百人の次にある壁
VTuberの登録者数が初めて百人を超えた日、天城玲奈はその数字を記録用のノートへ丁寧に書き込んだ。
初配信では最大でも七人しか見ていなかった。
そこから何度も配信を重ね、初めての百円を受け取り、ゲームの中で敵へ交渉を試みて失敗し、その場面を視聴者が切り抜いて紹介したことで、少しずつセレスティアを知る人間が増えていった。
玲奈にとって、百人という数字は十分に大きかった。
学校の同級生を全員集めても届かない人数が、自分から登録という操作をしてくれたのである。
だから玲奈は、当然その先についても考えた。
「次は、二百人を目指してみましょう」
難しいとは思わなかった。
百人まで来たのだから、同じように活動を続ければ二百人にも届く。
二百人へ届けば、その次は三百人。
そうして少しずつ積み上げていけばいい。
少なくとも、その時点の玲奈はそう考えていた。
翌週も配信した。
登録者は増えた。
百三人から、百十一人になった。
さらに次の配信を行う。
百十六人になった。
ゲーム配信も続けた。
前回までの経験を生かし、拠点は順調に発展している。
視聴者から教えられた知識も覚え、以前のように夜が来てから慌てて建物を作ることもなくなった。
登録者は百二十二人になった。
その次は、百二十五人。
さらに数日後には、百二十七人になった。
「……遅くなっておりますわね」
玲奈は数字を見ながら呟いた。
減っているわけではない。
少しずつ増えている。
それでも百人へ到達する直前の勢いと比べれば、明らかに伸び方が鈍くなっていた。
玲奈は最初に、自分の配信内容を疑った。
何か悪くなった部分があるのではないか。
話し方。
音声。
ゲーム内容。
コメントへの反応。
配信時間。
一つずつ記録を確認する。
しかし、以前より明確に悪化した部分は見つからなかった。
むしろ玲奈自身の感覚では、配信には慣れてきている。
コメントを読みながら話すことも上手くなり、視聴者数を気にしすぎることも減った。
ゲームについても、最初より遥かに上達している。
「上手になっているのに、増え方は遅くなるのですね」
玲奈には、それが面白かった。
少し悔しくもある。
しかし理解できない現象を見つけると、調べたくなる。
玲奈は直人との打ち合わせで、現在の数字を見せた。
「久世さん。登録者の増加が鈍くなっております」
「まあ、そうなるだろうな」
直人は驚かなかった。
玲奈は少し眉を寄せる。
「予想していらしたのですか?」
「切り抜き一本でずっと増え続けるわけないだろ。見たい人へある程度届いたら、勢いは落ちるよ」
「でしたら、別の切り抜きを作っていただけばよろしいのでしょうか?」
「それ、玲奈が頼んだら切り抜きじゃなくて宣伝動画に近くならない?」
「……確かに違いますわね」
玲奈はすぐに案を取り下げた。
視聴者が面白いと思ったから自主的に作ったことに意味がある。
登録者を増やしたいから、面白そうな部分だけを誰かへ作らせるのであれば、それは別の施策になる。
「配信回数を増やすという方法はいかがでしょう?」
「できなくはないけど、お父さんとお母さんとの約束は?」
「学校生活へ影響させないことです」
「なら、数字が伸びないからって増やすのは俺なら勧めない」
「理由をお聞きしても?」
「玲奈が配信したいから増やすならまだしも、数字が怖いから増やし始めると、たぶん終わりがない」
玲奈は黙った。
直人にしては珍しく、かなり真面目な言葉だった。
「百人なら二百人が欲しくなる。二百人なら千人、千人なら一万人ってなるだろ。数字が増えるたびに配信時間まで増やしてたら、玲奈の生活なくなるぞ」
「……それは、望んでおりません」
「だったら今の時間の中で考えた方がいいんじゃないか?」
玲奈は素直に頷いた。
学校を辞めるつもりはない。
本を読む時間も欲しい。
父と競馬場へ行く時間も好きだ。
母と買い物へ出かけることもある。
セレスティアとして活動するために、それらを全て削るのは違う。
「では、配信時間を増やす案は却下いたします」
「決断早いな」
「目的と手段を逆にしてはいけませんもの」
玲奈はノートへ一本の線を引いた。
時間を増やさない。
ならば、現在使っている時間の中で改善する必要がある。
「久世さん。初めていらした方と、何度もいらっしゃる方を分けて確認できますか?」
「完全には無理だけど、ある程度の傾向なら見られると思うぞ」
「では、それを見たいです」
「何を調べるんだ?」
「来ていただく理由と、戻ってきていただく理由が、同じなのかを知りたいのです」
直人が少し黙った。
「……玲奈って本当に八歳?」
「先月も確認なさったでしょう?」
