は砂に埋まり、都市はもはや都市として成り立たなくなった。
残ったのは、わずかな食糧と、消耗しきった軍、それに崩れかけの行政機構だけだった。
形式上は国家が残っていた。
政府も、軍司令部も、まだ存在していた。
だが実態は違う。
あの時のエジプトは、国家などではなく、ただ巨大な瓦礫の中で生き延びている、いくつかの勢力の一つに過ぎなかった。
統治できる土地は限られ、交通も物流も崩壊していた。
地方では軍閥や武装集団が自分たちのルールで生き残りを図り、中央政府の命令が届く場所の方が少なかったくらいだ。
そして人々の心も折れていた。
都市を捨て、ナイル沿いの村へ移る者。
隊商に紛れて国外へ逃げる者。
あるいは砂漠の共同体に加わり、国家そのものを見限る者。
かつて2千万人以上が暮らしていたカイロでさえ、半ば廃墟の都市になっていた。
夜になれば灯りはほとんどなく、風が吹くと崩れた建物の破片が転がる音だけが聞こえる。
それが、あの頃の首都だった。
エジプトが再び立ち上がる。
そんな未来を、本気で信じている者はほとんどいなかった。
だが、ガクラが初めてエジプトに上陸し、「アジュレ鎧種」と「サンドワーム」の群れを撃退した後、戦いで残した棘弾によって、状況は一変した。
IBRCを通して、日本でのガクラの行動や能力についてはある程度把握していた。
巨獣を積極的に狩り、戦場に棘弾を残すこと。
そしてその棘弾が、新たな資源の供給源として利用できる可能性があること。
報告書には、そう書かれていたが、正直に言えば半信半疑だった。
巨獣時代が始まってからというもの、各国から似たような話はいくらでも出てきたからだ。
巨獣の骨が新素材になる。
血液が新しい燃料になる。
臓器が医薬品になる。
研究者も軍も、必死だった。
だからこそ、わずかな可能性でも誇張して報告されることが多かった。
実際、そうした話の大半は研究段階で止まり、国家規模で利用できるほどの成果にはならなかった。
巨獣の残骸は確かに珍しい資源だったが、回収も加工も危険で、安定供給には程遠かったからだ。
だから我々も、ガクラの棘弾については「興味深い研究対象」くらいの認識しか持っていなかった。
それが国家を救う資源になる──そんなことは、当時の誰も本気では考えていなかった。
だが、目の前で起きたことは、想像をはるかに超えていた。
まず第一に、“無尽蔵のエネルギー”。
既存のエネルギー理論では説明のつかない膨大なエネルギーを生成する棘弾は、従来の発電技術では不可能だった規模の電力供給を可能にした。
しかも、それは単に「高出力」というだけではない。
必要なのは、ごく小規模な施設と変換装置だけ。
大規模なタービン群も、広大な燃料備蓄施設も、冷却用の巨大設備すら必要なかった。
理論上は原子力発電所級の出力を持ちながら、運用コストと設備規模は比較にならないほど小さい。
加えて、燃料供給の概念そのものが存在しない。
燃やす必要も、補充する必要もない。
安全性すら、従来の発電方式より高かった。
少なくとも当時の人類技術では、“なぜ動いているのか”すら完全には解明できていなかった。
そして何より重要だったのは、その即応性だ。
棘弾を利用した発電設備は、小規模施設でも成立する。
つまり、大規模インフラの復旧を待たずとも、瓦礫の中で直接発電が可能だった。
巨獣時代によって寸断されていた各種産業基盤ですら、一部を無理やり再稼働させられるだけの力があった。
火力発電所は燃料不足で停止し、水力設備は破壊され、送電網も寸断されていた。
都市機能を再建しようにも、まず“電気そのものが存在しない”。
それが世界中で起きていた問題だった。
そうした状況下で、棘弾は全てを一気に覆した。
これは、大規模な発電施設を失い、石油施設を維持する余力すら失い、国家機能が麻痺していたエジプトにとっては、あまりにも大きすぎる恩恵だった。
最初に電力が復旧したのは、カイロの行政区画だった。
次に医療施設、通信施設、そして水処理施設へと供給が広がった。
灯りが点いたのは、それから間もなくだ。
数年間、夜の都市は闇に沈んでいた。
発電が止まり、街灯も信号も消え、建物は黒い影のように並んでいるだけだった。
夜になると、人々は火を囲むか、小さな発電機を回してわずかな灯りを確保するしかなかった。
だが、ある夜を境に、それが変わった。
街灯が一つずつ点き始め、建物の窓から光が漏れ、ナイル川沿いの橋が再び照らされた。
