第1話 呪われた歌姫
王立劇場は、目も眩むほどのシャンデリアの光と、貴族たちの立てる衣擦れの音、そして甘い香水の匂いで満たされていた。
今宵は、建国記念を祝う盛大な夜会。
きらびやかなドレスを纏った令嬢たちが、蝶のように舞い踊る。
その喧騒の片隅で、わたくし、侯爵令嬢エリアーナは、まるで自分だけが色褪せた絵画であるかのように、ひっそりと壁際に佇んでいた。
(……また、皆さま避けていらっしゃるわ)
内心で溜息をつく。
わたくしの周りだけ、ぽっかりと空間が空いているのだ。
視線を上げれば、楽しげに談笑する令嬢たちの輪。
その誰もが、わたくしに一瞥をくれると、まるで汚物でも見るかのようにサッと目を逸らす。
「まあ、あの方……エリアーナ様よ」
「ええ、『呪われた歌姫』……」
「お声を聞くだけで、不幸が訪れるとか」
扇の影で交わされる囁き声が、鋭い針のように肌を刺す。
フードの付いた豪奢なドレスではなかったことを、少しだけ後悔した。ぎゅっと拳を握りしめ、俯く。
わたくしの声は、呪われている。
そう言われ始めたのは、いつからだっただろうか。
幼い頃、庭で歌を口ずさめば、その日の夜に嵐が来た。
小鳥の怪我を癒そうと優しい声で語りかければ、その小鳥は翌朝には冷たくなっていた。
些細な偶然。
そうであってほしかった偶然は、悪意ある噂によって「呪いの事実」へと捻じ曲げられ、侯爵家という高い身分でさえも、その流れを堰き止めることはできなかった。
今では、わたくしが口を開くことさえ、人々は恐れる。
「エリアーナ」
氷のように冷たい声に、びくりと肩が跳ねた。
顔を上げると、そこに立っていたのは、わたくしの婚約者である、この国の第一王子、クライド殿下だった。
陽の光を溶かし込んだような金色の髪に、空を映したかのような青い瞳。
神が精魂込めて作り上げたと誰もが賞賛する、完璧な容姿。
けれど、その青い瞳がわたくしを映すことは、決してなかった。
今も、彼の視線はわたくしを通り越し、遠くの空間を見つめている。
「……殿下」
か細く、掠れた声が唇から漏れた。
いけない。声を出してしまった。
途端に、周囲のざわめきが一瞬だけ静まり、好奇と恐怖がない交ぜになった視線が突き刺さるのを感じる。
肌が粟立つような不快感に、ドレスの裾を強く握りしめた。
「少し、話がある。テラスへ来い」
クライド殿下はそれだけを言い残し、背を向けた。
その隣には、いつの間にか男爵令嬢のソフィア様が寄り添い、庇護欲をそそる可憐な笑みを浮かべている。
ソフィア様は、すれ違いざま、わたくしだけに聞こえる声で囁いた。
「可哀想なエリアーナ様。ですが、すべてご自分のせいですよ?」
勝利を確信した、甘く残酷な声だった。
足が鉛のように重い。
けれど、王子の命令に背くことなど許されない。
わたくしは、まるで断頭台へ向かう罪人のように、ゆっくりとテラスへと続く扉へ歩き出した。
ひんやりとした夜気が、火照った頬を撫でる。
テラスから見下ろす王都の夜景は、宝石を散りばめたように美しい。
けれど、その美しささえも、今のわたくしの心には届かなかった。
「待っていたぞ、エリアーナ」
クライド殿下は、手すりに寄りかかりながら、冷ややかにわたくしを見据えていた。
隣には、もちろんソフィア様がいる。
わたくしは、何も言えずにただ、礼を取った。
心臓が、嫌な音を立てて脈打っている。
これから告げられる言葉を、わたくしは、もう、とうの昔から知っていたのかもしれない。




