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私の「声」は届いていませんでしたか?〜汚い声だと追放された聖女、その歌声を好きだと言ってくれたのは獣人でした〜  作者: 衛星 奏志


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第一話 追放と出会い

全二話

「リディ。お前の声は汚い。聖歌隊は清く美しい歌声でなければならない。お前の声は聞くに耐えん」


 とうとうこの日がやってきてしまった。

 険しい顔を向けるのは聖騎士団長であるガルド団長。強さと美貌を持つ聖騎士の象徴である彼は私、リディエルを路傍の石を見るような目で見た。


「代わりはいくらでもいる。お前には聖歌隊を辞めてもらう」


 長年、聖騎士団の呪いを代わりにこの身に受け、歌で浄化してきた。

 喉は枯れ、美しかった歌声は見る影もない。


「承知、しました」

「お前の部屋には次の聖女が入る。直ちに出ていくように」


 そう言い放ち、ガルド団長はマントを翻し去って行った。

 その後を団員達が続いていく。


 長時間歌い続けた喉は声を発するだけで、血の味が口の中に広がる。

 自分でも歌声に限界を感じていた。休みなく酷使し続けた喉はもうボロボロで、長時間の歌に耐えられなくなってきた。


 それでも、自分の浄化の力を求めてくれているのだと信じて歌い続けた。


 自らも戦場に身を置き、直接ではなくとも聖騎士と共に魔獣と戦ってきたつもりだったが、誰一人声を掛ける者はいない。

 聖歌隊の仲間ですら。


 聖歌隊の歌姫と呼ばれる女性達。その中でも浄化の力の強い歌姫を聖女という。

 現在聖女の称号を持っているのは、数十人いる歌姫の中でも五人程。

 その中でも私は筆頭聖女として、聖歌隊の中心にいた。


 だが、私はもう必要ないようだ。


 私は、大聖堂を後にして部屋に戻った。



 私はわずかな荷物を持って、王都の門を出た。

 物心ついた頃には歌っていた。

 両親の記憶は全くない。


 だから行く当てもない。

 幸い、長年使っていなかったお金はそれなりにあるが、世間知らずだ。


 そんな自分が一人でこれからどうしていけばいいか不安しかない。


 旅支度の買い物に行ったお店で、私を元聖女だと知る方に色々教えてもらったが不安は大きい。


 鞄の紐をギュッと強く握り、決意と共に一歩を踏み出した。ところが──


「リディエル様!」


 すぐに呼び止められた。


 振り返ると狐の獣人が手を振ってこちらへと走ってくる。


 その腕には包帯が巻かれていた。


 先の戦闘で怪我を負った、聖騎士見習いの青年だった。名前は、ヨナス。


「こんにちは、ヨナスさん。お怪我は大丈夫ですか?」


 掠れた声が出る。

 その声を聞いてヨナスが心配そうに眉尻を下げた。


「あ、こんにちは。はい、怪我は全然大丈夫です。僕のことよりも、リディエル様こそ大丈夫ですか?」

「あ、聞き苦しくてすみません」

「いえいえ、全然。ところで、これからどこに行かれる予定ですか?」

「特に決めていませんが、ヨナスさんはどうされたのですか?」

「僕も聖騎士辞めてきました!」


 先を促し、歩きながらヨナスはあっけらかんと言う。


「なんか、聖騎士団って思ってたようなところじゃなかったなって。ほら、僕獣人だから常に最前線に出されるでしょう? それなのに怪我しても当然みたいな扱いされて。だから、辞めて里に帰ろうかと思って」

「すみません」


 聖騎士団には獣人に対しての差別があからさまではないがある。獣人は最前線で真っ先に攻撃を受ける位置に配置される。それは、獣人が人間よりも能力が高いが故だが、正直なところ盾として使われていると言っても良い程だ。そして、怪我をしても労わられることはない。

 私も常々この事については、平等にすべきだと進言してきた。


「リディエル様が謝ることではないです。むしろ、リディエル様だけでしたから、僕たちを心配して気遣ってくれたのは。騎士団はもとより、他の歌姫達は僕達を怖がって近付きませんでしたから」

