それでは、会社は強くなりませんわ
政府から二度目の依頼が届いてから三週間後、玲奈は再び中央政府の庁舎を訪れていた。
前回とは、会議の性質が少し違う。
以前は製造業の経営者や研究者を集め、それぞれの経験や考え方を聞く意見交換会だった。しかし今回は、中小企業の技術を事業化するための支援策について、より具体的な制度運用を検討する場になっている。
玲奈も、最初は断ろうかと思った。
《ARES》の海外展開が動き始め、天城ホールディングスでは海外事業担当者の採用も進んでいる。東雲精機やネクサリンクの事業も拡大しており、高校生活まで含めれば暇とは言い難い。
それでも参加したのは、事前に送られてきた資料の中に気になる部分があったからだった。
技術力を持ちながら成長できていない中小企業に対し、設備投資や研究開発を支援する。それ自体に玲奈は反対していない。
問題は、その先だった。
新しい設備を購入し、新しい技術を開発したとしても、それを適切な価格で販売し、利益を生み、次の投資へ繋げられなければ会社は強くならない。
東雲精機が、まさにそうだった。
技術はあった。
顧客もいた。
仕事もあった。
それでも利益が十分に残らなかった。
玲奈が買収後に最初に手を入れたのは、新技術の開発ではなく、既存案件の採算と価格、顧客構成、設備投資、人材への報酬だった。
だからこそ、資料を読んだ玲奈には疑問が残った。
会議室へ入ると、前回見かけた職員だけでなく、別部署の担当者や中小企業支援の実務に携わる者、金融関係者、大学関係者まで集まっていた。
玲奈は指定された席へ座り、資料を机の上へ置いた。
今回は制服ではない。
学校が休みの日に設定されたため、落ち着いた私服で参加している。それでも周囲と比べれば圧倒的に若いことに変わりはなく、初対面らしい参加者から何度か視線を向けられた。
会議が始まると、担当者から検討中の支援策について説明が行われた。
優れた技術を持つ企業に対する研究開発支援だけでなく、試作品を商品化する段階での資金支援や、外部専門家による経営相談を組み合わせる。さらに複数企業の連携も促進し、一社だけでは商品化できない技術を市場へ送り出しやすくする。
前回より、玲奈の考えに近づいている部分もあった。
だからこそ、説明が終わっても玲奈はすぐには発言しなかった。
参加者たちの意見を聞き、制度を運用する側の事情も確認する。
中小企業の経営者からは、制度を知っていても申請手続きが難しいという意見が出た。研究者からは、技術の価値を企業へ説明できる人材が不足しているという話があり、金融関係者からは、技術評価と事業評価は別物だという指摘も出ている。
玲奈は手元の資料へ書き込みながら、それらを聞いていた。
やがて担当者が玲奈へ意見を求めた。
「天城さんはいかがでしょう。前回、設備だけでは企業は強くならないというお話をされていましたが、今回の案について何かありますか?」
「前回より、随分と良くなっていると思いますわ」
玲奈が最初にそう答えると、担当者の表情がわずかに緩んだ。
しかし玲奈は資料の一ページを開き、そのまま続けた。
「ただ、こちらは少し気になりますの。支援対象を選ぶ際、技術的な新規性や将来性がかなり重視される案になっておりますでしょう?」
「はい。限られた予算ですので、成長が期待できる分野を重点的に支援する考えです」
「その考え方は理解できますわ。ただ、技術が優れていることと、会社が成長できることは同じではございません」
担当者は反論せず、玲奈の続きを待った。
玲奈は東雲精機を買収した当時のことを簡潔に説明した。
高性能な小型モーターを作れる技術者がいた一方で、古い取引関係の中で価格を十分に見直せず、特定顧客への依存も強かった。もし当時の東雲精機へ新しい研究設備だけを与えていたとしても、会社そのものが大きく変わったとは考えにくい。
「新しい技術を作ることばかり支援しても、その技術を売れない会社でしたら利益は残りません。わたくしでしたら、技術そのものだけでなく、それを誰へ、いくらで、どのように売るつもりなのかも確認いたしますわ」
