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norn.  作者: 羽衣あかり
“画家と少女”
322/322

321.海に浮かぶ星々

 ノルンはキャンバスの前に立つと、動きを止める。

 数秒。数分の時が流れても、ノルンはその場から動くことはなかった。

 ただ、自分が描かれた絵を見つめるその瞳は、初めて目にしたものに興味を示す子どものようで、その横顔にエリシオはくすりと笑みを零した。


「…ノルンちゃん。少しの間、モデルになってくれないかな」


 エリシオがそう声をかけて、ようやくノルンは絵から目を離してエリシオを振り返る。


「…モデル、ですか」

「うん」


 エリシオは頷くと、ノルンの傍まで歩み寄り、ノルンの目の前に立てかけられていたキャンバスを両手に抱えた。


「君の絵のモデルになって欲しいんだ」

「…わたしの、絵の…」

「うん。…ふふ、やっぱり思い出して描いて見たけど、全然違う」


 キャンバスを部屋の中央の大きなイーゼルの上に乗せると、エリシオはそのまま椅子に座り、キャンバスに描かれた少女と、目の前に佇む少女を比較するように見つめた。


「…やっぱり、瞳の色が全然だ。…描いている時から気になってたんだ。何だか違う気がして」

「そう、でしょうか。絵の善し悪しは分かりかねますが…私からしてみれば、とても美しく、描いていただいたように思います」

「ふふ、そっか。でも君は本当に、もっとなんていうかな。…僕の腕なんかじゃ表現しきれない程に、神秘的で、素敵な子だよ」


 ノルンは表情を変えず、一瞬薄い唇を開こうとして、それからすぐに口を結んだ。


「……ありがとう、ございます。エリシオ様」


 戸惑いがちに告げられた言葉にエリシオは頷く。


「こちらこそ。…それで、モデルになってくれるかな?」

「はい」

「ありがとう。それじゃあこの椅子に座って」


 ノルンが頷くのを見届けるとエリシオは、部屋の隅に置かれていた木の椅子を引っ張り出して、そこにノルンを座らせた。

 背筋を伸ばして、膝の上に手を重ねたノルンは、視線をどこへやればいいのか分からないという風に、ちらりとエリシオへ視線を送る。


「あ、視線はこっちで。うん。そう。そんな感じ。…じゃあこのまま少しだけ止まっていて貰えるかな」

「はい。承知しました」

「ありがとう。そんなに長くはかからないから」


 エリシオはノルンにそう告げると、視線はノルンに向きながら、利き手の左手でサイドテーブルに置かれていた筆を手に取った。


 しかしエリシオの視線が、ノルンの視線と絡んだ瞬間に、エリシオは思わず動きを止めてその瞳に魅入られる。


 ほぅ、と小さく感嘆の吐息が口からこぼれ落ちる。


(…………澄んだ空の色………けど、太陽の光を反射する海の色……)


 窓から差し込む太陽の光をいっぱいに取り込んで、きらきらと光を反射されるその瞳は、どこまでも透き通っていて。


「……………本当に、唯一無二だ」


 透き通った海に、瞬くそれは瞳の中に入り込んだ星の欠片のよう。

 エリシオは、薄く笑みを零すと、そっと筆を持ち上げた。

 迷うことなく、数色の絵の具を手に取ると、パレットの上に出して、混ぜ合わせていく。

 そして、正面に座るノルンと、キャンバスに描かれたノルンを交互に比較しながら、その瞳に更に色を重ねていく。


 決して一色では描けない。

 しかし、無闇矢鱈に色を混ぜ続けるだけでは、ただの濁った海と化してしまう。

 それでは、彼女の美しい宝石瞳を表現することは出来ない。

 エリシオは無意識のうちに呼吸さえ浅くして、目の前のキャンバスに集中する。

 一色ではない。

 複雑に、何色もの色が混じりあっている。

 それでも、彼女の瞳はどこまでも透き通っていて、まるで宝石が共鳴するように星が瞬く。

 その光はまるで、暗い闇夜でさえ、深い海の中さえも、照らしてしまえるような。


 キャンバスに筆を滑らせるエリシオが口を開くことはない。そして、ノルンもまたその口を閉じて、ただ、静かにその瞳をエリシオに注ぎ続けた。


 広大な空が彩られていく。

 そして、その上に細い筆先で豊かな睫毛が一本ずつ描かれていく。

 硝子のような瞳の上に睫毛の影を落とせば、絵画は一気に現実へと近づいた。

 そして、最後に。

 エリシオは彼女の睫毛を描いたその筆で、瞳の中に瞬く星を描いた。


「…………………」


 気づけば呼吸は止まり、エリシオは前のめりになって、一心に絵画に全神経を注いでいた。

 そして、エリシオが筆を握り始めて数十分後。


「…………っ……できたぁ………」


 ようやくエリシオは力の抜けた笑みを浮かべるのだった。


「本当ですか。エリシオ様」

「うん…ごめんね、長い間…。疲れたよね」

「いえ。この程度ならば問題ありません」

「良かった」

「エリシオ様。絵を、拝見してもいいですか?」

「勿論。……どう、かな」


 ノルンの言葉に頷くとエリシオはキャンバスを持ち上げて、ノルンに絵が見えるようにキャンバスを持ち帰る。


 美しい宝石瞳が、僅かに揺れた。

 静かに口を結んで、絵を見つめ続けるノルン。

 エリシオが内心緊張をしていれば、ふとノルンの唇が僅かに開いた。


「…エリシオ様には、私の目は…このように、見えているのですか?」


 その言葉に一瞬どきりと心臓がはねる。

 それは、良い意味か、はたまた悪い意味か。


「えっ……えっと……」

「…これ程までに………こんなに、綺麗な色を、していますか、」


 言い淀んだエリシオにノルンは続けた。

 少し戸惑っているような、ぎこちない声色。

 その言葉にエリシオは息を呑む。


「……うん。春の快晴のように涼やかで、でも夜の海のように深くて、そこにずっと星が瞬いてるんだ」

「……………」


 ノルンが小さく息を呑む。


「………本当に、すごく、綺麗だよ。___あぁ、そう。そうだ。あの宝石みたいに。………そう。そうだ。グランディディエライトの宝石みたいに…!」


 エリシオがぱっと顔を上げて、微笑みを浮かべてノルンを見つめれば、その瞬間ノルンの気配が揺れた。

 一瞬、何かを噛み締めるように、彼女は唇を僅かに噛んで、それから____。


「…はい。____はい。ありがとうございます。エリシオ様」


 僅かに眉を下げて、まるで、大切な宝物を抱きしめるかのように、淡く、美しく微笑んだのだった。











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