二人で行く
保健所の再立入が入ったのは、木曜だった。
一度目の検査は指摘なしで終わっている。それなのに二度目が来た。理由の欄には「記録内容の追加確認」とある。
建築物ねずみ昆虫等防除業の立入検査は、防除作業監督者が終日立ち会わなければならない。
うちの監督者は、私一人だ。
朝の九時から、夕方の五時まで、私は事務所の机の前に座っていることになった。
電話が鳴ったのは、午前十一時だった。
三隅が受けて、私を見た。
「加納さん。葛飾の保育園です」
私は検査員のほうを見た。若いほうが、綴りをめくっている。
「代わってください」
園長の声は、震えていた。
「加納さん。あの、先月お話を伺った者ですが」
「覚えてます」
「落ち葉、毎月出してました」
「はい」
「それで、今朝、園庭の砂場の下から」
私は椅子から立った。立ったが、それ以上は動けなかった。
「大きさは」
「五十センチくらいだと。二匹見えました」
「子供は」
「今、全員を三階の遊戯室に上げました。七十八人です」
電話の向こうで、子供の声がしていた。何人かが泣いている。
「加納さん。来られますか」
私は検査員を見た。
年配のほうが、こちらを見ていた。聞こえていたはずだ。
「加納さん。立ち会いを外れると、検査は中止になります」
「なりますね」
「中止になると、更新は不可になります」
彼の言い方は、脅しではなかった。事実の確認だった。
私は受話器を持ち替えた。
この検査を落とすと、加納防除サービスは防除業を名乗れなくなる。名乗れなくなると、来月からどの現場にも入れない。
今日助けて、来月から一件も助けられない。
「園長先生」
「はい」
「うちの者が、二人行きます」
「加納さんは」
「行けません。代わりに、行ける二人を出します」
私は電話を切って、番号を二つ押した。
戸田すずが着いたのは、二十分後だった。
冒険者ギルド防除連携課の緋山郁は、そのさらに十分後に着いた。
保育園の前で二人が合流したときのことを、私は見ていない。
あとで聞いた話を、そのまま書く。
すずは、門の前で一度止まったそうだ。
園庭に入る前に、外から園舎を見上げた。二階の窓の位置と、雨樋の位置と、外壁の配管を見た。
誠一のやり方だ、と郁は思ったらしい。
「戸田さん。何してるの」
「経路です。中に入る前に、外を見ます。中に入ると、見えなくなるので」
「私、砂場に行きたいんだけど」
「行かないでください」
すずは、そこで初めて振り返った。
「緋山さん。今日、現場責任者は私です」
郁は何も言わなかった。
言わずに、剣の柄から手を離した。
園庭の砂場に、青いシートが掛けてあった。
園長が掛けたそうだ。見たくなかったからだと、本人が言っていた。
すずはシートをめくらなかった。
砂場の周りを一周して、水飲み場の排水を見た。それから、園舎の基礎に沿って歩いた。
基礎の通気口が、八つあった。
そのうち三つに、白いものが落ちていた。
「緋山さん」
「なに」
「砂場は、二匹じゃないです」
「何匹」
「砂場のは、出てきたやつです。本体は床下です」
すずは通気口の前にしゃがんだ。
「ここ、脱皮殻が三段階あります。世代がいってます」
「何匹いるの」
「わかりません」
彼女は立ち上がった。
「わからないので、数える前に、出口を決めます」
すずが決めたのは、三つだった。
一つ、子供を動かさない。
七十八人を階段で降ろすのは、十分かかる。十分あれば、園庭を横切られる。三階は床下から一番遠い。動かさないほうが安全だ。
ただし、三階の窓は全部閉めさせた。雨樋は外壁に沿って三階まで通っている。
二つ、通気口を七つ塞ぐ。
残す一つは、園舎の北側。園庭から一番遠く、道路との間に金網のフェンスがある場所だ。
塞ぐのに、すずは四十分かかった。一人でやったからだ。
郁が手伝おうとして、断られた。
「緋山さんは、北にいてください」
「四十分、突っ立ってるの」
「突っ立っててください。私が塞いでるあいだに出てきたら、そこしか道がないので」
「……なるほど」
「なるほどって言いました?」
「言った。悪い?」
「嬉しいです」
三つ、追い出す。
薬は、保育園用の弱いやつしか積んでいなかった。すずはそれを二倍に薄めた。
「薄めるの?」
「濃くすると、床下で死にます」
「死んでほしいんだけど」
「床下で死ぬと、死骸が残ります。死骸が残ると、それを食べに次が来ます」
彼女はノズルを通気口に差し込んだ。
「出してから、緋山さんに殺してもらうほうが、あとが楽です」
出てきたのは、十四体だった。
北の通気口から、一本の道を通って、フェンスとの間の五十センチの通路に流れた。
郁は、その五十センチに立った。
彼女は、あとでこう言っていた。
——今までで一番、楽な現場だった。来る場所がわかってたから。
十四体を処理し終えて、郁が振り返ったとき、すずは砂場のシートをめくっていた。
中の二体は、まだ生きていた。砂に潜って、動いていない。
「緋山さん。ここ、お願いします」
「先に言って」
「言ったら、先にやったでしょう」
「やった」
「やられると、床下が後回しになります」
すずはシートを畳んだ。
「本体からやります。見えてるのは、あとです」
郁は二体を処理して、それから砂場に立ったまま、しばらくすずを見ていた。
「戸田さん」
「はい」
「あなた、加納さんに似てきたわね」
「似てないです」
「似てる」
「似てないです。加納さんなら、四十分もかけません」
すずは、そこで急に座り込んだ。
膝が笑っていたそうだ。
「……緋山さん」
「うん」
「私、七十八人いる建物で、判断しました」
「した」
「間違ってたら、どうなってたんですか」
「間違ってない」
「でも」
「戸田さん」
郁は剣を鞘に納めて、彼女の横にしゃがんだ。
「私、十三年これをやってる。班で四人死んでる」
「……はい」
「四人とも、判断したのは私」
園庭に、三階の窓から子供の声が落ちてきた。窓は閉まっているのに、うるさかった。
「間違ってなかったときは、こうなるの」
郁は空を見ていた。
「たまにしかないから、座り込んでいい」
夕方五時に、検査が終わった。
指摘事項なし。更新は問題なしと告げられた。
年配の検査員が、帰り際に一度だけ振り返った。
「加納さん。午前の電話、片付きましたか」
「片付いたそうです」
「そうですか」
彼は靴を履きながら言った。
「行かないほうが、たぶん正しいです。私はそう思います」
「はい」
「思いますが、私だったら行ってました」
彼は頭を下げて、出ていった。
二人が戻ってきたのは、六時過ぎだった。
すずは白衣ではなく作業着で、髪に砂が入っていた。
郁は、いつもどおりだった。
すずが、報告書を出した。
その日のうちに書いてある。日付、場所、経路、施工箇所、薬剤、使用量、回収数、残置箇所、次回点検日。
うちの様式だった。
私は最後まで読んだ。
読んでから、判を押した。
「加納さん。何か」
すずが、机の前で立ったままだった。
何か言ってほしそうな顔をしていた。
私は報告書を綴りに挟んだ。
「様式どおりです」
すずの顔が、少し歪んだ。
「……それだけですか」
「それだけです」
「もうちょっと、なんかないんですか」
「ないです」
彼女は鞄を掴んで、出ていこうとした。
扉のところで、郁が彼女の肩を叩いた。
「戸田さん」
「なんですか」
「あの人、自分の報告書にも同じことしか書かないわよ」
すずは扉の前で止まった。
止まって、それから、鞄を下ろした。




