1.【金色の悪魔】
ここから第一章、開始です。
一区切りまでは十話ほど。殆どが背後関係説明回ですので読みにくいかも。
【スラム】と聞くと、何を思い浮かべるだろうか?
大都市の片隅……狭く、薄暗く、みすぼらしく、汚らしい空間に、夢も希望も生きる意志さえ失った人々がひしめきあい、感染性の病気や犯罪の温床になっている、法の管理を受けない無法地帯、といったところだろうか。
大陸の北に位置するアルファード帝国。
かつては何十もの小国が『小国連合』なるものを結成して存在していたそこに、圧倒的なカリスマと知略を持つ男が現れ、小国達を次々と支配・吸収・合併してできたのがこの国だ。
成立して100年にも満たないこの新興国にも、当然というべきかスラムは多数存在する。
元々違う国、違う文化、違う宗教を持つ国々の寄せ集めだけあって、他者と馴染めず社会からドロップアウトしていく民衆も多いのだ。
そうしてドロップアウトした彼らは、田舎にひきこもってスローライフに従事する者もいないではないが、その大多数は大都市の片隅で息をひそめてくすぶっている。
ここ十数年で一気に発展した帝都ルシール。小高い丘の上に建つ皇帝の住まい……【皇城】を望むこの街の片隅にも、他の都市に比べて比較的大きなスラムが存在していた。
―――――― して【いた】のだ。
「こ、っの……待ちやがれ、このクソガキッ!!」
「おい、あっちだ!向こうから回りこめっ!」
狭く入り組んだ路地にバタバタと複数の足音が響く、午前0時。
いずれも簡素な服を着た中年の男達が、目を血走らせ、息を切らせて必死に追いかけるのは、彼らの半分ほども背丈のない小さな子供。
相当走らされたのか男達がゼエゼエと息を切らせている中、その子供の足取りは飛ぶように軽やかでグングン後続を引き離していく。
時折障害物のように現れるバケツを飛び越え、いくつめかの角を曲がったところで
「お、っとぉ。ここまでだぜぇ、坊主!」
回り込んできたのか、目の前にぬぅっと現れた髭面の男。その毛むくじゃらの腕を伸ばして体ごと襲いかかってきたそれを、子供は器用に反転することで躱す。そして、来た道とは違う路地に駆け込み、ひとつ、ふたつ、みっつめの角を曲がったところで
「……っ、」
目の前に高くそびえる壁が現れたことで、足を止める。
どうやら追い込まれていたようで、背後からはゼイゼイ息を切らせながらもドカドカと荒い足音を立てて、四人の荒くれ者が次々とやってきた。
「…………はぁ~……やぁっと追いついたぜぇ?随分とまぁ、手こずらせて、くれんじゃ、ねぇか、よっ」
「オレたちをここまでコケにしてくれたんだ、覚悟はできてんだろうなぁ?クソガキが」
「けどアニキぃ、こいつ始末しちまうには惜しいんじゃねぇっすか?スラムのガキってことはどうせあと何年かしたらそういう店に行くんだし。その前にスキモノのジジイに売っぱらっちまった方が金になるんじゃ?」
「ふん、確かにな。稚児趣味の貴族にならさぞかし高く売れるだろうぜ」
下卑た男達のいやらしい笑い声を聞きながら、未だ性の知識もないだろう小さな体の子供はくるりと壁の方に向き直る。
それは、スラムと一般街を隔てる高い壁……当然だが、出入り口などないし乗り越えられるはずもない。
空でも飛ばなければ。
ジリ、ジリ、と男達が自分を捕らえようとにじり寄っているのを感じた子供は、一番前にいた男の毛むくじゃらな指が己の肩に触れる直前でトン、と地を蹴り跳び上がった。
「『ステップ』」
「んなぁっ!?」
「あ、あのガキッ、空、飛んで……いや、走ってやがる!?」
