転落
韓国・ソウル 学生(当時) ソン・セギョン
学生にとって、スクールカーストは空気と同じ。
あって当然で、誰もそれを正面から語らない。
それは勉強や部活の実績だけじゃ決まらない。
コミュ力、容姿、親の地位──特ににソウルの名門校では、“親の肩書き”が何よりも強力だった。
私は“韓国財閥の令嬢”。
文字通り、勝ち組の頂点だった。
父は韓国十大財閥の一つに数えられた企業グループの副会長。
母は元アナウンサーで、週刊誌の表紙を飾ることもあった人。
ソウルの江南の名門私立校に通い、送り迎えは専属運転手つき。
休日には愛飲していた高級な紅茶で嗜む、優雅な毎日。
制服の着こなし、髪型、筆箱の中身から学校での振舞いまで、すべてが“基準”だった。
「セギョンに憧れて、同じリップを買った」
「あのセギョンのブランドバッグ、私も欲しい」
あの頃、私に似せようとする子は後を絶たなかった。
中毒?
ええ、正直な話、私自身がその“崇拝”に酔ってたわ。
周りには、同じ財閥か上流家庭の子女で固めた取り巻き。
女王様ごっこ?
いいえ、本気だった。
学校という狭い社会の中で、私は先輩たちよりも上に立っていたつもりでいた。
私の前で失言すれば即グループから外される。
逆に気に入れば、学校での立場が跳ね上がる。
“スクールカースト”という言葉では生ぬるい、“階級社会”そのものだった。
イケてる男子たちは、あの手この手で私の気を惹こうとした。
成績トップの秀才、スポーツ推薦のエース、アイドル志望の美形誰もが、私の隣を競い合った。
カーストの低い男子や、地味で貧しい女子なんて、私の視界には入らなかった。
農村出身とか、片親とか、親が自営業レベルの子たちは、まるで存在しないも同然に扱われてた。
挨拶もされない、されることすら期待されてない空気みたいな存在。
むしろ、話しかけてきたら「分をわきまえろ」と冷笑するのが礼儀ってもの。
私の笑顔一つで、教室の空気は変わった。
教師すら私の機嫌を伺ってたわ。
名門大学への推薦枠が、誰に割り振られるか暗黙の圧があった。
卒業までは、この地位が崩れるなんて一度も思わなかった。
進学後も、留学、名門企業へのコースは確約されてたし、いずれは財閥系の後継者候補たちと政略結婚して、さらに上の世界へ行く予定だった。
それが、かつての私。
巨獣が当たり前になると、韓国軍はソウルに戦力を集中させていたわ。
在韓アメリカ軍は「自国防衛を優先する」と言って、撤退。
巨獣が現れつつある世界で“比較的安全な都市”の一つとまで言われていたソウルは、いきなり自分たちだけでなんとかしなきゃいけない状態になったの。
でも、正直そこまで深刻だとは思わなかった。
徴兵制の適用年齢が引き下げられて、男子たちは浮き足立っていたけど、私たち財閥令嬢には関係なかったし。
授業内容も少しずつ戦時体制寄りに変わってたけど、それも「まぁ一時的なものでしょ」って空気。
“学生”である限り、生活と余裕は保証されていたし、何より、私たち“上流階級”は常に守られる側だった。
家には防災用の地下シェルターがあったし、軍との専属連絡員もいた。
登下校には防犯車両がついて、何かあれば即座にヘリでの避難ルートもあった。
それに、これから先の巨獣との戦いでは、私たちのような財閥系企業は必要不可欠だと言われ続けていた。
兵器を作る会社、燃料を扱う会社、物流を支える会社。
国家が生き残るためには、それらを維持しなければならない。
なら、その経営層や関係者、その家族が優先的に守られるのも当然。
少なくとも当時の私は、そう疑いもしなかった。
要するに、“選ばれた人間のための安全保障”がきちんと整っていたのよ。
災害も、貧困も、難民も、私たちとは“関係のない話”だと、心の底から信じてた。
「災害対策」って言葉が学校で出ても、みんな心配そうな顔をしていても、私たちは“どれだけの庇護があるか”を確認しあって、安心し合っていた。
「軍が財閥を守る」
「政府が何とかしてくれる」
「私たちは最優先だから大丈夫」
そんな空気が、私たちの間に漂っていたの。
でも、すべてが崩壊したきっかけは、北朝鮮だった。
あそこに初めて巨獣が現れてから、国家は一ヶ月も持たなかった。
もともと慢性的な物資不足と統制依存の体制だったから、異常事態への耐性がなかった。
軍も痩せこけた兵士がいたようなものだし、当然よね?
