第二章③
真夜中、眠れずにいたジャックは庭に出ていた。
月明かりが照らす庭は、青白く光っていてどこか別世界のようだ。眠れずに部屋にいると落ち着かないが、庭に出るとそのひとりの寂しさが少し紛れる。別世界のような庭では、植物たちは昼とは違う存在感を放っているから。
女王の生誕祭が近づいてくると、ジャックは毎年寝付きが悪くなる。拾われる前の記憶なんてないはずなのに、落ち着かなくなって不安になるのだ。むしろ、記憶がないからこそ不安なのだろう。
「ランバージャックか……」
昼間マダム・ブランシュに言われたことが、ジャックの胸に棘のように刺さっている。
ランバージャックは悪いもので、粛清すべきものだ──それはこの国の人間なら誰もが知っていることで、そう信じていることだ。ジャックも、無邪気に信じていられればと思う。
だが、自分が何者なのかわからない以上、そんな大衆の一員ではいられない。ずっと、拾われていろいろなことがわかるようになってから、自身の存在について疑いを持ち続けているのだ。
まず、この名前だ。名付けたバローは「悪い冗談だった。あの頃の自分はおかしかった」の反省しているようだが、ジャックとしてはこの名はよく自分の正体を表しているのではないかと思っている。
両手に花鋏を出現させることができるこの能力がガーデナーのものでないのなら、つまり自分はランバージャックなのではないかと考えているのだ。
ロランヌと同じで冥界の花樹を見ることができるとわかったときは、彼女の何らかの繋がりがあると思って嬉しかったのに。
今は、彼女を脅かすかもしれない存在になるのなら、こんな能力いらないと思っている。
ただでさえこの国の人間ではないとひと目でわかる容姿で、その上みんなに嫌われ恐れられる能力なんて持っていたいわけがない。
「ジャック……こんなところにいたのね」
何をするでもなく庭に立っていると、不意に声をかけられた。振り返らずとも、そこに誰がいるのかは明白だ。
「ロール様。もしかして、呼びましたか?」
振り返ると、ナイトドレス姿のロランヌがそこにいた。月光の下に浮かび上がる銀の髪と白い肌は、彼女を妖精じみて見せている。昼間の姿よりもこちらのほうが、本来の姿なのではないかと感じさせる。
「呼んだわ。ベルを鳴らしても声を上げても来ないから、外へ見に来て見たの」
「すみません。……ホットミルクでもご所望でしたか?」
「そんなこと、今はどうだっていいでしょ。問題は、あなたが眠れずに庭なんて歩いていることよ」
ジャックは、目の前の美少女が腰に手を当てて怒った表情を浮かべるのを見て、彼女が妖精の姫なのではなく自分の主人であることを思い出した。
「ロール様がぐっすりお休みになられていれば、俺がこうして起きているなんて気づくことはなかったんですよ。どうして起きてしまったんですか? お腹でも空きましたか?」
「あなたと一緒よ。……この時期はあまり眠れないの」
飲み物が欲しかったとかお腹が空いたとかで眠れない理由を誤魔化してしまいたかったのに、ロランヌがそれを許してくれなかった。
この時期にふたりが眠れずにいる理由なんて、それこそ言わなくてもわかるはずなのだ。それをあえて尋ねてくるところが、この主人の困ったことだと思う。
「……ロール様が眠れない理由と俺が眠れない理由は、繋がってはいても別物ですよ。ロール様が眠れないのは、惨劇を思い出すからでしょう? 俺は、何も思い出せないから不安で眠れないんです。ロール様と分かち合えるものは、ないんですよ」
ジャックは言いながら、寂しくなるのが自分でもわかった。
サジュマン家で起こった惨劇については、すべて伝聞で知っただけだ。そのときロランヌがどれほど怖かったか、つらかったか、苦しかったか、ジャックは想像するだけで心底理解してやることはできない。
ジャックもロランヌも毎年この時期になると不安で眠れない夜が多く、幼い頃は身を寄せ合って乗り越えてきたが、その内側に抱えるものは異なるものだったのだ。それが今、はっきりしてしまったようにジャックは感じていた。
「何もないなんてことは、ないはずよ。眠れない者同士、仲よくしましょ。昔みたいに添い寝してあげましょうか?」
ロランヌはジャックの手を取ると、そっと見上げてきた。からかっている様子はないから、本気で言っているのだろう。
春とはいえ、まだ夜は冷える。ロランヌの手が少し冷たくなっているから早く部屋に帰らせねばと思うが、この誘いに乗るわけにもいかない。
「ロール様、ふざけるのも大概にしてください。お忘れのようですが、俺は男なんですよ」
自分たちの立場を、関係を、わからせねばと思ってジャックは言った。
幼い頃から一緒にいるせいなのだろうが、ロランヌはジャックに気安すぎるところがある。あまりにも他人行儀では嫌だが、こんなふうに己が何者なのか忘れたかのような振る舞いをされると、使用人としてというより年長者として叱るしかないだろう。
貴族の、しかも嫁入り前の娘なのだ。こんなふうに不用意では困る。
だが、そんなジャックの心配は微塵もロランヌに伝わっていないようだ。
「そんなの、知ってるわ」
掴んだ手を離さぬままロランヌは言う。これは、ジャックの性別が男であることを知っているということなのか、男のジャックに添い寝をねだる意味をわかっているということなのか、判断しかねる状況だ。
ジャックにとってロランヌは唯一の女性で、守るべき主人だが、ロランヌにとってもそうであっては困るのに。
「……ホットミルクを作って差し上げますから、部屋に戻りましょう。今から寝る努力をすれば、少しは休めるでしょうから」
ロランヌが見つめてくる意味を都合よく解釈してしまいたくなって、ジャックは手を引いて歩きだした。
勘違いしてはいけないし、弁えねばならない。この人はどれだけ近くにいても手に入らない人で、その代わりに絶対に守ると決めたのだ──そんなふうに自分を戒めながら歩いたのに、繋いだ手が少しずつあたたかくなっていくことに、どうしても嬉しい気持ちを抑えることができなかった。




