密談(2)
「はい生二つでーす! それとイカの塩辛でーす。こちらお通しのキャベツの漬物でーす」
薄いふすまを開けて、先ほどとは違う男性の店員が生ビール二つと塩辛、そしてお通しを持って来た。キャベツの漬物とはちょっと珍しいなと青木は思った。
とりあえずと、二人は乾杯してぐびっとビールを飲んだ。ぷはーっとつい声が出る。佐藤も続く。堪らない。労働後のこれは病みつきになる。
「君とこうして酒を飲むなんて久しぶりだね」
青木は次の一口を飲んで言った。佐藤は早速塩辛をつまみ始めている。青木はキャベツの漬物を食べたが、なかなか美味しかった。
「そうだね。青木くんとはドライブだったりキャンプでは会うけど、こうして居酒屋で会うのは滅多にないね」
塩辛を食べてビールを飲み、佐藤が答えた。
そうなのだ。この二人は仲が良いが、こうして二人きりになって店で飲む機会など、一体何年ぶりだろうかと思うくらい記憶になかった。
そんな特別な時間を過ごしているかと思うと、青木は何か訳ありだと感づいていた。
「本題に移ろうか。君は僕に相談があって、わざわざ琴似まで出向いて来たんだろう? それを聞かせてもらおうか」
ビールの一杯目を飲み干して青木が聞いた。
佐藤も一杯目を飲み干し、既に顔が赤くなっていた。やはりゆでダコみたいであった。
「そうだね……そろそろ良いだろうね。実は……」
「お待ちどおさまです! ザンギとチーズチヂミとフライドポテトでーす! あ、飲み物のご注文ですね? 生をお二つと、はーい!」
とんだ横やりが入った。先ほど二人を出迎えてくれた女性店員が料理を持ってきてくれた。
腹も減ったし仕方なく食べ始める二人。少しすると生ビールが二人分届き、再び二人はビールを飲み、見つめ合った。
「ちょっと間が悪かったね。君は持ってないね」
「そうだね青木くん。なんかシリアスとかは向いてないんだね、僕たちは」
佐藤がそう言うと二人は大笑いした。佐藤があまりにも笑うもんだから、青木も釣られて二人の個室は大爆笑だった。
少し経ち笑いも収まったところで、改めて青木は聞いた。
「じゃあ話を聞こうか?」
「そうだね青木くん。これからの話はちょっと腹を割らせてもらうよ」
そう言うとおもむろに佐藤は締めていた赤いネクタイを緩め、ワイシャツのボタンを二つ開けた。青木はそのまま、かっちりと背広姿のままだった。
「青木くん……いや、青木」
「! ……なんだ、佐藤」
くん付けで呼び合うのは、お互いにリラックスして笑い合う時のサインであり、呼び捨てにすることは普段ない。どうやら真剣な話であろう事は鈍感な青木も察した。
「笑わないで聞いてくれるか?」
「ああ。君と僕との仲じゃないか。なんでも言えよ」
「ありがとう」
佐藤はぐびっとビールを飲んだ。青木もそれに倣ってビールを飲んだ。
先ほどよりは美味しく感じなかった。
「実は結婚したいと思っているんだ」
(結婚。そうか結婚か。もう僕たちはそういう年齢なんだよな。結婚したい相手がいたって、何ら不思議はないよな)
青木は無言で頷いた。「続けろ」というサインであった。
「三つ年下の人でね。友人の紹介で知り合った日本人の女の子だなって感じの人なんだけど、その子と結婚したいんだ」
「なるほどね。結婚したいってことは直接話してるのかい?」
「いや、まだだ。付き合って十ヶ月を過ぎたんだけど、まだ早いだろうか?」
ううんと、青木は考え込んだ。
十ヶ月という期間が長いのかどうか、青木には判断しかねた。柴原と付き合って自分だってまだ八ヶ月ほどである。佐藤とさほど変わらない期間を経ているが、こんなに女性との交際が長続きしたことがなかった青木にとっては、何とも判断のしようがなかった。
「すまないが、早いかどうかは分からない。問題は何ヶ月付き合ったではなくて、どれくらい親密で愛し合ってるかじゃないかな」
青木は考えながら言った。ただ漠然と何年も付き合い続けるよりも、お互いが理解し合い支え合うことが最も大切だろうと思ったからだ。
佐藤の三つ下なら柴原の一つ下になる。何となく自分と通じるところがあり、青木も真剣に話を聞いた。
「そうか。そうだよな。君は誰かと付き合ってるのか?」
「ああ。三月中旬からだから君ほど長くはないが、二つ下の人と付き合っている」
「その人と結婚したいと考えたことはあるか?」
「ある」
ぐびっと青木はビールを飲んだ。
(ある。間違いなくある)
それは胸を張って言えた。今だって柴原と結婚できるのなら、いつだって青木はプロポーズするだろう。