「確認するたびに不安になるんだよ」
「戸籍をご覧になりますか?」
「そういう問題じゃない」
二人で確認できる範囲の数字を見ていく。
切り抜きが広がった直後には、新しく配信へ来る人間が明らかに増えていた。
しかし全員が次の配信へ戻ってくるわけではない。
一度だけ見て、そのまま離れた人間も多い。
それ自体は玲奈にも理解できた。
全ての人間へ好かれるものなど存在しない。
問題は、何をきっかけに戻ってきた人が多いのかだった。
「ゲームだけではなさそうですね」
「そうだな。雑談回にも来てる人、結構いる」
「相談を行った回はどうでしょう?」
「ちょっと待って……これ、人数の割にコメント多いな」
玲奈は画面を見る。
以前、試験的に行った相談企画。
部活を辞めたいが親へ言いにくいという相談を受け、玲奈が一緒に考えた配信である。
最大同時視聴者数だけなら、ゲーム配信の方が多かった。
しかし最後まで残っていた人間の割合や、コメントの量には違いがあった。
「ゲームは、人を連れてきてくれます」
「そうだな。失敗してる玲奈は分かりやすく面白いし」
「余計な説明を付け加えないでくださいませ」
「事実だろ」
「否定はいたしませんけれど!」
玲奈は少し頬を膨らませたあと、再び数字へ意識を戻した。
「相談配信は、来てくださった方が長く残っているのでしょうか?」
「今の少ないデータだけなら、そんな感じには見えるな。ただ回数少ないから、まだ断定はしない方がいい」
「では、もう一度試せばよろしいですね」
「そうなるな」
玲奈は次回の企画を決めた。
以前は配信中に、その場で簡単な相談を募集した。
今回は事前に募集する。
ただし個人情報や、玲奈だけでは扱えない深刻な内容については対象にしない。
八歳の玲奈が専門家でもないのに、何にでも答えられるような態度を取るつもりはなかった。
「企画名も決めるか?」
「以前考えたものを使いたいです」
玲奈は少し姿勢を正した。
「《セレスティアお嬢様の相談室》でお願いいたします」
「やっぱりそれ気に入ってたんだな」
「分かりやすくてよろしいでしょう?」
「覚えやすいし、俺もいいと思う」
こうして《セレスティアお嬢様の相談室》は、試験的な企画ではなく、正式な配信企画として始まることになった。
募集を出すと、玲奈が想像していたより多くの相談が届いた。
もちろん、まだ登録者百人台の小さな配信者である。
何百件も届くわけではない。
それでも玲奈一人が一回の配信で扱うには十分な数だった。
学校の勉強について。
友人関係について。
習い事について。
兄弟喧嘩について。
欲しいものがあるが、お小遣いを使うか迷っているという相談もあった。
玲奈は事前に全てを読み、扱えそうなものを選んだ。
その中で、一つの相談に目が止まった。
『テストで友達よりいい点を取ったら、自慢してるって言われました。次からわざと間違えた方がいいですか?』
玲奈の表情が変わった。
「……なぜ、そのようなことをしなければならないのでしょう?」
隣で確認していた美咲が、娘の顔を見る。
「玲奈ちゃん、まだ配信始まってないよ?」
「分かっております。ただ、これは少し納得できません」
玲奈は相談文をもう一度読んだ。
その子が実際に自慢したのかどうかは分からない。
文章だけでは判断できない。
しかし少なくとも、友人より高い点数を取ったという理由だけで、次からわざと間違えるという結論には賛成できなかった。
美咲は玲奈の横から相談文を読む。
「玲奈ちゃんだったら、どう答えるの?」
「まず、本当に点数だけが原因なのかを考えていただきます。本人に悪気がなくても、言い方で相手を嫌な気持ちにさせた可能性はございますから」
「うん。それから?」
「そのうえで、努力して取った点数をわざと下げる必要はないと申し上げます」
玲奈は迷わなかった。
「できることを、できないふりをする必要はございませんもの」
美咲は少しだけ笑った。
「玲奈ちゃんらしい答えだね」
「そうでしょうか?」
「すごく玲奈ちゃんらしいと思う」
配信当日。
玲奈が《セレスティアお嬢様の相談室》というタイトルで配信を始めると、いつもの視聴者が少しずつ集まってきた。
ゲーム画面はない。
中央にいるのは、銀白色の髪を持つセレスティアだけだった。
「皆様、ごきげんよう。本日は《セレスティアお嬢様の相談室》として、事前にいただいたお悩みを皆様と一緒に考えてみたいと思います」
『相談室きた』
『待ってた』
『お嬢様の正論パンチ期待』
「始まる前から、人を殴るような企画にしないでくださいませ!」
いつものように笑いが流れる。
玲奈は少し安心した。
最初は軽い相談から扱った。
