19.旅人
壁にかけてある時計に視線を移す。
時刻はまだ午後の3時。やることがなくなってしまい、どうしようかと考える。
久しぶりに一日寝て過ごそうか。うーん。何となく勿体ない気がする。それに休日になればいつでも寝れる。読み終わっていない本でも読もうか。それともお小遣いでも稼ぎにギルドに行こうか。
お菓子作りが好きな男子と聞くと少し世間のイメージ的には筋骨隆々というよりかは細身の男を想像するかもしれない。それでいうなればアオイは細身の男の子に違いない。
しかしアオイは冒険者の父故に少しならば剣の扱いを心得ていた。けれども、やはりどれもピンとこない、というのが今のアオイの心情だった。
そして結局また家の中にいても仕方がない、と家を出るのだった。
夕ご飯の材料でも買ってこようかな。それとも少し遠くまで散歩してみようか。
そんなことを考えていたからか、またしても足は村の外へと続く道へと向かっていた。
相変わらず色とりどりの季節の花で華やかに飾られた赤茶色の煉瓦の家々を抜けて、走り去る子ども達と言葉を交わしながら、村の入口に辿り着いてしまっていた。
さっきも通った道。ここを出て左手に行けば、先程の森。しかしそこでアオイは立ち止まった。
村の入口に村人では無い人が立っていた。正確には村の入口に入る少し手前。
別に他所の人が来ることは珍しくない。冒頭にも言った通り、ここは花の街として知られており、多くの旅人が立ち寄る。
けれどなぜか、アオイの視線はその人物に釘付けで、何故か動悸までしていた。
なにか劇的なものでも訪れる予感とでも言うように、指先はじんわりと熱を持ち震えそうだった。震えそうになるのを堪えるようにアオイはきゅ、と拳を握った。
立ち止まり、その人物を凝視するアオイをお構いなしにその人物はゆっくりと近づいてくる。
黒いローブを羽織り、中には清楚な白いシャツを着て、ダークブラウンのスカートを履いている。
黒のタイツを履き、足元にはスカートと同じダークブラウンの編み上げブーツが履かれていた。
フードの中には薄らと見えるブロンドの髪。
アオイがその人物に目を奪われていると、もうその旅人であろう人物はもう目の前まで来ていた。
立ち尽くすアオイに目の前まで来ていた人物の足が止まる。
そして測ったかのように風が吹いて、その人物のフードを落とした。
「………っ…」
息を、呑む。
思わず呼吸をすることさえ忘れる。
時が止まる。
…目が、合った。美しい、青とも、緑ともいえない。角度によって色を変えるまるで宝石の様な瞳と。
ドクン。
心臓が一回、低く、けれど確かに今までにはないくらいの振動をした。
「ん?にいちゃんどうした?大丈夫か?」
そんな状況で声を発したのは、目の前の少女でも、もちろん僕でもなかった。
声のした方に目を向ければそこにいたのは二足歩行の…、二足歩行の…
「えっ、犬っ…!?」
思わず考えるより先に言葉が口をついて出てしまった。今度は確かに自分の声だ。
そこには確かに濃い藍色のふわふわとした体毛に部分的に白い体毛を携えた犬が立っていた。
よくよく見れば、少女を挟んで反対側には真っ白な毛並みのウルガルフが、アオイを見ていた。
少女にばかり注目していて、すっかりその両隣に意識がいっていなかった。
思わず、喉の奥で小さな悲鳴が鳴る。
ウルガルフの視線から逃れるようにまた二足歩行の犬に視線を戻す。
何かの、聞き間違いだろうか。
「そうだけどよぉ」
聞き間違いじゃなかった。確かに今、目の前のふわふわとした犬が喋った。
アオイは目を奪われていた少女を忘れて、目の前の二足歩行の犬に目が釘付けだった。
しかしどこか不満そうな顔をしている犬を見て、アオイの優しい性格故の心配がすぐに湧き上がっていた。
「ご、ごめんなさい。いきなり失礼な態度をとって…」
慌ててアオイは喋る犬に向き直り、現状を把握出来ていないながらにも、謝罪を述べる。
すると喋る犬(これも失礼かもしれないけれど言い方が分からない)は不満そうに垂れていたふわふわの耳をピクっとさせて、きりっとアオイに向き直った。
「おう!大丈夫だ。慣れてるからな」
そう言って喋る犬はニコッと目を細めて笑ってくれた。ほっと胸を撫で下ろす。どうやら怒ってはいないらしい。よかった。
「にいちゃん、ウール族に会うの初めてなんだろ?」
ウール族…?頭の中でその響きがもう一度繰り返される。ウール族と言えば、この大陸の南東の島に住む種族で、その姿はふわふわの毛並みを持った二足歩行の動物達だという。知識程度にしか聞いたことがない。
ウール族は自分たちの暮らす地域から外に出ることは滅多にないという。ウール族の暮らす島はウール族が好む温暖な気候だという。
そんな知識だけだった種族が、今、目の前にいる。
「ウール族…。そっか。君はウール族なんだね。僕
実際に会うの初めてだ」
クリっとした金色の目と、視線が絡む。胸がどきどきする。今度は軽い音を立てて。
これが、僕が初めてウール族と出会った日だった。




