【番外編03】エンスリーン・W・セサル伯爵夫人
番外編の為、本編の読後感が好きな方にとっては蛇足の可能性があります。
カルロス・アルヘンタ公爵の葬式は盛大なものだった。
なにせ現国王の甥で、王太子の従兄弟で、ここ数年国内で一気に力を付けているジュラエル王国ホワイトサファイア伯爵家と直接伝手を持つ人物だった。九人でやってきたホワイトサファイア伯爵家のご令嬢のうち、伯爵の実子であるミュールプフォルテを妻とした男だった。
人生の栄華を極めていた男は、突然病に伏した。
残念ながら健康の面では、幸運が恵まれなかったらしい。あっという間に体調を崩し、カルロスは亡くなった。
「旦那様……!」
ついにカルロスが収まっている棺が地面の下に埋められるという時、それまで泣き崩れる子供たちを支えながら立っていたアルヘンタ公爵夫人が、耐えきれないとばかりに、棺に飛びついた。
王妃や王太子妃に次いで高い立場にある美しい令嬢は、棺に縋っておいおいと泣いている。
それを、馬鹿にする者などいなかった。まだ若いにも関わらず、夫に先立たれてしまった夫人。夫婦仲は良好だったと言われていた。その悲しみがどれだけのものだったか。人々はつられるように涙をにじませた。
母が泣いているのを見て、子らも耐えきれないとばかりに棺に泣き付いた。
「お父様、お父様!」
「どうしてこんなに早く……」
「僕の子が生まれるまで生きるって言って下さっていたのに……」
三者三様に泣き崩れる子ら。
ジュラエル王国から嫁いだミュールプフォルテは、それはそれは美しかった。喪服に身を包んでいても隠しきれない美しい白髪やブルーの瞳。
そして夫人によく似た顔立ちの子らもまた美しい容姿で、彼らが棺に縋る様は、誰も割り込めない雰囲気をまとっていた。
暫くの時間を置いて、棺に縋りついたミュールプフォルテにそっと寄り添い、彼女を棺から引きはがした人物がいる。
エンスリーンである。
ミュールプフォルテの義姉であるエンスリーン。彼女はミュールプフォルテが結婚した翌年、国内のとある伯爵と婚姻し、名前をエンスリーン・W・セサル伯爵夫人と変えていた。
元々国内で様々な商いをしていたセサル伯爵は、エンスリーンの助言を受けるようになってから、飛躍的に事業が発展している。そして、元々はアルヘンタ公爵家との縁はなかったものの、夫人同士が義姉妹という事で、国で一番の勢いを誇る公爵家との縁を得る事が出来ていた。閑話休題。
エンスリーンに支えられて、ミュールプフォルテは力なく棺から離れた。
嫡男には妻が、長女には婚約者である王子が、そして末子の次男には祖父にあたる前アルヘンタ公爵が。
それぞれ誰かが寄り添い、棺から離された。
カルロスの入った棺は、ひとりで、地面の下に埋められた。
アルヘンタ公爵家の歴代の当主や夫人たちが眠っている墓場。順番的には前アルヘンタ公爵夫人の眠る墓のすぐ横にいくべきであろうが、そこから少し離れた場所に眠る事になった。
そこは、カルロスの実母――前アルヘンタ公爵の愛人であった女性が眠っている場所だった。
亡くなる時ぐらい、実の母の傍で眠らせてやりたい。前アルヘンタ公爵がそう願い、ミュールプフォルテも受け入れた結果であった。
涙を止め、背中は曲げず凛と立つミュールプフォルテを斜め後ろから支えながら……エンスリーンはカルロスの棺を見つめていた。その目は、睨んでいるといって差し支えなかった。
◆
エンスリーンの個人的な感想として。
カルロス・アルヘンタという男は、
(小さい男)
だと、彼女は思っていた。
地位がいくら高かろうと、精神が小物なら小物――というのが、エンスリーンの思考である。
本当に尊敬し敬うべき人間は、必ずしも高いところにいる訳でもない。極論ではあるが、何も持たない貧民であろうとも、その精神性は金持ちに勝っている事だってある。
まだ彼が小公爵と呼ばれていた頃。バルトロメと比べれば、カルロスは遥かに良い男だと言えただろう。けれど、傲慢さや、人を人と思わぬ部分は、彼らはよく似通っていた。カルロス本人に言ったならば怒り狂っただろうが、
「流石異母兄弟」
というのが、エンスリーンの気持ちであった。