長い闇の時代が終わった瞬間だった。
夜に灯りを取り戻したカイロの街並みを初めて見たとき、人々は泣いた。
街のあちこちで歓声が上がり、見知らぬ者同士が抱き合い、誰もが空を見上げていた。
かつて「国の終わり」とまで言われた我々の首都が、再び闇を払い、夜空に輝いたのだから。
だが恩恵は首都だけではなかった。
地方都市も電力不足に苦しむことはなくなり、砂漠地帯の村でも小型の変換装置を設置すれば電力が得られるようになった。
農村では井戸のポンプが再び回り始めた。
それまで人力で水を汲んでいた地域でも、機械が動き出した。
ナイル沿いの耕作地では灌漑設備が復旧し、干上がりかけていた農地が息を吹き返した。
漁業も回復した。
冷蔵施設が動き始めたことで、魚を保存して遠方へ運ぶことができるようになった。
電力というものが、国家にとってどれほど重要なのか、我々はその時初めて思い知らされた。
だが、我々が再建できた理由は、ただエネルギーを得たからだけではない。
棘弾は電力だけでなく、環境を改変させる特性によって、水質の浄化や土壌改良にも寄与していた。
棘弾の周囲では微細な粒子の活動が活発になり、有害物質や重金属が急速に分解・沈殿、要するに水が“浄化”されていた。
しかも人為的な処理ではなく、自然現象のように進行していた。
さらに驚くべきことに、水量そのものにも変化が起きた。
地下水や水路の水量が、明らかに増えていた。
調査の結果、棘弾は周囲の環境に応じて、水を新たに生成しているらしいことが分かった。
水が不足している地域では、その周辺で大量の水が出現する現象が確認された。
それによって起きたのは、地下水の増加だ。
棘から生成された水が土壌に浸透し、地下水脈そのものを拡張していった。
地下水が湧き上がり、干上がっていた井戸が再び満ちる。
それまで地下水に頼れなかった地域でも、干上がった水路に水が戻り、灌漑が可能になった。
最初は誰も信じなかった。
だが、複数の地域で同じ現象が確認され、データが揃うにつれて、政府もその事実を認めざるを得なくなった。
これが確認されると、棘弾の回収と配置が国家事業として始まった。
水源地、農地、砂漠地帯──必要な場所へ棘弾を配置することで、環境改善を進めた。
すると、さらに驚くべき変化が起きた。
土壌が変わり始めた。
長年塩害や乾燥で劣化していた土地が、数週間のうちに耕作可能な状態へ変化していった。
棘の影響を受けた地面は、ただの砂ではなく、粒子同士が結びつき、水分を保持する性質を持ち始めた。
これまでは、水を撒いてもすぐに地中深くへ抜け落ちるか、蒸発して終わりだった。
だが、棘の影響下では、水が“留まる”。
しかも均一に広がり、植物の根が吸収できる形で保持される。
さらに、土壌と水の変化は連鎖的に別の変化を呼び込んだ。
微生物の増殖だ。
これまで存在できなかった微生物の活動が急激に増え、有機物の分解と再構築を促進し、土壌に栄養を与えていく。
単なる「水のある土地」ではなく、「作物が育つ土地」へと変わっていった。
保水力が上がり、栄養素の循環が回復する。
砂しかなかった土地が、徐々に“土”へと変わっていった。
結果として、これまで不毛だった地域に、明確な変化が現れ始めた。
そして、ある地域では草が生え始めた。
最初は小さな緑だった。
棘の周囲に、草が点在する程度のものだ。
だがそれが数週間、数ヶ月と経つうちに広がっていく。
草が増え、低木が根付き、やがて農作物が栽培されるようになる。
砂漠のど真ん中で、それが起きていたのだ。
最初は誰かが種をまいたのではないかと疑われたが、違った。
棘弾の影響を受けた土壌の中で、休眠していた種子や微生物が活動を再開し、植物が自然に発芽していた。
そして決定的だったのが、“オアシスの自然発生”だ。
従来のオアシスは、地下水脈や地形の条件が偶然重なって生まれるものだったが、棘の影響下では違う。
水が生成され、保持され、土壌がそれを逃さない。
その結果、砂漠のただ中に、条件が揃ってしまう。
つまり意図せずとも、オアシスが“生まれる”。
何世代にもわたって放棄されていた土地が、人の手を借りずに再生し始めていた。
実際、我々が確認しただけでも、数十箇所で同様の現象が起きていた。
オアシスを中心に小規模な集落が形成され始めた。
これはエジプトにとって歴史的な出来事だった。
砂漠の緑化は、何十年も研究されてきた国家課題だった。
巨大な灌漑計画。
