22.また、夫の死
霧が晴れるとフィオナとヨハンは林の中にいた。元の時代に戻ってきた。
「大丈夫かしら?」
遠くを見つめたまま動かないフィオナに、「大丈夫です」とヨハンは声を弾ませた。
できることは全てやった。ハリー第一王子の資金源を断ったし、クリス第二王子の勢力は大幅に拡大した。
フィオナはレイモンド子爵家に足を向けた。
朝の日差しが、木立の隙間から降り注いでいた。フィオナは林の中を、ヨハンと並んで歩いた。ヨハンのグレーの髪がきらきらと光った。
「ねえ、背が伸びた?」
「成長期ですからね」とヨハンは照れたように頷いた。
屋敷の前に立つと、正門が開いて黒塗りの馬車がゆっくりと現れた。
「フィオナ、外出していたのかい?」
アーサーが、馬車の窓から顔を出した。
「ええ、ちょっとね」
フィオナの横に立つヨハンを見て、何かをつぶやくようにアーサーの唇が動いた。
「今日は指輪をしているの?」
「ええ」
フィオナは左手の指輪をアーサーに見せた。
「やっと会えたね」
アーサーの目の縁が赤くなった。六年前と比べると大人びた顔立ちのアーサー。でも、六年前と同じ笑顔だった。
「順調かしら?」
「どうだろう……でも、やれるだけのことはやった。後悔はないよ」
アーサーの声は震えていた。フィオナはアーサーの胸元に手を当てた。心臓の鼓動を感じた。アーサーはその手を包み込み、フィオナをそっと引き寄せた。
「ヨハンを頼んだよ。僕に似て泣き虫だろうから」
「そうね」
アーサーはゆっくりとフィオナの手を離した。
「行ってくる」
「行ってらっしゃい」
馬車が見えなくなったあとも、フィオナはその場を動かなかった。朝の光が馬車の通った石畳を照らした。フィオナは息を吐き、胸元を押さえた。
「死なないで……」
曲がり角を見つめる視界がぼやけた。
「お母様、よろしいですか?」
「ええ、お願い」
ヨハンが手を握ると、フィオナは小さく頷いた。
**
自室で茶会までの時間を過ごしていたフィオナは、メアリーからアーサーの死を聞かされた。
莫大な利益を元手に、クリス第二王子派は勢力を拡大したはずだ。ハリー第一王子派の資金源を断って、勢力を弱体化させた。なのに、なぜ?
長男だから優遇されたのか? 何か重大な見落としがあったのか?
アーサーと過ごした日々が、頭の中を駆け巡った。
フィオナが池に落としたハンカチを、飛び込んで拾ったアーサー。泳げないアーサーを助けるために、フィオナは池に飛び込んだ。
誘拐された商人の娘を救助しようとしたら、人質となって現れたアーサー。フィオナは誘拐犯を撃退して、娘とアーサーを救った。
女の子を助けようと、暴走した馬車に乗り込んだアーサー。フィオナは馬車に飛び乗って、馬を止めた。
正義感が強くて、困っている人を放っておけない。ドジだし、弱いし、すぐに泣く。とても手の掛かる夫。でも、大切な人。
フィオナはその場に崩れ落ちた。
今回もアーサーを救えなかった。でも、次は救えるかもしれない。
もし、次も失敗しても、その次がある。過去に遡って、何度でも、何度でも。
アーサーを救える力がほしい。
フィオナは床を叩いた。何度も、何度も。
床を叩き続けた腕の感覚がなくなると、その腕から黒い霧が噴き出した。
霧には細切れの景色が映っていた。
子供のアーサーがいた。王立学院の食堂でウィリアムと雑談するアーサーがいた。屋敷の庭でフィオナとお茶を飲むアーサーがいた。
霧に触れれば、そこにいけそうな気がした。アーサーに……会いたい。
「お母様、ついに能力が目覚めたのですね」
扉に視線を移すと、ヨハンが立っていた。ヨハンは、涙でぐしゃぐしゃになったフィオナの顔をじっと見ていた。
「能力が目覚めた?」
「そうです。時間を操る能力です」
「時間を操るのは、アーティファクトでは?」
「それは……嘘です。この鍵はアーティファクトではありません。ただの古い鍵です。何度も嘘をついて、すいません。」
「えっ?」
「僕動きに合わせて、七年後のお母様が時間を操っていました」
フィオナは口をぽかんと開けた。カルネラ子爵家に伝わる時間を操るアーティファクト、そんなものは存在しなかった。
「七年後の私が時間を操っていた……それが本当なら、なぜ七年後の私がアーサーを助けないのかしら?」
「それはですね……何と説明すればいいのか……」
ヨハンは頭をかいた。言えない事情があるのだろうか? フィオナは目を細めた。
「七年後のお母様はいくつですか?」
「私が二十五歳だから、七年後は三十二歳ね」
「そうです。たとえば、三十二歳のお母様が十五歳のお父様と並んで歩いていたら、他人はどう思うでしょうか?」
十五歳のアーサーと三十二歳のフィオナが歩く姿を想像した。
若い青年を連れて歩く貴族婦人、そんな二人を通行人は親子か愛人だと想像する。少なくとも、恋人や夫婦ではない。フィオナはため息をついた。
「分かりましたか? 能力の発現した二十五歳なら、二人の関係がかろうじて恋人に見えるかもしれない。七年後のお母様はそう考えたようです」
若いアーサーに会いたい。けれど、若いアーサーに会うのが怖かった。夢と現実が妥協した結果だった。
「まあ、いいわ」フィオナは失笑した。
フィオナがやることは、アーサーが助かる運命を探り当てること。何度失敗してもいい。
「さて、五年前、二十歳のアーサーに会いに行きましょう」
フィオナが黒い霧の一つに手をかざすと、「はい」と声を弾ませたヨハンが手を握った。
―了―
この物語はこれで終わりです。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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