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第二話:第一次評価会議報告書【完】

 約一か月前に、義父から言われた。


「もっと育児しなさい。子どもたちが寝ている時や学校へ行っている時は家事をしなさい。パソコンなんて遊びは、やることをやってから、余った時間でやればいい」


 外見上の私は、ただ静かに「はい」とだけ返事をした。

 緊急事態における感情のフラット化の条件反射だった。


 問題は、私の脳内だった。


 まず最初に立ち上がったのは、我が脳内の絶対君主、『女王』だった。

 豪奢な椅子からゆっくりと立ち上がり、唇の端を美しく釣り上げる。大変麗しい。


 彼女はすでに、腰の剣を抜いていた。いつもドレスに帯剣している細身のレイピアだ。


 続いて、動いたのは『観測者』だ。


「敵性言語サンプルを確認」


 観測者は淡々と、しかし確実に標的をロックするような声で告げた。


「対象は、現代日本に生存にも関わらず、昭和型価値観を無批判に適用。追加で、育児・介護・療育・学校対応・家事・および創作活動の総負荷を考慮せず発言あり。結論--」


 観測者が、静かに斧を持ち上げた。どっから出したの?クロークの中にしまってたの?


「論理的に、叩き潰す」


『司令塔』が二人の服を引っ張って止めていた。


 今度は『裁判官』が木槌を打ち鳴らし、脳内法廷を開廷する。


「異議あり! 被告の発言には一切の具体性がありません。また、『良い感じにやればいい』なる文言は指示として不成立。完全な定義不足です。即座に再審請求を行います」


 その隣では、倫理担当の『法王』が深い溜息をつきながら、歴史書を広げていた。


「これは個人の悪意ではなく、構造の問題です。昭和後期から続く役割期待の残滓、男尊女卑の呪いです。時代背景から教育し直す必要があります」


 それに呼応するように、『隠者』が「戦後日本の家族モデルについての文献調査を開始しよう」と呟き、資料をタワーのように積み上げ始める。


 さらに『会計士』が猛烈な勢いで電卓を叩き、冷酷な数字を弾き出す。


「現在稼働率を算出。家事、育児、療育、学校、行政手続き、義母支援、創作活動……。現在、総稼働率117%。追加タスクの投入は完全な赤字決済。これ以上の受注は組織の破綻を意味します」


