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第11話 領主オルシェナと、拒否権なき異動辞令

 鉱山での労働環境がわずかに改善され、奴隷たちにささやかな活気が見え始めていた頃。


 ある日、怜司は第二区から選別場へ黒鉄石を運んでいた。


 この頃の彼は、完全な運搬奴隷ではなくなっていた。半日は現場を見て回り、半日は帳簿補助や改善作業、残りは軽めの運搬に回る。とはいえ、奴隷であることに変わりはない。手足の枷はついたままだし、背負い籠も使う。肉体は最初より少し筋肉がついたが、まだルカンのようには運べない。無理をするとすぐ膝が笑う。前世のデスクワーク三十五歳の魂に、鉱山労働少年の体はなかなか厳しかった。


 背負い籠の中で、黒鉄石が鈍く擦れる。


 選別場には、以前より高く鉱石が積まれていた。灯苔の光を受けた黒鉄石の山は、濡れた獣の背のように鈍く光る。その中に時折、白く細い魔銀の筋が混じっている。選別役の奴隷たちは、怜司が作った簡単な仕分け台の上で鉱石を転がし、白い筋を見つけると別の籠へ入れる。仕分け台といっても、古い板を斜めに置き、下に石を噛ませただけだ。だが、腰を深く曲げずに済むため、作業は速くなっていた。


 怜司が籠を下ろした時、バラドの声が飛んだ。


「セヴ」


 呼ばれ方に、もう七番の硬さはなかった。怜司は肩紐を外し、痛む肩を軽く回してから振り向く。


「はい」


「来い。荷は置いていけ」


 バラドの顔はいつもより硬かった。怒っているのではない。緊張している。額の傷の下で、目だけが鋭く動いていた。怜司は瞬時に胃が冷えるのを感じた。現場責任者が緊張している時は、たいてい上位者が絡む。前世なら役員視察、親会社監査、重要顧客来社。この世界なら、もっと直接的に権力者だ。


「何かありましたか?」


「ザルムント伯が来ている」


 怜司は瞬きをした。


 ザルムント伯。

 この鉱山がある領地を治める貴族。

 バラドの上にいる鉱山主の、さらに上に位置する存在。

 ヴェルガ王国西部のこの土地で、法と税と兵と鉱山権益を握る人物。


 要するに、この職場の本社どころか、土地ごと持っているオーナーである。


 怜司は反射的に姿勢を正した。手首の枷が鳴る。


「僕が呼ばれる理由が分かりません」


「俺もそう思いたい」


「では、人違いということで」


「通ると思うか」


「思いません」


 バラドは短く息を吐いた。冗談を返す余裕はあるが、表情は緩まない。怜司は自分の服を見下ろした。麻袋のような奴隷服は以前より少しましになったが、それでも貴族の前に出る格好ではない。手も汚れている。肩には鉱石粉。髪には灯苔の胞子か何かがついている。鏡はないが、ひどい顔だろう。


「着替えは?」


「ない」


「洗顔は?」


「水桶で顔を拭け」


「身だしなみ改善は次の課題ですね」


「今言うな」


 バラドに睨まれ、怜司は素直に黙った。


 水桶で顔と手を拭き、髪についた粉を払う。奴隷服の汚れはどうにもならない。首の隷印も隠せない。むしろ隠そうとすれば問題になるだろう。自分は奴隷として呼ばれているのだ。体裁を整えすぎるのも危険かもしれない。怜司はそう判断し、最低限の汚れだけを落とした。


 地上へ出るのは、久しぶりだった。


 坑道を抜け、石の階段を上がると、光が目に刺さった。昼の陽射しだった。地下の灯苔の光に慣れた目には、空の青さが暴力のように眩しい。風がある。湿気と鉄錆と汗の臭いではない、乾いた土と草と馬の匂いが混じった風。怜司は思わず足を止めそうになった。バラドが横から小さく肘で促す。