むしろ、一ヶ月でも頑張った方よ。
最高指導者は即座に逃げたわ。
どこへって?
もちろん、ロシア方面。
でも噂だと、道中で巨獣に襲われて、“真っ先に部下に見捨てられた”とか、ロシアでホームレスになって、痩せこけた姿で物乞いしてるとか──どのみち、ろくな末路ではなかったのは、確かみたいね。
本当の問題は、その後。
指導者を失って暴走した北朝鮮が、巨獣に対して無差別にミサイルやら核まで使い始めた。
多くの巨獣を駆逐できたけど、その代償として、都市機能と生活基盤は完全に崩壊。
そして、生き残った国民は“安全と食料”を求めて、一斉に南へ流れ込んできた。
韓国政府は即座に国境を封鎖しようとしたけど、もう遅かった。
山を越え、川を越え、厳重な地雷原さえ強引に突破して、何十万人もの北の人たちが、雪崩みたいに押し寄せてきた。
ソウルには、その受け皿がなかった。
難民キャンプなんて収まるはずもなく、あちこちで略奪と暴動が起きたわ。
軍はそれを鎮圧するために防衛線を割いて、人も物資も疲弊していった。
そして、最後の決定打が来た。
ソウルの地面から、突然巨獣が現れた。
地下鉄の線路を突き破って、駅ごと吹き飛ばして、街のど真ん中で暴れ始めた。
最悪のタイミングだった。
難民、混乱、分断、資源の枯渇どれもが同時に進行していた中での襲撃だった。
本来なら、きちんと軍が機能していれば、あの程度の1体には対処できたかもしれないけど、もう全てが“間に合って”なかった。
巨獣が現れたその日、ソウルという街の“秩序”は崩壊したわ。
北朝鮮の一件は、まだ少しずつ事態が悪化していったからまだ余裕が持てたけど、巨獣に関しては、本当に突然で、まるで“日常”の床が抜けるような感覚だった。
惨劇は一瞬で、何もできなかった。
私たちはちょうど学校にいた。
いつもの制服、いつもの教室。
教師が黒板に何か書いていて、誰かが寝ていて……なのに、突然ものすごい地響きがして、床が揺れて、窓の外に黒煙と火の柱が上がった。
避難訓練の通り、先生の指示で体育館に集まった。
そこで待つように言われたけど、生徒の中にはパニックになって逃げ出す子もいた。
でも私は違った。
財閥の令嬢としての“余裕”が、まだ残ってたのよ。
だって、親が迎えに来るって連絡してきたもの。
「すぐ車を回すから、そこを動かないで」って。
私はそれを信じてた。
信じて当然だった。
私の家は、財閥よ?
あらゆる人脈、資産、情報が揃ってる。
どんな緊急事態でも、私を守れる手段が用意されてるはずだった。
でもそれっきり、連絡は途絶えた。
一時間、二時間。
夜になって、学校の電気が消えて、先生たちが「帰れない」と騒ぎ始めた頃にも、私は信じてた。
……けど、迎えは来なかった。
私の携帯の電波はもう届かない。
誰も、あのメッセージの続きは送ってこない。
今も“会いに来ない”ってことはつまり──そういうことなんだと思う。
軍からの救助も来なかった。
外ではまだ巨獣が街を徘徊していたし、空には偵察機が旋回していたけど、それだけだった。
後で知った話だけれど、あの時点でソウル中心部はすでに「限定的放棄区域」として扱われていたらしいわ。
あの巨獣襲来で防衛線が崩壊してからは、短い間に北朝鮮からの難民や小型巨獣にソウルが占拠された状態だったもの。
どんな経緯があったか詳しくは知らないけど、防衛線の再構築を優先するため、救助よりも封じ込めを選択した。
つまり、あの中に取り残された人間は、実質見捨てられたも同然だった。
日を追うごとに、私たちは救助が来るのを諦め、自分で生き抜くしかないって状況に追い込まれたと気付かされたわ。
でも最初のうちは、以前の感覚が抜けきらなかった。
私は“大企業グループの令嬢”で、学校の頂点。
取り巻きがいて、庶民は命令を待つ立場──そんな空気が、当然のように残っていた。
実際、最初の数日はそれが通用していた。