「そんな……皆さんとても穏やかで優しい方ばかりでしたのに」

「ふふ、そう言ってもらえて嬉しいです。というわけで、もし、行く先が決まっていないのなら僕の里に一緒に行きませんか? 獣人の里なんですが、人間の方もたくさんいますし、自然いっぱいで長閑なとても良いところなんです! 立ち寄るだけでも良いので、……どうでしょうか?」


 頬が膨らみ、髭が揺れる。


 正直ありがたい申し出だ。

 ヨナスが誠実で優しい青年であることは分かっている。世間知らずの女の一人旅がどれほど危険であるかも理解しているつもりだ。

 だが、王都を出ないという選択肢は無い。良くも悪くも顔が知られ過ぎている。向けられる様々な視線に耐えられそうも無い。

 だが──


「ですが、私は歌うしか能のない世間知らずです。きっと迷惑を掛けてしまいます」

「そうであるなら尚更です。僕、一応ここにくる前は冒険者をしていたこともありますし、旅に必要な知識は一通りあります。それをお教えすることもできますよ。女性の一人旅はお勧めしません! 絶対に」


 真剣な顔で言ってくる。さらにもう一度、絶対に! と付け加えた。


「その通りですね。では、お願いします」


 深々と頭を下げると慌てて、ヨナスも頭を下げて。


「こちらこそ。しっかりノウハウをお伝えしますので、学んでいってください!」


 とガッツポーズを向けてくるのでなんだか笑ってしまった。


 私の笑顔を見て、ヨナスもにっこり笑う。


「じゃあ、ここから五日ほど行ったところにあるカカルトという街に向かいますね。そこに僕の友人がいて、彼が村近くまで送ってくれます。驚かせたいので移動手段は内緒で」

「内緒……」

「はい、楽しみにしててください。リディエル様驚いてくれると良いなぁ」

「あの、私はもう聖女ではありませんので様付けしなくても大丈夫です。敬語も必要ありません」

「あ、じゃあ俺のこともヨナスって呼び捨てで呼んで。敬語もいらないよ」

「わ、分かったわ、ヨナス。私のこともリディって呼んで」

「リディ……リディか。なんだか、照れるね」


 目の上のぷっくりした眉頭と同じ場所が上がり、尻尾が忙しなく揺れる。顔が毛に覆われているけれど、眉の動きなどで結構表情豊かだ。

 特にヒゲと尻尾は雄弁だ。


「ふふ。結構表情が分かりやすいのね。知らなかったわ」

「まあ、今まで会う時は大体戦場だったから険しい顔してたからね」

「それもそうだわ」


 ヨナスは私の歩幅に合わせつつも、旅に必要なことを教えてくれた。

 歩き方、空の見方、地形。


 宿に泊まることもあれば、野営することもある。


 野営では、自生する食べられるものや食べられないもの。調理方法などを一緒にやりながら教えてくれた。


 ヨナスは出来ないことを笑わなかったし、慣れないながらもやり遂げると褒めてくれた。


 ある野営の夜に、焚き火を二人で眺めその日のおさらいをしていた。

 焚き火に木を追加し、ヨナスが口を開いた。


「随分手際が良くなってきたね」

「本当? まだヨナスみたいに上手く出来ないわ。きのこは見分けがつかないし」


 今日は毒のあるきのこを採ってきてしまった。

 きのこはどれもとても似ていて見分けがつかない。

 ヨナスが選り分けてくれたから良かったけれど、食べていたら死にはしないらしいけど大変な事になっていた。


「まあ、ゆっくり学んでいけば良いよ。あ、でも明日にはカカルトに着くし、そしたら一気に里まで行けるから……」


 ヨナスとの旅もあと少しということ。なんだか、少し残念に思った。


「五日間か、あっという間だったなぁ。もう少しゆっくり歩けば良かったかな」

「ふふ」


 同じことを思ったのかと、少し嬉しかった。


「そうだ、リディはもう歌わないの? あ、いや、時々歌っていたけど、ちゃんと歌わないの?」

「え……、私歌っていた?」

「うん、歌ってたよ。割と頻繁に。無自覚?」

「無自覚……そう、みたい」


 四日間、全く歌わずにきたと思っていた。だが、歌っていたらしい。


「え、ごめんなさい。酷い歌を聴かせてしまったわ」

「え? とんでもない。俺は前の澄んだ声のリディの歌声も好きだったけど、今の歌声もとっても味があって好きだよ。なんていうか唯一無二の歌声っていうか──え……ごめん。気に障った?」