「止まるな」


「すみません。空があったので」


「当たり前だ」


「地下にいると忘れます」


 バラドは何も言わなかった。


 地上の鉱山施設は、地下とはまた違う騒がしさに満ちていた。荷馬車が並び、黒鉄石を積んだ木箱が運ばれ、自由民の作業員が声を張り上げている。倉庫の前には商会の印をつけた男たちが立ち、いつもより慌ただしく動いていた。視察のために急に掃除したのだろう。普段は泥だらけの道の端に、いかにも今朝並べましたという顔の石が置かれている。前世の会社で監査前だけ書類棚が整う光景を思い出し、怜司は少しだけ遠い目になった。


 どの世界でも、偉い人が来る前だけ綺麗になる。


 人類共通の悲しい文化なのかもしれない。


 鉱山主の管理棟は、木と石を組み合わせた二階建ての建物だった。地下の奴隷牢に比べれば宮殿のようだが、貴族の館というほど華美ではない。実務のための建物であり、壁には鉱石粉がうっすら積もっている。入口には武装した兵が二人立っていた。革鎧ではなく、金属の胸当てを着けている。腰の剣も飾りではない。怜司が近づくと、彼らの視線が首の隷印と手足の枷を確認した。


 建物の中へ入ると、空気が変わった。


 地下の湿気ではなく、乾いた木材と油と紙の匂い。机、椅子、棚、地図、帳簿。怜司は思わず周囲を観察してしまった。壁にはザルムント伯領の地図らしきものが掛かっている。山地、街道、川、鉱山、村。文字はまだ完全には読めないが、黒鉄石を示す記号と魔銀を示す白い印は何となく分かる。鉱山は領地の端に位置し、街道で領都へ繋がっているらしい。


  会議室らしき部屋の前で、バラドが足を止めた。


「余計なことを言うな」


「どの程度までが余計でしょうか」


「そういうところだ」


「質問も余計ですか」


「相手による」


「一番難しいやつですね」


 バラドは怜司を睨んだが、その目にはわずかな心配もあった。数週間前なら考えられない変化だった。怜司は軽く頭を下げる。


「できるだけ、鉱山の損にならないようにします」


「自分の首の心配をしろ」


「それも鉱山の資産保全に含まれます」


「……もういい。入れ」


 扉が開かれた。


 部屋の中央には長い机があり、その奥に一人の女性が座っていた。


 怜司は一目で、その人物が他とは違うと分かった。年齢は三十前後に見える。若すぎるほどではなく、老いてもいない。銀灰色の髪を首の後ろで緩く束ね、深い藍色の上衣に細い銀の刺繍を入れている。宝石で飾り立ててはいないが、布地と仕立ての良さは奴隷の目にも分かった。背筋はまっすぐで、肘を机につけず、指先だけを重ねている。その姿勢に、無駄な威圧はない。だが、部屋にいる商会の男たちも、鉱山主らしき肥えた男も、ガルヴァンも、誰も彼女の存在を軽く扱っていなかった。


 鋭い目だった。


 色は淡い琥珀に近い。灯火を受けて、薄い金を含んだように見える。その目が怜司へ向いた瞬間、彼は背筋を伸ばした。威圧されたからではない。観察されていると分かったからだ。商品を見る目でも、奴隷を見下す目でもない。珍しい道具の構造を確かめるような、あるいは盤上の駒の動きを読むような目だった。


 彼女の隣に立つ文官が、静かに告げた。


「ザルムント伯、オルシェナ・ヴァイゼル=ザルムント閣下である」


 オルシェナ。


 怜司はその名を頭に刻んだ。鉱山を持つ辺境伯にふさわしい名だと思った。


 怜司は膝をつこうとした。奴隷として貴族の前に出るなら、それが正しいはずだ。だが、手足の枷のせいで動きがぎこちなくなる。膝をつく途中で転びそうになった瞬間、オルシェナが片手を上げた。


「そのままで結構よ。ここで転ばれても、こちらの時間が減るだけだもの」


 第一声は柔らかかったが、遠慮はなかった。


 怜司は半端な姿勢を直し、頭を下げる。


「ご配慮ありがとうございます」


「配慮ではないわ。時間の節約よ」


「では、時間の節約に感謝します」


 部屋の空気がかすかに揺れた。鉱山主の顔が引きつり、ガルヴァンが額に手を当てる。バラドは扉の近くで目を閉じた。怜司は自分の発言が少し危険だったことに遅れて気づいたが、もう遅い。オルシェナは表情を変えなかった。ただ、淡い琥珀の目がわずかに細くなる。