私の周囲には自然と人が集まり、水や食料も優先的に回ってきた。
誰かが飲み水を持ってくれば、まず私のところに置かれたし、缶詰や乾パンも、何となく先に私たちの区画へ運ばれてきた。
その頃の私はまだ、それを当然だと受け取っていた。
だけど、それは長く続かなかった。
いつしか男子生徒たちは、役割を分担して動くようになった。
誰が外へ出るか、誰が残るか、誰が情報を集めるか、簡単な話し合いで決めるようになった。
近くのコンビニや、もう人がいなくなった店舗、崩れた倉庫から食料を持ち帰る。
住宅街に入り、倒壊した家から毛布や医薬品、乾電池、懐中電灯を回収する。
他の避難所や学校、教会、地下駐車場を回って、どこがまだ使えるか、どこで巨獣が出たか、どこに軍の車両が来たかを探る。
彼らは、ただ歩いて戻ってくるだけではなかった。
戻ってこない者もいたし、戻ってきても無傷ではなかった。
衣服を引き裂かれ、片腕を庇いながら戻る者もいた。
顔や手に深い傷を負って、しばらく言葉を失っていた者もいる。
ひどい時には、誰かを担いで帰ってきた。
歩けなくなった生徒を、二人がかりで運び込むこともあった。
そのたびに、避難所の中は静かになった。
生きて帰ったことへの安堵より先に、次は自分たちが同じ目に遭うかもしれないという恐怖が来たから。
それでも、彼らは外に出た。
食料を集め、仲間を守り、別の避難所の情報を持ち帰った。
安全なルートを探し、危険な地域を避けるための目印まで作っていた。
誰に命令されたわけでもない。
必要だから、そうするしかなかったのだと思う。
男子生徒たちが危険を冒して物資を集めてきたり、巨獣から仲間を守ったり、他の避難所の状況を探ったりして私たちを支える。
飲み水を誰に渡すか、見回りに誰を入れるか、夜の見張りをどう組むか。
そういう小さな判断が積み重なるにつれて、誰かが言い出した。
「……なんで危険なことしてる俺たちの方が、立場下なんだ?」
それが、きっかけだった。
別に誰かが反乱を起こしたわけでも、決定的な出来事が起きたわけじゃない。
ただ、自然と、けれどあまりにも急速に力関係が変わり、中心にいる人間が入れ替わっていった。
それまでの避難所では、顔が広い者、口のうまい者、家柄のいい者が自然と中心にいた。
けど、巨獣が街を歩き回り、外に出ること自体が命がけになると、それは通用しなくなった。
実際に集団を支えていたのは、外へ出て物資を持ち帰る者だった。
水の置き場を確保し、食料を集め、壊れた建物から使える道具を抜き出し、他の避難所の状況まで確認して戻ってくる。
そういう人間がいなければ、その場の全員がそのまま立ち行かなくなる。
誰の家がどれだけ金持ちかより、明日も帰ってこられるかどうかの方が重要だった。
力関係が変わるきっかけになったのは、そういう実務だった。
体力のある者、外を動ける者、情報を持っている者、怪我人を担げる者。
そういう人間が、次第に発言権を持つようになった。
避難所の入口に誰を立たせるか、物資をどこに置くか、見回りを何人で回すか。
以前なら私たちが指示していたようなことを、現場を知っている者が決めるようになった。
顔がイケてて話が上手なだけの男子より、即席で武器を作れる農村出身の男子がリーダーとして頼られるようになった。
壊れた机の脚を削って槍にしたり、鉄パイプに布を巻いて持ちやすくしたり。
そういうことができるだけで、周囲の見る目は変わる。
応急処置や薬の知識が豊富だからって、それまで地味扱いされてた女子が率先して守られるようになった。
包帯の巻き方、発熱時の対処、傷口の消毒。
そういう知識があるだけで、何人もの命がつながるから。
ブスだと笑われてた女子でも、角材片手に暴漢をぶん殴れる度胸を見せたら、男子たちから尊敬の眼差しで見られるようになった。
サバイバルでは見た目ではなく、度胸と実績で見られる。
じゃあ、親がすごかった私たちは?