金融関係者の一人が、その意見に頷いた。
一方で政府側からは、制度としてそこまで企業の経営へ踏み込むことの難しさが説明された。民間企業への支援である以上、政府が商品の価格や販売先まで決めるわけにはいかず、経営判断は企業側へ残さなければならない。
玲奈も、その点には異論がなかった。
「政府が決める必要はございませんわ。ただ、経営者自身が考えているかどうかは確認できますでしょう? 技術が完成すれば誰かが買ってくださる、という計画と、顧客候補や価格まで調べている計画を、同じように扱う必要はないと思いますの」
会議室の空気が少し変わった。
支援する技術を選ぶのではなく、その技術を事業へ変えられる企業かどうかを見る。
言葉にすれば単純だが、制度へ組み込むとなれば評価項目そのものを変える必要がある。
大学関係者からは、それでは研究段階の技術が不利になるのではないかという意見が出た。研究者が市場規模や販売戦略まで考えられるとは限らず、技術そのものに将来性があっても事業計画が未熟な場合はある。
玲奈は、その意見を否定しなかった。
「でしたら、足りない人を組ませればよろしいのではありません?」
研究者が玲奈を見る。
「研究者の方に、突然経営者になってくださいと申し上げても難しいでしょう。技術を作るのが得意な方には技術を作っていただいて、商品化や販売が得意な方を別に連れてくる。その方が自然ではございません?」
玲奈にとって、それは特別な考えではなかった。
東雲精機には技術があったが、販売力が弱かった。
ネクサリンクには優れたロボット技術があったが、かつては瀬川一人へ仕事が集中していた。
《ARES》に至っては、ネクサリンク、東雲精機、北辰電池、相馬電子技研、御堂グループのどれか一社だけでは、現在の形まで到達できなかった可能性が高い。
必要な能力を一社へ全部持たせる必要はない。
持っている企業を繋げればいい。
政府側の担当者は、資料へ何かを書き込みながら玲奈へ質問した。
「つまり、資金支援だけではなく、企業同士を繋ぐ仕組みを強化した方がいいということですか?」
「それもございます。ただ、繋げれば何でも成功するとは思いませんわ。相手の会社にも利益がなければ、長続きいたしませんもの」
玲奈は《ARES》の共同開発を例にした。
東雲精機にはモーターの売上があり、ネクサリンクにはロボット事業の成長がある。北辰電池にも電池供給の利益があり、御堂グループも製造や保守を仕事として引き受けている。
社会的に意味があるから協力しているだけではない。
それぞれに事業として成立する理由がある。
「企業同士を紹介するのでしたら、仲良くしてください、では足りませんわ。誰が何を提供して、誰がどのように利益を得るのか。そこまで考えられる人が間に入った方が、成功しやすいのではないでしょうか」
今度は、中小企業支援の実務担当者が反応した。
既存の支援現場でも企業同士を紹介することはあるが、技術だけでなく収益構造まで理解して組み合わせられる人材は限られているという。
そこから議論は、人材の問題へ移った。
政府側が人材育成策を説明し、企業経営者が現場で不足している能力について意見を出す。玲奈も、自分が必要だと思う人材について尋ねられた。
「全部できる人を探そうとしないことですわね」
玲奈が答えると、何人かが意外そうな顔をした。
「優秀な技術者に営業も経理も人材管理もしていただいて、それから経営判断まで完璧にしてくださいというのは、少々欲張りすぎではございません? できないことがあるなら、できる人を雇えばよろしいでしょう」
玲奈自身、プログラムなら久世直人に敵わない。
ロボット技術なら瀬川の方が詳しく、モーターについて東雲精機の技術者と競うつもりもない。財務の実務では沙耶香を頼り、法律については専門家を使っている。
それでも会社は経営できる。
むしろ、自分より優秀な人間を必要な場所へ配置することこそ、玲奈が得意としてきた仕事だった。
議論は昼を挟んで続いた。