「口の回る奴隷ね」


「鉱石よりは軽いので」


 沈黙。


 怜司は死を覚悟した。前世で役員の冗談に余計な返しをして会議室を凍らせた記憶が蘇る。しかし、オルシェナは怒らなかった。むしろ、ほんの少しだけ口角を動かした。


「なるほど。報告通り、随分と妙な子ね」


 彼女は机の上に置かれた木板へ視線を落とした。そこにはガルヴァンがまとめた帳簿の写しがあるらしい。怜司には文字の大半は読めないが、数字の並びと区分線は分かる。黒鉄石の出荷量、魔銀混じりの選別量、事故停止日数、食料支出、木材使用量。自分が触れてきた現場が、数字として机の上に載っている。


「セヴ、と呼ばれているそうね」


「はい。七番の鉱山符牒だそうです」


「本来の名は?」


 怜司は一瞬だけ迷った。


 佐久間怜司。

 この世界に存在しない名。

 口にしていいのか分からない名。


 首の隷印は反応しない。だが、この場で前世の名を明かすことに意味があるとは思えなかった。


「今は、セヴで問題ありません」


「問題があるかどうかは、私が決めることよ」


 オルシェナの声は静かだった。怒鳴っていない。だからこそ、逆らいづらい。怜司は頭を下げた。


「失礼しました。前の名は、レイジです。ただ、この世界では呼びにくいと思います」


「レイジ、ね」


 オルシェナは試すようにその音を口にした。部屋にいる者たちが、聞き慣れない響きにわずかに眉を動かす。


「異国の名かしら」


「とても遠いところです」


「どれほど遠いの?」


「説明すると、時間の節約になりません」


 バラドが扉の近くで小さく咳をした。ガルヴァンの顔は完全に「やめろ」と言っている。だが、オルシェナは再びかすかに笑った。


「そう。では、今は聞かないでおくわ。セヴ。あなたがこの鉱山を変えたの?」


「変えた、というほどではありません。死ぬ速度を少し落としました」


  オルシェナの指が、机の上で止まった。


「死ぬ速度?」


「はい。以前の鉱山は、鉱石を運ぶ前に人が壊れていました。段差で転び、荷が崩れ、水場で詰まり、湿った寝床で朝から動けず、薄い粥で昼前に倒れる。そこを減らしただけです」


「奴隷を甘やかしたとは思わないの?」


「甘やかせるほどの食事は出ていません」


 ガルヴァンが今度こそ小さく呻いた。鉱山主の顔色が悪くなる。怜司は自分でも危うい言い方だと分かっていたが、ここは濁しすぎても意味がない。オルシェナは報告書だけを見ている。なら、現場の実感を伝えなければならない。ただし、領主を責める形ではなく、数字と事実として。


「ただ、以前より粥は濃くなりました。豆と根菜の端も入ります。その結果、倒れる者は減りました。働かせるための食事としては、今の方が効率的です」


「奴隷の待遇改善を、効率で語るのね」


「そう語らなければ、通らないので」


 部屋の空気がまた変わった。


 オルシェナは怜司を見つめた。その目には、先ほどよりも強い関心があった。


「あなたは奴隷を人として見ているの?それとも道具として見ているのかしら」


 鋭い問いだった。


 怜司はすぐには答えなかった。下手に綺麗事を言えば嘘になる。道具として語ってきた。壊れやすい道具、保全すべき労働力、運搬量を落とさないための食事。そう言わなければ、バラドもガルヴァンも商会も動かなかった。だが、トマを兄ちゃんと呼ばせておきながら、彼を道具としか見ていないと言えば、それも嘘になる。


 怜司は静かに息を吸った。


「人として見ています。ですが、この鉱山では、人としての苦痛を訴えても届きません。ですから、道具として壊れる損を説明しています」


 オルシェナの眉がわずかに動く。


「私を批判しているの?」


「この領地の仕組みを説明しています」


「同じことよ」


「では、言い方を変えます。僕は自分の首を守るために、皆を道具として語りました。その結果、皆が少し人間らしく眠り、食べ、働けるようになりました。胸を張れることではありませんが、今の僕にできることはそれでした」


