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暁光  作者: 藍川朋子
7/7

秋・椿 2-2

「おはようございます」

ちゅんちゅんと鳥の囀りが清々しい朝である。清涼な空気、爽やかな澄んだ風に当たって気分でも入れ替えようと、秋水軍将軍周藍が回廊から足を踏み出した途端、待ち構えたように朗らかな声がかかった。

夏国王名代、暁亮である。にこにこと朝日を返すようなとびきりの曇りのない微笑に、周藍は深く、深くため息をついた。

「気分が優れないようですね。どうかしましたか?」

「‥」

昨夜の邂逅など何事もなかったかのように、暁亮は平然と尋ねて来る。心底心配そうに眉を顰める様はいっそ優美であったが、周藍のため息は消えない。

(‥こいつは、こういう奴だったのか)

(なんて隙のない仮面なのか)

周藍は片側だけ前髪の長い右の額に右手を当て、ため息を堪えて回廊の壁にもたれかかる。

「‥どうしてここにいる?」

暁亮はぱちくりと瞳を瞬かせ、口角を上げて微笑を湛えると、簡潔に答えた。

「散歩です。暇ですから」

「陽王や宰相殿に謁見する筈だったのでは?」

「それは午後です。子規殿がそう言ったのではありませんか」

「‥そうだったな」

「はい」

「‥私で遊んでいるな?」

「はい」

悪びれもせずに暁亮は繰り返す。

「素直な方でしか遊べませんから。貴重な人材と知り合えて光栄です」

「‥」

何か言おうとして、周藍は口を噤んだ。何を返しても言いくるめられる気がする。

もう一度、周藍は暁亮を見遣り、その全身を観察する。小首を傾げつつにこやかに立っているのは、神が筆を取り描いたとしか思えない、一部の隙もない天人の美貌。それでもその体躯は、十八という年齢を加味しても男にしては小柄で華奢で、男が女装しているようにも、女が男装しているようにも見える。

(本当にこいつは女なんじゃないだろうか‥)

(いやまさか。夏国王名代が女である筈がない)

(‥だが、しかし)

一つ頭を軽く振って、周藍はもたれていた壁から身を離す。(きびす)を返したところで、暁亮がごく自然に後を付いて来る。

「‥おい」

「朝食まだですよね。是非御一緒させてください」

「あのな…」

「昨日の仕返しですよ? 断りませんよね?」

とここで、暁亮は思わせぶりに手のひらを胸の前で合わせ、軽く目を閉じた。

「私、正直言ってこんな気持ち初めてなんです‥。昨夜のことを思い出すと、とても胸が高鳴って…」

玲瓏な声で突然始まった佳人の告白に、引き込まれるように周藍は見入ってしまう。と、そこで暁亮は重ねていた手を一気に放し、他でもない周藍の右腕に絡めた。

「朝食の席で、是非、じっくりとお話しいたしましょう? 私と貴方、私たちの今後のことを。ね、とっても大切な話だと思いませんか? あのような恥ずかしい姿を見られてしまって、私、貴方とのことを思うと、なかなか寝付けなかったんです。‥せきにん、とってくださいますよね?」

「なっ、…!!」

(なんっつー言い回しを…‥っ! ってしまった、逃げ遅れた!!)

こんなところを誰かに見られたら間違いなく誤解される、と周藍が暁亮の腕を振り払おうとしたところで、第三の声が二人に投げかけられた。

「周藍。朝から何をやっている? ‥そちらは桂淋殿では?」

「陽梨…」

陰りのような艶のようなやや癖のある低さを孕んだ、明朗な声の持ち主は、秋国第一王子陽梨、(あざな)は志保。陽梨は回廊の奥から周藍の姿を認めると、足早に向かって来る。

周藍も成人男子平均よりは拳一つ分程度背が高い方だが、陽梨もまた同じくらいに背が高い。茶味がかった長い黒髪を首の後ろで一つに束ね流している。近くまでやって来ると、陽梨は周藍の腕に絡んでいた暁亮の両手をじろりとひと睨みした後、それには何も言及することなく名乗る。