だが……今すぐそれをできるかと問われれば、その準備は整っていない気がする。何かが足りない。愛は足りているはずだが、何かが。
柴原は休職がまた長引いたと漏らしていた。十二月末までの診断書では保育園の事務手続きが困るから、一月末までの診断書を作ってもらって提出したと、苦笑しながら話していた。となれば、柴原が元気になって復職が決まったタイミングが良いのだろうか。
それとも勢いで一気に攻めた方が良いのだろうか。青木は悩んだ。
「青木」
「なんだ?」
「僕は正直言って結婚したいと思っている。今すぐにでも」
佐藤は二杯目のビールを飲み終え、店員を呼ぶボタンを押した。青木は押し黙った。今すぐにでも結婚したい……か。それならば相応の準備とかが絶対に必要だろうし、その人が欲しがるかどうかは別だが、婚約指輪だのなんだのそういう物だって必要かもしれない。
そう考えると、佐藤の話している内容が他人事とは思えなかった。「結婚したいならすれば良いじゃん」と適当には答えられなかった。
少しすると店員が来たので青木もビールを飲み干し、ハイボールを注文した。
佐藤はそのまま生ビールを注文した。酒を待つ間、二人とも無言で料理を食べた。
酒が届き、佐藤は赤くなった顔をさらに紅潮させながら話した。
「僕がプロポーズするべきだろうか?」
「それはそうだろう。君が結婚したいんだろ? 相手は結婚したそうな雰囲気はあるのか?」
ハイボールを飲み青木は聞いた。佐藤は少し考えて続けた。
「はっきりとは言えないが、恐らく待ってるのではないか、とは感じる」
「そうか。なら話は早いじゃないか。今すぐとは言わなくても、何かキリの良い日に打ち明けるのはどうだ?」
「キリの良い日……例えばいつだ?」
「それは君たちにしか分からないけど……これからクリスマスとか大晦日とか、いろいろイベントがあるわけだし。君たちはいつから付き合い始めたんだ?」
ハイボールを半分ほど飲み終えた。佐藤はビールを右手に持ったまま動かなかった。
「僕たちは元旦に付き合った。今年の元旦だ。令和……いや平成三十一年の元旦だ」
言い終えると佐藤はビールを飲んだ。すっかり顔は真っ赤である。そんなに酔っていないだろうに、アルコールが入るとすぐに赤くなってしまうのは少し気の毒だった。
「元旦か。それはおめでたいじゃないか。元旦、どこでどう付き合ったんだい?」
「北海道神宮へ初詣に行った時、僕から付き合ってくださいと申し出たよ」
チヂミをつまみながら佐藤は言った。青木も食べた。ここの店のチヂミはなかなか美味しいと思った。
(佐藤くんは北海道神宮か……。僕はあのバーを出たところ、それこそ店の前で告白したな……。あれは場所も微妙だったし、僕自身がかなり緊張しちゃって、梨恵を笑わせてしまった記憶がある)
青木は恥ずかしい記憶を辿った。
緊張した青木はどもりながら柴原に「付き合ってくれませんか?」と言った気がする。それを見た柴原は破顔したはずだ。
「それなら、こんなのはどうだ? 僕はプロポーズしたことないからベタな手しか思い浮かばないけど、その思い出のある北海道神宮に、来年の元旦、二人で初詣に行って、婚約指輪を準備するなりしておいて、そこでプロポーズするのはどうだ?」
「元旦に……北海道神宮か……それが良いかもな。ちょうどキリ良く一年だし、確かに君の言う通り、始まった場所で区切りを付けるのは綺麗かもしれない。タイミングが早いかどうかも、何年付き合ったかよりもどう愛し合ったかだよな」
綺麗かどうかは分からないが、青木もプロポーズというものをよく知らない以上、これより良い案は浮かばなかった。
切り出すタイミングを図るのは佐藤の仕事だろう。その恋人はきっと待っているはずだ。
「ありがとう青木くん。僕はすっかり気分が楽になったよ」
「ははは。なんもだよ佐藤くん。こんな僕のアドバイスで良いなら、活用してくれたまえ」
二人は元の調子に戻っていた。その後は二時間を丸々、いつもの下らないトークで終わった。
ドライブ中の車内と何ら変わりはなかった。単に酔っ払って口数がお互いに増え、料理を追加オーダーし、笑い声が大きくなり、絶好調に二人は爆笑を続けた。
青木は佐藤のプロポーズが成功することを祈った。そして自分もその時が迫っているかもしれないと思った。
柴原は何も言ってこないが、彼女なりに弁当を作ったり、駅に送り迎えに来てくれたり、伴侶となる人間のような行動を取りつつある。ならば自分だって相応の用意をしておかなければならないだろう。何か形としてでも。