トン、トン、トン、とまるでそこに見えない透明な階段でもあるかのように、その小さな体は上へ上へと駆け上がっていく。完全に壁の上辺りまで登ったところでその向こう側へは行かず、反転してスラム側……男達の頭上、といっても手が届かない距離のところまでで立ち止まり、いずれ劣らぬ間抜け面で見上げてくる彼らを見下ろして、ニィっと口の端を釣り上げた。
「ねぇ、オジサン達。【金色の悪魔】って知ってる?」
「知らねぇわけねぇだろうが!オレたちがネグラにしてたあちこちのスラムに現れて、賞金首どもを次々と捕まえてるって噂の悪党だろ!」
「いやいや、悪党なのはオジサン達の方だから」
でも知ってるんなら話は早いよね、と未だ宙に浮いたままの子供は小さな手を上に上げ、
「『ケージ』」
そう呟いてから、彼らの目の前へ駆け下りた。
好機とばかりにリーダー格らしき男が掴みかかろうとしたところで、何故か透明な壁のようなものにぶち当たり、「いてぇっ!!」と叫びながら尻もちをつく。それを見ていた他の男達もバラバラの方向へ駆け出そうとし、しかしやはり壁のようなものにぶち当たってその場に転げる。
どうやら自分達の四方が何かで囲われているようだと気づいた彼らが、恐る恐る周囲を探り、壁に気づいてその大きさを測るようにベタベタと手をついて歩き回り、ピョンピョン跳び上がったり地面すれすれを這ったりしているその姿を、幼子はおかしそうに眺めるだけ。
ややあって、そのおかしな行動を見るのも飽きたのか、幼子は己の髪を一房掴んでくるりと指先に巻き付け、一言。
「これ、何色に見える?」
おかしな行動をしていた男達の視線が、月明かりを受けてキラキラと金色に輝くそれに釘付けになり……次いでサァッと顔色が青ざめた。
さて、と幼子は堅牢な煉瓦造りの大きな門の上に立った。門は、当たり前と言えば当たり前だが固く閉ざされており、時間が時間だからか夜勤担当の門番が一人だけ少し離れた場所に立っている。
余程暇なのか、その気の抜けた顔立ちの男からふわぁと大きなアクビが漏れたのを、幼子は聞き逃さなかった。
「おにーさん、暇そうだね?お仕事あげようか?」
「なっ!?な、な、何だお前はっ!!一体どこから湧いて出た!!」
「さっきからここにいたよ?失礼だなー」
そう、いるにはいた。ただし、気配を消して門の上にいただけだ。
犯罪者が活発に動くのは夜だ、いくら出歩いている一般人がいない時間帯とはいえ夜勤帯を任された警備隊員が、まさか門の上の不審者に気づかないなんて。アクビまでは生理現象だからと見逃せても、気配に気づかなかったのとこんな夜中に大声を出している時点で失格だろう。
小物っぽいなぁ、とそんな感想を抱いた幼子の予想を裏切らず、門番の男は「さっきからだと?ふざけるな!!」と歯を剥き出しにして怒鳴りつけた。ついでに唾も飛んできたので、幼子は一歩後ろに下がって眉をしかめる。
「ここは、俺がずっと睨みを効かせていたんだ!お前みたいな目立つ子供が近づいてきたんなら気づかないはずがない!」
「さっきアクビしてたくせに」
「なんだとぉっ!?大人をからかうのも大概にしろ、このガキが!どうせスラムの悪ガキだろ!用件はなんだ、物乞いか?それともそのおキレイな顔を売り込みにでも来たか?ここを警備隊分署だと知ってのことか?」
男が幼子に向けるのは、さっきの男達と同じ下卑た、見下すような視線。あぁコレはダメだ、と幼子はその段階でまともに話をするのを諦めた。
(せっかく手柄をわけてあげようと思ったのに……がっかりだよ)
ここが帝都を守る警備隊の、スラムに最も近い分署だというのは当然知っていた。だからこそわざわざ出向いたというのにこの仕打ち……面倒でも他に行くかと踵を返しかけたところで、ガッシリと肩を掴まれる。
「随分と生意気なクソガキめ。その性悪な根性、俺が躾けてやろうじゃないか」
「…………わあ、悪趣味」
(有事でもないのに抜剣しちゃっていいのかなぁ?それ、バレたら懲罰ものだよね?)