朝起きるのが苦手だという相談。
欲しい本を買うか、別のもののために貯金するか迷っているという相談。
玲奈は自分の考えを話しながら、コメント欄の意見も読む。
意外だったのは、視聴者同士でも答えが違うことだった。
玲奈が思いつかなかった考え方が出ることもある。
「なるほど。そのような方法もございますのね。相談を受けているわたくしまで勉強になりますわ」
『お嬢様が素直』
『もっと全部決めるタイプだと思ってた』
「わたくしが知らないことを、知っているふりをする意味がございませんでしょう?」
玲奈は自然にそう答えた。
以前なら、人前で知らないと言うことへ抵抗があった。
今では少し違う。
分からなければ聞けばいい。
間違えれば直せばいい。
それで人間としての価値まで失われるわけではない。
そして例の相談を読む順番が来た。
「次のお便りです。テストでご友人より良い点数を取ったところ、自慢していると言われてしまい、次からわざと間違えた方がいいのか悩んでいらっしゃるそうです」
コメント欄が動いた。
『それは間違えなくていいだろ』
『でも自慢の仕方による』
『言い方きつかった可能性はある』
「わたくしも、皆様とほぼ同じ意見です」
玲奈は相談文だけでは分からない部分があることから話した。
点数そのものではなく、伝え方によって友人が傷ついた可能性もある。
もし自慢するような言い方をしてしまったなら、そこは謝ればいい。
しかし、その話と次のテストでわざと間違えることは別だった。
「努力して百点を取れるのでしたら、百点を取ってよろしいのではありませんか?」
玲奈は穏やかに続ける。
「ご友人を見下す必要はございませんし、自分の方が優れていると誇示する必要もございません。ただ、ご自身が努力して得た結果まで、小さく見せる必要はないと思いますわ」
コメントの流れが少しゆっくりになった。
「相手を尊重することと、ご自分を低く扱うことは別です。わたくしは、価値のあるものをわざと安く見せる必要はないと思っております」
『なんか刺さる』
『これ仕事でもそうかも』
『自分下げる癖あるわ』
玲奈は、その反応を読みながら少し驚いた。
学校のテストについて答えたつもりだった。
しかし大人らしい視聴者から、自分の仕事にも当てはまるというコメントが流れている。
「お仕事については、わたくしにはまだ分からないことも多いです。ただ、ご自分ができることを正しく知ることは、大切なのではないでしょうか」
『お嬢様何歳なんだよ』
「淑女へ年齢を尋ねるものではございませんと、以前も申し上げましたでしょう?」
『絶対年上だろ』
『人生何周目?』
玲奈の動きが、一瞬だけ止まった。
「……随分と面白いことを仰いますのね」
『反応怪しいw』
『図星?』
「さて、次のご相談へ参りましょうか」
『逃げたww』
玲奈は少しだけ冷や汗をかいた。
まさか正解へ近い冗談が飛んでくるとは思っていなかった。
ただしコメント欄を見る限り、本気で転生者だと疑われているわけではない。
単に話し方や考え方が妙に大人びていることへの冗談らしい。
玲奈は気を取り直して、次の相談へ進んだ。
配信は予定していた時間をほぼ使い切った。
ゲーム配信のような大きな事故は起こらなかった。
敵から逃げ回ることもない。
派手な展開もない。
それでもコメントは、最後まで途切れなかった。
「それでは、本日の相談室はここまでとさせていただきます。わたくし一人の考えが正解とは限りませんので、皆様もご自分で考えながら受け取ってくださいませ」
『次もやって』
『相談送るわ』
『ゲームも好きだけどこれ好き』
『お嬢様の考え方聞くの面白い』
玲奈は、その最後のコメントを見た。
ゲームが面白い、ではない。
セレスティアが失敗するから面白い、でもない。
考え方を聞くのが面白い。
「……ありがとうございます。それは、とても嬉しいお言葉ですわ」
玲奈はいつもより少し柔らかな声で答え、配信を終了した。
終了後の数字を確認する。
最大同時視聴者数だけなら、以前のゲーム配信と大きな差はなかった。
しかし途中で離れる人が少ない。
最後まで残っていた人数も多かった。
さらに配信終了後も、相談について感想を書いている人間が何人もいた。
翌日には、相談の一部分を短くまとめた切り抜きも作られていた。
今度はゲームで失敗している玲奈ではない。
『相手を尊重することと、自分を低く扱うことは別です』
そんな言葉を中心にした短い動画だった。
玲奈はそれを見て、少しだけ不思議な気持ちになった。
「今度は失敗しておりませんわね」
直人へそう伝えると、すぐに返事が来た。
「残念そうに言うなよ」
「残念ではございません! むしろ安心しております!」
