321.天使の再来
それから1年後_____。
再び爽やかな初夏の風薫る季節に、彼女はその地を訪れた。
森から続く道を静かに辿る。
時折吹く風に柔らかなホワイトブロンドが靡く。
彼女は目的の家の前までやって来ると、両足を揃えて、玄関の前に立ち止まる。
家の先にはいくつかの低木が、瑞々しく淡い桃色と紫と青を混ぜたような濃淡の花を咲かせている。
そして、少女は片手を持ち上げると小さく来訪の合図を鳴らした。
少女が合図を送ったすぐ後に、戸の奥から大きな音が響いた。何かに躓いたような音がしたあとに、物が一斉に床に落ちたような音。
そのすぐあとに、遠慮がちに扉は開いた。
中年ほどの背の高い人の良さそうな面立ちの男。
丸く縁取られた眼鏡が印象的で、分厚いレンズが男と少女の間の世界を隔てていた。
「…初めまして。突然の訪問となり、申し訳ありません。ノルンと申します。___エリシオ様でいらっしゃいますか」
男の開けた扉の先にいたのはまるで彫刻のように洗練された美しさを持つ一人の少女だった。
雪のような肌に、薄く色づく小さな唇。
陽光に照らされて、白く透き通るホワイトブロンドに、大きな目元を縁取る豊かなまつ毛。
それから、透き通った碧とも、翠ともいえない瞳の中で瞬く星々_____。
「………………君は…」
少女を目にした瞬間、エリシオは驚いたように息を呑んで、丸く縁取られた眼鏡の奥でその瞳を見開いた。
心地よく耳に澄み渡るような声。
そのまま流れるような所作で下げられた頭。
「…ぁ…」と小さく零れたエリシオの戸惑いの声は風に誘われ、静かに溶ける。
エリシオにその星々が瞬く瞳を注ぎ、名を名乗った少女の言葉にエリシオは違和感を覚える。
(………初めまして……?……いや……ちがう。…ちがう、彼女は_____)
何故ならばエリシオは彼女の事を知っていたから。
_____きっと、知っているはずだから。
「…………ノルン、ちゃんだよね?」
「……………はい」
エリシオが確認をするように、少女の名を繰り返せば、少女は僅かにその美しい瞳を見開く。
少し動揺を見せたかのようにも思えたが、それは一瞬で、次の瞬間には少女は何事も無かったように表情を戻してしまう。
けれど、その一瞬で充分だった。
エリシオは、確信した。
エリシオは眉を下げて、ふっと表情を緩めると目の前の少女に笑いかける。
「…久しぶりだね。ノルンちゃん。また会えて嬉しいよ」
その言葉に今度こそ、少女は大きなその瞳を見開いて、それから小さく瞳孔を揺らした。
一瞬の沈黙が落ちて、さらりと風が頬を撫でる。
そして少女は、その瞳に柔らかな曲線を描いて、僅かに口角を上げた。
「…お久しぶりです。エリシオ様」
小さく蕾が綻ぶようなその微笑みに、エリシオは微笑みを携えたまま小さく頷いた。
それから訪れたノルンに茶を出して、小さな包みを受け取ったあと、エリシオはとある一室へノルンを案内した。
「あ、ごめんね。色んな物が散らかってるから…気をつけて」
「はい」
エリシオが案内したのは、家に隣接した小さな作業小屋のようなスペースだった。
入るなり、ツンとした匂いが鼻をかすめる。
エリシオは既に慣れた匂いに構うことなく、部屋の中央に進みでると、さらに窓辺までいって、大きくカーテンを開け放った。
シャッと音がして、開け放たれた窓から眩しいほどの陽光が部屋を照らし出す。
その瞬間、部屋の入口で、足を揃えて立ち止まっていたノルンの瞳がゆっくりと見開かれる。
太陽の光を取り込んだ宝石の瞳は、まるで本物の宝石のように角度を変えてきらきらと輝きを放つ。
「……エリシオ様。ここは………」
「僕の作業部屋だよ」
にこりと微笑んだエリシオに、ノルンは驚いたように小さく開いた口を閉じてから、改めて消して広くは無い室内を見渡した。
入った瞬間に鼻を掠めたのは、ツンとした塗料の匂い。僅かに埃っぽい室内。
しかし太陽の光が室内を満たした瞬間、景色は一変した。
暗闇から現れたのは、壁の一面を埋め尽くすほどのキャンバス。そこに彩られた景色。部屋の壁際に置かれた小さなタンス。中央に置かれた一つの椅子。椅子の目の前に置かれたキャンバス。それからキャンバスの傍に置かれたサイドテーブル。
様々なところに鮮やかな色彩が飛び散っていて、この部屋がエリシオの活動部屋である事が伺えた。
そんなエリシオの秘密の作業部屋で、ノルンはふと壁に立てかけられた一枚のキャンバスに視線を止めた。
それは人物の肖像画だった。
青空の元、柔らかな草花の中、その人物は描かれていた。灰色のローブを羽織り、ローブには細かな植物の刺繍が描き込まれている。白いブラウスにダークブラウンのスカートを履き、足元には黒のタイツ。そろからスカートと同じくダークブラウンの編み上げブーツ。両手に握られた古めかしいトランク。
極めつけは、彫刻のように寸分の狂いもない面立ち。
雪のように白い肌に、淡く色づく薄い唇は閉じられている。
そして、何より象徴的だったのは、まるで絵の中だというのに、目の前で呼吸をしているかのように煌々と静かに輝きを放つその瞳_____。
「……………これは……」
「…うん。ノルンちゃんだよ」
そう。絵の中で静かに、まるで呼吸をしているかのように佇む彼女がそこにはいた。