 隷印が熱を持つかと怜司は身構えた。だが、痛みは来なかった。批判ではなく、事実の説明として通ったのか。それとも、オルシェナが所有者ではないため反応が弱いのか。まだ分からない。


 オルシェナはしばらく黙っていた。


 部屋の外から、遠く鉱石を積む音が聞こえる。車輪の軋み、馬の鼻息、作業員の掛け声。地下と地上を繋ぐ鉱山の鼓動のようだった。


「ガルヴァン」


 オルシェナが帳簿役の名を呼んだ。


「はい」


「報告では、黒鉄石の出荷見込みが四割増。魔銀混じりの選別量も増。事故停止日数は減。食料支出と木材使用は増えているけれど、増益で十分吸収できる。そう書かれているわね」


「その通りです。閣下」


「この子の働きかしら」


 ガルヴァンは一瞬、悔しそうな顔をした。だが、彼は帳簿役だった。数字に嘘をつけば自分の仕事を傷つける。細い指で木板を抱え直し、渋々口を開く。


「発案の多くはセヴです。ただし、実行はバラドと現場の奴隷たちによるものです」


 怜司は少し驚いた。


 ガルヴァンが、奴隷たちの実行を認めた。以前の彼なら「現場が勝手に」と言ったかもしれない。些細な変化だが、確かに変化だった。


  オルシェナは次にバラドを見た。


「バラド。あなたの評価は?」


「妙な奴隷です」


「それはもう聞いたわ」


「使えます。ただ、長く鉱山に置くと、鉱山の方がこいつに慣れすぎます」


 怜司は思わずバラドを見た。


 バラドは怜司を見ていなかった。オルシェナを見たまま、淡々と続ける。


「セヴがいないと回らない現場にすると、いなくなった時に崩れます。今は奴隷たちにもやり方を覚えさせていますが、こいつの頭の中にしかないものも多い。便利だが、便利すぎる」


  それは正しい指摘だった。


 怜司は内心で唸った。属人化。前世で何度も聞いた言葉だ。担当者しか分からない業務。担当者が休むと止まる仕事。担当者が死ぬと引き継げない資料。自分自身が、その属人化の塊のような存在になりかけている。しかも前世では、それで死んだ。


 異世界でもまた、同じ危険に近づいている。


  オルシェナは怜司へ視線を戻した。


「セヴ。あなたならどうする?」


「僕のやり方を、僕以外でも回せる形にします」


「具体的には?」


「文字が読めない者でも分かる印を使います。危険な支柱には石の色、荷置き場には線、待機場所には白石。食材の仕込みは、鍋の横に豆を浸す桶を固定する。荷の詰め方は、新入りにルカンが教える。寝床の溝はトマが見回る。粥の偏りはマイラさんが見る。記録はガルヴァンさんが取る。監督はグラムが詰まる場所を見る。僕がいなくても、役割が残れば完全には戻りません」


  オルシェナの目が細くなった。


「奴隷たちに役割を与えるのね」


「既に働いています。役割を見えるようにするだけです」


「奴隷に考えさせることを、危険だとは思わないの?」


 今度の問いは、先ほどより冷たかった。


 部屋の中の兵が、かすかに姿勢を変える。怜司はその動きを見逃さなかった。これは政治的な問いだ。奴隷が考える。役割を持つ。互いに教える。連携する。支配者から見れば、それは暴動の芽にも見える。鉱山を効率化した力は、そのまま組織化の力でもある。