午後になると、制度を実際にどう運用するかという話まで進んだ。支援対象企業を選ぶ際、技術評価だけでなく事業化計画も確認することや、必要に応じて経営や販売に詳しい専門家を組み合わせる案が検討される。
もちろん、その場ですべてが決定されたわけではない。
玲奈の意見がそのまま制度になるわけでもなかった。
公平性をどう確保するのか、専門家の質をどう担保するのか、地方の企業でも同じように利用できるのか。政府側からは、玲奈が企業経営では考える必要のなかった問題も次々に示された。
特に玲奈が考え込んだのは、成功する可能性が高い企業だけを選べばいいわけではないという指摘だった。
民間投資なら、玲奈自身が利益を期待できる企業へ資金を出せばいい。
しかし政策となれば、地域経済や雇用、産業基盤への影響も考えなければならない。
玲奈は資料へ書き込みながら、小さく息を吐いた。
「政府というものは、随分と面倒ですのね」
近くにいた担当者が思わず笑った。
「企業経営より考える範囲が広い、と言っていただければ」
「わたくしは会社の方が性に合っておりますわ」
その言葉に、周囲からも小さな笑いが起きた。
玲奈は冗談半分で言ったわけではない。
企業なら、自分で決めた範囲について責任を負えばいい。しかし政府の判断は、自分の会社とは無関係な人間にも影響する。
だからこそ、政治家や官僚が責任を持って決めるべきだった。
玲奈は意見を言える。
経験も提供できる。
だが、最終的な判断まで自分が行うつもりはない。
◇
会議が終わった頃には、外はすっかり夕方になっていた。
玲奈が資料を鞄へ入れていると、参加していた一人の政府関係者が近づいてきた。何度か会議で顔を合わせている人物で、玲奈の遠慮のない発言にも慣れているらしい。
「天城さんは、政治には興味ありませんか?」
唐突な質問に、玲奈は手を止めた。
相手はすぐに、今すぐ選挙へ出ろという意味ではないと笑った。これだけ政策について意見を持ち、企業経営の経験もあるのなら、将来的に政治の世界へ進む選択肢もあるのではないかという程度の話らしい。
玲奈は少し考えてから、首を横へ振った。
「政治家になるつもりはございませんわ。わたくしは、わたくしの会社を経営したいのです」
迷いはなかった。
「今日のように意見を求められれば、わたくしの知っている範囲でお答えいたします。でも、その意見を採用するかどうかは皆様が決めることでしょう?」
「責任を負うのは政府だから、ですか?」
「ええ。それに、わたくしが間違っていることもございますもの」
相手は少し驚いたようだった。
玲奈は、自分が常に正しいとは思っていない。
競馬の予想だって外れる。
企業への投資も、買収も、商品開発も、すべて成功してきたわけではない。北辰電池を買収しようとして御堂に負けたこともあれば、《ARES》の最初の試作機は試験場で横倒しになった。
自分が知らないことは、いくらでもある。
「ですから、わたくしの意見は材料の一つとしてお使いくださいませ。その代わり、聞かれましたら遠慮はいたしませんけれど」
「それは、今日一日で十分理解しました」
相手が苦笑したため、玲奈も小さく笑った。
政府との付き合い方は、それでいい。
近すぎず、遠すぎず。
必要なら協力するが、自分の人生まで預けるつもりはない。
◇
それから数か月が経過した。
玲奈が参加した検討会の議論は政府内部でも続き、一部の支援事業では、技術面だけでなく事業化計画や企業間連携をより重視する方向で試行的な取り組みが検討され始めた。
玲奈が制度を作ったわけではない。
会議には玲奈以外にも多くの専門家や企業関係者が参加しており、最終的な内容は彼らの意見や政府内部での検討を経て形になっている。
玲奈にとって重要なのは、自分の提案が何割採用されたかではなかった。
必要だと思ったことを伝えた。
あとは、それを仕事にしている人間へ任せればいい。
その間にも、天城ホールディングスの事業は止まっていなかった。
《ARES》は国内での試験運用を終え、段階的な正式導入へ進み始めている。現場から集められた意見を反映した改良も続き、製造と保守については御堂グループとの役割分担が定着していた。