(部屋が汚いと言ってるけどそれは彼女自身の問題だし、本当に部屋が汚いなら一緒に片付ければいいよな……)
青木はそう思った。実際に柴原の部屋は想像を絶する汚さだが、青木はそんなものは知らないし、だらしないのは彼女の責任であり、仮に柴原が本当にだらしなかったとしても、それはもし夫婦になれるのなら、支え合えば良いと考えていた。
(佐藤くんが結婚したいと言っているのはどんな人なんだろう。三つ下の日本人らしい人か……全く想像が付かないけど、いずれ見せてもらう日も来るだろうし、来て欲しいな)
ラストオーダーに二人でビールを頼んだ時、青木は願った。柴原に『あと三、四十分くらいしたら琴似を出る』とだけ送っておいた。既読はすぐに付き、『じゃあもうすぐ駅に向かうね』と返ってきた。
「いやー飲んだし食べたし、絶好調でしたなあ青木くん」
「君の笑い声がうるさすぎて、他の客に迷惑だったんじゃないかな、佐藤くん」
しこたま酒を飲んでゆでダコみたいになった佐藤と、しこたま酒を飲んでほんのり頬を赤らめた青木が、千鳥足で琴似駅へと向かっていた。時刻は二十一時半を過ぎたくらいだった。
柴原に連絡してからもうずいぶん経ってしまった。
駅に着くと、ちょうど小樽行きの普通列車が出る直前だったので、二人は急いで改札を抜けて乗り込んだ。
「青木くん」
アルコール臭い息を吐きながら、ぼんやりと車窓を眺めて佐藤が話し掛けてきた。二人は座らず扉付近に立っていた。
「なんだい?」
「君は僕の恋人について、何も詮索しなかったね」
「そうだね」
青木は自分の息もアルコール臭いのだろうと想像した。予想していたよりも飲んでしまった。柴原に怒られるかもしれない。
もう少しで青木の目的地の発寒中央駅である。普通列車が速度を緩め始める。
「僕は君のそういうところが好きだよ。他人にあまり干渉し過ぎないところが、実に君らしいと思う。僕も君の恋人は気になるが、いつか君の奥さんとして紹介される日が来ると信じているよ」
「ありがとう佐藤くん。僕も君の恋人が気になるけど、同じだよ。いつか君が僕の嫁さんですって、紹介してくれると信じている」
言い終えたくらいに発寒中央駅に着いた。扉が開く。
「またな」とお互いに声を掛け合い、青木はホームに降りた。佐藤を乗せた列車が走って行く。その姿を何となく青木は見送った。
駅舎に上がり改札を抜けると、もう閉まっているパン屋さんの前のベンチに柴原がいた。
亜麻色のロングヘアを輝かせながらベンチに腰掛けていた。いつものグレーのコートに紺のワイドジーンズを履いていた。誕生日に青木が贈った、深い青の肩掛け鞄を下げていた。
「智ちゃん、お帰りなさい。もうそんなに酔っ払って、お酒臭いわ」
立ち上がって柴原は青木を迎えてくれた。弁当箱が入った袋を青木は渡した。
「あはは。ごめんな梨恵。すっかり遅くなっちゃった」
「ほんとよ! 何分待たされたと思ってるのよ!」
柴原は頬を膨らませて怒った。
そんな柴原が可愛らしく、酔った勢いもあり、他の人もいるのについ抱き締めてしまった。
あらあら……とにこやかに立ち去る女性がいた。少し羨ましそうにするサラリーマンもいた。青木はそんな人たちに見せ付けるように、柔らかい柴原の感触を楽しんだ。
「智ちゃん、恥ずかしいよ……やめてよ」
「ん……よしよし、待たせてごめんな」
頭を撫でた。サラサラとしてパウダースノーのようだった。
シャンプーの香りが鼻腔をくすぐった。自分のアルコールの臭いを浄化してくれるかのような匂いだった。
「さあ、帰るか」
青木は柴原の手を取った。北口へと向かう。
発寒中央駅から北へ約十五分の柴原のアパートまで送り、そこから二十分掛けて帰宅するのだ。
「智ちゃん、いつも送ってくれてありがとう」
「なんもだよ。梨恵こそいつもお弁当ありがとう。今日も美味しかったよ」
二人はぎんなん通りを北へ進む。この結んでいる手を離さず、いつの日にか「恋人」から「夫婦」になることを青木は想像した。
(自分も準備するか)
青木はそう決意した。琴似では酔って千鳥足だったのに、柴原と合流してから不思議とシャキッとして、足取りは軽やかになっていた。
まるで自分の伴侶を守るかの如く、青木は柴原に寄り添って歩き、柴原は青木に身を寄せた。
すっかり冷え込んでいた。まもなく長い冬がやってくる。冬の内にこの関係に区切りをつけようと青木は誓った。