生まれ持ってのものだったのか、それとも、月日がたつうちに、似てきたのか。実際の所がどちらであったのかは、エンスリーンには分からない。彼女が知っているのはミュールプフォルテに着いてこの国に来て以降のカルロスの姿しか見ていないからだ。
それでも、その内アルヘンタ公爵を継ぐ立場である事を思えば、彼の性格はそこまで問題でもなかった。公爵となる男が、小心者のようなそぶりをするのは、それはそれで問題があるから、傲慢である方がよかったと言えるだろう。彼の場合は次期公爵という高い地位がある故、多少の傲慢は「小公爵なのだから当然だろう」と見て取られる。そこまで大きな問題にはならない。
ただ、彼の性格や行動に纏わる問題は、年を経るごとに大きくなっていったのだ。これが、よくなかった。
一番の切っ掛けは、前アルヘンタ公爵夫人の死であろう。
前アルヘンタ公爵夫人は、アルヘンタ公爵家の正当な血筋の持ち主である。カルロスにとって義理の母であり、血の繋がりのない人だ。夫人の生前は、夫人を重んじ、従っているように見えた。けれど夫人が亡くなった後、カルロスは目に見えて行動を大きくした。
それまで夫人が主導で動かしていたいくつかの事業を潰したり、縮小させたりしだしたのである。カルロスはただただ、夫人とは逆の事を、進んでするようになった。
それだけで、カルロスが前アルヘンタ公爵夫人を内心でどれだけ疎んでいたのかが目に見えて分かった。
個人的な好悪はあるだろう。しかし進めている事業などを「主導していた人間が嫌いだから」と止めるのは、エンスリーンからするとあり得ない行為だ。
事業の出来。事業の良し悪し。事業の未来性。
そういうものを鑑みて、この事業を続けるのか、辞めるのか。それを検討するべきである。しかしカルロスは明らかに公爵家に利をもたらすであろう数々の事業を、「夫人が関わっていたから」と終わらせようとしだしたのだ。ミュールプフォルテと共に周囲の人間が止めても駄目だった。仕方なく、まだ完全には潰されていない事業たちは、ホワイトサファイアの義姉妹たちの間で割り振って引き取った。
中には「公爵家の後ろ盾がある」という前提故に進んでいたものもあり、そういったものの中には延命できずに終わってしまったものもあった。
(なんと愚かなのか!)
この時から、義姉妹たちの間でカルロスへの疑念や嫌悪感が生まれ始めたのだが、いくつも事業を無駄にしたからだけではない。
カルロスは実父である前アルヘンタ公爵に対しても強く当たり出したのだ。
当時、前公爵は深刻ではないものの病気を患っていた。そこに、信頼していた妻が亡くなった。前公爵は――当時はまだ公爵だったが――精神的に弱ってしまったのだ。王子として生まれ育っていたとはいえ、人間である。しかも、病気を抱えている。彼が精神的に弱ってしまった事は、そこまで責められた事ではんかった筈だ。
けれどカルロスはあっという間に実父を押しのけ、言いくるめ、実権を奪った。
「この程度で落ち込まれるのであれば、爵位は私に譲ってくださいませ」
などと言って。
……ミュールプフォルテが公爵を領地に逃がさなければ、そのまま冷遇しかねない勢いだった。
この一件は、ホワイトサファイアからやってきた者たちの中で、カルロスに対する警戒が強まる事に繋がった。疑念、嫌悪だけにとどまらず、忠誠すら揺らいだだろう。
これは、文化的背景の影響が強い。
ジュラエル王国では、血筋の管理が徹底されている。血筋の偽造はかなり大きな犯罪だ。そうした傾向があるため、同じ血が流れる者同士の結束も強い。例外もありはするし、同族であるからこその嫌悪もあるが、一般的には『同じ血が流れる仲間』として助け合うものである。
こういう傾向を持つジュラエル王国人にとって、『実父(しかも、決定的な問題があった訳でもない)』を追いやる行為が、よく見られる訳がなかったのである。
逆であれば、まだ理解が出来ただろう。血の繋がった親が亡くなり、血の繋がっていない親だけが残ったのであれば、意見の相違から道が分かれる事も理解しやすい。
しかしカルロスは、血の繋がらない母が亡くなった後、血の繋がった父を冷遇しだした。
『血のつながりは彼にとって重要な事ではない』
血の繋がりがあるとも、彼は簡単に相手を切り捨てる。実の親という、最も強い関係性の一つにこうも冷たい態度を取ったのだから、それと同等や以下の関係性では、どれだけ容赦ない判断を下されるか、分かったものではない――。