 数字で殴るのをやめなさい。


 実務を背負う『役割ペルソナ』は、その横で半泣きだった。

「私なりに、嫁も、母も、妻も、必死でやってるつもりなんですけど」


 生活の安全弁である『生活維持セルフケア』は無表情に言った。

「睡眠不足案件は絶対に却下してください。あの、精神が擦り切れていた頃には二度と戻りたくありません」


 布団を抱えた『自己回復要求セルフケア』は座った目で義父を見ていた。

「休みたい。ちょっとでいいから、三日くらい、誰もいないところで泥のように眠りたい……」


 いくつかのセルフケア陣が悲鳴を上げる中、『自己表現回復セルフケア』が、消え入りそうな声で、ぽつりと言った。


「またですか。また……『稼げていない自分、形に見える労働をしていない自分には、価値がない』という案件ですか」


 その言葉が響いた瞬間、脳内が一瞬、静まり返った。

 そうだ。私の本質が一番傷ついていたのは、そこだった。


 だが、その感傷を、テンション上げた声が吹き飛ばす。


「ネタキタ――(゜∀゜)――!!」


『エンタメ』が両手を叩いて爆笑しながら立ち上がった。


「新作のエッセイ、丸々一話分です! 最高の素材です! 一つ残らず回収しましょう!」


『創作者(七歳)』も目を輝かせてペンを握る。


『タイトル『家族システム再設計プロジェクト』、書く!!』とすごい勢いでお絵描き帳に文字を叩きつけていた。


 お前たちのメンタルはどうなっているんだ。

 状況を理解していない『五歳の子』が「お祭りだー!」と飛び跳ねていた、可愛いな。君が良く分かってないから『創作者』が元気なんだろうな。


 そして。

『戦車』だけは、何も言わなかった。

 何も言わず、ただ、現実世界の義父の方向をじっと見据えていた。戦車砲がガッチリ向いているのだ。一番怖い。


 ぼんやりと皆の様子を眺めていた、その時、


「全員、そこまでにしてください」


『司令塔』が良く通る声で言った。特に大声ではなかった。


「落ち着いてください。『観測者』 、斧を降ろして仕舞う。 『女王』、納剣なさい。『裁判官』 、まだ判決を出す段階ではありません。『会計士』、まだ損切りと決まったわけじゃないです。他のメンバーも落ち着いて。『創作者』は一度手を止めなさい。……あと、『戦車』! その場で停止!」


 『戦車』がピタリと動きを止めた。『司令塔』は大きく深呼吸をし、全員を見渡して言った。


「まず、聞き取り調査を行います。推測や感情で相手を殴るのは厳禁です。徹底的な事実確認を先行させます」


 今思えば、あの混沌の中で、一番落ち着いていたのは彼女だった。


 もともとリーダー業務が苦手だった仕事で回ってきたときは本気で「うわあ」と思った。コミュニケーションエラーのレジェンドかつ伝道師の称号をもらったことがあると言えばお察しくださるだろう。


 他人の感情をどこまで拾い上げ、どこから業務として切り捨てるか。その境界線を見誤るたび、胃が痛んだ。責任という名の重圧から逃れ、一生下っ端のままでいたかった。


 だが、矛盾の本質はそこにはなかった。

 私は家庭において、すでに主婦兼母親という名の『中間管理職』をやっている。実務のすべてを回しながら、最終的な決定権も主権も握らせてもらえない場所。


 責任だけを押しつけられ、主権を持たされないゲシュタルトの崩壊。外の業務で感じていたあの息苦しさは、その歪みがもたらした脳のオーバーヒートに過ぎなかった。


『司令塔』の差配は、現場責任者ではないか。私できてたじゃん。

 

 現実世界に戻る。私はソファに座る義父に、極めて穏やかに問いかけた。


「具体的に、私はどう動けばいいですか?」

「看護婦さんしてた時みたいに仕事として家事・育児すればいいんだ。」

「仕事として従事していいんですね?炊事・掃除・片付け・洗濯・育児に関してより具体的な指示を提示してくださると私はすぐに動けます。お聞かせください」

「そんなの良い感じにやればいいんだよ」


 昭和式・経験則フワフワ指示。しかし『司令塔』は折れない。


「抽象的すぎて分かりません。具体的な指示をください。元職場では決まった日々の業務に加えて上司が追加・変更の業務指示を出して私たちはその通りに動いていました。月曜日の朝六時から二時間区切りで考えてみましょう、この曜日・この時間でお義父さんは私がどう動くと安心できますか?」


 私は義父の考える“理想の家事育児100%”と、“最低限の落としどころ”を聞き取りし、月曜から日曜日を七時から子どもたちが就寝する時間まで二時間刻みでスケジュールを確認した。祝日や子どもたちの長期休暇の過ごし方や家事の差配、風邪などの突発時、息子の療育のスケジュールや子どもたちの学校行事も含めて。


 義父は嫌な顔をしていたが、私の良い感じにしていたら不満と不安を抱いたのだ。これは仕事なんでしょう?


 なら看護師時代のように聞き取りを行いアセスメントしないと何も始められませんよ?


