日常と化す異常 2
そして夕刻。
王城は夕日を受けて茜色に染まっていた。この一刻ばかりはどんな色をもかき消して、世界は一色になる。
夕餉のいい匂いはここまで届いていた。今日は特に激しい訓練をしていないルディナスだったが、人間だれしも平等に腹は減る。
とはいえまだまだ夕餉には時間の余裕があるはずだった。ルディナスは兵舎の裏庭をめざした。
もちろん目的はイェランの「いたってプライベートな話」を聞きに行くためだ。
ルディナスが兵舎の裏庭にたどり着くと、木の陰でしゃがみこむ白髪が目に映った。夕日の下でなお、純白と言っても過言ではないであろうその髪色に近づくと、気配を感じたのかイェランが振り返る。
「おや、早かったですね」
「お前こそ。まだ約束の十分前だろう」
ルディナスは常に集合10分前に来るが、イェランは(仕事は別にして)なるべく無駄な時間を作らないタイプだったはず。
先に来ていたのは意外だった。
そんな心中を察したのだろう、イェランが笑って応える。
「まぁ、先約の要件がありましたので」
「そうか。………ん?」
彼の手元を覗き込むと、つぶらな瞳と目があった。
にー、とイェランの髪色と同じ色をしたそいつは小さく鳴いた。目だけが赤い。純白のシルクに、一滴の血を落としたような………と考えてしまったのは物騒な職業のせいだろうか。
「何だ、そいつ」
「さぁ………どこかから忍び込んだのでしょうか」
「よりにもよってこの(・・)城内………しかもこんな奥まった兵舎裏に? 間者に推薦したいぐらいだな」
「本当ですねぇ。いったいどんな手で隙をついて忍び込んだのやら」
「………もしかして、」
イェランが自分を呼び出したのはこのためだろうかと疑ってみれば、イェランは言葉が終わるのを待たずに首を振ってルディナスの考えを否定した。
「まさか、そんなことで貴女を呼んだりしませんよ。この子は今たまたま見つけただけです」
「そうか。私は別にそれでも良かったが」
「…………」
イェランは少し驚いてから、クス、と笑って言った。
「そうですか。てっきり貴女は、そういう俗っぽい類の話題は好かないものだと思っていました」
「……お前は本当に私を何だと思っているんだ。猫ぐらい愛でさせろ」
「ふふっ、すみません。今度からはご相談しますね」
「別に常にそういう話題を振れというわけでは」
「わかってますって。ほんと、真面目なんですから」
クスクス笑うイェランはがぜんルディナスをからかう気でいるらしい。このペースでは埒があかない。ルディナスはため息をついて話を促した。
「まぁいい。この猫でないなら、なんだ」
「あぁ。えぇ………」
その瞬間。
ふっ、とイェランはメガネの奥で瞳を曇らせた。言葉が一度途切れ、逡巡が雰囲気に現れる。そうしてなお、開かれた口からこぼれ出たのは予想外の言葉だった。
「ルディナスは………『紅髪の呪い』という言葉は聞いたことがありますか?」
それは、アレミス国の民衆の間でささやかれるうちに広まった、【噂話】。
「………………愚問だな」
いまさら何を、と言った感じだ。知らないものなど、もはや居もしまい。どうしてそんなことをわざわざ問うのか。
イェランは「そうですね」と笑って、また真剣な目つきに戻って、さらに問う。
「ルディナスは、どう思いますか?」
「……どう、とは?」
「『呪い』ですよ。あると思います?」
「いいや」
「さすが、そこは即答なのですね」
「だが、一概に『異常』を否定はできない。現に何人も死んでいるからな」
「えぇ、その通りですね」
アレミス王城の一画に隠れるように建つ塔の中。紅髪の姫はひっそりと在る。
その姫の唯一の世話役として常駐することになった人間は、二、三ヵ月と待たずに例外なく――死ぬ。それが、紅髪の呪いだ。
「これは、私の個人的な、要請です」
イェランは、頭を下げた。綺麗な白髪が、重力に従ってするりと顔の上に落ちる。
「ルディナス、手伝っていただけませんか」
にぃー、と、子猫の声が場違いに響いた。