躾けるというからには殺す気はないのかもしれないが、剣を鞘から抜いた時点で甚振る気満々なのはわかる。彼は目の前にいるのがスラムの子供だとわかっていて、だからこそ多少傷つけても問題ないと高をくくっているのだろう。実際、スラムの住人の扱いなどどこでも似たようなものなのだが…………それを、警備隊員が率先してやるということへの違和感はないらしい。
月光を受けてギラリと不穏な光を放つ抜き身の剣。それを見てもなお逃げようともしない幼子。
脅しのためか狙いをずらして振り下ろされた剣が、幼子の金色の髪をかすめるその前に
「止せ」
キィンッ、と鋼同士が擦れ合う耳障りな音がした。
いつの間にか、幼子を背に庇うように長身の男が立ちふさがっている。その男は片手でやすやすと門番の剣を受け止め、驚きに目を見開く男をギラリと鋭く睨みつけながら、軽くその手を横へと薙いだ。その動きにあわせ、剣を手放した男がその場にへたりこむ。
「帝都ルシール警備隊ナハト地区分署所属第六位隊員ロイド・モーレン。誇り高き警備隊員でありながら、罪なき子供への暴言ならびに暴行未遂を犯した罪は重い。この私、警備隊本部副長オスカー・セディ・グレイスの名において貴様を拘束する」
「な、な、な、」
「申し開きなら、夜が明けてから査問官にするのだな。アインス、デュオ、連れて行け」
「はっ」
あまりの展開にへたりこんだまま喘ぐ新緑色の隊服の男、ロイド。その両脇を抱えるようにして強制退場させていくアインスとデュオと呼ばれた二人組は、共に濃紺の隊服に身を包んでいる。
警備隊員には階級があり、実力が上の者から順番に第一位から第七位まで。第一位は隊長及びそれに準ずる地位が与えられ、第七位は所謂新人……つまり第六位というのは新人教育を終えてはいるが、実力としては最下位に位置する階級なのだ。
ちなみに隊服の色でその階級がわかるようになっており、第一位は黒、第二位は濃紺、第六位は新緑の色を纏っている。
「…………それで、今度は誰を捕まえたんだ?賞金ランキング第一位【金色の悪魔】は」
苦笑交じりに振り向いたオスカーは、勿論黒の隊服を身にまとっていた。
スラムというのは無法地帯である。税を収めず戸籍も管理されず法にも従わない代わりに、勿論法も彼らを守らない。故に法の支配から身を隠そうとする犯罪者はスラムに逃げ込み、そこを拠点とすることが多い。
そんなことは警備隊でも把握しているためこうしてスラムのすぐ傍に分署を置き、彼らが法の適用できる一般街へ現れたタイミングで検挙できるよう目を光らせている、のだが。
「確かに手配犯であると確認した。今回は中位ランクの賞金首か。窃盗、強盗、傷害、人身売買……四人まとめて金貨十枚だな。支払いはいつも通りでいいか?」
「はい」
警備隊員でも中々手が出せない、それがスラムだ。そこにつけこむ形で独自に犯罪者達を捕まえ、賞金を得るのが所謂賞金稼ぎと呼ばれる者達である。とはいえ彼らの殆どは冒険者ギルドに所属し、ギルドを通して賞金を申請してくるため、手柄としては彼ら個人のものとなる。
が、この小賢しい子供だけは違う。
まるで警備隊に恩を売るとでも言わんばかりに毎回必ずどこかの分署に犯罪者を持ち込み、賞金を受け取る代わりに犯罪検挙の件数アップに貢献してくれている。
何故こんな子供が、どうせ背後に大人がついているんだろう、もしかして警備隊の誰かの子飼いじゃないか、そんなことまで噂しながらもそれでも賢明な警備隊員であればこの【金色の悪魔】を表立って侮辱することはしない。そうすることで被るデメリットはあるが、メリットなどないからだ。
ただ、どこにでも妬む輩はいるものなので、困ったことにならないようにとこの男、オスカー・セディ・グレイスは専用の個人口座を作ってくれただけでなく、毎回の賞金をそこへ入金するという横取りされない方法をとってくれた。そこから出金したい時も彼に頼めばいい。
『変わった子供だな。口座の金を使い込まれるとは思わないのか?』
当初、契約を交わした時にそう不思議そうに問いかけられたのだが、当時まだ四歳になったばかりだった幼子は笑みすら浮かべつつこう答えた。
『だって貴方、聖グロリアス王国の生き残りでしょう?だったら私を害するはず、ないですよ』
「家まで送っていこう」
「ありがとうございます。……でも、母様なら多分まだ熟睡中ですよ?」
「それならそれでいい。別に、あの方目当てってわけじゃない」
「なら、お言葉に甘えます」
スラムの片隅にある小さな家で、まだ夢の中だろうギリギリ二十代の母を思い浮かべ、小さく笑みが浮かぶ。そんな表情だと、年相応に見えるから不思議だ。
一緒に並んで歩きだして、数分。不意にオスカーは、幼子の頭からつま先まで視線を走らせてからため息をついた。
「着飾れとまでは言わないが、せめてワンピースでも着たらどうだ。せっかくあの方の娘に生まれたというのに、勿体無い」
「残念ながら顔立ちはバッチリ父方似のようですから、どうぞお構いなく」
どこか儚げで柔らかな美貌の母とは正反対にしっかりした顔立ちの幼女は、粗末だが清潔に整えられた自宅の前でくるりと振り返り、悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「私、今度こそ好きに生きるって決めたんですから」




