日本製装備
アメリカ・サンフランシスコ アメリカ陸軍西部方面軍・対巨獣即応部隊 戦術指揮官補佐/市街地掃討・難民護衛作戦担当将校 デリー・コールター
かつてのサンフランシスコは、西海岸防衛網の中核都市のひとつだった。
対巨獣用迎撃砲座、対空・対地兼用レーザー拠点、地下避難網を備えた「優先防衛指定都市」。
名目上は、戦力が集中配備された“安全な街”とされていた。
だが、それは昔の話。
度重なる巨獣の襲撃で迎撃設備は急速に消耗し、補修用の部材も、整備要員も、弾薬も足りなくなった。
それでも、巨獣はこちらの事情など一切考慮しない。
襲ってくる以上、迎撃せざるを得ない。
そんな日々が続いた。
前線部隊は常にローテーション不足だった。
休養はおろか、部隊の再編成や装備更新すら満足に行えない。消耗した部隊を、そのまま次の戦闘に放り込むような運用が常態化していた。
軍上層部はついに、西海岸各地の都市や基地を切り捨て、戦力をサンフランシスコ方面へ集中させる──いわゆる「西海岸防衛線再構築」という苦渋の決断を下した。
結局、それでも状況は好転しなかった。
せいぜい、崩壊の速度を少し遅らせただけだ。
むしろ逆効果だった面もある。
軍に守られた「最後の安全地帯」を求めて、市民の大半がサンフランシスコへ流れ込んだ。
その結果、湾岸部を中心に、インフラも治安も管理しきれない規模の巨大スラムが形成された。
……そういう「餌」が集結した街を、巨獣たちが放っておくはずがない。
連中は繰り返しサンフランシスコを襲った。
中には、わざわざロサンゼルス方面から遠征してくる個体や群れまでいた。
ロサンゼルスも、かつてはサンフランシスコと同じ「優先防衛指定都市」だったが、防衛線再構築の過程で切り捨てられ、結果的に完全放棄された街だ。
正直に言えば、当時はどの都市も似たような状況だった。
巨獣に奪われる街そのものは、もはや珍しい話じゃなかった。
問題は、その「奪われた街」が終点じゃなかったことだ。
ロサンゼルスを縄張りにした連中が、拠点を固めると同時に、定期的にサンフランシスコ方面へ狩りのような遠征を仕掛けてくるようになった。
そのうち、代表的な群れが「ライカン鎧種」と呼ばれていた巨獣の群れだ。
ライカンから派生した種で、外見はオオカミを基礎に、霊長類に近い上半身構造を持つ混成型。
直立二足走行と四足疾走を使い分け、都市廃墟の立体構造を利用して高速で移動する。
連中は完全な群体行動をとり、中心には必ずアルファ個体──いわゆる「ライカン・アルファ鎧種」が存在していた。
本来の獲物は他の中型巨獣だったが、俺たち人間も標的にされた。
理由は単純、手頃だからだ。
人間は群れる。
武器を持っていても、負傷すれば動きが鈍るし、避難民キャンプは物資と人間が密集している。
連中からすれば、効率のいい狩場だった。
アルファ個体が率いる狩猟グループは、明確に役割分担をしていた。
偵察役、追い立て役、仕留め役。
遠征のたびに、必ず一定数がキャンプ周辺に張り付き、俺たちの動きを観察していた。
撃ち合いになっても深追いはしない。
撤退も異様に早い。
後になって分かったことだが、奴らにとって俺たちが集まるサンフランシスコは「敵の拠点」じゃなかった。
都合のいい「補給地点」だった。
狩りに出る前、あるいは狩りの帰りに立ち寄れる、消耗を補える場所。
人間を殺し、喰い、奪った物資で体力を回復する。
そうやってロサンゼルスを拠点にしながら、サンフランシスコ周辺まで行動範囲を広げていった。
だから俺たちは、迎撃だけじゃなく、市街地外縁での掃討作戦と難民護衛を同時にやらされることになった。
前線でも後方でも、休める場所なんてなかった。
昼間は瓦礫と廃ビルの間を潰し歩き、夜はキャンプの外周で銃を構えていた。
休める場所なんてどこにもなかった。
当然、そんな状況が長く続くわけがない。
流通は完全に寸断され、弾薬も医療品も底を突きかけていた。
燃料不足で車両は動かせず、重火器は撃てば撃つほど首を絞める。
このまま続ければ、巨獣に潰される前に、俺たち自身が干上がって終わりだった。
ロサンゼルスが完全に落ちた瞬間から、西海岸は「防衛戦線」じゃなく、「巨獣の狩場との境界線」になっていた。