役立たず。
たったそれだけの言葉で、私たち“上の人間”は切り捨てられた。
教養も血統も、平和な時代にしか通用しない飾り。
立ち居振る舞いの丁寧さは誰の役にも立たない。
リップは削れて口を守るにも使えない。
ブランドバッグは値段や素材ではなく、使えるかどうかしか見られなかった。
ハイヒールは逃げる時の障害でしかない。
ピアノも、フランス語も、マナー教室も、株式の名前も……この世界では何の意味もなかった。
大企業の副会長の娘?
そんな肩書きは、避難所の中では何の価値も持たない。
生き残りに貢献しないなら、存在しないのと同じ。
「父が大企業グループの副会長だ」なんて口にしたところで、ただの空腹な人間の前では虚勢でしかなかった。
むしろ私は、何もできない、何の役にも立たない、ただの“お飾り”だった。
そのことは、すぐに態度に出た。
最初のうちは、まだ昔の名残で周囲も遠慮していたけど、日が経つにつれて、その遠慮が消えていった。
食料の配給は後回しにされ、見張りの輪にも入れられなくなり、外で回収してきた物資の分配からも外された。
誰かが水や毛布を運んできても、私の名前は呼ばれない。
そういう小さな無視が、毎日積み重なっていった。
そのうち、男子の中には面と向かって「何もできねぇ奴は黙ってろ」なんて言う人も出てきた。
以前なら、そんな言い方をする人間は私の周囲から一瞬で消されていたはずだった。
けれど、もうそんな力は私には残っていなかった。
私が睨んでも、怯える者はほとんどいない。
誰も、私の機嫌を取って得をする状況ではなくなっていた。
あれだけ自信に満ちていた私が、ただの重荷として扱われるのに、そう時間はかからなかった。
誰も私に話しかけなくなり、食料を分ける輪にも呼ばれなくなった。
以前は私の一言で静まっていた空間が、今では私が何も言わなくてもそのまま進んでいく。
まるで最初からそこにいなかったみたいに。
「美人」や「令嬢」なんて言葉は、もう通貨の価値を失った紙切れみたいなものだった。
平和だった頃にどれだけチヤホヤされようと、この世界で仲間に貢献できない者には何の価値も無かった。
むしろ、そういうものにしがみついている人間ほど、周囲からは邪魔者として見られるようになった。
そうして私たち“上の人間”は、静かに、でも確実に、端へと追いやられていった。
「この子、何ができるの?」
そんな目で見られるたびに、私の中で何かが削れていくのを感じてた。
ああいう視線って、意外とキツいのよ。
あからさまに侮蔑されるより、無関心で見透かされるほうがずっと痛い。
特に、私たちみたいに“与えられること”が当たり前だった人間にとってはね。
誰も私を必要としない──その現実が、一番堪えた。
かつて私の取り巻きだった子も、私から離れてその男子たちに取り入ろうとした。
最初は戸惑っている様子だったけれど、やがて外で動いている男子たちの近くに集まるようになった。
荷物を運ぶのを手伝ったり、水を分けてもらったり、情報を聞き出したり──あからさまではないにしても、関係を作ろうとしているのは分かった。
冗談じゃないって思った。
私たちが、彼らの下につくなんて──でもね、プライドを守ったところで、現実はもっと冷酷だった。
まだ過去の地位にしがみついていた子、私のような“上流階級”の子が、状況も空気も無視して場違いなワガママや文句を繰り返した。
「なんで私たちがトイレ掃除なの?」
「私は外に出ないと決めたの、代わりに誰か行って」
そんな言葉が出るたびに、周囲の目はどんどん冷たくなった。
誰もその場で怒鳴ったりはしないけれど、視線が一斉に冷える。
会話が止まり、誰かが小さくため息をつく。
そういう反応が、はっきりと積み重なっていった。
そして……そういう子は、外で戦う男子より真っ先に“いなくなった”。
別の避難所に移ったのか、何かに遭ったのかは分からない。
ただ、誰もその子を気にしなかった。
追い出された子もいた。
配給の順番で揉めて、押し倒され、そのまま外に出されるのを見たこともある。
誰も止めなかった。
止める理由がなかったから。
親が凄かった?
何十億持ってる家の子?
