最終話「制度は人を守るためにある」
それから三年。
北方との緊張は、完全に消えたわけではない。
だが戦は起きていない。
小規模な衝突はあっても、拡大しない。
王国は、過剰に反応しない国家になった。
王都の議会棟には、新しい部屋が設けられている。
「婚約法監査局」。
王家婚約法は改正された。
発動には教会立ち会いと、三名の独立監査官の署名が必要となった。
発動理由の概要は年次報告として公開される。
件数は、激減した。
かつて制度として使われた“整理”は、今は例外となった。
窓辺に立つエレノアは、報告書を閉じる。
公爵令嬢でありながら、今は監査局長。
王妃ではない。
だが、その選択に後悔はなかった。
扉が叩かれる。
「局長」
若い令嬢が入ってくる。
震える手で書類を抱えている。
「婚約破棄の通達を受けました」
声が小さい。
かつての自分を思い出す。
「理由は」
「家門再編の都合、と」
エレノアは静かに頷く。
「監査を開始します」
即答。
令嬢が目を見開く。
「……え?」
「条文第七項に基づき、発動理由の妥当性を確認します」
落ち着いた声。
「あなたは一人ではありません」
その言葉に、令嬢の瞳が潤む。
三年前には、なかった制度。
なかった言葉。
書類を受け取りながら、エレノアは思う。
あの日、婚約破棄を受けた瞬間。
すべてを失ったと思った。
だが違った。
あれは、始まりだった。
廊下を歩くと、窓の外に演習中の軍が見える。
その先頭に立つのは、ルシアン。
軍総司令として、北方の盾となっている。
彼の判断は的確だ。
戦は起きていない。
恐怖に支配されず、だが備えは怠らない。
王宮へ向かう。
玉座の間では、アルベルトが臣下と議論していた。
王太子として。
いや、事実上の王として。
彼の政治は派手ではない。
だが民の支持は安定している。
信頼は、静かに積み上がるものだ。
「局長」
アルベルトが微笑む。
「例の件は」
「監査を開始しました」
「そうか」
短いやり取り。
かつてのような甘い緊張はない。
代わりにあるのは、深い信頼。
「後悔していないか」
ふと、彼が問う。
「何を」
「王妃の座を」
エレノアは小さく笑う。
「制度を変える方が性に合っています」
アルベルトも笑う。
「知っている」
窓の外、王都の屋根が広がる。
市場は賑わい、鐘が鳴る。
婚約破棄は、なくなってはいない。
制度は残っている。
だが。
それは恐怖の刃ではなくなった。
「制度は」
エレノアが静かに言う。
「人を守るためにある」
アルベルトが頷く。
「ああ」
かつては人を選別する道具だった。
今は、確認し、守るための仕組み。
それでも完璧ではない。
だが、前より良い。
夕陽が王都を染める。
婚約破棄から始まった物語は、
王位争いを経て、
国家の形を少しだけ変えた。
誰かが退き、
誰かが選ばれ、
そして誰かが制度を作り直した。
静かな国。
過剰に反応しない国家。
恐怖に支配されない王国。
物語は終わる。
だが制度は続く。
それでいい。
それが、彼女の望んだ未来だった。
ここまで読んでくださった皆さま、本当にありがとうございました。
本作は「婚約破棄」から始まりましたが、
書いているうちに、私の中ではずっと別の問いがありました。
――制度は、誰のためにあるのか。
婚約破棄は、なろうではおなじみの導入です。
ざまぁ、逆転、溺愛。どれも楽しい展開です。
けれどもし、それが個人の感情ではなく
「国家の制度」として使われていたら?
そのとき傷つくのは誰で、
守られるのは誰で、
そして王とは何を選ぶ存在なのか。
そんなことを考えながら、この物語を書きました。
第一王子ルシアンは悪役ではありません。
彼は恐怖を知っている人でした。
第二王子アルベルトは理想家ですが、
理想を現実にするには妥協も必要だと知る人でした。
そしてエレノアは、
「王妃になる」ことよりも
「制度を変える」ことを選びました。
派手なざまぁも、大戦争もありません。
けれど、誰かを完全に踏み潰さずに
国家の形を少しだけ良くする物語にしたかったのです。
読まれるかどうかに迷いながらも、
最後まで書き切れたことは、私にとって大きな財産になりました。
ここまでお付き合いいただいたあなたに、
心からの感謝を。
もしこの物語のどこか一行でも、
あなたの心に残ったなら、
それだけで十分です。
本当にありがとうございました。