「いいえ、いいえ、ありがとう」


 ヨナスの言葉が嬉しくて、目が熱くなった。


「良かったら、聴かせて。浄化の為じゃなく、歌いたい歌を」

「うん」


 私は歌った。

 掠れながらも。

 好きだと言ってくれたヨナスのためだけに。


 星の瞬く空に吸い込まれる声。

 サワサワと揺れる木々。

 木の上で寝ていたのだろうか、リスがするすると木から降り離れたところで数匹身を寄せてうずくまる。

 木々の間からも動物達が顔を出す。


 いつも誰かのために歌っていた。

 でもただ一人のための歌なんて初めてで、向き合う相手がいるのはとても心地よく感じた。


 戦場でなかったことも大きかったかもしれない。


 掠れた声が闇夜に消えて溶けていく。

 気付けば長い時の間、歌っていた。


 歌い終え、周囲に目を向けてギョッとしてしまった。


 火の光が届く周囲にはたくさんの動物達が集まっていた。そして、私の周囲にも。


 ヨナスは歌う前にいた場所よりも遠くの地面に小さくなって座っており、弱り顔をしていた。


「邪魔だって押しやられたんだ」


 どうやら動物達に押し除けられたらしい。

 いじけた様に座る姿が可笑しくて思わず吹き出し、声をあげて笑ってしまった。


「うん。やっぱり、素敵な歌声だったよ。また聴かせて欲しい」

「ええ、ありがとう。嬉しい。また聴いて欲しい」


 なんだか、今の自分を受け入れることができた気がした。

 聴きたいと言ってくれる人がいる。

 聴き入ってくれる動物達がいる。

 それは失った歌への気持ちを思い出させてくれた。ただ歌いたいという気持ちを。



 翌日、カカルトに入った。この町で一泊してから次の日に移動することになった。今日は、友人宅でお世話になるらしい。


 その友人は、デューリスという名前だった。

 初めて見るタイプの獣人だった。というか、耳が尖っているだけで、言われないと獣人だと分からない。

 今夜はご夫婦のお宅にお邪魔している。


 奥様のヴィオレッタさんの手料理をいただいた後、四人で歓談していた。


「彼はドラゴンの獣人なんだ」

「え? ドラゴンって、伝説の?」

「そう。あ、夫人は人間だよ」

「私の妻、というか番のヴィオレッタは人間だ。大体五百年くらい一緒にいる」

「ごっ、五百年ですか?」

「うん。ずっと愛してる、私の唯一の伴侶だよ。私の両親なんか千年近く一緒にいるけど、今でも暇さえあればベタベタしてるよ」

「せ、千年……」


 途方もない年月。それだけの年月を生きるなんて想像もつかない。

 昔、ドラゴンは人間との共存を諦め、ドラゴンの隠れ里だけにいたらしい。だが、時代は変わり現在はあらゆる人種が尊重されている。

 王都は特別選民意識が残っている地域らしく、他の地域はそこまで差別は残っていないようだ。


「両親は今でもドラゴンの里にいるけどね。二人で里を守ってる。私たちも最終的にはあの地に帰る予定だ」

「明日はデューリスがドラゴンになって送ってくれる予定なんだ」

「そう。ついでに里帰りする予定」

「どっちがついでだい? うちの里はドラゴンの里のある山の麓にあるんだ」

「え? そんな、場所を教えても良いんですか? 隠れ里なのに」

「ああ、もう大丈夫だよ。里には結界があって悪意のある者は入れないんだ。うちの母が昔聖女だった人でね、結界を張ってくれているんだ。だから場所が知られても問題はない」


 聖女について書かれた文献にそんな記述があったのをうっすら思い出した。

 たしか結界を張っていた稀代の聖女を追放して国が滅んだというものだった。国は他の国に吸収されたが、その後神の怒りに触れたのか聖女が一人も生まれなかったと。聖女は一代一人。生きている間は新しい聖女は生まれないとも。