 怜司は慎重に答えた。


「危険です」


 オルシェナの表情は動かない。


「認めるのね」


「はい。考える奴隷は、考えない奴隷より危険です。ただ、考えない奴隷は事故で死にます。事故で死ぬ奴隷は、鉱山の収穫量を落とします」


「また収穫量なのね」


「閣下がこの鉱山へ来た理由も、おそらくそこです」


 鉱山主が息を呑んだ。ガルヴァンが目を見開く。バラドは無言で天井を見た。怜司は心の中で、自分の口に蓋をしたいと思った。だが、もう進むしかない。


  オルシェナは怒らなかった。机の上で指を組み替え、ゆっくりと問い返す。


「私が収穫量のためだけに来たと思っているの?」


「それ以外の理由があるなら、僕にはまだ見えていません」


「面白いわね」


  オルシェナは静かに言った。


「貴族相手に、見えていないと言う奴隷は初めてだわ」


「見えているふりをすると、後で大変なことになります」


「それは誰の教え?」


「前の職場です」


「職場?」


「働く場所です」


「鉱山ではないの?」


「前は別の鉱山のような場所にいました。石ではなく、紙と数字を運んでいました」


 オルシェナは初めて、はっきりと笑った。


 声は小さい。だが、部屋の者たちは全員それに気づいた。ザルムント伯が笑うこと自体、珍しいのかもしれない。鉱山主は安心したような、逆に怯えたような顔をしている。ガルヴァンは怜司を見て、信じられないものを見る目をしていた。


「紙と数字を運ぶ鉱山。なるほど、それであなたは奇妙なのね」


「自覚はあります」


「では聞くわ。セヴ。この鉱山をさらに増産させるには、次に何が必要?」


 怜司は即答しなかった。


 この問いは危険だった。増産だけを求めれば、奴隷たちはまた酷使される。だが、改善を止めれば、今の恩恵も止まる。何を答えるかで、オルシェナが自分をどう使うか決まる。


 怜司は部屋の地図を見た。鉱山、街道、倉庫、領都。頭の中で、ここ数週間の記録を並べる。運搬、選別、食事、寝床、支柱、事故、魔銀、出荷。ボトルネックは既に地下だけではない。出荷場で木箱が足りない日がある。荷馬車待ちで鉱石が積み上がる日がある。料理場の燃料が不足すると豆の仕込みが遅れる。支柱用の木材が入らないと坑道の一部を止めるしかない。


「鉱山内だけなら、教育と記録です」


 怜司は言った。


「奴隷たちが今のやり方を覚え、監督が詰まりを見る。記録を続ければ、事故と停止を減らせます。ただ、これ以上は鉱山の外も関係します」


「外?」


「木材、食材、荷馬車、倉庫です。掘って運ぶ量が増えても、支柱が足りなければ止まります。食事が落ちれば倒れます。荷馬車が来なければ鉱石が詰まります。倉庫が足りなければ雨で傷みます。鉱山の収穫量は、坑道だけでは決まりません」


 オルシェナは笑みを消した。


 今度は、完全に領主の顔だった。怜司の言葉が、鉱山の現場改善を越えて、領地経営の領域に触れたからだろう。


「あなたは、兵站を語っているのね」


「言葉は知りません。ただ、物が来なければ現場は止まります」


「食材を増やせば奴隷が生き、木材を増やせば坑道が保ち、荷馬車を増やせば出荷が詰まらない。そう言いたいのね」


「はい。ただし、全部を増やすにはお金がかかります。ですから、どこが一番詰まっているかを先に見ます。全部を一度にやると、たぶん帳簿が死にます」


 ガルヴァンが反射的に顔を上げた。


「帳簿は死なん」


「失礼しました。帳簿役が死にます」


「もっと悪い」


 部屋の緊張が少しだけ緩んだ。オルシェナは再び口元を動かす。怜司は内心で安堵した。冗談が通じる相手なのか、試されているのかは分からない。だが、少なくとも即座に首が飛ぶ気配はない。


 オルシェナはしばらく机上の木板を見ていた。


 やがて、彼女はバラドへ視線を向ける。


「バラド」


「はい」


「この子を領都へ連れて行きます」


 怜司は、一瞬、意味を理解できなかった。


 領都。

 ザルムント伯領の中心。

 鉱山ではない場所。

 ここから馬車で何日かかるのか分からないが、少なくとも地下ではない。領主の城館、役所、倉庫、街道、兵、文官、商会。そのすべてがある場所。


 連れて行く。


 つまり、鉱山から出される。

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