ホワイトサファイアの者だけでなく、アルヘンタ公爵家の縁戚たちも、震えあがり、大変な人間が次期当主になってしまったのではないか、と思い始めた。
自身が距離を取られていた事、そしてあからさまなゴマすりや機嫌取りをされていた事に、カルロスはどれだけ気が付いていただろうか。
◆
葬式後。公爵家の屋敷では、激しい人の出入りがあった。
地位の高い人間に訪れる人生の節目というものは、対応しなくてはならない事務仕事なども多くなるのだ。
かつてカルロスが使っていた執務室の一室で、エンスリーンと夫のセサル伯爵は向き合うようにテーブルに座って、さまざまな書類の処理をしていた。執務室にいるのは彼らだけではなく、公爵の部下として働いていた者も多い。
セサル伯爵が混じっているのは通常であればない事であったが、公爵夫人ミュールプフォルテから直接エンスリーンとセサル伯爵に手紙の処理を依頼された為、二人は席について処理をしていた。
「全く……本日まだ地の下にカルロス卿が眠ったばかりだというのに、手紙をよこす家の多い事多い事」
お悔やみを言う名目の手紙であり、悪いものではない。とはいえ、さまざまな処理に追われる立場からすれば、面倒だとも思ってしまうのが手紙の対応だ。カルロスは病気であったとはいえ急死に近い形で死した。跡を継ぐ事になった嫡男夫妻が、急に対応するのは難しいだろう。
「貴方。余計な口を動かさないでくださいませ」
「すまない。だがやっと上が片付いたというのに、一息つく事すら出来ないなんてと思ってな」
「貴方」
エンスリーンの言葉にセサル伯爵は肩をすくめた。
執務室にいる他の部下たちは皆、苦笑していた。それだけだ。エンスリーンが懸念した、カルロスの死を喜ぶようなセサル伯爵の言葉を咎める雰囲気はない。
口には出さないが、気持ちはわかる――。
そんな空気が流れている。
一人ぐらいは、本心はともかく言葉ではセサル伯爵の言動を咎めるかと思ったが、実際はいなかった。
(なんとも、まあ。慕われていなかったのね、形だけでも)
エンスリーンはミュールプフォルテの側近に近い形で公爵家に出入りしていた。
ただ、カルロスの直属の部下である執務室の部下たちとは、そこまで関わりがなかった。
カルロス自身ではないにしろ、アルヘンタ公爵家への強い忠誠心から動いている部下も多いかと思ったのだが、そうでもないのか。
(いいえ。違うわね。家への忠誠が高い者ほど、カルロス・アルヘンタの死を喜んでいるのでしょう……)
カルロスがいなくなれば、前公爵にも可愛がられていたミュールプフォルテの第一子が跡を継ぐ。前公爵は病気で細くなったものの、今は病状も落ち着いている。カルロスがどこかで取り返しのつかない失態を犯すよりは、前公爵が後ろ盾となって嫡男が若き当主となるほうが、未来がある。
多くの人間が夢物語で考えていそうな形だ。
少し前まではそれは夢物語だった。カルロスには暗殺を阻止する部下もおり、体も強く病気の一つもしていなかった。誰も咎められない形で彼が消える未来はなかった。
それが一転し、体を崩し病気になって、あっという間にカルロスは天の国に連れ去られていった。
「我々は、真摯に新しきアルヘンタ公爵様にお仕えするだけです。セサル伯爵もどうか、お力をお貸しくださいませ」
執務室で長らく働いている人間の一人がそう声をかけて来た。セサル伯爵は「勿論ですよ。妻がいつもお世話になっております故」と返事している。
そんな会話を聞きながら、エンスリーンはミュールプフォルテに直接渡して処理をしてもらう必要がある手紙をいくつかまとめて持ち、立ち上がった。
「奥様にお渡ししてくるわ」
「エンスリーン夫人。そのような事はこちらでいたしますが」
伯爵夫人に雑用をさせるなんて、という風に出て来た使用人に、エンスリーンは片手を出した。
「いいえ。ミュールプフォルテ様のご様子もうかがいたいの。私にさせてくださる?」
「畏まりました」
エンスリーンは歩き出した。
アルヘンタ公爵家の廊下を歩く。
少しいった所で、前方から歩いてきたのは義姉妹の一人だった。
「デヴォラ」
「エンスリーン……」