ただし、状況を変えた出来事が起きた。
日本へ交易に向かった民間交易船が持ち帰った兵器群だ。
ガクラの存在を背景に、日本は防衛体制の再構築と同時に新兵器開発を急速に進めていた。
その成果物の一部を交易に回していて、アメリカの交易船が裏ルートに近い形で持ち帰り、軍が大金を積んで買い上げたらしい。
当時の俺たちからすれば、あれは「兵器」というより、ほとんど異物だった。
ガクラの棘弾を加工して作られた自家発電機。
エネルギーベースの新型バズーカ
新型アサルトライフル。
対巨獣用レールガン。
そして、自衛隊が試験運用していたホバーバイクの試作機。
最初に木箱を開けた時のことは今でも覚えてる。
見た目だけなら兵器に見えなくもない。
だが、近づくと妙だった。
金属とも生体素材とも違う質感で、触ると微かに熱を持っている。
しかも通電してないはずなのに、内部から低い振動音みたいなものが聞こえた。
整備班の連中は最初、本気で警戒していた。
「こんな得体の知れないもん、本当に持ち込んで大丈夫なのか」ってな。
何せ、当時のアメリカ軍ですら、既存兵器を維持するので精一杯だった時代だ。
そこへ突然、“見たこともない原理で動く兵器”が送られてきたんだから当然だよ。
新型バズーカと新型アサルトライフル、レールガンは自家発電機との併用を前提とした充電式で、前線に回されたのはそれぞれ一丁ずつだけだった。
バズーカとレールガンは、一発で小型巨獣を即座に仕留められ、大型個体にも時には致命傷を与えられるくらいの威力があった。
特に、レールガンはとんでもない兵器だった。
それまでの対巨獣兵器ってのは、「大量火力でどうにか押し止める」が基本だった。
砲弾を撃ち込み、ミサイルを叩き込み、それでも止まらなければ撤退する。
だが、あのレールガンは違った。
一撃そのものが“通用している”感覚があった。
着弾した瞬間、装甲ごと肉を抉り飛ばし、内部から破裂するみたいに吹き飛ぶ。
従来兵器じゃ何十発撃っても止まらなかった個体が、たった一射で動きを止める場面を見た時は、前線の空気そのものが変わった。
新型アサルトライフルに関しちゃ、あれは根本からして違う。
設計思想はレールガンに似ているが、火薬も入ってない金属のケースレス弾に、エネルギーを纏わせて発射する仕組みだ。
銃弾で貫くと言うよりは、銃弾が纏ったエネルギーの爆発でダメージを与える、アサルトライフル型グレネードランチャーみたいなものだった。
しかも火薬を使わないから、従来兵器みたいな弾薬管理が不要だった。
もちろん弾丸そのものは必要だが、少なくとも推進薬や薬莢不足に悩まされない。
補給事情が崩壊しかけていた当時、それだけでも革命的だった。
銃の数が限られている分、使う場面は厳選されたが、それでも戦況をひっくり返す切り札になった。
ホバーバイクは別の意味で問題だった。
奪い合いになった。
燃料不足と物資欠乏で、既存のバイク文化なんてとっくに消えていた時代だ。
休日に乗るどころか、触る機会すら失っていた。
そんな中で、静音で高速で、瓦礫を飛び越えられるSFじみた“機動兵器”が来たんだ。
しかも、追加装備で機銃や小型ロケット弾を搭載した“武装バイク”。
それでいて活動時間に制約があっても、内蔵されている棘弾の欠片で半永久的に飛べる。
たった一台しかないホバーバイクを巡って、元バイカーだった兵士連中と、なぜかやたら詳しい大佐まで目を輝かせて、誰が乗るかで揉める始末だった。
冗談抜きで、あの時の基地内の熱気は異様だった。
整備班なんて完全に少年に戻ってたよ。
「エンジン音がしないのに加速してるのはどういう理屈だ」とか、「重心制御があり得ない」とか、みんな工具片手に周囲をうろついていた。
まあ実際には、下手に触るなって命令が出てたから、本当に触れた奴はほとんどいなかったが。
試験走行を見た時は、全員言葉を失った。
道路を走るんじゃない。
瓦礫の山を“滑る”んだ。
崩壊した高架道路の隙間を飛び越え、放置車両の上を掠めるように通過していく。
当時の前線環境じゃ、あれ以上に理想的な機動兵器は無かった。
しかも静かだった。
従来のバイクみたいな爆音が無い。
遠くから聞こえるのは、低い風切り音みたいな唸りだけだ。