だから何だっていうの。
そんな肩書きより、守る価値があるかどうか、それだけで判断されていた。
親しか取り柄が無くて、状況を理解せずに貢献しない“穀潰し”より、黙ってトイレ掃除できる人の方が価値があった。
私の“ブランド”は、もう価値のない飾りだった。
いくらプライドで塗り固めても、何一つ、この世界では通用しない。
言葉ではなく“行動”で、今の価値を証明しなければ、誰も生き残れない。
そんな日々の中で、私は、あの避難所を抜け出して、自分の豪邸へ向かった。
正気じゃなかったと思う。
今ならそう言える。
でも当時の私は、そこへ戻れば全てが元に戻ると本気で信じていた。
外は完全に崩壊していた。
道路は瓦礫と放置車両で塞がれ、信号機は折れ、ビルの壁面には巨獣の爪痕が残っていた。
遠くでは何かが崩れる音がして、どこかの通りからは火の手と黒煙が上がり、時折人の悲鳴も聞こえた。
そんな場所へ、私は武器も食料も持たずに出た。
手元にあったのは、汚れた学生服と、使い慣れていない小さなバッグだけ。
水もない、地図もない、護衛もいない。
今にして思えば、あれで生きて帰れたことの方が不思議なくらいよ。
武器がないまま巨獣に襲われたらどうなるか。
そんなこと、考えればすぐ分かるはずだった。
けれど、その時の私は、それすらまともに考えられていなかった。
周囲から向けられる“役立たず”という視線に耐えられなかったのと、あの立ち位置から抜け出したかったから。
避難所での惨めさ、周りからの扱い、過去への未練、汚れた世界の寒さと空腹に苦しむ日々が、あまりにも辛くて耐えられなかったから。
私は建物の陰を選び、狭い路地を通り、ひたすら家を目指した。
大通りは危険すぎたし、見通しのいい場所は巨獣に見つかりやすい。
だから、崩れた塀と倒れた看板の間を縫うように進んだ。
途中で何度も立ち止まり、物音がするたびに息を殺した。
足元には割れたガラスや散乱した荷物があって、靴底が引っかかるたびに心臓が跳ねた。
上等だったはずの学生服も、壁や鉄柵に擦れてすぐに汚れ、裾は破れ、袖口には灰がこびりついた。
それでも私は気にしなかった。
豪邸さえ無事なら、また元に戻れる。
汚れても、ボロボロになっても、家に着けば全部終わると思っていたから。
迎えてくれる親がいる。
使用人たちがいる。
手入れされた庭がある。
暖かい照明がある。
静かな食堂がある。
私の部屋が、椅子が、席が残っている。
私は、その全部が無事だと、そんな都合のいい幻想にしがみついていた。
豪邸での優雅な日々。
学校で頂点にいた頃の空気。
誰もが私に気を遣い、私の機嫌ひとつで場が動いたあの感覚。
失ってしまったものがあまりに大きすぎて、私はそれを“戻る”ことで埋められると信じたかった。
でも、現実はその幻想を許してくれなかった。
門が見えた時点で、もう違和感はあった。
正門の一部は歪み、柵は押し倒され、敷地の外周には焦げ跡が残っていた。
いつもなら整備されているはずの植え込みは踏み荒らされ、庭石は転がり、噴水は止まっていた。
それでも私は、まだ期待を捨てきれなかった。
家の中に入れば、何かが残っている。
誰かがいる。
そう思いたかった。
でも、扉をくぐった瞬間、何もかもが終わっていることを理解した。
豪邸は、半分が潰れていた。
屋根の一部が落ち、壁は大きく割れ、吹き抜けの天井からは破片と埃が積もっていた。
廊下の絨毯は剥がされ、絵画は落ち、棚も装飾品もなくなっていた。
家具は運び去られたのか、壊されたのかも分からない。
残っているのは、引き裂かれたカーテンと、ひっくり返ったテーブル、踏み荒らされた床だけだった。
使えるものは全部消え、残ったのは空っぽの殻だけだった。
親も、使用人もいなかった。
私の部屋も、もう“私の部屋”ではなかった。
そこにあったのは、かつての優雅な日々の残骸だけだった。
私は、そこで初めて理解した。
戻る場所なんて、最初から残っていなかったのだと。
その場に立ち尽くしたまま、私は泣いた。
最初は声も出なかった。
涙だけが勝手に落ちて、汚れた制服の襟を濡らした。
膝に力が入らなくなって、そのまま床に座り込んだ。