ナイル川から水を引く運河事業。
大規模な植林プロジェクト。
いくつもの国家事業が試みられてきたが、どれも莫大な費用と時間が必要だった。
成果が出るまで数十年単位の計画ばかりだった。
だが棘弾は、それを数日から数週間で変えてしまった。
砂漠の緑化。
水質の改善。
土壌の再生。
長年にわたり解決の糸口すら見えなかった問題が、わずかな時間で急速に好転していったのだ。
そして変化は、それだけにとどまらなかった。
棘弾の影響を受けた植物に、変異が確認された。
研究者たちの報告によれば、通常の植物とは異なる遺伝的変化が起きていた。
水分の消費が少なく、強い日差しにも耐え、塩分を含む土壌でも育つ。
つまり、砂漠環境に適応した新しい植物だ。
その中には、穀物や果実をつける植物もあった。
最初は研究対象だったが、やがて農業試験が始まり、実際に食料として利用できることが確認された。
特に農業への影響は決定的だった。
農業用水の確保が安定し、砂漠に適応した作物の出現で農地の生産性は何倍にも膨れ上がった。
これまで収穫量の少なかった土地でも、安定した作物生産が可能になり、食糧の自給能力が飛躍的に向上した。
かつては飢餓と渇きに苦しんだ我々の土地が、新たな食糧を生み出す源に変わった。
この変化が持つ意味は、単なる農業の回復にとどまらない。
人口分布が変われば、物流が変わり、防衛戦略すら変わる。
これまでナイル沿いに集中していた都市や人口が、分散できるようになった。
一極集中のリスクが減り、国家としての耐久力が格段に上がった。
それまでのエジプトは、ナイル川流域に極端に依存していた。
あの川がもたらす肥沃な土壌と水──それだけが、我々の文明を支えていた命綱と言っていい。
周囲を見れば分かる。
広がっているのは、ただの砂だ。
作物は育たず、水は乏しく、人が定住するにはあまりにも過酷な土地。
だからこそ、ナイルを失うということは、そのまま国家の死を意味していた。
実際、歴史を振り返れば何度もあった。
洪水の周期が乱れた時、上流で水量が減った時、そのたびに社会は不安定化し、争いが起きた。
それが、何千年も続いてきた構造だった。
ナイルがあるからエジプトは存在する。
逆に言えば、それ以外の場所には価値がなかった。
だが、ガクラの棘が導入されてからは事情が一変した。
土壌そのものが再生し、植物の根を強く支え、乾燥地帯でも作物が育つ。
地下水が増え、灌漑が可能になる。
ナイルに依存しない農業が成立したことで、干ばつや水量変動によるリスクが大幅に低減された。
かつては人が住めなかった砂漠地帯が次々と緑地へと変わった。
その結果、砂漠のただ中にいくつものオアシスが発生し、何世代にもわたって荒廃していた土地が、今では作物を育てる肥沃な大地へと変貌しつつある。
かつて何度も議題に上りながら頓挫してきた「砂漠の緑化計画」ですら、ガクラの棘弾さえあれば実現できると議論されるようになった。
もはや夢物語ではなく、現実の選択肢なのだ。
棘弾を適切に配置し、環境を制御すれば、意図的に緑地を拡張できる。
つまりエジプトは、自分たちの国土を“作り替える”ことができるようになった。
ナイルに縛られ続けてきた国家が、初めてその束縛から解放されつつあった。
それでいて、棘弾は容易に手に入る。
本来なら、その価値は天文学的だろう。
市場で評価するならば、1本で数十億、あるいはそれ以上の価格がつくに違いない。
正直に言えば、棘の本質的な価値は金銭で計ることなどできない。
それだけで文明そのものを救う力を秘めているからだ。
1本の棘で都市のインフラを復興し、電力供給を永続的に支えることができる。
一部では「1本あれば小国を救える」とまで言われている。
だが、その国家予算級の価値を持つ棘弾を、ガクラは尻尾からマシンガンのように撃ち放つ。
結果、ひとたび戦闘があれば、大量の棘弾が残骸として我々の手に落ちる。
それが世界各地、ガクラが戦った場所で大量に手に入る。
奪い合いは起きても、どこか一国が握り潰すことはできず、国家間による奪取の心配も少ない。
供給そのものが、あまりにも多すぎるからだ。
皮肉な話だが、それが国家間の全面的な衝突を抑える要因にもなった。
正しく神からの贈り物としか例えようのない棘により、我々の国土そのものが「再生」している。
かつて人々が巨獣と飢餓に追い立てられ、国を捨てて逃げざるを得なかった地で、再び人が戻り、家を建て、子を育てることができるようになったのだ。