 A4用紙二枚の業務定義書にまとめた。脳内メンバーからは「定義不足」「コスト計算が甘い」と厳しい赤字が入ったが、私はそれを現実のタスクに落とし込み、そこから現実運用の三週間が始まった。


 一週目。私は圧倒的なコミットメントを見せた。

家中の全11部屋に掃除機をかけ、窓を磨き上げ、玄関と水回りを徹底的に掃除した。私自身の領域だけでなく、義父母の部屋も、義きょうだいの部屋も、容赦なく断捨離し、片付けた。


 タンスや家具を動かしてやろうとしたら、義父に止められた。なんでじゃい。


 週末、私は義父に「どうですか。他に気になるところや、ここを重点的にしてほしいところはありますか」と尋ねた。


 すると、義父の口から意外な言葉が漏れた。


「……じいちゃんも、やる」


 ん? と思った。


 二週目。プロジェクトは「協働フェーズ」へと移行した。

 私は義父と一緒に掃除をした。エアコンのフィルター掃除も、二人で並んで作業した。お義母さんが捨てられずに何年も積み上げていった過去の遺物を、義父と二人で紐で縛り上げた。


「じいちゃん、これ重いからお願い、右手で二キロ以上持っちゃダメって医者に言われた」

「うん、全部おらが持つ。あとな、毎回大みそかの大掃除みたいじゃなくていいど。こんな感じにめくったり隙間に掃除機かけてくれたら十分だでよ」

「じいちゃん、換気扇のフィルター交換するから押さえるの助けて。右腕が上に上がらんのよ」

「うん、よいしょ。今は便利なのがあるんだなあ」

「じいちゃん、掃除機持ってて。夏が来る前にエアコン掃除する」

「おうよ、気をつけてはしご登れ」

「これ割れたり、欠けてるから捨てていいのかな」

「捨ててくれや、袋にまとめてくれたらゴミの日に捨ててくる。粗大ごみあったらじいちゃん軽トラ詰んで持ってくど。なんかあるかね?」


 かつてすべてを一人で背負い込んできた昭和の家長に、あれしろこれしろと業務を振った。義父はそれを、うんうんと言って文句ひとつ言わずやり遂げた。あれ、義父が現場監督じゃないの?八十近い高齢者(超元気じいちゃんでクマに勝ったことがある)に指示しまくってたなあ。


 そして三週目。評価面談の席で、義父は静かに言った。


「……これでいい。これからは、茶の間と子供部屋だけ気にしてくれたらいいよ。大掃除は○○(義父の息子、私の夫)が休みの時にしてくれ。」


 驚くほど、マイルドになっていた。なんでだろう。

 脳内では、観測者が斧を下ろして「敵対判定解除」を告げ、会計士が「運用可能」の判を押していた。


 だが、このプロジェクトの真の結末は、システム構築の先、まったく別の形で訪れた。


 ある日のことだ。

 義父が突然、顔をしかめて苦しみ出した。部分入れ歯の金属金具が舌の側面に深く突き刺さってしまったのだ。じわりと血が滲む。


 痛みに耐えかねた義父は、義母に助けを求めたが、おろおろするばかりで「怖い、おらには取れない」と手を引っ込めてしまった。


「じいちゃん、見せて」


 気がつけば、体が動いていた。

 高齢の患者さんが認知症や不穏で入れ歯を噛み込んだり、金具を引っ掛けたりするトラブルなら、現役時代に何度も対応した経験がある。外し方は釣り針みたいになっている金具を逆再生みたいに動かすだけでいい。


 心配しすぎていつもの三倍おしゃべりになって「なんで年一回はこうなるんだ、外すときに無精したんだろ、毎回言ってるだろうが」と涙目で言う義母を背に、私は義父の口内に迷わず手を伸ばした。


 角度、引っかかりの支点を押さえてヨイショっと外す。一瞬、少しだけ出血が増えたが、仕方ない。1ミリにも満たないから問題ないが義母が悲鳴を上げた。


「……よし、取れた!」


 金具が外れた。義父の表情から力が抜けた。


 義父は、大きく息を吐き出した。そして、私の方を向いた。


「ママさん、助かった……」


 それだけではなかった。

 義父は椅子から立ち上がり、私の目を真っ直ぐに見つめると、綺麗な一礼をしたのだ。


「ありがとう」


 その一礼を見た瞬間、脳内空間が、シンと静まり返った。


『女王』も、『観測者』も、『裁判官』も、誰も何も言わなかった。ただ、ホワイトボードの前に座り込んでいた『司令塔』が頷いていた。


 ああ。あの日、司令塔に止めてもらって、本当によかったな。


 もしあの日。

 感情を暴発させて、『女王』の剣や『観測者』の斧をそのまま現実世界に突き出し、義父と言い合いをしていたら。私は義父を「敵」と見なし、義父もまた「生意気な嫁」として心の殻を閉ざしていただろう。