「現陽王の長男陽梨だ」

「夏国王名代暁亮、字を桂淋と申します」

秋国第一王子であるというだけではなく、秋国軍左軍将軍の肩書きを持つ陽梨を前にし、暁亮は周藍に絡めていた手をするりとほどいて、互いの身分に相応しい礼をとろうとする。しかしそれは当の陽梨に押し止められた。

「今はいい。それよりも、謁見の間へ向かうように。夏国から客人だ、明王の一行と同道していた者が途中賊に襲われはぐれ、先程白焼宮へ到着したらしい。今頃は父王と話しているところだろう。源基、と名を名乗っていたが」

「源基…白架殿ですね。ええ、夏国の武将です。明王と共にこちらへ参る予定で‥。そう、白架殿が…」

陽梨の告げた言葉に暁亮はわずかに驚愕を浮かべ、その藍色の星の瞬く夜空のような瞳を俯けて呟く。

「一見したところだが、怪我はなく、体には特に不自由ない様子だったが」

「志保殿。お知らせ頂き感謝します。お言葉通り、私はこのまま謁見の間へと向かいます。御前、失礼を。‥子規殿、申し訳ありません。こちらから言い出したことですが、お食事をご一緒させていただくのは、また次の機会に。では」

一礼し、暁亮は踵を返した。向かう足取りには迷いなく、すぐにその姿は回廊の奥へと消え去る。

(‥)

その姿を観察し、周藍は眉を顰める。

(‥まだ来て何日も経たないというのに、もうこの宮殿の内部を把握しているのか)

(それは‥あの格好で、夜ごと出歩いているからか?)

「確か…明王からの親書の使者は、ずっと、その源基ではなかったか」

思いつくままに、周藍は傍らの陽梨に話しかけた。

「そうだな。私は顔を見るのは初めてだが、確かに源基という名は聞いている。今回、和平条約調印の使者もてっきりその源基が来ると思っていたが」

陽梨もまた、訝し気に眉を顰め、周藍の声に頷く。

秋水軍将軍周藍と秋国第一王子陽梨、彼ら二人は、身分の差こそあれ、年は同じ、幼い頃からの親友である。考えること、言いたいことは、言葉にせずとも互いに把握できる仲だ。

暁亮の煌びやかな容貌と(あで)やかな雰囲気につい目を奪われがちではあるが、その中に紛れる小さな違和感を、片や将軍、片や王子の二人ともが鋭敏に感じ取っていた。

「調印の使者、王の名代こそ、まさに大事な役目だろう。見たところ、源基は老成した武人だった。貫禄も度胸もあり、腕に覚えのある強者といったところか。それを、最後の局面になってあの若い暁亮に切り替えた訳か、明王は。

…源基という名なら、戦のいくつかの場面で聞いたことがある。明王が王となる前からの古参の臣下だ。一方で、暁亮という若造の名は今まで聞いたこともない。周藍、おまえは知っていたか」

「いや…」

問いかける陽梨に周藍は首を振って否定する。

「‥知らない。聞いたこともない。だがあの物腰、接する態度、只者とも思えない。

陽梨、桂淋殿は十八歳だそうだ。私たちの一つ下だな。こういっては何だが、私は名家の出、陽梨は王の息子だ。だが桂淋殿は? (きょう)という姓は聞いたこともない。名のある家の出身ではないだろう。後ろ盾のない若者が王の名代、しかし夏国王明理は無能な者に大役を与えるような愚かな王とも思えない…」

「‥周藍」

声を低め、陽梨は周藍に顔を寄せた。

「何かあるな。この和平は、単に額面通りに受け取れない。裏がある」

「‥裏か」

「いや、裏、とは言えないかもしれない。夏国が秋国と和平を結びたいのは本当だろう。だが、それだけではない。この機に夏国は何か企んでいるのかもしれない。だってそうだろう。暁亮は先んじての調印のために、夏国明王よりも5日も先に出立した筈だ。源基は明王と共に出立し途中ではぐれたとして、なぜ、わずか2日しか到着に差がないのだ?」