海外についても、欧州企業との交渉が具体的な段階へ入っている。
いきなり大量販売するのではなく、まず少数の機体を現地で評価し、その結果を見て販売地域を広げる。保守については現地企業が一次対応を行い、重要部品とソフトウェアについて日本側が支援する形が検討されていた。
玲奈は海外事業担当者から報告を受けると、細かな交渉をそのまま任せた。
以前なら自分で資料を読み込み、相手企業について調べ、条件の一つ一つを確認していただろう。
今でも重要な契約には目を通す。
しかし、すべてを自分で行うことはなくなった。
天城ホールディングスには、玲奈以外にも判断できる人間が増えている。
それこそが、会社が成長した証拠だった。
高校生活も、残り少なくなっていた。
教室では進路の話題が増え、陽菜も受験に向けて勉強する時間が長くなっている。玲奈も海外大学への進学準備を続けていたが、会社が国内にあるからといって進学先を変えるつもりはなかった。
「玲奈ちゃん、本当に海外行くんだね」
放課後、陽菜が参考書を鞄へ入れながら呟いた。
「ええ。そのつもりですわ。会社がございますからといって、わたくしが日本から動けないようでは困りますもの」
「普通、高校生が言う台詞じゃないよね、それ」
「陽菜様も、随分と慣れたのではなくて?」
「慣れたけど、おかしいものはおかしいよ」
陽菜が笑ったので、玲奈もつられて笑った。
高校へ入学した頃には、会社の仕事をしながら学校へ通う生活が特別に感じられた。しかし三年も続けば、それも玲奈の日常になっている。
だからこそ、次の環境へ進みたかった。
自分がまだ知らない場所へ行き、自分より優秀な人間と出会い、新しい知識を学ぶ。
それは会社を大きくするためだけではない。
玲奈自身が、そうしたいからだった。
◇
冬を迎える少し前。
天城ホールディングスへ、一件の問い合わせが届いた。
最初に確認した海外事業担当者は、内容を読んだあと、自分だけで処理せず沙耶香へ報告した。沙耶香も送られてきた資料を確認し、その日のうちに玲奈へ連絡を入れている。
放課後に天城ホールディングスへ立ち寄った玲奈は、会議室の机に置かれた資料を手に取った。
「そんなに珍しいお問い合わせなのです?」
「珍しいというより、相手が大きすぎるんです」
沙耶香は少し困ったように笑った。
玲奈は一枚目を読み、ページをめくる手を止めた。
そこに記されていたのは、《ARES》を数台購入したいという話でも、欧州で販売代理店になりたいという申し出でもなかった。
天城ホールディングスが保有する企業や技術、そして今後の海外展開について、包括的な協議を行いたいという提案だった。
差出人は、世界各国で製造業、エネルギー、物流、情報技術へ事業を広げる巨大企業グループ。
VGI。
そして、その最高経営責任者であるアレクサンダー・ヴァルデン本人の名前が、文書の最後に記されていた。
玲奈は最後まで読み終えると、資料を机へ戻した。
「随分と大きなお客様ですこと」
「お客様で済めばいいんですけどね」
沙耶香の返事を聞き、玲奈はもう一度資料へ目を落とした。
文面は丁寧だった。
だからこそ、単なる製品購入の相談ではないことも分かる。
相手が興味を持っているのは《ARES》だけではない。
東雲精機、ネクサリンク、天城ホールディングスが複数の技術を組み合わせ、新しい事業へ変えてきた仕組みそのものを見ている。
玲奈は椅子の背へ体を預け、少しだけ楽しそうに微笑んだ。
「まずは、お話を伺いましょうか。世界一大きな会社でも、会ってみなければ何を考えていらっしゃるのか分かりませんもの」
国内の小さな町工場から始まった玲奈の経営は、いつの間にか政府を越え、世界規模の企業から声をかけられるところまで来ていた。
それでも玲奈の判断基準は、最初から変わっていない。
相手が大きいから従うこともなければ、有名だから断ることもない。
自分にとって価値があるのか。
相手にも適切な価値を渡せるのか。
そして何より、自分がそれをやりたいと思えるのか。
次に玲奈が向き合う相手は、日本企業でも政府でもなかった。