だから偵察にも使えたし、夜間移動でも目立ちにくかった。
一番馬鹿げていたのは、燃料補給の概念そのものが違ったことだ。
当時の世界じゃ、ガソリンは前線で最も貴重な物資の一つだった。
輸送車を動かすにも、発電機を回すにも、航空機を飛ばすにも必要で、常に不足していた。
なのにあのホバーバイクは、棘弾の欠片を内蔵しているだけで飛び続ける。
もちろん永久機関じゃない。
出力低下もあれば定期調整も必要だったらしいが、少なくとも、“燃料切れで止まる兵器”ではなかった。
だから皆、目の色を変えた。
あれは単なる新型車両じゃない。
補給体系そのものを変えかねない代物だったからな。
だが、一番衝撃的だったのは自家発電機だった。
正確には、その動力源の「ガクラの棘弾」だ。
発電能力も持続時間も、当時の米軍技術とは桁が違っていた。
たった1本で、野戦病院ひとつだけじゃなく、周囲の簡易居住区や通信設備まで含めて電力を供給できた。
電気が戻っただけで、人間はここまで持ち直すのかと、正直驚いた。
照明が点くだけで、兵士の表情が変わる。
温かい食事が作れるだけで、空気が変わる。
通信設備が安定するだけで、指揮系統が立て直せる。
冷蔵設備が動けば、薬品や血液も保存できる。
あの頃の前線じゃ、“電力がある”ってだけで全てが変わる。
学者連中は、ようやくアメリカに届いたガクラ由来の生体サンプルとして棘弾を研究したがっていた。
発電機とホバーバイクを解体して、中身だけ回収しようとしたって話も聞いた。
だが、軍上層部はそれを即座に却下した。
研究より、まず戦場で使える即戦力を優先したんだ。
ちなみに、後で聞いた話じゃ、交易船が持ってきていた武器は、日本側から見ればすでに時代遅れだったそうだ。
それでも、なぜか異常なほど好条件で取引が成立し、自衛隊の厳しい検閲を通過した上で、アメリカへの持ち込み許可が出た。
同封されていたメッセージは、要約するとこうだ。
「今回は特別価格。次は運用データと一緒に、それなりの金か、等価の物資を用意してくれ」
……あいつららしいやり方だと、今なら思う。
当時の日本は、もう“善意だけで動く国”じゃなかった。
巨獣時代を生き延びる中で、あいつらは嫌でも理解していたんだ。
技術も資源も兵器も、全部が国家の命綱だってな。
だから表向きは友好的でも、持ち出し管理は異様に厳しかった。
棘弾関連技術の無断解析は禁止。
主要兵器の分解も制限。
発電機やレールガンに関しては、運用データの提出義務まで付いていた。
つまり日本は、“売って終わり”じゃなく、技術優位そのものを管理していた。
どちらにしろ、日本製兵器の性能を実地で確認した軍上層部は、即座に動いた。
急遽、アメリカ海軍の輸送艦を事実上の「軍用交易船」に仕立てて日本へ送り込み、大量調達に踏み切った。
皮肉な話だが、交渉の立場は完全に逆転していた。
かつてはアメリカが武器を売り、日本が頭を下げる側だったが、その時代は完全に終わっていた。
相次ぐ巨獣との戦いで、疲弊も消耗も限界に近づいていた当時の俺たちにとって、日本から入ってくる自家発電機や新兵器は、単なる装備補充じゃなかった。
戦況を立て直すための、数少ない「突破口」だった。
それは、巨獣時代で世界の情勢に変化があっても、大きくは揺るがなかった。
ガクラが出現してから最初の1年半ほどは、その活動範囲がほぼ日本国内に限定されていた。
その期間に、日本は異常な速度で立て直していた。
都市インフラの再建、防衛設備の再配置、工業生産ラインの再起動。
すべてが戦時体制のままフル稼働していて、質も量も、当時の世界基準を大きく上回っていた。
特に大きかったのは、“エネルギー問題”を半ば解決していたことだ。
世界中が燃料不足と停電に苦しんでいた時代に、日本だけは棘弾由来の発電技術で工場群を維持していた。
だから兵器開発も止まらないし、生産ラインも回り続ける。
他国が「残った装備でどう凌ぐか」で苦しんでいる中、日本だけが“次世代兵器”を量産し始めていた。
日本以外に目を向けても、中国やロシアみたいな日本周辺国は地理的に近い分、早い段階で日本製装備の流入ルートを確保していた。
小規模でも継続的に物資を受け取り、防衛設備の再配備を進めていた。
