第14話「秩序を守る者」
公開統計から三日。
王都のざわめきは、沈静化するどころか、質を変えて広がっていた。
貴族の夜会では「発動基準」の噂が囁かれ、商会では「次はどこだ」という憶測が飛び交う。
そして王宮内部では――
静かな締め付けが始まっていた。
「ヴァレンティス嬢」
呼び出しは、宰相府からだった。
石造りの回廊は冷え、足音が高く反響する。
案内された部屋は、装飾がほとんどない。
机と書棚、そして窓の向こうに広がる王都。
グレゴール・ハイゼンは、背を向けて立っていた。
「お忙しいところ、ありがとうございます」
「構いません」
振り向いた顔は穏やかだ。
「あなたは今、王都で最も注目されている令嬢です」
「望んだわけではありません」
「ですが、望んだ方向へ動いている」
核心を突く。
エレノアは視線を逸らさない。
「統計公開で満足ですか」
「始まりにすぎません」
グレゴールは小さく笑う。
「若い」
「そうでしょうか」
「理想を語れるうちは若い」
机の前に座るよう促される。
対面。
「あなたは制度を変えたい」
「運用を見直したい」
「同じことです」
静かな断定。
「制度は、一度揺らげば崩れる」
「崩れる制度なら、守る価値はありません」
間髪入れずに返す。
グレゴールの目が、わずかに細まる。
「では問おう」
低い声。
「隣国が侵攻の準備を進めているとしたら?」
唐突な仮定。
「軍費が足りなければ?」
「段階的に整備すべきです」
「時間がない場合は?」
畳みかける。
「……」
沈黙。
「国家は、理想的な状況でのみ存在するわけではない」
グレゴールは続ける。
「婚約破棄は、迅速な再編の手段だ」
「家門を潰すことが?」
「家門を整理することが」
言葉を選ぶ。
「無駄を削ぎ、資源を集中させる」
「人を“資源”と呼ぶのですか」
声がわずかに低くなる。
「国家にとっては、そうだ」
迷いなく。
「王族も同じ」
エレノアは理解する。
この人にとって、感情は変数ではない。
「第一王子殿下も、その思想に賛同されているのですか」
「彼は聡明だ」
肯定でも否定でもない。
「彼は王になる覚悟がある」
「犠牲を出す覚悟が?」
「自らも含めて」
その言葉は本物だ。
だからこそ、危険だ。
「あなたは第二王子殿下を動かしている」
唐突な指摘。
「……」
「彼は本来、軍の整備に専念する男だ」
「人の心も理解しておられます」
「それは弱点になる」
静かな断言。
エレノアの胸がわずかに軋む。
「弱さを排した国家は、長く続きません」
「逆だ」
グレゴールが即座に返す。
「弱さを許容する国家こそ、崩れる」
理念のぶつかり合い。
やがて、宰相は立ち上がる。
「あなたを排除する気はない」
意外な言葉。
「ただし」
視線が鋭くなる。
「国家の枠内で動いてもらう」
「枠とは」
「王家の権威を否定しないこと」
条件提示。
「私は否定していません」
「疑問を呈している」
「疑問は否定ではありません」
グレゴールは数秒、エレノアを見つめる。
そして、静かに笑う。
「あなたは危うい」
どこかで聞いた言葉。
「だが、排除すれば殿下が動く」
計算している。
「ならば、利用する」
「利用?」
「あなたの理想を、秩序の内側に収める」
つまり。
改革の速度を管理する。
「急げば反発が強まる」
静かな警告。
「あなたが守りたい家門も、巻き込まれる」
脅しではない。
事実だ。
エレノアは深く息を吸う。
「宰相閣下」
「何だ」
「国家を守るために、国家を疑うことは許されますか」
グレゴールは一瞬、沈黙する。
「……難しい問いだ」
「私は国家を壊したいのではありません」
まっすぐに言う。
「長く続く国家を作りたい」
老宰相の目に、わずかな興味が宿る。
「続けよ」
「恐怖で縛られた秩序は、いずれ爆発します」
「理想論だ」
「歴史です」
静かな応酬。
長い沈黙の後、グレゴールは窓の外を見る。
「あなたを敵とは見なさぬ」
「光栄です」
「だが、味方とも見なさぬ」
「承知しています」
「枠を越えれば、切る」
穏やかな宣告。
背筋に冷たいものが走る。
「肝に銘じます」
部屋を出る。
回廊の冷気が頬を打つ。
別邸へ戻ると、アルベルトが待っていた。
「どうだった」
「国家そのもの、でした」
短く答える。
アルベルトは苦く笑う。
「そうだろうな」
「第一王子殿下は」
「揺らいでいない」
予想通り。
「だが」
アルベルトが続ける。
「兄上は、宰相ほど冷徹ではない」
その言葉に、微かな希望が灯る。
「揺らせますか」
「揺らす」
即答。
窓の外、王都の灯りが揺れる。
制度を守る者。
秩序を守る者。
その中心にいるのは、理念を信じる老宰相。
敵は、単純ではない。
だが。
退く理由も、ない。