「ヨナスはあの険しい山を越えてよく里に遊びに来ていたがな」

「まあ確かに険しかったけど、あの山でしか採れないものもたくさんあったからなぁ。俺の大好物のキーリリの実とか、ルルー芋とか。あ、思い出したら食べたくなった」

「確かにあれは美味い」


 どちらも聞いたことのないものだった。というか、聖女は制約が厳しくて聖水で育てた野菜以外食べられないし、聖水しか飲めなかった。

 この旅で初めて聖水で育てた野菜以外のものを食べた。

 ヨナスが私の好きなものを探そうと言って色んなものを食べさせてくれたのだ。


 量を食べることができないので、少しずついろんな種類を。残りはヨナスが食べてくれた。


「リディにも絶対食べて欲しいな」

「じゃあ、私が連れて行ってやろう。ドラゴンの里にも遊びに来ると良い。里からの方が近い。父も母も歓迎するよ。リディさんも一緒においで」

「いいんですか?」

「もちろん。番ではない人間が入るのは久しぶりだ」

「デューリス、君の兄弟で番を持たないドラゴンは里にはいない?」


 ヨナスの言葉にデューリスさんは意味深に笑う。


「大丈夫だ。番を持たない兄弟も姉妹も皆、里の外だ。見初められる心配はない」


 私が首を傾げると、ヨナスが説明してくれる。


「デューリスは希少な古代竜なんだ。種族としてはデューリスの両親の血を受け継ぐ個体だけしか居ない。でも、ドラゴンの里にはその他にも色んな種類のドラゴンが住んでいるんだ。火や水、氷とかね。種族によって色が違うから色とりどりのドラゴンがいる。火が赤、水が青とかね」

「デューリスさんは何色なんですか?」


 ヨナスの説明をニヤニヤ見ながら聞いていたデューリスさんだったが、私の問いに三人が顔を合わせて笑う。


「明日、楽しみにしてると良いよ」


 笑顔でそう返された。


 次の日、町外れの森の中まで行くと、デューリスさんがドラゴンに姿を変えた。

 デューリスさんは金色のドラゴンだった。


「古代竜は金色で属性がないんです。というか全属性を持っている。そして、古代竜同士か人とじゃないと番えないんです」

「そう……なんですか……」


 ヴィオレッタさんの説明を聞きながらもほえーっとその美しい姿を見上げる。


「綺麗……」

「ええ、ほんとに」


 ヴィオレッタさんが頬に手を当ててうっとりしている。昨日の様子だと、デューリスさんがヴィオレッタさんを溺愛しているようだったが、ヴィオレッタさんも相当デューリスさんを愛していそうだ。


