4 情熱の行く先
先ほどの観客の目線に違和感を覚えたジンではあったがそれ以上に全力を出し来た疲労感に誘われるがままルチアーノに従い、部屋に着くと同時に一目散にベッドに飛び込み目を閉じた。
眠りについて一刻がたっただろうか、何者かの気配を感じジンは目を覚ました。一人で旅を続ける身となればそう言った感覚も鋭くなる。
ジンは眠ったふりをしながら、隠しナイフを構えた。静かにドアが開けられ何者かが入ってくる。その姿がベッドの側まで来た時、ジンは纏っていた毛布を侵入者へと蹴り上げた。
「きゃ!!」
か細い小さな悲鳴をあげ不意の攻撃に侵入者はなんの抵抗も出来ずに、毛布に覆われる。うん?ジンはその侵入者に違和感を覚える。襲撃者にしては不用心すぎる。何より今の声に聴き覚えがあった。
恐る恐る毛布と悪戦苦闘している侵入者に助けの手をさしのべると、そこにいたのはやはり予想通りの人物だった。
「ご、ごめんなさい。
驚かすつもりは…」
そう瞳に涙を浮かべながらジンを見上げていたのはルチアーノの娘であるテレサであった。彼女は何度か共に食事をしていたのでジンもその名前を憶えていた。
ただその格好は常のおとなしい印象を受ける衣装とは異なり、薄いネグリジェにきわどい下着というなんとも魅惑的な物であった。
「いや、その乱暴をして申し訳ありませんでした。
しかしこのような夜更けにそのような格好でうろつかれるのはいささか不用心かと思うのですが」
ジンは視線を彼女からそらしながら手にした毛布をテレサに差し出す。だが彼女はその毛布を受け取らずそのままジンへと体を預ける。
「貴方様ならば構いません。
初めてお会いした時からあなたに惹かれていました。
先ほどの演奏……心が溶けてしまいそうでしたわ。
この火照りどうか鎮めてくださいませ」
そう言いながらジンの胸へと白く細い腕を巻き付かせる。それは獲物を狙う白蛇の様にさえ思えた。
「なりません、私は旅の身。
一時の感情でこんな事をすべきでない」
ジンはその細腕を振り払う。決して力を込めてはいなかったのだが、テレサはそのまま力なく床に倒れ込んでしまう。
「そうですか、私のような女では貴方様を満足させられませんか」
声を震わせ俯くテレサにジンはステージに立っても微塵もかかなかった汗を額に浮かべ彼女の側で膝をつく。
「そのようなことはない。貴方はとても魅力的な女性だ。
ですが、私は去らねばならないのです。
それではあまりあなたが不憫だ」
その一言を待っていたようにテレサはさっと振り向きジンの顔を引き寄せる。
「優しいお方。ですがその心配は無用です。我が国は吟遊詩人の子を尊びます。
父もそうであったように。
ですから今宵はただ夢。夢ならば何を迷う事がありましょう?」
父譲りの美貌を誇るテレサにこのように請われて断れる男がいるだろうか?だが例外とはどの世界にもいるものでこの魅惑的な誘いを前に冷汗をかいている男がいた。
「ご、ごめんなさい!!」
まるで子供のぐずりのような声をあげジンはテレサを突き飛ばす。まさかの行動にテレサが唖然としている隙にジンは窓から飛び降りた。
「なんなのよいったい……」
部屋に一人残されたテレサは呆然と彼が去っていった窓を眺める事しか出来なかった。
ジンの逃走が知れ渡ると街は一気に騒がしくなった。その姿を追う女性たちの思惑は人によって様々であった。美麗の詩人を一目近くで見てみたいと思う者、共に音楽を奏でたいと思う者、そして未来の領主を夢見て詩人の心を射止めようとするもの。その想いの程度は違えども、ウェリニアの娘たちは彼を求めて一斉に街へと飛び出した。
そして冒頭へと至る。ルチアーノの館を出てからジンは逃げに逃げていた。元々館には結構な数の野次馬が来ていたらしく、ジンが飛び降りる姿は多くの人に目撃されており考える暇もなくジンは追われる身となったのである。
例え捕まったところでジンの身に危険はない。だがこれ以上面倒に巻き込まれるのは御免被る。
「キースの野郎、なにが楽園だ!次あったら絶対ぶん殴る!」
にやけ顔でのたまう奴の顔が頭に浮かび声を荒らげる。その意味は存分に理解した。音楽を尊ぶこの国で吟遊詩人がどう扱われるか。確かにそれは男にとって楽園だろう。あまたの美女と共に快楽に身を委ねその後の心配をする必要もない。
まぁそれを喜ばない男にとってはこうやって窮地に陥る事となるのだが。正直演技も限界だった。なんとかごまかそうと慣れない言葉を使ったがそんなもの役に立つわけもない。またその感情の高ぶりは新たな問題を引き込む。
ここはジンにとっては初めて訪れる国でありそれを追う女性たちにとっては勝手知った街である。よって人が逃げて居そうな場所にはすでに人がいるわけで。
「声が聞こえたわ!」
「こっちよ!こっち!」
あっという間に包囲される事となる。この国に来てうかつなことばかりだ。そう自分の失態に気落ちするがどうすることも出来ない。こういう時は身を隠すのが一番だ。そうすればきっと。
「うわぁ!なんだこいつ!?」
表通りの方からいくつかの悲鳴が聞こえてくる。それに続くのは力強い蹄の駆ける音。そして最後に大きな地面を踏みつける音が聞こえた次の瞬間にはその黒い影は颯爽とジンの前に姿を現した。
「だから言っただろうに。さっさと捧演をしろと」
「カーズ~ お前なら来てくれると信じてた!」
頼れる相棒の到着に情けない声を出すジンにカーズは辛らつな言葉で返す。
「うぜぇ。こんな時だけ頼りやがって。
で、どうするよ? とりあえず逃げるか?」
「当然!さっさとおさらばするぞ!」
鐙すらつけていないカーズの背にジンは飛び乗る。ジンの隠れたこの路地裏はカーズがギリギリ通れるほどの狭さで騒ぎを聞きつけた人が続々と集まっており前後にあった出口はすでに人だかりが出来ていた。
「出口防がれたがどうする?」
「道がないなら上に行け!」
「了解!」
ジンの指示を受けカーズはその短く細い道を走り始める。カーズの驚異的な加速は一瞬で群衆までの距離を縮める。
「ちょっ! こっちくるぞ!」
何の迷いもなくこっちへ向かってくる巨大な馬に、集まった人々は逃げようとするがすでに身動きが出来ぬほどの人だかりとなっていた。
ぶつかる!! 集まった野次馬達がそう思った瞬間その黒い影は姿を消した。
「天馬さんだぁ!」
少し離れた場所からその様子を見ていた少女が空を指さすと集まった人々は一斉に上を向いた。
その視線の先にあったのは、一片のかけらもない満月を背に空を駆ける黒く輝く馬体だった。いや正確には高く跳び上がっただけなのだろう。だがその高さは立ち並ぶ二階建ての白壁の家屋を優に超えている。呆然と見つめる人々を背にその黒い影は家々の屋上を次々と飛び回りすぐに闇へと姿を晦ました。