廊下で久々に顔を合わせた義姉妹に、エンスリーンはなんと声をかけるべきか分からなかった。彼女一人なら色々と声をかけられただろうが、彼女の横には幼い子がついてきている。デヴォラの息子だ。一方で、デヴォラの夫の姿はない。
デヴォラはカルロスの部下の一人であったエンリケ子爵と結婚した。今はデヴォラ・W・エンリケ子爵夫人と言われている。彼女の産んだ子である息子は、子爵家の跡取りであった。
しかし、カルロスが自ら結婚を斡旋するほど重用していた部下の子だというのに、デヴォラの息子は殆ど公爵家に出入りしていなかった。
させられなかったのだろう。デヴォラの気持ちが、エンスリーンには理解出来た。
エンスリーンも、デヴォラの息子と顔を合わせたのは久方ぶりの事だった。まだ這いずり回っているような年ごろに一度だけ、見かけたきりだった。今はもう、顔立ちもしっかりと分かるほど成長している。
その顔はカルロスによく似ていた。
「ミュールプフォルテ様の所に行くの?」
「ええ。そうよ。仕事でね」
「そう。良いわね」
デヴォラの言葉に、エンスリーンは内心で強く拳を握った。
デヴォラはエンリケ子爵と結婚して以後、まともに表に出てきていない。表向きはエンリケ子爵が彼女を溺愛するが故に外に出さないようにしていると言われている。表向きの話だ。
「私も先ほど、ミュールプフォルテ様にご挨拶していたの」
ここに息子がいるという事は、息子も連れて――であったのだろう。
デヴォラは去った。息子を連れて。
エンスリーンはミュールプフォルテの部屋につき、手紙を渡した。それから、デヴォラの事を口にした。
「久しぶりにデヴォラに会いましたわ」
「すれ違ったのね。そう。他に人はいた?」
「いいえ」
「ならよかったわ。デヴォラはともかく――あのご子息は、あまり見られてはいけないでしょう」
ミュールプフォルテの言葉にエンスリーンは僅かに視線を下げた。
デヴォラの息子の顔を見れば、分かる。あれはエンリケ子爵の子ではなく、カルロスの子だ。不義の子、という事になる。
デヴォラの結婚は急に決まった。しっかりとした式も挙げずに彼女は嫁ぐ事になった。その後子が生まれた時期は、結婚した時期を考えれば早すぎた。あれは、焦って処理をしようとした結果、急いでいたのだと分かる。
(ミュールプフォルテ様は――どう、思われているのだろう)
義理の妹であるとはいえ、別の人間だ。エンスリーンには、ミュールプフォルテの心情を全て把握する事は出来ない。
自分の夫が自分以外と子を成した。元々、エンスリーンたちは『状況によっては愛人などになり子を産む事』すら仕事の一つだった。それは事実だ。
しかしカルロスとミュールプフォルテの関係は順調で、既に子はいた。エンスリーンたちはカルロスの愛人になる道ではなく、アルヘンタ公爵家の為に別の場所で政略結婚をすべきであった。
そんな状況下で、カルロスの子をわざわざ孕み跡継ぎ問題を起こすような真似をデヴォラがするとは、エンスリーンには思えなかった。けれどデヴォラは、何も言わなかった。経緯を知ろうとしたエンスリーンたちには何も語らず、言われるがままに結婚した。ミュールプフォルテも彼女を庇っていなかった。
――デヴォラは、欲を出してミュールプフォルテ様を裏切ったというの?
――彼女がそんな事をするとは到底思えない。
そんな事を思いながらも、エンスリーンは口に出せなかった。男女の仲は理性だけで処理出来る問題でもない。デヴォラの息子とミュールプフォルテの末子の年は同じなので、ミュールプフォルテが妊娠している最中に、デヴォラはカルロスの子を孕んだ事になる訳だ。
自分が妊娠している時に、夫がほかの女に手を出した。しかもその女は義姉だった――。
ミュールプフォルテにとってはどれだけ屈辱的だったか。表には絶対に出さずとも、強く怒りや恨みを抱いていても、おかしくはない。その気持ちをエンスリーンは分かる事が出来ない。
子がおらず、既に伯爵家の後継は親戚筋から引き取る事を夫婦で話し合って決めているエンスリーンには、分からない『女の感情』の世界の話だった。
結局エンスリーンは何も言えないまま、ミュールプフォルテの部屋から立ち去った。
ミュールプフォルテ視点的なお話を後一話更新予定です。
更新時期は未定です。