「‥初めから…源基は明王と同行してはいなかった? では源基は何をしていたというのだ」

「秋の偵察。どうだ、周藍」

「‥」

周藍は陽梨の言葉を反芻する。だが、それでもまだ、違和感は残る。

「‥それでは、やはり話は合わない。源基の目的が秋の偵察だとして、なぜ今到着する必要がある。もう何日かして明王と合流してから来れば良いではないか。この時間差、秋国側から疑われるだけだ」

「‥」

ちっ、と行儀悪く陽梨は舌打ちした。品が悪いと周藍は窘めるが、一方で陽梨の気持ちも理解できる。

(違和感が消えない。つまり、まだ見えていないものがある)

(それが秋国に害を及ぼすものかどうかわからない。‥あの暁亮も)

敵か。味方か。

夏国は、秋国にとって真に和平を結ぶに値する相手であるのか。

「まだ信用できない。夏国も、あの暁亮も。周藍、お前、父上からあいつの接待役を任されているのだろう?」

「‥探れ、という訳か。やるのはいいが‥そう簡単に尻尾を出すか? 大体、向こうだって白焼宮に閉じ込められ、なんだかんだと秋国側に予定を決められて、明王が到着するまでは勾留され監視されているようなものだ」

「なら、連れ出せ」

「はあっ!?」

「父上には私が掛け合っておく。いいか。私の勘が、あいつは怪しいと告げているんだ。つべこべ言わずさっさと正体を暴いて対処しろ。周藍の私邸にでも連れて行けばいいだろう、おまえが接待役なんだから。これ幸いと何かしでかすように餌をまいてやれ。いいか、わかったな」

「あのな…」

決めつける陽梨に、周藍は額に手を当てる。

(そうだった。陽梨はそういう奴だった)

(勘はいいし、判断は早い。それが功を奏することもある。だが)

「暴走するな。源基に暁亮、確かに腑に落ちないことはあるがな。仮にも一国の王の名代を、軽々しく扱える訳がないだろう? 大体、まだ桂淋殿が何かした訳でもない、陽王は特に疑問を持っておられないのだし、いかに王子の陽梨が掛け合ったところで、そう簡単に行くか」

「いいや、行かせる。名代とは言え、もう和平調印は成った、あいつの役目はほぼ終了だ。大体さっきのやりとりもなんだ。腕を絡めて食事をご一緒にとか何とか、まったく、お遊びではないか。単身の使者が敵国の王宮内でやる振る舞いか? ふざけたやりとりに付き合ってないで、お前は大人しく私の言う通りすればいいんだ。それとも何か、断る理由があるのか!?」

「‥ないが‥、受ける理由もないぞ…」

「そんなもの理由になるか!」

言ってから、決まったとばかりに陽梨は周藍に指を突きつけた。

「とにかく! 暁亮は怪しい! 周藍はきりきり証拠集めをするように! 以上!」

「全く。仕方がないな…」

「返事は『はい』の一言だ!」

「はいはい」

「周藍! おまえな…」

拗ねた陽梨の小言は続く、適当に相槌を打ちつつ、さてどうするかと周藍は考える。

気難しく神経質なところもある陽梨は、一旦引っかかったらなかなか警戒を解かない。不幸にも、暁亮はそれに該当してしまったようだ。

(確かに違和感はある。が、…それ程あやしいものにも、危険なものにも思えないがな)

(取りあえず。今日の朝食は、久々に陽梨と摂ることにするか。少々うるさいが)

加えて、昨日暁亮の部屋に押し掛けた時よりも大分と華やかさに欠けるな、と思いつつ、周藍は旧友を食事に誘うのだった。


さてさて、間が空いてしまいました。

いろいろ理由がありますが‥、個人的に、この6月は忙しく、家族の予定に振り回されました。くくう。

「暁光」に関しては、…やっぱり、昔のお話は恥ずかしいです!!

今から見返すと、アラがもうぼろぼろと‥。友人たちはよくこんなのを読んでくれたなあ。ありがたや。

頑張って?直しましたが、今の「その白く~」に比べるといろんなノリが若干違って、

旧式の機械を運転する感じで、書きました。

思っていたよりスローペースになってしまいましたが、続きのアップも頑張ります!

おつきあい頂けると幸いです。


陽梨の描写が、元の原稿では、今と比べるといろいろ笑える感じに軽かったのでした。

修正修正っと。


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