埃っぽい空気と、焦げた匂いと、誰もいない広い室内の静けさが、余計に現実を押しつけてきた。
あれほど自分を守ってくれると思っていた家が、ただの廃墟になっていた。
私はそこで、初めて本当の意味で、自分が失ったものの大きさを知った。
現実を突きつけられて泣き続け、やがて感情そのものが抜け落ちたみたいに、私はその豪邸の中で呆然としていた。
時間の感覚も曖昧で、どれくらいそこに座っていたのかも分からない。
そんな時、避難所の男子生徒たちがやってきた。
私の姿を見ても、驚きはあったが、それだけだった。
「迎えに来た」という空気ではなかった。
視線はすぐに私から外れて、室内の状況や使えそうな物に向けられた。
誰が何を運ぶか、どこから回収するかを短く確認し合っていた。
あの時点で、彼らにとって私は目的ではなく、ただ“そこにいる人間の一人”でしかなかった。
関心があったのは、残っている食料、衣類、医薬品、工具──それだけだった。
その中の一人が、私の前に来て、バールを差し出した。
余計な説明はなかった。
ただ一言、「どうする?」とだけ言った。
私に手を差し伸べた理由は知らないけど、単に同級生の好とか、人手が欲しかったとか、その程度だったと思う。
私は、その時もしばらく何も言えなかった。
豪邸の床に座り込み、バールを見つめたまま、指先も動かなかった。
その時までの私は、完全に空っぽだった。
泣き続けて、疲れ切って、何も考えていなかった。
このまま終わってくれればいい、消えてしまえれば楽だと、本気で思っていた。
それでも私は、そのバールを手に取った。
理由は、自分でもはっきりしない。
深いドラマも葛藤も無かったわ。
怒りだったのかもしれない。
全てを失ったことへの、行き場のない感情をどこかにぶつけたかったのかもしれない。
それか、何も考えずに差し出されたものを受け取っただけかもしれない。
誰かに指示されて動く方が、空っぽのままでいられたから。
それとも、あの避難所しか、もう戻れる場所が残っていないと理解してしまったから。
自分を受け入れてくれる場所、帰れる場所が欲しかったから、それに縋って従ったのかもしれない。
ただ一つ確かなのは、あの瞬間、私は現実を否定することをやめたということだった。
この世界では、何ができるかでしか見られない。
それを、ずっと見せつけられてきた。
それでも、過去の自分がそれを拒んでいた。
受け入れたら、自分が何者でもなくなると分かっていたから。
けれど、豪邸に戻って、何も残っていない現実を見た時、その抵抗は消えた。
あそこに守るべきものも、戻る場所も、もうなかった。
虚勢を張る理由も残っていなかった。
だから私は、差し出された武器を持ち、何も言わずに彼らの後ろについていった。
あの頃の私は、確かに“女王”だった。
けれど、この世界には王も女王もいない。
あるのは、生き残れるかどうか、それだけだった。
受け入れて動く者が残る。
拒み続ける者は消える。
それだけの話だった。
プライドなんて、砕けて消えていた。
今の私が誰の娘かなんて、もう誰も気にしていなかったし、気にする必要もなかった。
生き残るためには、そんなものは要らなかった。
……世界が少しずつ落ち着きを取り戻した頃。
釜山で仲間と一緒に買い出しに行った時、偶然、昔愛飲していた紅茶の素を見つけた。
懐かしくて、思わず買って、帰ってから久しぶりに淹れてみた。
でも、それはもう、あの頃の味じゃなかった。
保存状態は良かったし、質も悪くなかった。
昔と同じ高級な風味があったはずなのに、今の私には安物の紅茶との違いが分からなかった。
その時に感じたのは、“期待外れ”って感想だけだった。
「久しぶりに飲んだけど、味わかんねぇ」とか、「刺激足りないからコーラのほうがいいな」とか、「昔の私、よくこんなのをありがたがってたな」なんて、仲間と笑いの種にしてた。
その後になってようやく気づいたわ。
“あの頃の私”には、もう戻れなくなったんだって。
でもね、不思議とあの頃みたいに“味が分かる自分”に戻りたいとも思わないの。
生きているってことはそれだけで、贅沢だから。
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