第25話「決断の前夜」
北方より急使が入ったのは、夜半だった。
国境線沿いの監視塔が一つ、焼失。
死者三名。
敵影は確認できず。
だが意図は明白だった。
王宮は即座に緊急会議を招集する。
第一王子ルシアンは、すでに軍装に身を包んでいた。
「戒厳令を準備しろ」
低い声が落ちる。
軍務卿が頷く。
「北方軍を二個大隊増派」
「了解」
その場に、第二王子アルベルトもいる。
「兄上」
「今は議論の時ではない」
「だからこそだ」
空気が張り詰める。
「挑発は明白だ」
ルシアンが言う。
「応じなければ、弱いと見られる」
「応じれば」
アルベルトは静かに言う。
「相手の望み通りになる」
沈黙。
「恐怖に従うな」
「恐怖ではない」
ルシアンの目が鋭くなる。
「備えだ」
「備えと過剰反応は違う」
その時。
「お待ちください」
扉が開き、エレノアが入る。
場違いな存在。
だが誰も止めない。
「無礼を承知で申し上げます」
手に持つのは一枚の資料。
「婚約破棄急増の時期と、北方の小競り合い発生時期を重ねました」
机に広げる。
「……一致している?」
軍務卿が呟く。
「挑発が起きるたび、国内の再編が加速している」
エレノアは続ける。
「相手は知っているのです」
「我々が恐怖に敏感であることを」
ルシアンの指が資料を押さえる。
「つまり?」
「挑発は戦のためではありません」
静かに言う。
「我々を“戦時体制へ誘導するため”です」
沈黙。
アルベルトが視線を兄へ向ける。
「兄上」
ルシアンは動かない。
「挑発に応じれば、相手の策に乗る」
重い沈黙。
「では何もしないのか」
「違います」
エレノアが言う。
「軍備は維持する」
「だが、戒厳令は出さない」
「公開声明で“過剰反応しない国家”を示す」
室内の空気が変わる。
「恐怖に飲まれないことが、最大の抑止です」
ルシアンはゆっくりと目を閉じる。
幼い日の炎。
焼け落ちる村。
泣き叫ぶ声。
守れなかった記憶。
「……私は」
低い声。
「同じ光景を二度と見たくない」
初めて漏れた本音。
静寂。
「だから急いだ」
エレノアは静かに答える。
「守る方法は、一つではありません」
長い沈黙。
やがて。
「戒厳令は保留」
ルシアンが言う。
軍務卿が驚く。
「だが軍備は維持する」
「はい」
エレノアは深く頭を下げる。
その夜。
兄弟は廊下で向き合う。
「弟よ」
「兄上」
「私は王になるべきか」
静かな問い。
「兄上は、強い」
アルベルトは言う。
「だが恐怖が強すぎる」
沈黙。
「お前は恐怖がないのか」
「ある」
即答。
「だが、それに支配されない努力をする」
長い、長い沈黙。
「……明日、評議を開く」
ルシアンが言う。
「そこで決める」
決断の夜が更ける。
誰も眠れなかった。
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