瓦礫に埋もれていた都市が光を取り戻し、荒廃した村に再び畑が拓かれていく光景は、我々の誇りそのものの回復であった。
そして、自然界の力を超えたこの恩恵は、中東やアフリカにおける難民問題を大きく軽減させた。
かつてサンドワームの群れの襲撃で減少したとはいえ、しぶとく残存していた武装集団は長い間、治安を不安定にする最大の要因だった。
輸送路を襲撃し、物資を奪い、時には都市の一部を占拠することすらあった。
しかし、棘弾を手に入れて以降、めっきりと活動が大人しくなった。
棘弾を利用してインフラが再建され、居住環境が劇的に改善されたからだ。
電力が供給され、水が確保され、食糧生産が安定する。
それだけで、彼らが武装してまで奪う理由が大きく減った。
それによって余裕ができ、エジプト国内に留まる必要がなくなった彼らの中で、多くの集団が動き始めた。
向かった先は、すでに国家としての機能を失い、無政府状態に陥っていたイスラエル領域だ。
都市は破壊され、統治機構は消え、誰も支配していない土地。
だが同時に、「誰のものでもない土地」でもあった。
彼らはそこに、自分たちの拠点を築こうとした。
棘弾を持ち込み、電力を確保し、水を生み出し、土地を耕す。
棘弾さえあれば、どこでも“生きられる土地”に変えられる。
かつてなら考えられなかった規模で、集団単位の開拓が始まった。
これは、単なる移住ではなく、事実上の“建国行為”だ。
様々な問題を引き起こしておきながら、都合が良ければ勝手に出ていく──そうした姿に、多くの国民は苦々しい思いを抱いている。
私とて例外ではない。
エジプトがここまで追い詰められた要因の一つは、間違いなく彼らの流入と、それに伴う混乱だった。
それを忘れて、すべてを水に流せることなど到底できはしない。
しかし、政治に携わる者として私は理解せざるを得ない。
彼らは好きで流入してきたわけじゃない。
逃げ場を失い、生き延びるためにここへ来た。
そしてサンドワームの襲撃で、多くの仲間を失っている。
あの時、武装勢力ですら壊滅的な打撃を受けた。
つまり今動いているのは、かつての「武装集団」ではあっても、同時に「生き残りの集団」でもある。
だが今や彼らは棘弾という、電力を無尽蔵に供給する装置や、開拓を容易にする素材といった、言わば“神器”を手にしている。
もはや、私たちと隣り合い、限られた土地と資源を奪い合う必要はない。
むしろ、自分たちで新しい国を築こうと考えたのだろう。
それにより、我々エジプトにとって最大の問題の一つであった「内部の難民対立」が、外へ流れ出ることでようやく解決の兆しを見せ始めた。
都市内部の衝突は減り、補給路の安全性は向上し、行政の統制も回復しつつある。
再建計画を実行するための“余裕”が、ようやく生まれてきた。
もちろん全てが終わったわけではない。
数十年にわたって繰り返された軋轢と恨みは根深く、今もなお「和解」よりも「感情」を優先する者たちがエジプト内部に留まり、国民との衝突を引き起こしている。
国民もまた、我が国に多大な損失を与えた彼らに対して拭えぬ憎悪を抱いたままだ。
その感情は容易に消えるものではない。
家族を失った者、土地を奪われた者、長年の不安と恐怖に晒されてきた者たちにとって、彼らは「略奪者」でしかない。
この溝は深く、和解は困難だ。
おそらく、この関係は今後も長きにわたり尾を引くことになるだろう。
そして、エジプトから離れ、イスラエルで建国を選んだ者たちも、やがて「新たな隣国」として立ち現れた時、我々にとって新たな脅威となる未来は否定できない。
いずれにせよ、そうした火種は依然としてくすぶり続けており、我々の未来を不安定にしていることは間違いない。
しかしながら、私は断言できる。
ガクラがいなければ、こうした安定の兆しすら訪れることはなかっただろう。
難民問題はさらに悪化し、国家は完全に分裂し、エジプトという枠組み自体が消えていた可能性すらある。
棘弾がもたらしたのは単なる資源供給だけでなく、国家が「立て直せる」という現実を、初めて提示したものだった。
たとえ先行きが不安であろうとも、ガクラの棘弾がもたらした電力と食糧の奇跡は、多くの困難を打破し、確かに「希望」という名の現実を生み出した。
それだけで、我々にとって何よりも大きな転機だった。
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