 ヴィオレッタさんのお腹に鼻先を擦り付けるデューリスさんと、ヴィオレッタさんの体ほどある頭を抱きしめるヴィオレッタさん。


「相思相愛ですね」

「ふふ、そうだね。まあ、獣人の番は大体そうだけどね」


 と。

 そういうものか、ときちんと理解できているかは分からないが納得する。


「これに乗ってください」


 ヴィオレッタさんが指したのは、先ほどヨナスとデューリスさん二人で小屋から出した大きな籠だ。

 革製の紐の中にデューリスさんが頭を突っ込んで、首あたりまでくぐる。

 カゴの中に乗り、横に付いた器具で締めると、ちょうど胸の辺りに来るところで止める。


 デューリスさんが大きいのでカゴも広く頑丈なもので、三人が入ってもまだまだ余裕がある。


「お義母様が魔法をかけてくださっているのでとても快適ですよ。最初だけ少し揺れますからしっかり掴まっていてください」


 ヴィオレッタさんが合図を送ると、デューリスさんが首を下げ、背中の翼を大きく羽ばたかせる。


 ふわりと宙に浮いてぐんぐん上昇していく。


「すごい! 飛んでるわ」


 あっという間に森や町が小さくなっていく。

 本当なら風の影響を受けていることだろう。しかし、カゴの中は気持ちいい程度の風を頬に受けるくらいでとても快適だ。


 空が近く、果てしなく向こうまで見渡せる。

 きっと、こんな体験は滅多にできないことだろう。

 気が昂って歌いたくなってしまう。


 隣にいるヨナスに目を向けると、にっこり笑って頷いてくれた。


「あの……歌ってもいいですか?」


 ヴィオレッタさんに確認すると、


「ええ、もちろん」


 と、快諾してくれた。


 思うがままに歌う。

 視界を遮るものがない、見渡せる遥か遠くまで届くように。

 デューリスさんが起こす風に乗ってどこまでも流れていくように。

 デューリスさんとヴィオレッタさんに感謝を込めて。

 そして、ヨナスに聴いてもらうために。


 気付けばドラゴンの里の上空だった。

 色とりどりのドラゴンがこちらを見上げて拍手をしたり、飛び跳ねたりしている。


 数度旋回をしてからそこを離れ、麓の町へ。

 町のすぐ近くにデューリスさんは降り立った。


「リディさん、すごい! とっても素敵な歌だったわ。ずっと聴いていたいくらい!」

「本当ですか? ありがとうございます」

「空の旅が短すぎたわね。また聴かせて!」


 隣でドラゴンのままデューリスさんが頷いている。嬉しい。


「はい。……喜んで」

「また数日後に迎えに来る。ドラゴンの里に行こう」

「あ、デューリスさんその姿でもお話しできるんですね」

「はは。うん、喋れるよ。うちの両親、さっきの歌を聴いていたはずだから気になってると思う」

「帰ったら質問攻めに遭うわね、きっと」

「絶対にな」

「じゃあ、また」


 ヴィオレッタさんはカゴではなく、デューリスさんの首の付け根に颯爽と跨った。


 お礼を言って、二人に手を振って見送った。


「ヨナス、ありがとう」

「何が?」

「とっても素敵な出会いだった」

「二人ともいい人だよね」

「ええ。ヨナスもね」

「うっ、いい人……喜んでいいのか、そこから発展することはあるのか、くっ」

「え、どうしたの?」

「なんでもない。さあ、行こう」


 この地ではドラゴンは珍しくないのか、デューリスさんの姿に騒ぎは起きなかったが、ヨナスが私を連れ帰ったことで町は大騒ぎになった。


 森に囲まれた小さな町。

 出会う人全てヨナスの知り合いで、声を掛けられる。


「これが煩わしくてこの町を出た様なところもあるけど、うん、やっぱり煩わしい」


 そう言いつつ、無事に帰ってきたことを喜ぶ町の人の様子にヨナスは嬉しそうだった。

 私には帰るところがないから羨ましく思う。

 しかし、私に対しても初めて訪れたにも関わらずおかえりと迎えてくれる。

 そういえば、これまでの人生でおかえりと言われた経験は一度もない。


 人生で初めて、私はただいまという言葉を使っている。

 初めてなのに何度も何度も。

 軽く肩を叩かれ、頭を撫でられ、抱きしめられて。


 心が震えるほどに嬉しかった。

 そして、もみくちゃにされているヨナスの元に一人の女性が走り寄ってくる。


「ああ、おかえり、ヨナス」

「ただいま、母さん」


 ヨナスの母は涙をこぼしてヨナスを抱きしめている。


 聖騎士という危険な仕事を遠く離れたところで勤めていた息子が無事に帰ってきた。

 それは母親にとって何にも例えられない嬉しさだろう。


 実際ヨナスは見習いにも関わらず、最前線で他者よりも多く危険な目にあっている。


 腕の傷もまだ完治しておらず、旅の間は手当てを手伝っていた。

 かなりひどい傷で恐らく痕が残るだろう。

 そして、傷痕はそこだけではないのだ。腕だけでも新旧幾つもの傷痕が残っている。


 それを目の当たりにしてきて、私ももらい泣きしてしまいそうだ。


「母さん、紹介するね。リディエルさん。残念ながら、恋人とかではなくて、王都でとてもお世話になった方なんだ。何度も命を助けて頂いた。王都を出るということで、この町に誘ったんだ」

「まあまあ、それはありがとうございます。リディエルさん、息子が大変お世話になりました! 私はこの子の母でマレナと申します。この町で薬師をしておりますのよ。小さな町ですし、うちも小さいですが、よかったらゆっくりしていってください」

「はい、ありがとうございます。お世話になります」


 挨拶を交わす間周囲からは、落胆の声が上がった。

 きっと恋人だと思ったのだろう。

 申し訳ない。


お読みいただきありがとうございます。

けもーです。

ヨナスの腕の傷跡は、跡の部分に毛がないので分かりやすいです。禿げてるというとヨナスに怒られます。


こちらは以前書いた、ドラゴンの卵焼き係と同じ世界線になっております。

今回の登場人物が出るってだけで、話は繋がっていないシアお母さんのお話です。

リンクを書いておきますので、よかったら読んでみてください。

リンク→ https://ncode.syosetu.com/n2029mi/

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