「でも、こっちはこっちで伸びてるぞ」
直人から送られた数字を見る。
最初のゲーム切り抜きほど急激ではない。
しかし視聴した人間からの反応は多く、そこからセレスティアの配信へ来る人間も少しずつ増えている。
「久世さん。少し分かってきた気がいたします」
「何が?」
「入口と、残っていただく理由は、同じでなくてもよろしいのですね」
ゲームで失敗する姿を見て来た人が、相談配信を好きになることもある。
相談の切り抜きを見て来た人が、ゲーム配信で笑うこともある。
一つのものだけで全てを満たす必要はない。
「商品を一つだけ並べる店より、いくつか入口がある方がいいということでしょうか?」
「急に商売の話になるのが玲奈なんだよな」
「分かりやすく考えているだけです」
玲奈は配信内容を整理した。
ゲーム。
雑談。
現代文化について学ぶ企画。
そして《セレスティアお嬢様の相談室》。
その中でも相談室は、今後定期的に続けることにした。
毎回やる必要はない。
相談だけを続ければ、玲奈自身も答えを考えることに疲れてしまうかもしれない。
ゲームをしたい日もある。
ただ話したい日もある。
だから複数の内容を続ける。
玲奈は数字だけではなく、自分が楽しめるかどうかも条件へ加えた。
それから数ヶ月。
セレスティアの登録者数は、再びゆっくりと伸び始めた。
二百人。
三百人。
五百人。
増え方には波がある。
切り抜きが広がれば一気に増える日もあり、数日ほとんど変わらないこともある。
玲奈は以前ほど、一日の数字だけで一喜一憂しなくなった。
見るべきなのは、一回の増減だけではない。
どんな人が来て、どの配信を見て、何を好きだと言ってくれたのか。
数字の向こう側に、人間がいる。
相談室を続けるほど、そのことが分かるようになった。
そして八歳の終わりが近づいた頃。
玲奈がいつものように学校から帰宅し、宿題を終えてからパソコンを開くと、登録者数は九百九十二人になっていた。
百人のときとは違う。
今度は玲奈も、数字を何度も更新しなかった。
九百九十二人なら、まだ千人ではない。
明日かもしれないし、一週間後かもしれない。
それなら、その時を待てばいい。
翌日の夜、相談室の配信を終えた。
今回扱ったのは、友人へ断ることが苦手だという相談だった。
玲奈は相手を大切にすることと、自分の時間を全て差し出すことは違うと話した。
配信終了後。
玲奈はいつもの記録を残し、最後に登録者数を確認した。
一千二十七人。
「……千人を超えておりますわね」
最初の配信を見ていたのは、最大で七人だった。
そのうち一人が「また来ます」と言ってくれたことを、玲奈は今でも覚えている。
今では千人を超える人間が、セレスティアをもう一度見てもいいと思って登録している。
それでも玲奈が最初に考えたのは、次の目標ではなかった。
「明日は、お父さんと競馬場へ行く日でしたわね」
パソコンを閉じる。
千人になったからといって、予定していた家族との時間を変更する理由はない。
翌朝。
玲奈は修一と並んで競馬場へ向かった。
パドックで馬を見れば、配信の数字など一度頭から離れる。
修一が候補を尋ね、玲奈が馬体や歩様を観察する。
「今日は三番が良さそうに見えます。ただ、前回より少し落ち着きがありませんね」
「じゃあ父さんはデータ見て考えるか」
「最終判断はお父さんですからね。負けても、わたしへ責任を押しつけてはいけませんよ?」
「契約内容、まだ有効なのかよ」
「当然です。利益の五割についても、お忘れなく」
「そこだけ絶対忘れないよなあ」
玲奈は楽しそうに笑った。
千人に見られるセレスティアである前に、天城玲奈には自分の生活がある。
その生活を捨ててまで数字を増やしたいとは思わなかった。
そして奇妙なことに、その考え方を守り始めてからの方が、玲奈は配信を以前より長く楽しめるようになっていた。
八歳の一年をかけて、登録者はゼロから千人を超えた。
まだ世間から見れば、ほとんど知られていない新人である。
しかし《セレスティアお嬢様の相談室》という名前を楽しみに待つ人が現れ、ゲーム配信を見に来る人が現れ、切り抜きを作る人まで現れた。
小さなコミュニティは、確かに形を持ち始めている。
そして玲奈が九歳になる頃。
セレスティアの成長速度は、もう一度大きく変わることになる。
そのきっかけとなったのは、玲奈自身が企画したものではなかった。
いつもの相談室へ送られてきた、一通のありふれた相談だった。
その相談へ答えた数分間が切り抜かれ、これまでセレスティアを全く知らなかった何万人もの人間へ届くことになるなど、この時点の玲奈にはまだ想像もできなかった。