 そしたら、こんな日は来なかった。義父は舌に金具が刺さっても、私に助けを求められなかったかもしれないし、私にこんな綺麗な一礼をくれることもなかったはずだ。


 言い合って勝つことよりも、相手の背景を理解し、お互いの着地点を探ること。

それこそが、私の脳内メンバーたちが、私という人間を使って成し遂げたかった「解呪」の本質だったかもしれない


「ママ、はやく手洗ってきな。嫌なことさせてかんべな、ジジイお茶菓子仏間から持ってこい」


 手洗いをして戻ったら義母がお茶を入れてくれた。義父も飲んだり食べたりしているため大丈夫なようだ。


『戦車』が心の深部に戻っていった気がした。キャタピラーの音がキュルキュル鳴ってる。


***


 脳内で『司令塔』に言った。


「止めてくれてありがとう」

「……聖女と同じことをしました。ちよさんの悲しい、怒りの感情を認識していたのに現実運用を優先して」

「あの時『観測者』や『会計』じゃなくて『司令塔』だったでしょ?ブチ切れてマシンガントークかましてた」

「はい」

「『戦車』をその場で停止させてたし、撤退させなかったし」

「ダメならいつでも打てるようにと(家を出れるように)」

「実に見事な統制であった、感謝する」

「その言葉のために、胃を痛めている甲斐があるというものです」

 

 家族システム再設計プロジェクト・第一次評価会議。

 これにて、閉会である。

作中では『司令塔』が活躍していますが、現実では当然ながら、私自身がやっています。ただ、こうしてキャラクターとして外在化してみると、「自分が普段どんなふうに考え、動いているのか」が見えやすくなりました。私は昔から、怒りや悲しみ、不安といった強い感情に飲み込まれそうになることが何度もありました。そんな時、『聖女』はいつも一歩前に出てきました。


「その感情は、いったん私が預かります」


多分そう言って、感情と現実の間に立ってくれたのです。仕事でも、家庭でも、ずっとそうでした。だから私は、何度も助けられてきました。だから、彼女は青く凍ってしまいました。

今回、私は義父と戦争がしたかったわけではありません。かといって、仲良しこよしになれるとも思っていません。一生分かり合えない部分は、かなりあります。それでも、「相手は何を見ているのか」「何を守ろうとしているのか」「そこにどんな気持ちがあるのか」を知ろうとすれば、最低限の折り合いはつけられるかもしれない。私はこの仮説をずっと捨てられずにいます。そして、第二話の最後で『戦車』が去っていった理由について、ひとつ補足があります。この三週間、『司令塔』は『戦車』を撤退させませんでした。いつでも撃てる位置に待機させていました。ただし、その砲弾は言葉ではありません。「この家を出る」という、私自身の最終手段です。逃げ道をなくさないこと。限界を超える前に撤退できる準備をしておくこと。それは、相手を脅すためではなく、自分を守るために必要な安全装置でした。だからこそ、『司令塔』は最後まで『戦車』を待機させ続けたのです。そして三週間後。もう大丈夫だと判断したのは、『司令塔』ではありません。私自身でした。私が「もう撃たなくていい」と思えたから、『司令塔』は『戦車』に下がるよう命じてくれました。止めてくれて、ありがとう。あの時、感情だけで動かなくて、本当によかったと思っています。いやー、今回は義父とはたまたま上手くいきましたけどね、毎回こうじゃありません。今回が稀です。でも、上手くいったのは『脳内外在化メンバー』のおかげだなあと思います。自分より怒ってる人達がこんなにいてくれるっていいですね。自己啓発の本で「自分の唯一の理解者は自分である」と書いてありましたが真実でした。


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