第三章④
それから数日後、ジャックはいつものように小汚い東方人に扮してごみごみとした街を急いでいた。情報を仕入れに行きたかったのに、なかなかそれが叶わなかったのだ。
その代わり、フレールのところに行かずとも、いろいろわかったことがあった。だからこそ、その情報をさらに精査するために別の情報がほしかった。
東方人街と化しているこの界隈は、相変わらず妙な活気に満ちていた。今夜もいつものように、オレンジ色のランタンが灯された中に屋台が並んでいる。貴族街や労働者街は、頻発する不穏な事件を受けて雰囲気が悪くなっているのに。
ここはいつだって、表の世事からは切り離されたかのような独特の気配がある。だからこそ、情報のやりとりにはうってつけの場所と言えるのだが。
「よぉ。そろそろ来るんじゃないかと思ってたぞ」
いつもフレールが立っているあたりに行くと、今夜の彼は酒を片手に上機嫌な様子でいた。酒はなかなか飲めないと言っているから、何かいいことがあったか羽振りがよくなったかだろう。
「ん? 何かやつれてる? お疲れか?」
「ああ。いろいろあって……知り合いに倒れたやつがいたんだが、ヤバイ薬をやってたらしい。たぶん、フレールが言ってたやつだろうな」
酒臭いフレールの息から逃れながら、ジャックは自分が今知っていることをかいつまんで話した。
クロエから聞いた話だと、冥界の花樹に寄生されて昏睡していたメアリは、恋人から怪しげな薬をもらっていたのだという。そしてその恋人も昏睡していたというのだから、その薬が原因とみて間違いないだろう。
「何だ、あんた。薬をやるような碌でもない知り合いがいるのか?」
「いや、知り合いの知り合い? 顔見知りのお針子から聞いたんだ」
「ほー。あんたのガールフレンドはお針子か。なるほどなるほど」
「そういうんじゃなくてさ……」
面白がるような鬱陶しい絡み方をされてジャックはうんざりしたが、フレールはすごく楽しそうだ。一部の人間はこの手の話題が好きだなと、ジャックはさらに呆れる。
「そろそろ来る頃だろうと思ったのは、面白い話を仕入れたからなんだよ」
「何だ。もったいつけずに教えてくれ」
ジャックの機嫌を損ねたことを察したのか、フレールはニヤニヤしたままではあるが話を切り出した。本来の目的は情報収集なのだから、ジャックも気持ちを切り替える。
「それがよ、昏睡から目覚める人間が続出してんだと。倒れて目覚めねぇってのも気味が悪いが、医者にもかかれねぇ貧乏人たちが次々回復してるってのもな」
「……回復してんのは、いいことだけどな」
ピーの薬が効いているのだろうなと、事情を知っているジャックは理解できた。だが、何も知らなければ確かに気味が悪い話だろう。
普通なら、原因がわかろうがわかるまいが貧乏人が倒れればそのまま死ぬのがほとんどだ。それが一時昏睡にまで陥った人間が自然と回復するなどありえない。
「あとな、例の花売りだけと、宵闇に紛れて人を襲ってるらしい。若い女の子が切りつけられるのを見たってやつがいるんだよ」
「穏やかじゃないな。ちなみに、それはどこで?」
聞いてすぐ、メアリのことだとわかった。だから、さりげなく探りを入れる。情報がほしいのは間違いないのだが、がっついているとフレールに知られれば足下を見られる。
「どこだったかな……ただ、それを見たって言ってたやつは、三番街の外れにある橋のあたりを寝床にしてるぞ。川が大雨で溢れたりしなけりゃ、存外居心地がいいんだと」
「橋のあたりか。野良犬がたくさんいるって印象しかなかったな」
「野良犬がただで居着くかよ。必ず餌付けしてるやつがいるんだ。手懐けてりゃ、極寒の冬にも暖を取れるからな。覚えとくといい」
役に立つ日が来ないことを祈る知恵を授けられ、ジャックは何とも言えない気分になった。しかし、聞きたいことは十分に聞けたと言えるだろう。
「いろんな意味で橋のあたりは恐ろしくて近寄れないな。知り合いにもしばらく近づかないよう言っとくよ。ありがとな」
「またな」
いつもの煙草を渡すと、フレールは上機嫌で手を振ってきた。
去りながらジャックは、今日はやけにスムーズに情報を手に入れられたし、その中身もまさに自分が知りたいことに通じていたことにやや違和感を覚えた。
だが、そんなことよりもすっかり遅くなってしまったことが問題だった。フレールとの会話なんてそう長引くものではないと思っていたが、今日は収穫があったぶん時間がかかってしまった。
夕食後はロランヌもゆっくりしているだろうから不在に気づかれる可能性は低いが、油断はできない。それに何となく、ジャックは嫌な予感がしていた。
「……ロール様、何かご用ですか?」
使用人用の入口から屋敷の中へ入り、自分の部屋へ帰ろうとしていると、二階へ続く階段にロランヌが腰掛けていた。あきらかに人待ちの顔をした主人を見て、ジャックは自分が待たせていたのだろうことを悟った。
「ジャック……あなた、本当は目が悪かったの?」
「え……あ!」
物言いたげに見つめてくるロランヌに指摘され、ジャックは慌てて自分の顔に触れた。指先には変装用の眼鏡が当たる。お仕着せには着替えていたが、眼鏡は外し忘れていたようだ。
「変装なんかして、どこへおでかけ?」
「へ、変装なんて……」
「じゃあ、その眼鏡は何? きちんと度は合っているの? 目が悪いのならお医者様に見てもらってちゃんとした眼鏡をお仕事中にもかけたらいいわ。なかなか似合っているし。明日にでもお医者様を呼びましょうか?」
眼鏡を見られてしまった以上、どんな言い訳も思いつかなかった。というより、ロランヌがこれだけ強く言うということは、あらかたもうバレてしまうのだろう。それならば、今回のことに関してはいっそすべて話してしまったほうがいいのかもしれない。ロランヌにも無関係なことではないし。
「実は……クロエを襲った花売りについて調べていました。もしかしたら、気になっているいろんなことに通じるかと思いまして」
「それで、わたくしに黙ってコソコソ調べた成果はあって?」
まだ怒ったふりをしながらも、ロールの目がキラリと光るのをジャックは見逃さなかった。おそらく、ここで待ち伏せたときから彼女の心を占めていたのは怒りではなく好奇心だったのだろう。
こうなればきっと、引き下がってなどくれないし、関わらせなければ黙ってついてくるくらいのことはしそうだ。
「どのあたりに出没するのかまで、見当が付きました。三番街の外れにある橋のあたりらしいです」
伏せたり誤魔化したりすれば、勘づかれてしまうだろう。だから仕方なく、ジャックは今日仕入れた情報を明かす。
するとロランヌは、花が開いたみたいに満足げに笑った。
「そう。それなら、明日にでも一緒に行くわよ」