その頃には、日本海や東シナ海周辺では半ば非公式の交易航路まで出来始めていたらしい。
護衛艦付きの輸送船団が定期的に動き、港湾都市には「日本製部品専用区画」なんて呼ばれる保管区域まで作られていたって話だ。
それに比べて、太平洋を挟んで何千キロも離れているアメリカは、補給も交渉も、全てが後手に回っていた。
往復には2ヶ月を越えるし、船団は巨獣の活動海域を迂回しなきゃならず、輸送効率は最悪だった。
しかも太平洋航路は距離が長い分、一度襲撃を受けると損失が洒落にならない。
輸送艦一隻沈められれば、数ヶ月分の物資と人員がまとめて消える。
結果として、俺たちは日本の物資と技術を、何がなんでも確保しなければならない立場に追い込まれていた。
もっとも、前線にいる連中にとって、国家のプライドなんてどうでもよかった。
武器が手に入るなら、いくらでも金を積むし、恥もクソも関係なく頭を下げる。
生き残れる確率が上がるなら、国の威信なんて後回しだ。
実際、日本製装備が届いた直後の部隊は露骨に士気が変わった。
「これなら戦える」
本気でそう思えたんだよ。
そうして新たに搬入された日本製装備によって、サンフランシスコ防衛線は別物になった。
まず整備されたのは、移動式エネルギー供給拠点だ。
棘弾由来の発電ユニットを搭載したコンテナ型拠点が、防衛線の内側と外縁部を循環するように配置された。
これによって、砲台、通信機器、医療施設、さらには前線の簡易工廠までが安定して稼働するようになった。
それまでの俺たちは、電力が落ちるたびに「どこを止めるか」を考えていた。
この段階から、ようやく「何を動かすか」を選べるようになった。
即応部隊への新型兵器の優先配分も、現場の空気を変えた。
数は多くないが、確実に効く。
それだけで兵士の動きは変わる。
撃てば倒せる、当たれば止まる──その確信が、無駄な消耗を減らし、判断を早めた。
それだけじゃない。
さらに大きかったのが、日本から大量に仕入れた「火薬を生成する植物」の存在だ。
正確には、種と栽培・加工の技術一式だが、これがミサイルや砲弾などの兵器再生産体制の基盤になった。
それまでの兵器は消耗品で、撃つたびに減っていく一方だった。
だが、この植物を利用した簡易生産ラインが稼働し始めてからは、“補充できる弾”になった。
撃つことを躊躇わなくなったのは、戦場では致命的な違いだ。
これまでは備蓄を削りながら撃つだけの戦争だったが、ようやく「作りながら戦う」段階に入った。
さらに、棘弾エネルギーで稼働する新型エンジンを既存機体に組み込んだことで、武装ヘリと戦闘機が本格的に再稼働した。
あの時、基地に戻ってきた編隊を見た瞬間、空軍の連中が本気で歓声を上げていたのを覚えている。
それまでの航空戦力は、名ばかりだった。
弾薬不足、燃料不足。
「無駄撃ちを避けろ」「飛行回数を減らせ」という命令ばかりが積み重なって、極端な話、パイロットが銃を担いで地上戦に駆り出される時代が何年も続いていた。
空を飛ぶはずの兵士が、地上で消耗していく。
その異常な状況に、ようやく終わりが見え始めた。
それまでの「とにかく耐える防衛」から、「主導権を取り返す防衛」へと切り替わった。
迎撃は受動的なものではなくなり、こちらから圧をかけ、巨獣の行動を制限する段階に入った。
当然、その動きは国内でも波紋を呼んだ。
東海岸方面軍からは、「なぜ西海岸ばかり優遇される」「こちらにも同等装備を回せ」という抗議と要求が、ほぼ毎日のように司令部に叩きつけられていた。
政治家も巻き込んで、会議室では激しい言い争いがあったと聞いている。
だが、現実問題として、当時のアメリカは国内全域が戦場だった。
東海岸へ向かう内陸物流網は寸断されたまま復旧の目処が立たず、都市間輸送は事実上、賭けに近い状態だった。
ロサンゼルスを失い、サンフランシスコが次の標的になる可能性が高い状況で、ここが落ちれば太平洋側の補給線そのものが崩壊する。
だから、優先順位ははっきりしていた。
まず西海岸を守る。
太平洋側を維持できなければ、外部からの物資も技術も入らなくなる。
それが崩れれば、国内のどこも持たない。
冷たい判断だとは思うが、あの時点で他に選択肢はなかった。
少なくとも、現場にいた俺たちはそう信じて戦っていた。




